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吉田豪 オンエアーし損なっていた名曲特集

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吉田豪さんがbayfm『with you』に出演。タイミングが合わずに番組でオンエアーし損なっていた名曲をまとめて紹介していました。

(松本ともこ)今日はどんな特集でしょうか?

(吉田豪)はい。『タイミングが合わなくてオンエアーし損なっていた名曲特集』という感じです。

(松本ともこ)はい。し損なっちゃった。どんないい曲があるのか?聞こえてきました。

(吉田豪)はい。これがですね、SHOKOさんというロンドンを中心に活動するアーティストで。ドローイングやらイラストやらデザインやら写真やら音楽やらって幅広い活動の中で音楽も入っている感じで。2011年にカジヒデキ参加のミニアルバムを出しているんですよ。それもよかったんですけど、新作はavexからっていう。

(松本ともこ)もう!

(吉田豪)これまたカジヒデキプロデュースですね。で、これがカジくんが初めてPVも撮った曲なんですけど。

(松本ともこ)いまこれ、流れている曲が・・・

(吉田豪)SHOKOさんの『The Flowers of Kew Gardens』っていう。まあ、ロンドンの公園の名前みたいなんですけどね。

SHOKO『The Flowers of Kew Gardens』



(松本ともこ)おしゃれですねー。行ったことはないけど、素敵ですね(笑)。カジさん、さすが。

(吉田豪)これが初期のベル&セバスチャンを思い出したぐらい地味だけどすごいいい曲っていう。

(松本ともこ)よくこういうところ、出会いますね。吉田豪さんのアンテナはロンドンにまで。っていうか、カジくんつながりってことね?

(吉田豪)カジくんがらみですね。カジくんがらみでぜんぜん・・・本当にあんまり話題になっていなかったんですよ。この2011年に出たミニアルバム。カジくんの作品を漁っていた時に『こんなのあるんだ』と思って聞いたら地味に良くて。それがね、前はスペシャのレーベルだったんですけど、avexがこれを出す。すげー!っていう。

(松本ともこ)いいじゃないですか。

(吉田豪)おしゃれな感じの。

(松本ともこ)あら?この全面にのっている赤いワンピースの方がSHOKOさん?

A Love Letter to London
(吉田豪)SHOKOさんですね。オサレ!オサレ!

(松本ともこ)本当におしゃれですね(笑)。あと、後ろも全部英語表記だからさ。へー。ロンドンっていう感じ。

(吉田豪)すごくいいです。

(松本ともこ)『A Love Letter to London』。SHOKOちゃんは日本語もできる方何でしょうかね?

(吉田豪)当然、当然。日本の方です。文化服装学院出身とか、そういう(笑)。

(松本ともこ)あ、急に身近な。そうですか(笑)。

(吉田豪)これがまた、あれですね。発売がいつだったかな?10月7日発売ですね。ちょっとタイミングが合わなくて・・・っていうやつです。

(松本ともこ)もうちょっとアップな曲も入っているんですか?全体がこういう雰囲気?

(吉田豪)全体が結構地味ですね。いわゆる渋谷系とかじゃなくて、もっとおとなしめのギターポップっていう。

(松本ともこ)『Princess Afternoon Tea』とかタイトルを見つけましたよ。

(吉田豪)そんな感じで、微妙にタイミングが合わなかったやつをどんどん流していきます。どうしてもやっぱね、その週発売とか、まだ出てないのとかオンエアーしすぎましたよ。

(松本ともこ)もしよかったら、毎週いらっしゃればいいんじゃないですか?

(吉田豪)いやいやいや・・・なので、そんな感じでいきます。

(松本ともこ)では、お願いします。1曲目は何ですか?

(吉田豪)1曲目がチームしゃちほこで・・・

(松本ともこ)私、知らないかな?

(吉田豪)知らないですか?ももいろクローバーZや私立恵比寿中学の妹分で、スターダストプロモーション所属の名古屋在住の女の子によるグループ。2012年デビューですね。

(松本ともこ)ずばり、チームしゃちほこね。

(吉田豪)そうです。で、10月28日発売の『ええじゃないか』っていうシングルがありまして。これがtofubeatsさんの曲ですかね。で、バクバクドキンとか、音楽的には攻めているグループなんですけど。この中の『無重力で~と』っていう曲が、作詞作曲が有頂天のケラさん。で、編曲がCMJKっていう元電気グルーヴの人によるテクノポップなんですよ。

ええじゃないか
(松本ともこ)はい。

(吉田豪)で、ケラさんと最近トークイベントをやった時に、『しゃちほこの曲、よかったですよ!』って僕、言ったんですけど。そういえばこれ、オンエアーしてなかったなっていうね。

(松本ともこ)うんうん。私がだって、まだ自分の中にないもん。

(吉田豪)流しましょう。チームしゃちほこで『無重力で~と』。

チームしゃちほこ『無重力で~と』


※動画1:00からスタートします

(松本ともこ)チームしゃちほこ『無重力で~と』。

(吉田豪)ついこの前、再結成有頂天を見たばっかりだったので、『有頂天っぽい!』っていう(笑)。

(松本ともこ)(笑)。つながっちゃった。はいはいはい。やっと知ることができました。

(吉田豪)そんな感じのしゃちほこでした。

(松本ともこ)ぜんぜん新人さんじゃなかったのね。

(吉田豪)ぜんぜん、ぜんぜん。2012年にメジャーデビューまでしてます。

(松本ともこ)ということで、今日はオンエアーし損なってきた名曲特集。

(吉田豪)続きましては、星野みちるさんですね。bayfmでお馴染み。

(松本ともこ)かけてきてたと思うんだけど。

(吉田豪)そしてとうとうね、先日30才を迎えました。

(松本ともこ)そうか。見えないね。

(吉田豪)千葉在住っていうね。ええと、AKB出身者で最も音楽的には恵まれたソロ活動を続けていると思っているんですけども。まあ、しばらくCD付きの7インチシリーズを出してまして。それの新作が11月11日に出まして。それがまあ、この番組でも流したことありますね。松尾清憲さんっていう80年代から活動しているポップマエストロの方とのコラボ。で、11月18日リリースの松尾清憲さんの30周年記念のソロアルバムがありまして。それにデュエットが収録されているんですよ。星野さんとの。それがA面でカップリングが松尾さんの30年前の名曲『愛しのロージー』のカバー。

(松本ともこ)カバーを。

(吉田豪)そういうね、こんなに僕のツボをついた選曲っていうね。これは前回の出演日の発売だったので、オンエアーし損なっていましたね(笑)。

(松本ともこ)(笑)

(吉田豪)ということです。

(松本ともこ)そうか。オンエアーし損なっちゃったんだ。やっぱり彼女はますます良いということで。今日も聞いているかも。

(吉田豪)はい。じゃあ星野みちるさんで『愛しのロージー』。

星野みちる『愛しのロージー』



(松本ともこ)星野みちるちゃんです。『愛しのロージー』。これ、カバーね。

(吉田豪)カバーですね。『三宅裕司のヤングパラダイス』のオープニングテーマだったことでお馴染みの『愛しのロージー』ですよ。本放送のね、昔のリスナーにはお馴染みの。



(松本ともこ)じゃあ、ニッポン放送ではヘビーにかかるんじゃないですか?

(吉田豪)かかってないですね(笑)。

(松本ともこ)かかってほしいよね。なんかもどかしい。星野みちるちゃん、30才ってことはどう思っているんだろうね?なんか、『あ、大人の仲間入り』みたいに明るくクリアするのか。

(吉田豪)このシングルについている手紙に『私も30。そろそろヤバいです』って書いてました(笑)。

(松本ともこ)嘘?

(吉田豪)がんばっていただきたいです。

(松本ともこ)そうですよ。よかった。かけ損なっていました。では、続いては?

(吉田豪)続きまして、これもかけ損なってましたね。RYUTistというね、今年デビューアルバムをリリースした新潟のアイドルですね。の、ニューシングルが11月17日発売で。で、彼女たち、僕が彼女たちがライブでやるカバー曲の選曲にも微妙にかかわっていたりするんですよ。

(松本ともこ)あ、そう?

(吉田豪)共演イベントの時に新しいカバーをリクエストするっていうやり方で。

(松本ともこ)『こんな曲を歌ってくれよ』って?

(吉田豪)そうなんですよ。それでローリーさんと永井ルイさんによる東京パフォーマンスドールの八木田麻衣さんの曲を選んだことで、それで永井ルイさんとの関係ができて。永井さんが曲を作るようになったわけなんですけど。

(松本ともこ)すごーい。陰のプロデューサー。

(吉田豪)そんな流れがあって、実は曲ができたぐらいの段階で音源聞かせてもらっていたりとかで。そのせいで忘れていたんですよ(笑)。

(松本ともこ)(笑)

(吉田豪)すっごい前に聞いちゃっていたんで、発売日がこの時期っていうのも知らなかった(笑)。『ああー、ヤバいヤバい。オンエアーしなかった!』っていう(笑)。

(松本ともこ)ファッション誌で先に撮影して、いつ?いつ?みたいなね。

(吉田豪)一月二月ぐらい前に聞いちゃっていたせいでっていう。

(松本ともこ)へー。じゃあ私たち、聞いてない?

(吉田豪)そうですね。それが永井ルイさんなんで、加護亜依さんがやっていたタンポポが好きだったような人は全員即死するような名曲です。さすが!っていうね。

(松本ともこ)(笑)。じゃあちょっと楽しみに。お願いします。

(吉田豪)RYUTistで『Winter merry go round』。

RYUTist『Winter merry go round』



(松本ともこ)イントロから『いい曲』なんて思わず言っちゃったんですけど。

(吉田豪)イントロでそれが出るのがすごいですよね(笑)。

(松本ともこ)(笑)。この『Winter merry go round』のCDをいま、スタジオに持ってきてもらって、『吉田豪さんへ』って全員からのサインとメッセージ。へー。『ライブを見に来てくださり、ありがとうございました』。

Winter merry go round
(吉田豪)行きました。ワンマン。

(松本ともこ)これが4枚目のシングル。でも、聞いてみたら付き合いもそんなに長いんですってね。

(吉田豪)そうですね。デビュー直後から何度も絡んで。

(松本ともこ)小学生の時から?

(吉田豪)そう。小学生が2人いた頃から(笑)。大人になりましたよ(笑)。

(松本ともこ)育てていくんだなー。ねえ。でも、いい曲です。

(吉田豪)いい曲です。素朴な新潟の子たちっていう感じです。

(松本ともこ)RYUTistです。

(吉田豪)そして最後がこれですね。乙女新党っていう前に1回、オンエアーした子があるんですけど。5月27日発売の前作『キミとピーカン☆NATSU宣言っ!!!』のカップリング『とりことりことりこ』っていうのが田村歩美さん。要はたむらぱんなんですね。の、曲がすげーいいっていうんで流したこともありますけども。

(松本ともこ)さすがですね。

(吉田豪)11月18日発売の新作が清竜人さん作曲で。Plus-Tech Squeeze Boxの林部友則さんの編曲っていうね。僕の大好きなものが全部一緒になって。それでちゃんと最高な楽曲になったと。

(松本ともこ)プラスチック?

(吉田豪)スクイーズボックスっていうのが初期のCapsuleとかと一緒に活動していたような、いわゆるトイポップっていうか、ああいう渋谷系経由のおもちゃみたいな感じの音楽をやっているような人たち。

(松本ともこ)その方たちの・・・

(吉田豪)編曲ですね。これが本当にね、この組み合わせでこのレベルのものができた!っていう。うれしい!っていう。

(松本ともこ)俺が好きに決まってるだろ!っていうね。

(吉田豪)いや、最近ね、こういういいものを全部組み合わせてね、微妙な結果になることが多いんですよ(笑)。

(松本ともこ)あれ?いいはずなのに、そっちに行かないんだ(笑)。

(吉田豪)あれっ?全部好きなものが混じって?っていう(笑)。よくあるんですよ。

(松本ともこ)だけどこの乙女新党はいいと。

(吉田豪)すごい期待して。ここで流すために。『よーし、これは!』と思って、『あれっ?』っていうことがよくあるんですよ。実は。名前を出すと角が立つんでやめます(笑)。

(松本ともこ)わかりました。じゃあ、よかったものを。

(吉田豪)聞いてみましょう。乙女新党で『ツチノコっていると思う…?』。

乙女新党『ツチノコっていると思う…?』



(松本ともこ)また、RYUTistのかわいさとは違って。たしかにいいですよね。えっ、どうなるの?と思ったんだけど。

(吉田豪)ねえ。メロディーもアレンジも完璧ですよ、これ(笑)。

(松本ともこ)キラキラしてる。『ツチノコっていると思う…?』。

ツチノコっていると思う...? 初回限定盤A(CD+DVD)
(吉田豪)素晴らしい。そんな感じです。

(松本ともこ)これでだいたいですね、今日はスタジオのCDとかも華やか!いま写真を撮りましたけどね。どれがチェックになるかな?みなさんの中で。最後は乙女新党『ツチノコっていると思う…?』でした。やっぱり2週間に1回ですから、その中で出会ったものでオンエアーし損なっていたの、意外とありましたね。

(吉田豪)そうなんですよね。微妙に前っていうね。先週とか2週間前とか。

(松本ともこ)やっぱりさっき言っていた、名前は出さずとも、買ってみるんですね。で、そのワクワクがあるわけですよね。

(吉田豪)『この組み合わせなら、確実なはず!・・・あれ?』っていうのはよくありますよ(笑)。

(松本ともこ)あとは、変な話、聞いてみて『これ、好き』って思うと、『やっぱりこの組み合わせだったの!?』っていうのもあるんですよね。

(吉田豪)当然。で、『あれっ?』っていうのをわざわざ声を大にして言ってやるような営業妨害をする気はないんで。Twitterでも『あれ?これ、イマイチ』っていうようなのはつぶやかないようにしますよ。それは。大人ですからね。

(松本ともこ)選ばれたものがここでかかっています。次回は12月に入ります。第二水曜日は12月9日。次回もよろしくお願いします!吉田豪さんでした。

<書き起こしおわり>

吉田豪 松本零士の素顔を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。漫画家 松本零士さんの素顔を紹介していました。



(小林悠)今日はどなたの?

(吉田豪)はいはい。今日は松本零士先生を取材したのが、あまりにもちょっとインパクトがすごかったので。その話をちょっとたっぷりしてみたいなというね。

(玉袋筋太郎)ええ。いやー、いろんなインパクトのある話もあるんだけどね。豪ちゃんね。

(吉田豪)(笑)。まだ無理ですよ!

(玉袋筋太郎)まだ無理ですよね!

(小林悠)ちょっ、ちょっ、ちょっ・・・

(玉袋筋太郎)その筋はね、ちょっと解けない筋がいろいろあって。

(吉田豪)その筋感のある話が(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。まあまあまあ。ねえ。松本零士先生っつったらやっぱり俺たちはさ、『宇宙戦艦ヤマト』だ、『キャプテンハーロック』だ、『銀河鉄道999』とか。すごい影響を与えてくださった先生ですよね。

(吉田豪)日本のアニメブームを作った人ですよ。

(玉袋筋太郎)そうだよ。日本のアニメブームの礎ですよ。はい。

(小林悠)その彼の生き方も、なかなかパンチ力のあるものであると?

(吉田豪)ここまでとは思わなったですね。びっくりしました。

(玉袋筋太郎)おおー!行こう!行こう!行こう!

あらすじとその筋

(小林悠)ではさっそく、松本零士さんのあらすじとその筋をご紹介します。1938年福岡県のお生まれ。現在77才です。幼少期より漫画を書き始め、1954年、高校1年生の時に『蜜蜂の冒険』でデビュー。高校卒業後に上京してからは、少女漫画や動物物など、さまざまなジャンルの漫画を手がけ、1970年代半ばから80年代にかけては松本アニメブームを巻き起こします。ご存知『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』で有名な日本を代表する漫画家のお一人。それが松本零士さんです。

(玉袋筋太郎)うん。

(小林悠)そして吉田豪さんの取材によりますと、松本零士さんのその筋は、その1。幼稚園の頃から血の気が多いヤンチャな九州男児の筋。その2。貧乏から生まれた漫画『男おいどん』。多くの悩める男性を救った四畳半下宿ぐらしの筋。その3。あの蒼き衣をまとった少女と有名なモビルスーツ。名付け親は俺だ!の筋。その4。梶原一騎さんとの仲違い説。その真実は・・・の筋。その5。破天荒な松本零士伝説。ケニアでライオンと戦うつもりが悟りを開き、北方領土の上空でスクランブルの筋。その6。原稿を買い戻し、貴重な漫画を復刻する漫画本コレクターの筋と、6本の筋がございます。

(玉袋筋太郎)いやー、このね、4、5っつーのがやっぱりいいね。梶原一騎さんとの仲違い説。あとこの破天荒ぶりだね!

(吉田豪)破天荒なんですよ。

(玉袋筋太郎)すっごいよね!

(吉田豪)イメージと違いすぎましたね。ちょっと、いきなり5から行っちゃいますかね?

(玉袋筋太郎)行っちゃおう!5から行こうよ。みなさん、イメージですよ。あの松本零士さんのイメージをしながらこの話を聞いていただくと、もうそのギャップに驚くと思うんですよ。

(吉田豪)まあ、小型犬っぽい感じの小さなおじいちゃんですよね。77才の。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。

(小林悠)穏やかそうな。

(吉田豪)インタビューを始めて、なんか冒頭からちょっと不思議だったんですよ。『本当、昔はね、ゆるくてよかったんだよね』っていうことをすごい言っていて。具体的にどんな話が出てくるのか?と思ったら、とんでもない話が出てきたわけですよ。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)『外国に行って、ほとんどの飛行機は操縦したね。俺』っていう話で。

(玉袋筋太郎)ええっ?

(吉田豪)『もちろん無免許だけど』って言っていて(笑)。

(玉袋筋太郎)きたきたきた!(笑)。

無免許で飛行機を操縦しまくる

(吉田豪)『えっ?無免許で飛行機って運転していいんですか?』『うん。昔はよかったんだよ』っていう。

(小林悠)よくないと思いますけど(笑)。

(吉田豪)『シミュレーターでね、ただ訓練を受けていたからちゃんと離着陸もできるんだよ』って。『素人は離陸はできても着陸はなかなかできないのに、なんでできるんだ!?』って言われたって。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『シミュレーター、ちゃんとやってたからね』って言っていて。で、出てきたとんでもない話が、『40年ぐらい前に「木綿のハンカチーフ」の太田裕美さんを乗せてジェット機を操縦したことがある』っていう。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『えっ!?』っていう。あの、ソニーの宣伝部長が下宿の仲間だったらしいんですね。で、その関係で太田さんがソニーの社長の専用機で北海道に行くと。『お前、飛行機好きだろ?来い!』って言われて。『俺がじゃあ操縦する!』って言って(笑)。

(玉袋筋太郎)松本さんがでしょ?

(吉田豪)名乗りをあげて。本当に小さくてあまりにもボロボロの飛行機で。『こんなの嫌だ』ってマネージャーが逃げ出したくらいの飛行機だったんですけど。で、それに乗り込んで。まあ、離陸はちゃんと正規の操縦士がやって、上空に行ったら松本零士さんがバトンタッチされたんですけど。

(玉袋筋太郎)なんでそのバトンタッチ、しちゃうかね?

(吉田豪)『任せた!』っていう。で、『せっかく北海道に行くんだから』っていうことで、『まず北方領土を見てから行こう』っていうことになって(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。その発想がいいね!ヤバイよ、それ。

(吉田豪)絶対にアウトじゃないですか(笑)。で、1万メートル以上飛んだところで正規の操縦士が『レーダー!レーダー!』って言い出して。見たら、点々が7つも上がってきていて。ソ連軍のスクランブルだったんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)危ねえ!(笑)。

(吉田豪)『これはヤバイと思ってね、間宮海峡の上で右に旋回して、中標津で下りたんですよ』みたいな。『はっ!?』っていう。

(玉袋筋太郎)太田裕美さんもどうしたんでしょうね?

(吉田豪)忘れられないですよね。

(小林悠)命がけですよ。

(吉田豪)あの、『無免のハンカチーフ』って言われてるんですけど(笑)。

(玉袋筋太郎)上手い!(笑)。『無免のハンカチーフ』、いいねー!しかも真っ赤なスカーフだという。いい話だ、こりゃ!

(吉田豪)で、『なんなんですか、それ?』って言ったら、『いや、昔はね、穏やかな時代だからね。誰でも操縦席に入れてくれたんだよね』って。まあ、そこまでは本当らしいんですよ。操縦席の見学ができたんですけど。そこからなぜか、『操縦させて』って言うと操縦をさせてくれたっていう話になってて。

(玉袋筋太郎)うん(笑)。

(吉田豪)で、『コンコルドの操縦席に入ったら、機長が漫画書いていたんですよ』って言ってて。で、『漫画、好きなんだ』っていう話をしてたんで、『僕、漫画家なんですよ』『そうか!じゃあ、運転していいよ』って。『じゃあ、墜落実験をやろう』ってことになって。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『墜落実験ってなんですか?』って聞いたら、松本零士さんの操縦で1万2千メートルから急降下したらしいんですよ。『それってお客さんは?』『うん。乗ってるよ』って言ってて(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『ええっ!?そんなの、いいんですか!?』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)コンコルドっていうのがいいね(笑)。

(吉田豪)その客席にはちばてつや先生も乗っていたらしいんですよ。で、急降下してから戻っていって、『いま、飛行機揺れたろ?』『うん。気流が悪いんだろうね』ってちば先生が言っていて。『あれ、俺がやったんだよ』って言ったら、それからトイレに行こうとするたびに腕をつかまれて。『もう二度と行かせん!』って。

(玉袋筋太郎)当たり前だよ、それ(笑)。しかも、客が乗っているコンコルドですよ!音速飛行機ですよ。あれ。

(吉田豪)で、ちば先生って本当に人格者で有名なんですけど、松本零士先生に本当にひどい目にあい続けてるんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)で、飛行機の話を掘り下げていったら、最終的には『爆雷投下までやった』って言ってましたからね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)ええっ!?

(吉田豪)『なにやってんですか!?』っていう。

(玉袋筋太郎)すっごいね!

松本零士のアフリカの旅

(吉田豪)なんかね、エピソードがちょっとどうかしてて。その海外の武勇伝話で言うと、『宇宙戦艦ヤマト』の原稿を書き上げた後、アフリカの旅に出て。ケニアの草原でライオンと決闘しようとして、鉄砲を三丁持って。四駆のレンタカーを借りて行ったら、間違ってタンザニア領に入っちゃって。タンザニア兵に取り囲まれて、お互いに鉄砲を向け合ったけれども、『そこは国境だ』って言われて。『ソーリー!』って言ってレモンのジュースをあげたら、『お前、これ飲め』ってビールをもらって。そのままタンザニア兵と宴会になって(笑)。

(玉袋筋太郎)しかし、危ねえよな。銃向けあってるわけだろ?

(小林悠)本当ですよ。一触即発ですよ。

(吉田豪)兵に向けちゃダメですよね(笑)。突きつけられるのはわかりますけど(笑)。まだ。

(玉袋筋太郎)なあ(笑)。それ、でもゆるやかな時代だったってねえ。

(吉田豪)で、すっかり仲良くなって。酔っ払い運転で草原を走って。キリマンジェロが見えて。岩山を登ったんですよね。そしたら、大地が見えて。アフリカが全部見えて。その時に、『俺が生まれる前から、これはここにあって。死んだ後もここにある。人気がなんだ、原稿料がどうした。そんなものはどうでもいい!』と悟りを開いて。まあヤマトがちょっとね、人気がなければ途中で連載中止みたいに追い込まれたりしてたのが、それでもうすっかり悟りを開いて。さあ!と思って元気になった後にライフルの弾倉を開けたら弾が入ってなかったから、本当にライオンに戦うことになっていたら死んでいたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)危なかった・・・っていうね。

(玉袋筋太郎)いやー、悟りを開いて。それ、ライフル(笑)。それをね、向けあっていたわけだろ?撃ち合いになっていても、そこでも殺されてるわけだし。危ねえ!

ムツゴロウとの共通点

(吉田豪)エピソードがいちいちあれなんですよね。故郷が同じだし、年齢も近いんですけどムツゴロウさんに近いんですよ。なんか。

(玉袋筋太郎)ああー!

(吉田豪)あの、海外では1人で行っては危ないっていう場所に勝手に行っちゃって。勝手にそっちの人と仲良くなっちゃってとか。を、繰り返すっていう。『僕、ムツさんのインタビューで聞いた。この話』っていう。

http://miyearnzzlabo.com/archives/22405

(玉袋筋太郎)ああ、そう?ムツさんもやっぱそうなんだよ。『よーし、よしよし!』っていう。

(小林悠)それ、動物だけじゃないんですね?

(吉田豪)勝手にスラム街とかに入っていっちゃったりとか。勝手に売春窟とかに行って仲良くなっちゃうっていうのをムツさんから聞いていたんですよ。もう行動、同じなんですよ。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)『福岡のあのぐらいの世代はだいたいこんな感じです』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)北九州だな!

(吉田豪)北九州はこうなんだな!と思いましたよ。僕の中の北九州のサンプルはその2つですよ(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)すげーよね!

(吉田豪)というわけで、1に戻りますかね。

血の気が多くて短気な松本零士

(玉袋筋太郎)まあ、幼稚園の頃から血の気が多かった。それ、いまの話を聞いてりゃそれ、血の気も多かったろうと思うよ。俺は。

(吉田豪)そうなんですよ。温和そうな見た目と違ってね。あのドクロマークは伊達じゃないんですよ。

(玉袋筋太郎)ああー。ドクロマークなんだよ。

(吉田豪)そうです、そうです。子供の頃から関門海峡に飛び込んだりとか、山で暴れたりとか。幼稚園が面白くないから辞めましたってことで、幼稚園中退。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)あの、同世代の漫画家さんは本当、いじめられっ子出身が多いんですよ。でも、明らかに違うんですよね。

(玉袋筋太郎)いじめっ子なんだね。

(吉田豪)そうです。そうです。で、徹夜続きで早死にの人も多いってよく言われているんですけど。『まあそのへんはね、僕、暴れてたんでね。体の鍛え方が違う』っていう話で(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)で、出てくるのがあと短気な話なんですよね。『短気ですよね?』って言ったら『うん。短気』みたいな感じで(笑)。

(玉袋筋太郎)否定しねーんだ、そこ。

(吉田豪)ぜんぜんしてなかったですね。高校時代に運動会でいちばんキレイな女の子の写真を撮りたくて撮影をたのんだことがあったと。で、そんな時に親友の同級生が『おい、松本』と声をかけてきて。松本さんは撮影に夢中。で、写真を撮り終わって教室に帰ったら、その親友がいなくて。翌日、『なんで帰ったのか?』って問い詰めたら、『お前が「勝手に帰れ、このクソッタレ!」ってものすごい声で怒鳴ったんじゃねーか』って。『覚えてないんですよ』っていう(笑)。

(小林悠)ええーっ!?(笑)。

(玉袋筋太郎)松本さんが?

(吉田豪)うん。夢中になるとそうやって怒鳴る人で。で、ケンカも相当したんですけど。『東京に来てからはケンカらしいケンカはしてない』って言ってたんですよ。でも、ちょっと聞いてみると大人になってからも、ある時、ちょっと当時売れっ子だった先輩格の漫画家さんが同じ下宿にいて。『ラーメン食いに行こう』と誘われて。お金がないので断ったらしいんですよ。『いいよ、おごるから』って言われたんで一緒に行って。そしたら、食べ終わった瞬間に『やっぱり割り勘にしよう』って言い出して。松本さんブチ切れと。

(玉袋筋太郎)ブチ切れ?

(小林悠)先輩に向かって?

(吉田豪)そうです。ラーメン屋さんの親父さんは『いいよ、食いたいだけ食え。ある時に払え』って言ってくれたんだけど。そうやって人に無銭飲食させる先輩が許せない!っていうことで。まあこのへんまでは著書にも書いていることなんですけど、こっからが新ネタだったんですよ。

(玉袋筋太郎)おう。

(吉田豪)帰り道、地下鉄の駅を通り抜ける時にぶん殴って。倒して下駄で頭を踏んづけて。『二度と近づくな!ブチ殺すぞ、馬鹿野郎!』って言ったら二度と近寄って来なかったと。一説には漫画家辞めた説もあったりするっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)先輩格だよ、でも?

(吉田豪)先輩です(笑)。

(玉袋筋太郎)先輩を・・・下駄履いてるっていうところがまたいいよね。

(小林悠)ですよね。バンカラな。

(吉田豪)で、『殴られ方や殴り方は子供の時に学んでいる。鼻血が出るぐらいはセーフ。絶対に殴っちゃいけない箇所には手を出さない。それが九州男児のルール』って言っていて。

(玉袋筋太郎)おおー。なんか昔の相撲取りみたいなことを言ってるよね。かわいがりの仕方もね、やっぱり・・・

(吉田豪)いろいろあるんだよっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)『後ろを叩いちゃいけねえ』って。龍虎さんがそう言ってたね(笑)。

(小林悠)まあまあまあ。

梶原一騎と仲違い伝説の真相

(玉袋筋太郎)いや、だけどそんなね、短気な人がですよ、梶原一騎先生と仲違いっていう。これはさ、どういうことなの?相当な、じゃあ血を見るようなことになったんじゃないの?

(小林悠)本当に仲が悪いんですか?

(吉田豪)あの、伝説があるんですよ。これ、噂だったんですけど、『宇宙戦艦ヤマト』がヒットした時に梶原一騎さんが戦艦大和が空を飛ぶ『新戦艦大和』っていう作品を実は書いていたんですよ。昔。ずっと前に。『あれは俺のパクリだ』って怒って。で、どっちも大泉なんでモメたっていう説があったと。

(玉袋筋太郎)おお。

(吉田豪)『あれ、本当なんですか?』って聞いたら『モメてない』と。モメてないんですけど、梶原さんの弟子から電話がかかってきて。『道を歩いていて何があっても知らないよ』と脅されたことはあったと。

(玉袋筋太郎)ほう!士道館かな?

(吉田豪)まあ、空手関係の方でしょうね。そしたらすぐ梶原先生から電話があって。『うちの弟子がとんでもないことをした。申し訳ない』と謝罪して。で、『同じ町内で友達だったから、大泉の駅前でもずいぶん一緒に飲んだし、銀座でもよく飲んだ』と。銀座のクラブ数寄屋橋っていう梶原先生がちょっと問題を起こしたことでお馴染みの店があるんですけど、そこに行くとボーイたちに周りを取り囲まれて。人が近づけないようになっていたのが、松本さんはそこに平気で入っていって一緒に飲んでいたぐらいの仲。

(玉袋筋太郎)ああー。まあ、そりゃライフルをさ、突きつけられてるような人はもう何も怖くないよね。そこまでいったら。

(吉田豪)空でも大丈夫っていう感じで(笑)。

(玉袋筋太郎)だけどね、『宇宙戦艦ヤマト』のね、プロデューサーの西崎義展さんの本が、すごかったじゃないっすか?

(吉田豪)名作です!

(玉袋筋太郎)狂気(「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気)。

(吉田豪)そして、意外と松本先生に冷たい感じの本で。

(玉袋筋太郎)そうなんだよね。うん。どうだったんだろうね。

(吉田豪)そう。その話もちょっと聞いてみたんですよ。そしたら、意外なんですよね。怒っているのか?と思ったら、『西崎さんに声をかけられてヤマトに参加したわけじゃないですか。そのおかげでアニメの世界に入れたからね、感謝してるんですよ』って言っていて。ああ、そこは素直にそうやって言ってくれるんだ!って。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)『たしかにね、あれだけ大ヒットしたアニメなのに、もちろんお金もくれなかったですよ』と(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そこは。

(吉田豪)『いくらももらってないですけど、感謝はしてます』と。

(玉袋筋太郎)なるほど!

(吉田豪)『おお、大人!』っていう。

(玉袋筋太郎)そうだよね。だから『宇宙戦艦ヤマト』は全部、ずーっと松本零士さんの作品だと思っていたんだけど。やっぱり西崎さんが原案。原作だったっていう。

(吉田豪)裁判でもね、松本先生が敗北しましたから。

(小林悠)ええーっ?

(玉袋筋太郎)そうだよ。敗訴だったんだよ。

(吉田豪)そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)いやいや、まあね、あるね!

(吉田豪)じゃあ、行っちゃいますか?2個目、行っちゃいますかね?

男おいどん

(玉袋筋太郎)2個目。『男おいどん』なんつーのはさ、やっぱ貧乏暮らし。四畳半暮らしっつーのはさ、もう男の夢だったの。俺。『してみてえ!』みたいなさ。

(小林悠)おおー!

(玉袋筋太郎)それの漫画だから。うん。

(吉田豪)下宿漫画ね。まあ当時、本当に下宿で貧乏だったんで、風呂屋にも行けないからインキンタムシになっちゃったんですよね。

(玉袋筋太郎)インキンタムシですよ!

(吉田豪)で、それが白癬菌だという記事を朝日新聞で見つけて。『インキンになりました』と薬屋では言えないけど、病名なら言えるってことで、薬屋さんで買って。で、一発で。マセトローションっていう薬で治って。これが漫画『男おいどん』を書くきっかけになって。このことを書いた結果、いろんな人たちが『自分も元気になりました。あなたのおかげです』ってファンレターが大量に届くようになったっていうのは、これは有名なエピソードで。

(玉袋筋太郎)いい話じゃない。

(吉田豪)で、もう1個、有名なエピソードとして、ちばてつや先生。親友の。

(玉袋筋太郎)よく出てくるね、ちば先生が。

(吉田豪)で、このインキンタムシになった時に、サルマタケっていうのが出てくるんですよ。この『男おいどん』に。

(小林悠)キノコですか?

(玉袋筋太郎)押し入れの中に猿股をもう、汚れたのをずーっと詰め込んでおくと、そっからキノコが生えてくるんだよ。


(小林悠)キャーッ!気持ち悪い。

(吉田豪)で、それが実は実話で。ヒトヨタケとマグソタケというキノコが生えてきたと。

(小林悠)これ、猿股から生えてくるんですか?

(吉田豪)猿股から生えてきて。っていうのがあったんですけど、それをちばてつや先生に食べさせたっていう伝説があったんですよ。

(小林悠)ひっどい!ええっ!?

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)それをちょっと掘り下げてみたら、『インスタントラーメンに入れて食べさせた』まではね、聞いていたんですけど。『それってどうなんですか?炒めたりしたんですか?』って聞いたら、『ぜんぜん。洗いもしてないですけど、まあ熱湯消毒で大丈夫でしょう』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そういう問題じゃねーよ!

(吉田豪)お湯かけただけだったらしいっていうね。

(玉袋筋太郎)危ねえ!

(吉田豪)『でも「美味いか?」って聞いたら「美味い」って言ってたからね』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)ちば先生!

(吉田豪)まあ、だいぶたってから白状して、ちば先生は笑っていたっていうね。

(小林悠)大人ですね。

(吉田豪)大人なんですね。ちば先生は本当に人ができてます。

(玉袋筋太郎)できてるよー!いやいや、最高だね。でも、マセトローションって本当、書いてあるもんね。これ、松本先生が。

(吉田豪)そうなんです。いま、松本先生のイラストになっています。

(玉袋筋太郎)そうだよ。これもな。

ナウシカとガンダムの名付け親

(吉田豪)で、またね、デタラメエピソードで言うと、その3。これ、僕が取材した話じゃないんですけど。ここ最近で僕がいちばん衝撃を受けた松本零士エピソード。

(玉袋筋太郎)この蒼き衣をまとった少女と有名なモビルスーツ。名付け親は俺だ!の筋だよね?

(吉田豪)そうなんですよ。初期に少女漫画を書いてまして。その頃のことを結構ね、また恨みも尾を引く人であって。『少女漫画家時代に年末のパーティーに俺だけ呼ばれなかった』ってことを著書でずーっと書いていたりとか(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。ああ、そうなんだ?

(吉田豪)そういう人ではあるんですけど。まあ、初期の代表作。少女漫画で『銀の谷のマリア』とか、動物物の『火の森のコーシカ』とか。ちょっとどっかで聞いたような名前のファンタジックな作品も書いていると。で、このコーシカっていうのはロシア語で『猫』という意味で。で、日本橋にコーシカという名前のお店があって、店主のロシア人のおばさんにその意味を教えてもらったと。で、いまの猫。『ナウ、コーシカ』をもじって『ナウシカ』という名前も考えていた。

(玉袋筋太郎)ええーっ!?

(小林悠)考えていた?

(吉田豪)考えていた。

(小林悠)なにかで発表してたんですか?

(吉田豪)そして、『宇宙戦艦ヤマト』の企画書にも、護衛艦として『ナウシカ』と書いてあった。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)で、『惑星ロボ ダンガードA』という作品がありまして。ロボットアニメ。この企画書にも宇宙空母の名前の候補で『バンダム』とか『ジャスダム』とかと並んで、自分がピストルも好きなんで『ガンダム』というのも出していたと。

(玉袋筋太郎)なにーっ!?

(吉田豪)で、『企画書というのは業界関係者がいろいろ見るものだから使ったんだろうけど。まあ、別にいいですよ。先に使った方が勝ちだから』とか(笑)。

(玉袋筋太郎)おおー!そこはあれなんだ。

(吉田豪)『ええっ!?』っていう話を。

(小林悠)じゃあ、自分が考えたものがまわり回ってそうなったと?

(吉田豪)『ねえ。どんどん大きくなって。うれしいもんですよ』みたいな感じで(笑)。『ええっ!?松本先生!』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)いやいや、これはなに?じゃあ・・・

(吉田豪)真相はわからないですけど、まあでもね、『ヤマトを作ったのは俺』裁判とかにもつながっていく話なのかもしれないですよね。

(玉袋筋太郎)たしかにそうだよな。コーシカとナウシカ・・・『火の森のコーシカ』でしょ?『風の谷の・・・』。ううん?そうだね、これ。あらららら。

(吉田豪)ちなみに『次のゴジラの映画のデザインは俺のものだ』とかいう発言も最近されているらしいって。噂でちょっと小耳に挟みましたけど(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。全部『俺が!俺が!』になってくるね。これ。大変だよ。どうだろうね?松本先生にさ、オリンピックのロゴ作ってもらったらいいんじゃないの?それがいちばんいいんじゃないの?

(吉田・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)宇宙的なものでね。イラストで。いいんじゃないかな。おもしれー!

(吉田豪)で、ちょっとね、ヤンチャな九州男児話でさっき言い忘れた話がありまして。本当、あれなんですよ。『ブチ殺すぞ』っていうのが口癖らしいんですよ。あの人って。

(小林悠)いまでもですか?

(吉田豪)いまでもですね。福岡を歩いている時に肩があたって。向こうが『ブチ殺すぞ!』って言ってきて。松本零士先生も『ブチ殺してみれ!』って言い返したら、他の土地の出身の同行者が『殺すって言われて怖くないのか?』って聞いてきたけれども、あんなのは挨拶と。すぐに『ブチ殺す』って言っちゃうから、口癖。『コラッ、バカ!』程度で『ブチ殺すぞ!』って言っちゃうって言っていたんで。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)この前、橋本環奈さんを取材したんですよ。彼女もね、北九州というか福岡の人じゃないですか。『僕、そういう風に聞いたんですけど。そうなんですか?』って聞いたらね、全面的に否定されましたよ(笑)。

(玉袋・小林)(爆笑)

(吉田豪)『違います!言わないです、私は!』みたいな(笑)。『えっ、挨拶がわりに言うって聞きましたよ?』って。スタッフの人も一緒になって『ないです!ないです!世代が違います!』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)世代が違う(笑)。

(小林悠)世代の問題ですか!?

(玉袋筋太郎)だから、『なんだ、バカヤロー!』みたいなもんなんだろうな?

(小林悠)『おい、コラッ!』みたいなことですか?

(玉袋筋太郎)そういうことなんだよ。いや、あれだね。松本零士さん。『宇宙戦艦ヤマト』じゃないけど、無限に広がる大宇宙だね。まさに。

(吉田豪)そうですね。いくらでもまだまだ出てくる気がしますよ。

(玉袋筋太郎)そうなんだよな。

(小林悠)不思議すぎる。

(玉袋筋太郎)こういったね、偉大なる松本零士話。

(吉田豪)まあじゃあ、ちゃんとした話も1個、行ってみますか?6個目。

(小林悠)すごくいいこともされてるんですよね?

漫画原稿を買い戻し

(吉田豪)そうですよ。ちゃんとした活動もしています。原稿を買い戻して。まあ、漫画の復刻に結構協力してるのは有名なんですよ。漫画のコレクターで、たとえばね、藤子不二雄先生とか石ノ森章太郎さんとかが漫画の復刻の時に、原本がない時に松本先生が本を貸して。それをベースに復刻されたりしてるんですよ。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)そういう協力もしてるんですが、それだけじゃなくて、古本屋さん。日本ですごい有名な古本屋さんに漫画の生原稿が持ち込まれたら、それを松本先生が買って作者に返したりの活動もしてたっていう。

(玉袋筋太郎)すげー!いいことしてる!

(吉田豪)そうなんですよ。で、当時は漫画の原稿って出版すると戻らないのが普通で。赤塚不二夫さんの原稿630枚を見つけて、赤塚さんがまだ生きているうちに返却したりとか。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)で、『あなたが預かっているならいいよ』って言ってくれる人もいたりで。小松崎茂さんっていうね、空想科学系のイラストの。あの人の原画もたくさん入手して、返そうと思ったらアトリエが火事になってなくなっちゃったと。で、奥さんに持っていた絵を返したら、涙を流して。『まるで主人が帰ってきたみたいです』って言われたとか。いいこともしてるんですよ。

(玉袋筋太郎)あらー。いや、いいことしてますよ。そりゃ。

(吉田豪)ただのアウトローではないんですよ。うん。

(玉袋筋太郎)『ブチ殺すぞ!』っていう(笑)。

(小林悠)だけではないということですね。

(吉田豪)ちなみに、アシスタントの新谷かおる先生っていう人がいまして。その人からも話を聞いたことがあるんですよ。松本先生のアシスタント時代にどうだったのか?っていうの。やっぱりデタラメというか。すごかったらしいですよ。ヤマトの丸いメーターとかも全部フリーハンドで。なぜか?っていうと、『定規を使うと線が死ぬ』っていうね。

(玉袋筋太郎)ええっ?

(吉田豪)で、『肘で線を書くな!腰で引け!』って言われて。『女の尻や太ももを書くのに定規を使うか?ゼロ戦のこの丸みをフリーハンドでやるっていうのはそういうことだ!』って言われて。ずーっとそれをやり続けていたんですけど。当時の伝説で、秋田書店のプレイコミックで『キャプテンハーロック』連載してたんですけど。

(玉袋筋太郎)はい。

(吉田豪)本の発売当日の朝の4時にあがったことがあるっていう。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)よく間に合いますね。

(玉袋筋太郎)ねえ!

(吉田豪)地方売は完全に遅れたと思うけど、東京は夕方には書店に並んでいたって言う。

(玉袋筋太郎)すっげー!やっぱりいい時代だったんだな。

(吉田豪)あの、『秋田書店ならやるかも』っていう風に小学館の人も講談社の人も言っていたっていう。ねえ。手塚先生のね、漫画とか。最近のを読んでいても、秋田書店のデタラメなエピソードとか出てきますけど。『ブラック・ジャック』の裏話で壁村さんがすごいことをやっていたみたいな。

(玉袋筋太郎)ああー、そういうことか。いやー!

(吉田豪)そういう時代の人だなっていうね(笑)。デタラメですよ。いちいち。

(玉袋筋太郎)なんか印刷屋にちっちゃい頃から出入りしていたっていう話だよね?

(吉田豪)そうです。そうです。

(玉袋筋太郎)だからそういう印刷関係のことは詳しかったっていう。

(吉田豪)ノウハウはつかんだって言っていて。ところがそういうノウハウ。印刷でキレイに出るようなやり方とかも、実は本当、勝手に。勝手に中、入っちゃう人なんですよ。勝手に東大に入っていって、いろんな人と仲良くなったりとか(笑)。

(玉袋筋太郎)勝手にね、コンコルドの操縦席に入っちゃう人だよ?

(小林悠)そうですよ(笑)。

(吉田豪)そりゃ東大ぐらい入れますよ(笑)。当たり前ですよ。

(小林悠)勝手に急降下する人ですからね。

(吉田豪)で、だいたい勝手に仲良くなれる人で、勝手に印刷屋と仲良くなって。いろんな技術も教わって。だから自分だけすごいカラーがキレイに出ていたりとかして。『企業秘密を教わったんです』って言っていたんで。『それ、他の漫画家さんに教えたりは?』『しないです!企業秘密ですから』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)教えてあげましょうよ!せっかく(笑)。

(玉袋筋太郎)自分だけのもの!

(吉田豪)独り占めしてたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)かぁー!いやー、ロマンだなー。

(吉田豪)ロマンの人ですよ。

(玉袋筋太郎)うん。でもほら、松本作品の中に出てくる人がやっぱり、そういうことなんじゃない?『銀河鉄道999』のさ、中に出てくる。荒っぽいやつも出てきたりするじゃない?そういったところっつーのは、零士先生から出てる部分もあるんじゃないかな?

(小林悠)自分の一部というか。

(玉袋筋太郎)自分の一部でね。いやー、面白い。

(吉田豪)飛行機乗りの漫画を書いているのは知ってますけど、まさか自分が飛行機乗りだとは思ってないですよねっていう。

(玉袋筋太郎)『ザ・コクピット』だからね。漫画のタイトル。うん。

(吉田豪)そりゃコクピット入りますよ(笑)。

(玉袋筋太郎)そりゃ入るよ!(笑)。

(吉田豪)しょうがないですよっていうね。

(玉袋筋太郎)下手したら、レインボーブリッジの下をね、通過するとか言い出したり。そんなやつが出てきたからね。いい時代!ありがとう、豪ちゃん。

(吉田豪)下宿時代の話でも、のぞきの話とかばっかりですよ。出てくるのは、本当に(笑)。

(玉袋筋太郎)おおらかな時代!

(吉田豪)おおらかです。口を開けば、『あの時代はよかった。ゆるかった』っていう(笑)。『当時もアウトだったんじゃないですかね?』っていう話ですよ。『飛行機のやつもね、いまだったらお縄ですけどね』って言ってましたよ。当時ももしかしたらアウトじゃないのかな?と思いながら聞いてましたよ。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)原稿チェックも全部通るとは思ってなかったっすよ。これが(笑)。

(玉袋筋太郎)通ったんだ?

(吉田豪)通りました(笑)。

(玉袋筋太郎)すごい!さすが!男、松本零士!

(吉田豪)『ハイパーホビー キャラクターランド』に載ってます!

(玉袋筋太郎)やったー!

(小林悠)もうぜひぜひ、お手に取ってみてください。

(吉田豪)宇宙特集なのに、宇宙の話、ぜんぜんしてないですけどね(笑)。『宇宙の話をしろ』って行ったんです。僕、これで(笑)。

(玉袋筋太郎)それでしょ?だって表紙、宇宙戦艦ヤマトだ、ダースベイダーだって。スターウォーズ、出てるのに。松本零士さんと豪ちゃんが握手してるんだけど。宇宙の話、ゼロ(笑)。



(吉田豪)ゼロです!作品の話もほとんどないです(笑)。

(小林悠)(笑)。改めましてこの松本零士先生のスペシャルインタビューが掲載されているムック本『キャラクターランドVol.4』。12月1日より絶賛発売中です。

(玉袋筋太郎)これ、いいよ。最高だったよ。もう。読んじゃったけど。

(小林悠)もう玉さん、夢中になって読んでましたね。オープニング前。

(玉袋筋太郎)もう、たまらん!

(小林悠)そして12月15日火曜日発売の『週刊アサヒ芸能』にて、浅草キッド、吉田豪さん、そして宇多丸さんによる2015年下半期 輝く有名人スキャンダル大賞が掲載されています。

(玉袋筋太郎)楽しいですよ!

(小林悠)そして12月24日木曜日にはロフトプラスワンにて、年末恒例のトークライブ。『Jさん&豪さんの世相を斬る』を開催。時間は午後7時30分よりスタート。チケットはイープラスにてすでに発売中です。杉作J太郎さんと豪さんによる2015年の大総括スペシャル。お時間ある方はぜひ、足をお運びください。

(吉田豪)はい。

(小林悠)さらに、12月31日大晦日。『ロフトプラスワン・カウントダウンスペシャル2015→2016!!~今年は朝までやるぞ!事故物件&豪・掟の2015年総括&サブカル有識者&下-1~』。すごいタイトルですけど。本当、ロフトプラスワンのイベント、多いですね。

(玉袋筋太郎)豪ちゃん、もうJさんとさ、話すことないんじゃないの?

(吉田豪)毎回ありますよ。毎回新ネタしか出てこないからすごいんですよ。こんだけ会っていて(笑)。

(玉袋筋太郎)Jさん、杉作J太郎さんっていうのは無尽蔵なんだね。

(吉田豪)無尽蔵。いくらでも掘れますよ。

(玉袋筋太郎)すごいんだな。あそこ。

(吉田豪)だって2人のトークイベントで7時間とかやったことありますよ(笑)。

(玉袋筋太郎)枯渇しない男!

(吉田豪)それでも『まだできる』と思って(笑)。『あと1、2時間はできたな』っていう感じで終わるっていう。すごいですよ。

(玉袋筋太郎)杉作J太郎、恐るべし!吉田豪、恐るべし!

(吉田豪)とうとうクリスマスイブまで一緒にやることになっちゃったっていう。今年から(笑)。

(小林悠)イブとカウントダウン、両方ですから。

(吉田豪)カウントダウンは毎年なんですけどね。とうとう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)イブまで。

(小林悠)常に一緒ということで。ぜひぜひチェックしてください。吉田豪さん、次回の登場は年明けの1月15日です。来年もよろしくお願いします。

(吉田豪)はい。どもです!

(玉袋筋太郎)どうもありがとうございました。

(小林悠)ありがとうございました。

(中略)

松本零士先生からの直電話

(小林悠)あの、ここで大変なことが起きました。

(玉袋筋太郎)はいはい。どうしました?

(小林悠)先ほど、吉田豪さんがね、松本零士先生についてお話する時間がありましたけども。松本零士さんご本人、お電話がありまして。

(玉袋筋太郎)あ、お電話ですか?

(小林悠)つながっているということで。もしもし、先生?

(松本零士)あ、もしもし。松本です。

(玉袋筋太郎)どうも先生、ありがとうございます。

(小林悠)先生、どうされたんですか?

(松本零士)はい。お聞きしてたんです(笑)。

(玉袋筋太郎)ありがとうございます!

(小林悠)まあ!お忙しい中、ありがとうございます。

(玉袋筋太郎)いかがでしたかね?

(松本零士)ええ。その中でですね、1ヶ所だけ違うところがありまして。

(玉袋筋太郎)はい、わかりました!

(松本零士)あの、ヤマトの原作っていう部分ですね。これは実は、まあ会議に会議を重ねて協議しながら作り上げていったんですが。基本的な部分は私が作ったんですよ。だから、私は原作者で自由にヤマトは書けるんですけどね。

(玉袋筋太郎)そう!そうですよ。

(松本零士)それからあの、登場人物の名前から何から。それから、要するに情景設定ですね。そういうものもデザインも含めて、何もかもやったんです。ただ、会議に会議を重ねながらですね、西崎氏ももちろん、豊田有恒氏やらいろいろ大勢の方と一緒に作ったんですね。だから共同制作にはもう間違いありません。だけど、基本的に全体の構成、原作ですね。それは私がやりました。

(玉袋筋太郎)おお!

(松本零士)これは裁判沙汰にもなったんですが、全部それで通ってますんでね。私はあくまでも原作者なんですよ。

(玉袋筋太郎)その通りです!

(松本零士)それがさっきあの・・・(笑)。『西崎氏の原作だ』と言われたんで。

(玉袋筋太郎)すいません。

(松本零士)もちろん、彼には心から感謝してるんですよ。

(玉袋筋太郎)あ、感謝してるんですか?

(松本零士)うん。彼が私に依頼してくれたので、私がアニメーションっていう道に入れたんです。そのきっかけを作ってくださった方なんですよ。ですから、その点についてはですね、いろいろなゴタゴタ。ケンカもしたり、いろんなことしたり、大騒動もやったけど、そうじゃなくて。彼が声をかけてくれたということを心から感謝しているんです。それは。

(玉袋筋太郎)いやー・・・

(松本零士)だから、自分がそういう道に入るきっかけを作ってくれたんです。それはもう、心から感謝しております。

(玉袋筋太郎)いい時代です。

(松本零士)それで、共に良くしようとしてお互いに激論を交わしながら、2人だけじゃなくて、スタッフも全部ですね。それで作り上げていったのがこの作品なんですよ。

(小林悠)なるほど。よく事実関係がわかりました。ありがとうございます。

(松本零士)美術の方もがんばってくれましてね。だから手書きですよ。この時代は全部。

(玉袋筋太郎)すごい。先生、やっぱり定規とか円を書くとか。あれも全部手書きだったって。

(松本零士)あれは絵の書き方の秘訣ですね。あの、絵を書く時には自分の心というか。心で書くわけですから。その力を込めるアクセントですね。そういう部分が必要なので
、手で書かなくちゃ行けないんです。

(玉袋筋太郎)じゃああの精密なコックピットも全てもう本当に?

(松本零士)もちろん定規を使わなきゃどうしようもない、コンパスを使わなきゃどうしようもない場所もありますが。それでも、それを書きながらさらにそれを自分の手で。力を込めるところとか、アクセントですね。それを感情を込めて書くんです。だから、それともうひとつ、私がアフリカやアマゾンに行っているのは・・・

(玉袋筋太郎)ア、アマゾン!?

(松本零士)あの、自分で見ていれば、見たものを立体的に表現して書けるわけですよ。だから行く必要があるんですね。ですから、写真を見て書く絵と、自分がその場所を知っていて書く絵は明らかに違うんです。裏側まで知っていて書くわけですから。

(玉袋筋太郎)先生、ライオンをハンティングしようとしたんですもんね。でも。

(松本零士)うん。決闘に行ったんですけどね。ただしこれは条件がありましてね。ライオン、ゾウ、カバ、キリン、サイあたりは要するに保護動物にその当時もすでになりつつあったんですよ。ただし、ケニヤ政府から証書をもらいまして。『自らの命が危険に陥ったら撃ってもよろしい』という証書をもらって。それでサバンナに出たんです。

(玉袋筋太郎)かっけー!

(小林悠)ちょっとこれ、お話が終わらないですね。大変ですね。

(松本零士)大変ですから、ここで止めますけど。それでライオンに・・・

(小林悠)先生、実はお願いが。先生。

(玉袋筋太郎)先生。

(松本零士)ライオンに挑戦したんですよ。

(玉袋・小林)(笑)

(松本零士)ところがですね、ライオンさんもね、そういう人間はわかるわけですよ。クルンとお尻を向けて向こうに行ってくれて。襲ってきてくれなかったですよ。

(玉袋筋太郎)よかった!

(小林悠)よかった。先生、ご無事で。

(松本零士)そういうわけでして。でも、そういう体験が。飛行機も何もかも含めて、自由にできたまだのどかな時代だったんですよね。

(小林悠)本当ですね。先生、実はお願いがございまして。ぜひ、そういったお話を含めて、たまむすびのスタジオまでお越し頂いて。その筋の話ということで、ゲスト出演いただくことは可能ですか?

(松本零士)可能ですよ。

(小林悠)ありがとうございます。

(松本零士)やりましょう。面白い話、いっぱいありますから。

(玉袋筋太郎)お願いいたします!

(小林悠)ぜひ、よろしくお願いします。待っておりますので。

(松本零士)我々の時代はゆるやかな、おおらかな時代だったんです。いまやったら、全部御用でしょう(笑)。

(玉袋筋太郎)御用(笑)。

(小林悠)(笑)。あの、放送できる範囲でぜひ。

(松本零士)その当時はね、本当に優しかったんです。世の中が。

(玉袋筋太郎)先生!ありがとうございました!

(小林悠)すいません。わざわざお電話いただいて。

(玉袋筋太郎)どうもすいませんでした!

(松本零士)そういうわけです。

(玉袋筋太郎)松本零士先生でした!ありがとうございます。

<書き起こしおわり>

吉田豪 アーバンギャルド『平成死亡遊戯』を語る

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吉田豪さんがbayfm『with you』に出演。ご自身の3日間を振り返る音楽特集の中で、アーバンギャルド『平成死亡遊戯』を紹介していました。

昭和九十年(初回限定盤)

(松本ともこ)では、改めて今日の特集は何でしょうか?

(吉田豪)はい。音楽で振り返る吉田豪のこの3日間!

(松本ともこ)もう、あなたを振り返るのね?

(吉田豪)振り返ります!

(松本ともこ)わかりました。音楽で振り返っていきますが。さっそくいま(BGMで)聞こえてきました。何でしょうか?

(吉田豪)これはトラウマテクノポップを名乗っているアーバンギャルドというバンドの『平成死亡遊戯』という曲がありまして。それのタワレコ特典デモバージョンです。

(松本ともこ)ここではデモバージョンしか聞けないから、本当、わかんないんだけど(笑)。

(吉田豪)そんなことないですよ。本編も流しますよ。ニューアルバムの『昭和九十年』っていうのが、いままでメジャーでやっていたんですが、今回からKADOKAWAに移って。その代わり、歌詞とかもストッパーがなくなって、踏み込んだ表現をしているニューアルバムが本日、12月9日発売で。その中に、僕が協力している曲がありまして。それがこれなんですよ。

(松本ともこ)なんと。

(吉田豪)はい。あのですね、90年代のネットアイドルをテーマにして。その人、ちょっとリスカ癖があって。18才で亡くなっちゃった人なんですけど。

(松本ともこ)そう。本当に実在の方。

(吉田豪)その人をテーマにした曲で、僕が現在のアイドル。病んだ感じの人たちにインタビューして。そのインタビューの音声を曲に入れるという。カットアップして。僕の声は一瞬、コンマ何秒入っているぐらいの(笑)。

(松本ともこ)聞いている受け答えの一瞬が入ってる。

(吉田豪)そうなんです。なんですが、そういう協力をした形で。

(松本ともこ)へー。何人ぐらいのインタビューの?

(吉田豪)4人ですね。ゆるめるモ!のあのさんとか、LinQの伊藤麻希さん、はのはなよさん、白石さくらさんという4人に聞いて。

(松本ともこ)悩める子たち。

(吉田豪)そうですね。という曲がありまして。これ、デモバージョンなんでインタビューの音声がないんですよ。で、僕、実はアーバンギャルド、結構好きで。何度か一緒に仕事してるんですけど、僕、『ギャラとかいらないんで、僕の持っていない音源ください』って言って(笑)。

(松本ともこ)(笑)

(吉田豪)音源目当てで何度も仕事をしたんですよ。本当にそれでずっとやってきたんですよ。

(松本ともこ)どうして好きなんですか?どこが好きになったの?

(吉田豪)曲、いいんですよ。

(松本ともこ)曲。へー。

(吉田豪)という活動をずーっとしてるんで。今回も、だからラッキーだったのは、このデモでもなく、普通に出ているバージョンでもないバージョンも僕は持っているわけですよ(笑)。

(松本ともこ)それが、そうだ。他の人には手に入らないものを持っている。

(吉田豪)ファーストバージョンのインタビュー2人だけの、僕の持っている音源だけでやったバージョンとか。

(松本ともこ)なんでそんなうれしいんだ?(笑)。

(吉田豪)うれしいですよ(笑)。やった!っていう感じなんで。

(松本ともこ)よかったね(笑)。じゃあ、私たちが聞けるのは、これが今日リリース?

(吉田豪)今日リリースで、僕がやったインタビューの音声が入っているバージョンを聞いてみましょう。この曲のちゃんとしたバージョンです。アーバンギャルドで『平成死亡遊戯』。

アーバンギャルド『平成死亡遊戯』



(松本ともこ)私は『あっ、豪ちゃんの声、入ってる』っていまわかりましたけど。

(吉田豪)一瞬だけ入ってるんですよ(笑)。

(松本ともこ)ねえ。入っている。でも、あれが本当、これのためにインタビューしていたっていうことで?

(吉田豪)まあ、あれなんですよ。最初にスケジュールがあんまりなかったんで。LinQの伊藤さんとあのさんは前にインタビューしたことがあったんで、その音源だったら送れますって言って。最初、だからその音源で作ったら、あのさんが『考え方が変わってきた部分があるので録り直したい』って言うんで、追加で2人も新たにちゃんとこれ用にレコーディングしてっていう感じなんで。本当に特にあのさんの声がいいんで。明らかに重用してますよね。冒頭からずーっとあのさんの声で。

(松本ともこ)へー。ゆるめるモ!についてはね、前も聞きましたね。

(吉田豪)前も1回、セクシーなDVDについていた曲がいいっていうので話しましたけども。

吉田豪 2015年11月 まだ発売前だったりもする新譜特集
吉田豪さんがbayfm『with you』で『まだ発売前だったりもする新譜特集』と題して、おすすめ曲を4曲、紹介していました。 (松本ともこ)今日はどんな特集なのんですか? ...

(松本ともこ)はい。へー!こういうスタイルがっていうのが。

(吉田豪)本日発売です。

<書き起こしおわり>

吉田豪『たけしのTVタックル』地下アイドル特集を語る

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吉田豪さんがbayfm『with you』に出演。ご自身の3日間を振り返る音楽特集の中で、テレビ朝日『たけしのTVタックル』地下アイドル特集について話していました。

(松本ともこ)では、振り返る吉田豪のこの3日間。続いては?

(吉田豪)いまのが本日でしたが、一昨日に戻ります。12月7日ですね。僕が出演した『たけしのTVタックル』。テレビ朝日。『アイデア次第で一攫千金!地下アイドルの〝儲けのからくり〟暴きます』というね。これが放送されたんですよ。

(松本ともこ)ロケも行ってね。

(吉田豪)ロケも行きましたよ。

(松本ともこ)吉田豪さんが案内するっていう。『ここなんですよ』みたいなね。

(吉田豪)あれ、実はもっといろいろロケやってるんですよ。

(松本ともこ)嘘?

(吉田豪)ライブにも行って。お客さんとか物販しているアイドルとかにもインタビューしているのが全部ボツですよ。

(松本ともこ)そうなんだー!

(吉田豪)いまのテレビ、すごいなと思うのが、お客さんにインタビューして、出演の承諾書まで取らなきゃいけないんですよね。後でなんかあるから。承諾書にサインした人が出ないっていうあの光景とかを見ると、すごい切ない・・・

(松本ともこ)ああー。逆に言うと、楽しみになってるもんね。

(吉田豪)だから、ねえ。出るつもりでいた人が、冒頭のライブ映像とかで1秒ぐらい流れただけだったりするから。本当ね、デスラビッツの部長さんとかには申し訳ない感じで。

(松本ともこ)あ、もうそんなのがあって。私はでも、十分すごく楽しめたんですけど。まあ、ご覧になった方は・・・

(吉田豪)で、その中でピックアップされた3人がいたんで。そのうちの2人をちょっと紹介したいと思います。

(松本ともこ)どの子だろうな?

(吉田豪)里咲りさ社長という、23才のソロアイドル。

(松本ともこ)あの、23才と思えない顔というか。ベイビーフェイスな。

(吉田豪)童顔で。もともと電気量販店で働くアイドルグループにいたんだけど、そこでかなりのお金を搾取されてたので。搾取されないことをやろうと思ってソロでやって稼いでいるという風に言われていた。


(松本ともこ)自分でやっているというね。

(吉田豪)そうですね。全部自分でやっている。『ぼったくり物販で稼いでいます』っていう。それがネットニュースにもなってましたけどね(笑)。


(松本ともこ)(笑)

(吉田豪)というそんな彼女の手売りのCD-Rシングルの最新作があるんですよ。

(松本ともこ)自分で焼いたっていうやつですね。

(吉田豪)そうなんですよ。あの時も実は曲の話とかも結構してて。ライブもあそこで撮ったりとかしてたんですけど。当然のように全部カットになっていて(笑)。歌いながら入ってきたりとかしてたんですよ(笑)。

(松本ともこ)そうなんだ。でも、里咲りささんは相当長くフィーチャーされていたと思ったけど。

(吉田豪)そうですね。すごいいい扱いをされていて。『お客さんも増えて、仕事も増えた』って言ってましたね。

(松本ともこ)ああ、増えたんだ。やっぱりそうなんだね。

(吉田豪)というそんな彼女が手売りで。お札を売る感覚で焼いているCD-R。

(松本ともこ)焼いている時はすごい大変で時間もかかるけど、『これがお金になるんだ』って思って焼いているってやつですよね?(笑)。

(吉田豪)それの最新作。

(松本ともこ)買ったんですか?

(吉田豪)もちろんです。はい。これを聞いてみましょう。

(松本ともこ)はい。

(吉田豪)里咲りさで『シャイガール戦争』。

里咲りさ『シャイガール戦争』



(松本ともこ)なんか普通に聞いてしまうんだけど。里咲りささん。『シャイガール戦争』。社長さんね。

(吉田豪)そうです。

(松本ともこ)月40万ぐらい稼いでいるっていう。

(吉田豪)そうなんですよ。月収40万円っていうね。

(松本ともこ)きっとでも、テレビでフィーチャーされて、またファンが増えるんじゃないかな?

(吉田豪)で、この月収40万円っていう部分ばかりピックアップされてましたけど、僕がスタジオで補足しましたが、彼女は少女閣下のインターナショナルというグループもやっていて。この黒字を全部そっちにブチ込んでるっていう(笑)。

(松本ともこ)そっちのアイドルグループにも、そのお金を?

(吉田豪)要はかつてグループでひどい目にあっているから、女の子たちにちゃんと給料を払って、ちゃんと交通費も出してとかやった結果、儲からないっていう。『アイドルグループはちゃんとやったら儲かりません』っていうね。あの、『搾取しないと儲かるものではない』という話をしてました(笑)。

(松本ともこ)そういうところなのね。そこをスタジオで受けていたんだね。そうか。

(吉田豪)だから、人を減らして1人でやったりしたら稼げるっていう。

(松本ともこ)マネージャーさんやら無しで自分でやると。

(吉田豪)BiSHの渡辺(淳之介)さんも言ってましたけど、大きな会社を抱えていたら儲からないって。もう全員カットして、メンバーと自分たちぐらいでやれば儲かるって。そういうことです。

(松本ともこ)そうじゃない方法はないんですか?

(吉田豪)難しいです。よっぽど大きく儲けないとっていうね。

(松本ともこ)ああー!そういうね、TVタックルの話だったと。で、もう1曲。

(吉田豪)3曲目が、その番組でぜんぜん儲かっていないアイドル運営として紹介されていたflavorというグループがありまして。その曲を聞いてみましょう。


(松本ともこ)ああ、あの男性が。

(吉田豪)奥さんがお金持っていて。社会貢献のためにアイドルグループをやっていて。

(松本ともこ)はい。ちょっと謎の多い男性だった。40代の男性。

(吉田豪)年間にとんでもない赤字を出して・・・っていう(笑)。

(松本ともこ)でも、やってるんですね。

(吉田豪)不思議な人でしたね。放送されてない部分も不思議な発言しかしてなかったですよ。

(松本ともこ)お知り合いですか?豪さん。

(吉田豪)ぜんぜん。

(松本ともこ)あ、知り合いではないんだ。

(吉田豪)野心ゼロで儲ける気ないですからね。でもやっぱり、なんだろう?野心は必要だと思うんですよ。野心で、売れようとするから女の子にも絶対にプラスになる部分はあって。

(松本ともこ)そう。女の子たちは夢を持って来ているわけじゃない。で、責任を持って預かっているんだから、野心は持ってほしいなって思った。

(吉田豪)野心は必要です。お金は悪いものじゃないんですよ。

(松本ともこ)うん。私、ちょっとテレビに話しかけましたから。『あなたね!』って。

(吉田豪)よくあるんですよ。これ、バンドブームの頃からそうなんですよ。『お金を儲けるっていうのは芸術家としてはよくない』みたいな感じの風潮でなんとなく、いいように大人に搾取にされるシステムがあるんですけど。嘘です。ちゃんとみんな儲けた方がいいですよ。それは。

(松本ともこ)本当にそれはテレビに突っ込んだのは私だけじゃない。

(吉田豪)おかしい!という。で、そんなflavorなんですが、曲はいいんですよ。実は。SUPER☆GiRLSの『MAX!乙女心』とか『女子力←パラダイス』とかすごい名曲があるんですが。それを手がけた松田純一さんが全曲作ってまして。シングルを。

(松本ともこ)よかった(笑)。

(吉田豪)なんですよ。で、その曲の良さとか、あれじゃ全く伝わらないじゃないですか(笑)。

(松本ともこ)伝わらない(笑)。

(吉田豪)やってないんで。だからそれを聞いてみましょうということで。flavorで『コイマチ』。

flavor『コイマチ』



(松本ともこ)曲がね、すごいflavor・・・

(吉田豪)いいですよね。

(松本ともこ)どこで売ってるのかな?っていうのもぜんぜんあれなんですけど。

(吉田豪)たぶん会場だけだと思うんですけど。僕もロケの時に買ったやつで(笑)。

(松本ともこ)そこで買った。じゃあ、流通はない?

(吉田豪)ないはずです。

(松本ともこ)ないはずですよね。なんか、夢を持ってがんばっている子たちを・・・ってちょっと思いながらあのコーナーを見ておりました。

(吉田豪)あの時、封筒に入れてお金を渡したじゃないですか。あれはヤラセとまでは言わないですけど、後からやったやつで。あの撮影の時にメンバーが愚痴こぼしていたんですよ。『ひどいんですよ。お金を剥き身で渡すんです。うちの社長』って言ってて(笑)。

(松本ともこ)ええーっ!?それはないよね!

(吉田豪)『給料袋、作りましょうよ』とか僕が言っていたんですよ。それがたぶん後に、封筒に入れて渡す映像に(笑)。

(松本ともこ)やっぱりそこはさ、貰う方だってそうしてほしいって思っているところをさ。彼の名前、忘れちゃったけど。なんかこう、ちょっとね。もうちょっとがんばってほしいな。

(吉田豪)いちいち杜撰だった(笑)。それを思い出しました。

(松本ともこ)思い出しました。flavor『コイマチ』。お送りしました。音楽で振り返る吉田豪のこの3日間。さあ、じゃあここがラストになります。

(吉田豪)はい。この次は昨日ですね。昨日の火曜日、12月8日ですかね。モーニング娘。の武道館公演がありまして。秋ツアーの最終日で、鞘師里保さんが、エースが辞めちゃうんですけど。彼女にとって最後の単独公演。最後の武道館なんですよ。それに行ってきました。

(松本ともこ)はい。

(吉田豪)ということで。非常に、やっぱね、僕、アンダーグラウンドなアイドルばっかり見てるからね、たまにこういう地上のちゃんとしたものを見ると、やっぱり基準点がなきゃダメだなと思いますね。

(松本ともこ)(笑)

(吉田豪)ここまでのクオリティーのものをちゃんと見ておかないと、あの・・・(笑)。うん。なんか感覚狂うなと思って(笑)。それ、すごい思いましたよ。

(松本ともこ)じゃあ、すごいよかった(笑)。

(吉田豪)そして、あれなんですよ。実は最後に挨拶とか。珍しく。ちょっとね、抜けそこなって。

(松本ともこ)ねえ。珍しい。絶対に出ないのに。

(吉田豪)『出口にいますので』って逃げられないパターンで。そこで話していたら、譜久村聖さんって、僕、仕事上の接点ゼロで。いままで実は面識ないんですけど、いきなり『昨日のテレビ、見ましたよ!』って言われて。

(松本ともこ)『TVタックル』のこと?(笑)。

(吉田豪)『うわーっ!』っと思って。僕、地上の人にああいうアイドルのエグい部分を見てほしくないから。『ほ、本当にすいませんっ!』っていう(笑)。思わず謝っちゃったんですけど(笑)。『本当にすいません』って言ったら、『すごいですね。あの全部1人でやっているあの、月収40万円の』って。里咲りさ社長が届いていたっていうね(笑)。

(松本ともこ)(笑)

(吉田豪)感慨深い瞬間がありましたっていう(笑)。

(松本ともこ)そんな感想をいただいて、なんとも感慨深い(笑)。

(吉田豪)で、そんなモーニング娘。で、昨日もセットリストに入っていた曲を流しましょうという。昔の今日なんですけどね。2011年4月6日リリースのシングルで。鞘師さんが加入して最初のシングルですね。じゃあ、モーニング娘。で『まじですかスカ!』。

モーニング娘。『まじですかスカ!』



(松本ともこ)モーニング娘。『まじですかスカ!』をお送りしています。譜久村聖さんでしたっけ?かわいいですね(笑)。

(吉田豪)フクちゃんに届いてました!というね(笑)。

(松本ともこ)まあ、TVタックルをご覧にならなかった方はそんな放送があったよということで、ちょっとね。興味を持っていただければと思いますが。音楽で3日間を振り返りました。意外と濃かったですね。

(吉田豪)そうですね。はい。

(松本ともこ)次回なんですけど、12月23日祝日です。クリスマスの計画は?(笑)。

(吉田豪)クリスマスの計画は杉作J太郎さんと2人で過ごしますよ。新宿ロフトプラスワンで。しっぽりと(笑)。たぶんしっぽりとケーキを食べたりしながら。

(松本ともこ)Jさんとさ、一緒にいすぎだと思う。

(吉田豪)あの、みんな喜んでましたよ。『これでイブの予定が埋まった!』って(笑)。

(松本ともこ)(笑)。みなさん、お集まりくださいませ。

(吉田豪)みんな意外と喜んでいた(笑)。いいことした(笑)。

(松本ともこ)そんな話も含め、23日祝日ご登場の吉田豪さんです。ありがとうございました。

(吉田豪)はい、どもー。

<書き起こしおわり>

高橋芳朗 グーグル画像検索の楽しみ方を語る

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高橋芳朗さんがニコニコ生放送『俺たちの一番長い日 タマフル24時間ラジオ』の中で、グーグル画像検索の楽しみ方を紹介。おすすめキーワードなどを話していました。

宇多丸と吉田豪 般若ビーフ後の第三会議室 公開収録を語る

(高橋芳朗)僕はね、『グーグル画像検索で遊ぼう』っていうのを。

(宇多丸)前に1回、打ち上げ特集で。『打ち上げ』っていう言葉で検索して。画像を検索すると出てくるのが、楽しげな画像と、ロケットの打ち上げとか。いい塩梅のバランスで出てくる。

(高橋芳朗)(笑)

(宇多丸)これ、ぜひみなさん、いまちょっとやってみていただきたい。

(高橋芳朗)でもね、検索って生き物というか、変わるんですよ。

(宇多丸)あ、だから『打ち上げ』もだいぶ・・・

(高橋芳朗)そう。だから結構荒らされちゃって。

(吉田豪)なにかをクリックすると、また変わったりとかするし。

(高橋芳朗)そう。だからいま、ロケットが減っちゃって。打ち上げ写真ばっかりになっちゃって。あんまりね、以前の醍醐味がね。

(宇多丸)ちょっといま、『打ち上げ』でやると、どうなの?打ち上げばっかりだ!ああー・・・

検索キーワード『打ち上げ』

[リンク]Google画像検索『打ち上げ』

(吉田豪)本当だ。楽しそうだ。

(宇多丸)打ち上げばっかりだ。夢ないねー!

(一同)(笑)

(宇多丸)夢、ないねえ!JAXA、がんばって。JAXA!

(高橋芳朗)しかもね、いいともの打ち上げとかも入ってきちゃって。

(宇多丸)たしかに。

(吉田豪)ぜんぜん来ないですよ。

(宇多丸)一発もロケット、打ち上がってねえ。

(吉田豪)あ、やっと来た。

(宇多丸)やっと来た。1個。

(高橋芳朗)みなさんもやってみてください。

(宇多丸)あ、だんだん・・・打ち上げ!下に行くと増えてくる(笑)。打ち上げ、だんだん増えてくる!ああ、そう。というね、こういう遊びですね。

(高橋芳朗)そう。だからこれをタマフルで1回企画でやろうか?っつったんだけど、やっぱラジオ向きじゃないじゃないですか。

(吉田豪)当然。同時に検索しながらじゃないと・・・っていうね。

(高橋芳朗)だからニコ生でやったらどうか?みたいな話をしてたんですよ。

(宇多丸)みなさんね、コンピューター使っているわけですからね。うん。じゃあちょっとなんか、おすすめのを。

(高橋芳朗)あの、『打ち上げ』に近いもので言うと、同じ種類で。『コロッケ』。

検索キーワード『コロッケ』

(吉田豪)『コロッケ』?あ、要は、タレントのコロッケなのか、なんなのかっていう。マンガのコロッケもあるよね。

(高橋芳朗)『コロッケ』の画像検索は結構おすすめです。

(吉田豪)アニメにもなったマンガの『コロッケ』とか。

(高橋芳朗)ちょっと、もうね・・・

(吉田豪)あ、でも普通のコロッケばっかですね。

(高橋芳朗)そうなんですよ。これに、あのコロッケさんが混ざってくる(笑)。

[リンク]Google画像検索『コロッケ』

(吉田豪)あ、いい顔のコロッケが混ざってくる。

(コンバットREC)何の話、してたの?

(宇多丸)いまですね、画像検索・・・

(吉田豪)っていうか、コロッケラーメンの存在にいま、驚いてますよ。

(宇多丸)『コロッケ』って入れると、いい塩梅でコロッケさんが混じってくるっていう。

Google画像検索『コロッケ』

(コンバットREC)なるほどね。どっちの比率が高いの?食べ物の方が多い?

(高橋芳朗)食べ物のコロッケの方が圧倒的に・・・

(吉田豪)マンガのやつ、ぜんぜん入ってこないですね。

(宇多丸)さっきのね、『打ち上げ』ってやったら前はね、ロケットと打ち上げの会がいい塩梅だったのに、いまはもう・・・

(高橋芳朗)こういうの、やっぱ楽しいじゃないですか。

(宇多丸)ボーン!と入ってくる。

(高橋芳朗)だって、『AKBア↑コガレ』の時やった『たかみな具合悪い』とか。もうあれ、検索にならなくなっちゃった。

(宇多丸)あ、そう?『たかみなぐ』で出たのにね。

(コンバットREC)最近、具合そんな悪くない?

(高橋芳朗)具合悪くないですから。

(宇多丸)たかみな具合そんなに悪くない。

(コンバットREC)最近は『激痩せ』とかの方が。心配な。37キロとか38キロでしょ?いま。ってご本人がこの前、言ってましたね。

(宇多丸)ああ、そう?

(吉田豪)スマホやりながら食べてんのかな?(笑)。

(高橋芳朗)あとね、『First Love 宇多田ヒカル』ってね、画像検索やると面白い。

検索キーワード『First Love 宇多田ヒカル』

(宇多丸)えっ?『First Love 宇多田ヒカル』。それ、普通にアルバムの『『First Love』なんじゃないの?

(高橋芳朗)そうそう。英語で『First Love 宇多田ヒカル』。これ、『宇多田ヒカル First Love』じゃダメなんですよ。

(宇多丸)ほうほうほう。

(コンバットREC)あ、順番もあるの?

(高橋芳朗)順番、あるんですよ。

(宇多丸)『First Love 宇多田ヒカル』。これで、どういう結果が出るのか?ちょっといいですか?ちょっと見せて。

[リンク]Google画像検索『First Love 宇多田ヒカル』

(高橋芳朗)(笑)

(宇多丸)まず単純に、単純にその宇多田ヒカルの顔がね、こんだけ並んでいるだけで。

(高橋芳朗)で、これの応用編として・・・

(宇多丸)これ、ひたすら顔だ。顔、顔、顔だ。

Google画像検索『First Love 宇多田ヒカル』

(高橋芳朗)でもね、途中でイラストとかも入ってきたりするんですね。

(宇多丸)CDが入ってきたりとか。

(高橋芳朗)パロディージャケとか。

(宇多丸)でもさ、色合いが違う同じ顔。これちょっと、現代アートだね。ちょっとね。

(コンバットREC)ちょっとウォーホルみたいなね。キャンベル缶みたいになってますね。

(高橋芳朗)これの亜流として、『クリムゾンキングの宮殿』。

検索キーワード『クリムゾンキングの宮殿』

(吉田豪)それもやっぱり、色味が違う?

(高橋芳朗)そうですね。キャラ弁とかも入ってきます。

(コンバットREC)えっ?あれのキャラ弁、作っている人がいるの!?

(吉田豪)有名だよね。

(コンバットREC)あ、そうなんですか?へー!

(宇多丸)『クリムゾンキングの宮殿』。はいはい。いまやってます。

(高橋芳朗)これもね、英語で打つより、英語のタイトルを入れるより、邦題で入れた方がいい結果が出ますね。

(宇多丸)キャラ弁?その、細かい絵柄をやっている?

(コンバットREC)えっ、プログレファンの主婦が?

(宇多丸)あ、それだ!顔か。あの顔か。そうか。

(高橋芳朗)結構面白いですよ。『クリムゾンキングの宮殿』

(吉田豪)これのパロディーのゴジラのジャケとかも出てきそうだよね。

[リンク]Google画像検索『クリムゾンキングの宮殿』

(宇多丸)あと、顔真似が。

(コンバットREC)あ、これそうだ!これ、キャラ弁なんだ。おお!

Google画像検索『クリムゾンキングの宮殿』

(宇多丸)あと、この顔真似もすごくない?

(高橋芳朗)蓮根とかを使っているっぽいですね。

(宇多丸)これはしょこたんですね。これね。あ、誰かが並べただけか。

(コンバットREC)『完全に一致』系。

(吉田豪)キング・クリムゾン、聞いてないもんね。絶対。

(コンバットREC)キャラ弁もすごいところまで来たねー!

(吉田豪)あれはあれだな。殺害塩化ビニールのジャケが1個、入ってたな。

(コンバットREC)キャラ弁があんの?

(吉田豪)違う違う。じゃなくて。

(宇多丸)あとこれ、レゴで作ったのかな?

(高橋芳朗)レゴのキング・クリムゾンがあるんだ。

(宇多丸)へー!いいですね、これ。

<書き起こしおわり>

吉田豪 古舘伊知郎を語る

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吉田豪さんが2014年8月20日放送のTBSラジオ『たまむすび』の中で、古舘伊知郎さんにインタビューした際の模様を紹介していました。



(赤江珠緒)さあ、そして今日、豪さんが取り上げるのが古舘伊知郎さんということなんですが。雑誌『AERA』のインタビューで、実はこれ、聞き手として豪さんに聞いてほしい!と古舘さんサイドの指名だったそうですね。

(吉田豪)そうなんですよ。古舘さん、いろいろ鬱憤がたまっているみたいで。吉田豪なら拾ってくれるんじゃないか?ということで(笑)。古舘さん、あれなんですよね。『報道ステーション』のキャスターになったのが2004年の4月で。それ以来、この10年間、一度もインタビューを受けてないんですよ。

(赤江珠緒)あ、一度も?

(吉田豪)調べたら、この『「報道ステーション」のキャスターになるらしい』っていう噂が流れてる段階で受けたのが最後みたいで。で、あるプロレス雑誌の編集者曰く、『いくらオファーを出しても企画が通らない』と。で、そんな古舘さんが取材を受けることになり。今回のインタビューで会うなり、がっちり握手を求められ。その後、大絶賛されて。

(赤江珠緒)ほう!

(吉田豪)まあ、自分で言うのも何なんで、赤江さんからお願いします。

吉田豪を大絶賛する古舘伊知郎

(赤江珠緒)あ、わかりました。じゃあここを読ませていただきますね。『「紙のプロレス」という雑誌をずっと読ませてもらっていたんですけど。吉田豪さんという人は、表現力、言葉の使い方、それから皮肉、痛烈さ、ツッコミ、核心、的を射ている。そういうのが本当、めくるめく、まさにもうワンダーランド状態で。ただ、プロレス関係とは違うものもお書きになるので、僕ははじめ、2人いるのか?と思っていたんです。同じ字だし、おかしいな?と思いつつ、タッチも似てるけどジャンルが違う。こんな幅広い人、いるかな?とか。そこで僕は圧倒されたんですね。本当に素晴らしいと思っていた。今回もダメ元で吉田さんと対談できないかな?とか言ったらススッと話が進んだので本当うれしくって』と。

(博多大吉)ほう!これがもう、古舘さんのお言葉?

(吉田豪)古舘口調でね、浮かんできますよね。この『ワンダーランド状態』っていうね。

(赤江珠緒)ワンダーランド状態。

(博多大吉)いや、もう大絶賛中の大絶賛じゃないですか。

(吉田豪)まさか、ねえ。『プロレスは戦いのワンダーランド』と言っていた人がね、僕までワンダーランドにするとは!?っていう(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(博多大吉)だいぶ広くなってきましたね。

(吉田豪)広くなりましたよ(笑)。感慨深かったですよ。その域に行ったか!っていう(笑)。でも、いきなりここまで絶賛されるなんて珍しいパターンなんですよ。本当に。その後もなぜか、インタビューなのに途中から古舘さんが聞き手になって僕への質問を連発してきたりとか。おかしなことになってたんですけど、読者がそんなものを求めているわけないから、原稿では全部カットっていう。

(赤江珠緒)原稿では全部カットですか(笑)。

(吉田豪)当たり前ですよ。『AERA』読者は何の興味もないですよ(笑)。

(博多大吉)まあでもね、古舘さんがそこまで興味を持たれて。

(赤江珠緒)ねえ。

(吉田豪)っていうかやっぱり古舘さんはプロレスの人だっていうのを痛感しました。本当に。

(博多大吉)へー。変わってないですか?

(吉田豪)ぜんぜん変わってないです。フレーズから何から。いま、だからニュースキャスターっていう役割上、言えないだけなんですよ。ぜったいにいろんなニュースでいろんなフレーズが浮かんでいるんだけど、我慢してるんですよ。っていうのが、相変わらずそういう余計なフレーズが飛び出すのを見て、すごい思ったんですよ。

(赤江珠緒)へー!じゃあこれ、インタビューは盛り上がったでしょう?

(吉田豪)すごかったですね。で、改めてそのプロフィールを紹介しますが、古舘さんは1954年生まれで現在59才。12月で還暦ですね。77年にテレビ朝日にアナウンサーとして入社して、もうこの年に『ワールドプロレスリング』で実況デビューしてるんですね。

(博多大吉)入社してすぐに?

(吉田豪)早々です。で、84年にフリーで。この期間も相当に早いんですけど。フリーになって。

(博多大吉)7年しかいないんだ。

(吉田豪)そうです(笑)。で、『夜のヒットスタジオ』『F-1グランプリ』などを担当し、94年には民放アナウンサー出身として初めて、NHKの紅白司会。96年まで3年連続。そして2004年から『報道ステーション』がスタートというね。で、10年間インタビューを受けなかった理由は、テレビ局側から『あんまり露出しないでくれ』っていうのがあったからと。

(赤江珠緒)ふーん!

(吉田豪)つまり、『余計なことを言って波風を立てないでくれ』っていうね。赤江さん、テレ朝からそういう縛り、ないんですか?

(赤江珠緒)一切言われないですね(笑)。

(吉田豪)(笑)

(赤江珠緒)なぜでしょうかね?テレビ朝日さん、置き留めようとしてないみたいですね。

(吉田豪)ラジオでイメージダウンになるんじゃないか?とかね。

(赤江珠緒)あれ?ないですね。

(吉田豪)報道のね、核として。

(赤江珠緒)なぜなんだろう?

(博多大吉)正直、『モーニングバード』の赤江さんと『たまむすび』の赤江さん、本当、ねえ。これこそ、2人いるのか?っていう・・・

(吉田豪)ですよね(笑)。同じ名前だけど(笑)。

(赤江珠緒)おかしいな(笑)。

(吉田豪)めくるめくワンダーランド状態ですよ(笑)。

(博多大吉)赤江さんはそんなことない?

(赤江珠緒)そうですか。古舘さんは止められてるんですね。へー。

(吉田豪)止められてるみたいですよ。それをだから古舘さん曰く、北朝鮮の核施設にちなんで『無能力化』って言ってるんですけど。『口に猿ぐつわをした状態で10年たって、さすがに10年を節目に、ちょっと一瞬でもいいから猿ぐつわを取らせてくれ』と。『そういうことで、今年で60になるけど、しゃべり手人生がどこまで続くだろうか?とかいろいろ思うと、余計に悔いを残したくないし、やりたいことをちょっとやらせてくれっていうのが正直なところ』と。

(博多大吉)うん。

(吉田豪)そういうわけで、今年10月には『トーキングブルース』っていう単独のトークライブをやっているんですけど。それが11年ぶりに復活するとか。ちょっとやりたいことをやりたいモードに、明らかに入ってるんですよ。

(博多大吉)もうだから、この10年は『報道ステーション』にずーっと専念してたんだ。

『しゃべり下手』と言われた子供の頃

(吉田豪)しかし、もういろいろストレスも溜まって。もういいだろう?と。徐々に出していくぞっていう。で、『トーキングブルース』では今回、いつものように2時間以上しゃべり倒すらしいんですけど。そんな古舘さん、子供の頃は父親からは『お前はおとなしいし、しゃべり下手』って言われてたんですね。

(赤江珠緒)えっ?そうですか。

(吉田豪)家が特殊だったらしくて。大正生まれのお父さんは早稲田の雄弁会出身で。もともと政治家になりたかったのが、戦争に行って帰ってきて。政治家とか目指せるような環境になかったので、妥協してサラリーマンになったと。でも、スピーチや演説が得意で・・・って。

(赤江珠緒)雄弁会?へー!

(吉田豪)で、一方母親は超絶技法と言っていいぐらいの圧倒的なしゃべりの量と。で、古舘さんには6つ上のお姉さんがいて。まあ、ガンでお亡くなりになったんですけど。その人もお母さんの血をひきついでしゃべりがすごくて。『電話で兄弟喧嘩とかすると、僕は3分くらい受話器を外すぐらいだった』と。

(赤江珠緒)ほー!

(吉田豪)そんな家族の中でお父さんから『お前はしゃべり下手だ』と刷り込まれてきて。まあ、古舘さん曰く、『いま思うと僕は物心ついた時にそれを言うことで、自分たちのしゃべりの優位性とかアイデンティティーを確認してたんじゃないか?』と。つまり、お父さんが言うほど自分はしゃべり下手じゃなかったんじゃないか?と。

(赤江珠緒)そうでしょう。周りがすごすぎたっていうことでしょう?

(吉田豪)そうなんですよ。『吉田さんならわかってくれる。根拠のない同類意識ですけど』とかね(笑)。いちいちこうやって僕を上げてくるんですよ(笑)。節々に。『僕がしゃべりが下手だったんじゃなくて、普通だったと思うんですよ』って。

(赤江珠緒)そうですよね。ほー!

(吉田豪)で、そういうコンプレックスを持っていたんですよ。しゃべりが下手だっていう。それが中学で爆発するんですよ。そのきっかけが、友達とのプロレスごっこで。古舘さん、実況中継担当だったんですよ。当時から。

(博多大吉)ああ、もうその頃から?

(吉田豪)そうです。で、『面白い』って言われて。高校の時には昼休みに1学年500人いる中、300人ぐらい集めてプロレスの興行をやっていたと。古舘さんはマッチメイクからリングアナ、実況アナと全部やって。ボールペンで額を割って流血戦とかさせるとバカ受けで。友達から『お前、面白えな!』って言われて、古舘さん自身も『俺、イケるじゃん!』と。

(博多大吉)へー!

(赤江珠緒)あ、もうこんな頃からされていたんですね。

(吉田豪)そう。実況に目覚めて。さらに立教大学時代は野球部の応援に行って、平凡なフライでも『場外!うわっ、突風が吹いた!押し返した!』みたいな感じでめちゃくちゃな実況をしてたらしいんですよ。あの、実際には起きてないことを実況するっていうのをやっていて。半径5メートルでウケていたと。

(博多大吉)もう周りは笑っていたんですね。

(吉田豪)そうです。古舘さん曰く、『全部偏向実況で。いまだに「お前は偏向発言だ」って「報道ステーション」でも言われるけど、しょうがないですね』って(笑)。

(赤江・大吉)(笑)

(赤江珠緒)いや、それとこれとはちょっとね(笑)。

(吉田豪)もともと偏向だったんですよ(笑)。その頃、周りから『お前、アナウンサーになった方がいいよ』とか言われて、古舘さんも『俺、イケる!』と。『だからいま思うと、家族にも感謝だし、決めつけて「ダメ」って言われたのも反動になったし、ありがたいなと思う』っていうね。

(博多大吉)ふーん!そういうルーツがあるんすね。

(吉田豪)そうです。もともとやっぱりプロレスの人なんですよ。

(博多大吉)そしてね、家族みんなおしゃべりだっていう。

もともとプロレスの人郎

(吉田豪)で、テレ朝のアナウンサーになってすぐに『ワールドプロレスリング』の担当になってっていう話だったんですけど。まあその、僕も古舘さんもそうですが、僕の持論でプロレスを通ると物の見方に影響が出てくると思うんですよ。普通にただ額面通りには受け取らずに、まず疑ってみたりとか裏読みしたりとか。大吉さん、そういうのあります?

(博多大吉)そうですね。もうその話題で、それこそ昨日、一昨日、プチ鹿島さんと対談してましたよ(笑)。

(吉田豪)はいはいはい。みたいですね。鹿島さんの新刊で。

(博多大吉)いや、本当そうですよ。なんでしょうね?真正面から見てますけど、その裏もちゃんと見ないと気が済まないというか。はい。そういうことになっちゃいますね。

(赤江珠緒)なるほど。

(吉田豪)そうなんですよ。そうなっちゃうんですよ。どうしても、プロレス脳があるんですよ。そういう。で、古舘さんも相当プロレスの影響を受けて。『物事にはかならず表があれば裏がある』という見方が培われて。これが報道番組で役に立ったと。

(赤江珠緒)つながりますねー!

(吉田豪)そうなんですよ。どういうことか?っていうと、ニュースには表しか伝えないところがあって。伝えられないけど、言外にある裏側。バックステージみたいなこともスタッフに嫌な顔されても、ちょこっとは言いたくて。ただ、場外乱闘までは行ってない。エプロンサイドぐらいで。ギリギリ落ちないレベルでもちょっとずつは出していきたいと。

(赤江珠緒)ふんふん。

(吉田豪)本当は自分の思ったことを全部言いたいんだけど、なかなか言えない。表の報道をしてて、裏の背景はあまり言えない。なぜ言えないか?っていうと、古舘さん曰く、『僕に勇気がないから。番組が今日で終わっちゃうとか、これを言ったらおしまいだなとか思っているだけで、基本的に本当のことを言うと世の中、糾弾されるじゃないですか。ガリレオ・ガリレイ以降』っていうね(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(吉田豪)本当、こういうフレーズがいちいち上手いんですよね(笑)。

(博多大吉)ふーん!それっぽいですねー!古舘節ですね。

(赤江珠緒)なるほど。

(吉田豪)赤江さんはこういう気持ち、わかります?

(赤江珠緒)うーん・・・勇気はたしかに。でも私はそこまでね、考える前に言っちゃってることがあるんですよね。

(吉田豪)(笑)

(赤江珠緒)気持ちが優先しちゃったりして。で、あとですごく後悔するってことがありますね。

(吉田豪)だから古舘さんも、そういう、最近『自分に厳しくならなきゃ』って思っているそうで。『「本当のことが言えないとか、ストレスが溜まるとか言ってるのはお前がダメだからだよ」って言われればそれまでだな。だから、「トーキングブルース」で久々に思いの丈をぶつけたいっていうのがあるし、「報道ステーション」の中でも「トーキングブルース」をもっとやらなきゃいけない』と。

(赤江珠緒)うん。

(吉田豪)ちょっとずつ仕掛けていくよっていう宣言なんですね。

(赤江珠緒)へー!

(博多大吉)この10年の節目で。

(吉田豪)そうなんですよ。だから、ちょっとネットニュース的な感じで今回のインタビュー記事が『世の中は嘘八百で成り立っているし』みたいな感じで。『ニュースとかもプロレスですよ。世の中は完全にプロレスだと思う』みたいな発言が、なんかプロレスを叩いているんじゃないか?みたいな感じでちょっと拡散されたんですけど。違うんですよ。古舘さんの中では、『そうなんだけども、その中で自分もギリギリのプロレスをやっていきたい』っていう話をしてるんですよ。

(赤江珠緒)うん。

(吉田豪)『総合格闘技をやるほどの勇気はないけれども、昔の昭和の新日本プロレスみたいな、ただのお約束ではないことをやっていきたいんです。はみ出していきたいんです』っていう話をずっとしていて。

(赤江珠緒)うん、うん。なるほど。

(吉田豪)っていうことなんですけど、それを『AERA』の読者に説明しろって言ったって無理なんですよっていう(笑)。その問題だったんですよ(笑)。

(赤江珠緒)そうですね(笑)。

(吉田豪)僕ら2人は完全に意気投合して。『そう!その通りなんですよ!』っていう。

(赤江珠緒)そういう意味では『プロレス』、最大の賛辞ですもんね。

(吉田豪)『猪木さんみたいなことを!』みたいなのをずっと言ってるんですよ(笑)。

(博多大吉)なかなかね、『AERA』の読者には・・・

(吉田豪)わからないですよ。

(赤江珠緒)そういうことか。

(博多大吉)最低でも三ヶ月、『週刊プロレス』を読んでいただいた後ですね。

(吉田豪)(笑)。昔の全日本と新日本の関係とかを踏まえた上で、馬場プロレスではなく猪木プロレスをやりたい!っていう話をしてるんですよ。要するに。

(赤江珠緒)へー!

『パワーポイントを知らない』発言の真相

(吉田豪)っていう話なんですよ(笑)。で、ちなみに古舘さん、相当ストレスが溜まっているのは事実で。今年4月9日の『報道ステーション』でも古舘さんが『パワーポイントを知らない』と発言したことで、ネット上で大騒動になったんですね。

(赤江・大吉)うん。

(吉田豪)『パワーポイントを知らないアナウンサーとか、いるんですね』とか『パワーポイントってメディアの人、使わないかな?』とかって。古舘さん曰く、存在は知ってたけど、パワポっていう呼称を知らなかったと。って、言いながらも自分からこの話を振ってきましたからね。インタビューでもね(笑)。『パワーポイントの件もそうですけども』って。言いたくてしょうがないんですよ、いろいろ。ただ、それを説明する場がなかったんですよね。

(赤江珠緒)うんうん。

(吉田豪)で、まあこういうのがネットで叩かれたことをいろいろ話していたんですけど。赤江さん、大吉さんはそういうネットの反響とか、気になります?

(赤江珠緒)うーん。でもね、私も本当アナログなので、全部がこう、ちゃんと自分のところに届いてないと思います。たぶん。

(吉田豪)なるほど。

(赤江珠緒)全部知ると、たいへんなことになるんじゃないですかね?

(吉田豪)だからこそ、保てているキャラだったりもしますよね(笑)。

(赤江珠緒)たぶん(笑)。

(博多大吉)僕もまあ、最低限評判とか調べたりもしますけど。基本はもうあんまり、無視してますかね。『無視』っていうと言葉キツいかもしれないですけど。なんか悪く書いてくれる人も、『あ、時間を使ってくれてありがとう』ぐらいの気持ちでやらないと、もうやってられないですもんね。

(吉田豪)まあね、僕は3分に1回、自分の名前で検索してるぐらいなんで(笑)。

(赤江珠緒)多い!多い!(笑)。

(博多大吉)なかなかの頻度ですね(笑)。

(吉田豪)古舘さん曰く、古舘さんはやっぱりものすごい気になるらしいんですよ。そういうの。『評価っていうのは自己評価は意味がないと思っています。他者評価こそが評価なんで。ネットを見ていると、底なし沼だと思うからあんまり見ないけど、かならず情報は聞く。かならずやっているのがネット以前の問題として、本番前に視聴者から寄せられた意見全てに目を通す。月-金10年間、欠かさず』。

(博多大吉)へー!

(吉田豪)『当然、意見はお褒めよりも苦情の方が多いわけで、それを読むとストレスが溜まるけど、ぜったいに逃げちゃいけないと思って。1人の声の後ろに何千人もいると思うから、それはどんな誹謗中傷であっても受けて。基礎体力を作って免疫力を作って反省するものは反省していって。その儀式をやらないと本番には挑めないと思っている』みたいな感じで。

(赤江珠緒)うん。

(吉田豪)『本当ね、そういう言葉が吉田さんの文章みたいに痛いところを突くんですよ』みたいな感じでね。そういうのにまで、僕の名前を拾ってくれて(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(吉田豪)重い気分になって毎回本番に挑んでいるから、ストレス溜まりますよ、そりゃあっていう。

(赤江珠緒)この意見、私も読みますよ。うん。番組へのやつは。

(吉田豪)ストレス溜まらないですか?

(赤江珠緒)うん・・・

(吉田豪)(笑)

(赤江珠緒)溜まってる。溜まってる。うん。背負ってる。背負ってる。

(吉田豪)あ、それをラジオで晴らす感じですか?(笑)。

(赤江珠緒)そうそうそう(笑)。一瞬つかんで手放して、みたいな(笑)。

古舘伊知郎の毎日の生活サイクル

(吉田豪)3秒前のこと、忘れますからね。ちなみに古舘さんがどんなサイクルで1日を過ごしているか?っていうと、朝9時に起きて、新聞6紙をチェック。昼の11時半ぐらいからスタッフと電話。テレビで昼のニュースチェックして、疑問点とかクエスチョンをバーッと走り書き。その後、打ち合わせがあって、本番をこなして、帰って寝るのが夜中の4時と。

(博多大吉)ええーっ!?

(吉田豪)もう本当にずーっとニュース漬けで。そういうことをやっていると、1日がすぐ過ぎると。だから、ド深夜にCSチャンネルでやっている『吉田類の酒場放浪記』とか、そういうのがたまらなく好きと。自分が行けてないから。

(赤江珠緒)はー!

(吉田豪)要は『吉田豪と吉田類が好きだ』っていう話をすごいしてたんですよ(笑)。

(赤江・大吉)(笑)

(赤江珠緒)無類の吉田好きであると。

(吉田豪)そう。『吉田類さんが居酒屋に入っていって、なにか煮込み食ったり酒飲んで、「この酒、美味い!」ってやっているのを見てると、テレビ画面に向かって笑って。バーチャルで酒飲んでいる。70インチのテレビに入り込んで。「リング」の逆貞子なんですよね!』っていう(笑)。

(赤江・大吉)(笑)

(赤江珠緒)はー、なるほど。

(博多大吉)すごいっすね。この生活。これ、10年やってるってことですもんね。

(吉田豪)10年やっているんですよ。溜まりますよ、ストレス。そりゃあ。なおかつ、叩かれて(笑)。

(博多大吉)正直、『報道ステーション』だけだから、結構悠々自適かもね、みたいな感じで思ってましたけど。

(吉田豪)稼いでいるみたいに思ってますけどね。毒抜きできる場がないんですよ。まだインタビューとかイベントとかでまだ出せていればいいでしょうけど。それもないですからね。

(博多大吉)すごいな。いや・・・

(赤江珠緒)ニュースは常に起きてますからね。大吉先生。

(博多大吉)来た!キャスターとしての珠緒が。

(赤江珠緒)常にですよ。動いてますから。世の中は(笑)。

(吉田豪)(笑)

(博多大吉)ねえ。赤江さんもこのぐらいやってるんでしょ?

(赤江珠緒)そうです。そうです。キャスターは止まることができないですよ(笑)。

(吉田豪)(笑)

(赤江珠緒)誰だ?私は(笑)。

(吉田豪)あんなに息抜きしていた人ですからね(笑)。

(赤江珠緒)本当ですね(笑)。

(博多大吉)『モーニングバード』の後、1回仮眠挟むでしょ?ちょっと寝て来るでしょ?

(赤江珠緒)ちょっと寝たりしてね(笑)。

(博多大吉)古舘さん、起きてるんだもん。

(赤江珠緒)そうですね。すごいですね。

(吉田豪)なおかつ、CSで『ワールドプロレスリングクラシック』とかも見てるらしいです。『30年以上前の自分が狂ったようにしゃべっている。それを見ながら、「こんな仕事やらせてもらっていて、幸せだな」と思って感謝する。感謝しつつ、何年前の自分と深夜に対面させてもらえる仕事って少ないだろうから感謝するんだけど、あとですごい嫌になる。自分のしゃべりがうるさい!と。ただ、そこには「こんなに若々しい声でこんなにしゃべれていたのか」っていう嫉妬もあり。「この野郎!いま、こいつが出てきたら、潰してやろう!』」たいな、負けない気持ちもある』っていう。

(赤江珠緒)へー!

(博多大吉)過去の自分がライバル。

(吉田豪)まあでも、プロレス好きな人ですよ。本当に。藤波さんの話で盛り上がったりとかして。あの、藤波さんと昔、よく城巡りとかしてた話とかをして。藤波辰爾さん。『藤波さんね、レスラーの中で数少ない常識がある人とか言われてましたもんね』って言ったら、『なに言ってるんですか?若い時、常識なかったですよ』って。あのね、道場で飼っていた犬を埋めたりしてたっていうね。

(赤江珠緒)ええーっ!?(笑)。

(吉田豪)これ、猪木さんが本に書いていたんですよ。『藤波は新日本でいちばんのいたずらっ子じゃないかな?』って書いてあって。それ、いたずらレベルじゃないですよ!っていうね(笑)。

(赤江珠緒)度が過ぎてる(笑)。

(博多大吉)生き埋めにはしてないですよね?首は出てますよね?

久米宏と古舘伊知郎

(吉田豪)そう。首は出ています。そうそうそう。で、ちなみにインタビューでは久米宏さんのことも話していて。実は古舘さん、世界水泳の番宣で『ニュースステーション』に出たことがあるんですよ。

(赤江珠緒)へー。

(吉田豪)その時に、『こんばんは。二代目久米宏です』とか言って。いま考えると、完全に伏線になっていたっていうね。

(赤江珠緒)あ、本当ですね。

(吉田豪)で、楽屋に挨拶に行った時に久米さんから言われたのが、『古舘くん、毎日毎日月-金の報道番組をやるっていうのはもう強烈なサバイバルなんだよ』と。『当時、自分もやったことがないし、やるつもりもなかったからピンと来なかったけど、ものすごい印象に残っている。』と。ただ、後に古舘さんが『報道ステーション』をやるとなった時に、久米さんが『後を受け継ぐ古舘さんに何かメッセージ、ありますか?』と聞かれて、『いや、番組はなくなると聞いてますから。存在しない番組に司会者が存在するわけないでしょ?』って言ってるのを見て、『冷たい男だな』と思いましたよっていう(笑)。

(赤江珠緒)(笑)。そうなの?こんなやり取りがあったんですね(笑)。

(吉田豪)『その時から、久米さんが嫌いになったんですけど。その時は嫌いになっていないので・・・』っていうね。

(赤江珠緒)ふーん!

(吉田豪)で、いま現在は久米さんのことは『半分は大先輩だと思って尊敬して、半分は嫌い』という(笑)。

(博多大吉)あ、嫌いなの(笑)。

(赤江珠緒)そうなんですね(笑)。

(吉田豪)久米さんのこういう冷たさもさすがですけどね。

(赤江珠緒)へー!そうか。そうだったんですね。

(吉田豪)原稿チェックでも、直しがほとんどなくて。その男気が本当、非常に素晴らしいと思ったんですけど。同じプロレス実況アナ出身でもある、徳光和夫さん。全日本で実況をやっていた。徳さんも実は吉田豪ファンなんですよ。

(赤江珠緒)おおー。

(吉田豪)『吉田豪の本は大好きだ』って言っていて。ほとんど読んでいてくれているんですけど。『ただ、彼のインタビューは受けない』って公言してるんですよ。

(赤江珠緒)あ、徳さんは。はい。

(吉田豪)『余計なことを出されたくない』っていう(笑)。

(赤江珠緒)警戒されてますね(笑)。

(吉田豪)どういう人間かわかっているからこそ(笑)。『俺がやめてからにしてくれ』って言われていて(笑)。っていうことを伝えたんですよ。伝えたら、ショックを受けてましたね。古舘さん。『そうか!それって痛いところ突かれるからですよね。そうか。僕もこうあらなければいけないんだ!』っていうね。『10年ぶりのインタビューで吉田豪さんを指名・・・無茶しすぎますよね。警戒心はぜんぜんなかった。ごめんなさい。いま、僕は後悔しています』って(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(博多大吉)最後、後悔して終わる(笑)。

(吉田豪)後悔してましたよ(笑)。

(赤江珠緒)いやー、でも10年ぶりにね、やっぱりこれだけこう、語られるっていうのは貴重ですね。

(吉田豪)貴重でしたね。

(赤江珠緒)なんか、やっぱり豪さんに聞いてほしい!みたいな思いも、おありになったんですね。

(吉田豪)『この人なら話がわかるだろう』と思ったんでしょうね。

(博多大吉)しゃべりたくてしゃべりたくて仕方ないんでしょうね。もう。

(吉田豪)『トーキングブルース』も相当暴走すると思いますよ。

(赤江珠緒)そうでしょうね。これからの『報道ステーション』もなんか、さらにますます進化されるというか。

(吉田豪)楽しみですね。どういう電波が入ってくるのか?みたいな(笑)。

(赤江珠緒)ねえ。変化していきそうですね。

(吉田豪)仕掛けることがちょこちょこあるんじゃないか?って期待で見ると、楽しめると思いますよ(笑)。

(赤江珠緒)なるほど。そうかー。いや、勉強になるな。うん。

(博多大吉)ねえ。書いてあるでしょう?月-金の報道番組をやるっていうのは強烈なサバイバルですよ。

(赤江珠緒)強烈なサバイバルですよ。そうですよ。

(博多大吉)赤江さんもそうですもんね?

(赤江珠緒)ええ。そうです。そうです。ほうほうの体で生き延びてね(笑)。

(吉田豪)サバイバル、生き抜いてますもんね。

(赤江珠緒)生き延びて(笑)。そしてここで、オアシスのように。

(吉田・大吉)(笑)

(博多大吉)ここで休憩している。

(赤江珠緒)タイム!タイム!みたいな(笑)。

(吉田豪)公開休憩ですよね。これね(笑)。

(赤江珠緒)本当に(笑)。豪さん、今週もありがとうございました。すごいお話でした。

(吉田豪)はい。

<書き起こしおわり>

吉田豪 CKB横山剣ホテル監禁事件を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『第3回TBSラジオぼんやり審議会』に電話出演。スペシャルウィークの面白かった番組や出来事を振り返る中で、『たまむすび』で横山剣さんが話したホテル監禁事件の詳しい話を紹介していました。


(吉田豪)あと、金曜たまむすびの横山剣さんゲストの回が、僕結構スリリングで聞けたんですよ。

(小林悠)あ、スリリング?どういったところが?

(吉田豪)スリリングですね。僕、横山剣さん本人にも確認した、横山剣さんがすごい危機的な状況だった時に岩城滉一が救ってくれたっていうエピソードがあるんですけど。

(小林悠)あの、まあホテルにカンヅメになったっていう。

(吉田豪)そうですね。

(小林悠)理由はね、教えてくれなかったんですよ。

(吉田豪)そうですね。放送上、理由はなかなか、あまり言えないので・・・っていう感じで言ってましたけど、僕、かなりあそこ、深く掘ったんですよ。

(小林悠)本当ですか!?(笑)。

細木数子さんの番組での証言

(吉田豪)あれ、原点言いますと、もともと細木数子さんがゴールデンタイムでやっていた番組のゲストで岩城滉一さんが出ていた時に、なぜか岩城滉一さんに関する証言として横山剣さんが出てきて。『僕の命の危機を救ってくれたのが岩城滉一さんで・・・』っていう。ゴールデンタイムで何の話をしてんだ?っていうような話を始めたんですよ。

(小林悠)おおっ!

(吉田豪)それが『僕がピストルを突きつけられて困っていた時に、岩城さんが助けてくれて・・・』って(笑)。

(一同)(笑)

(小林悠)大変な状況じゃないですか!

(吉田豪)ピストル!?っていう(笑)。そのシチュエーション自体もわかんないけど、それを救える岩城滉一ってすごい!っていうね(笑)。

(小林悠)本当、『映画の1シーンのような』っていう表現がありましたけども。あ、いかに危機的な状況だったのか、いまやっとつながりました。

(吉田豪)そう。本当にヤバかったっていう話なんですよ。もう、ラリってるぐらいの感じでヤバい人に、ビルの結構上の階で監禁されていた時に助けに来てくれたっていう話でしたね。

(小林悠)あ、もうぜひ、いま金曜たまむすびのポッドキャストでも配信されていますので。いまのお話をもとに・・・

(吉田豪)はい。そこが立体的になるようになっていますのでね。はいはい。

<書き起こしおわり>

たまむすび 横山剣が語る ホテル監禁事件

横山剣 少年時代のファッションのこだわりを語る
クレイジーケンバンドの横山剣さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。小さい頃からファッションにこだわりがあった剣さんが、VAN MINIを社割価格で手に入れるためにとった行動につい...

(小林悠)ですねえ。そんな、その3(の筋)に行きますか。そのままの流れで。思いもよらないトラブルで大ピンチに陥ったと?

(横山剣)言える範囲で。

(玉袋筋太郎)言える範囲で教えてください。

(横山剣)あの、まあちょっと怖い人に、訳あってですね、新宿の某ホテルのですね、22階ですね。行くことになりまして。

(小林悠)何才の時ですか?

(横山剣)ええと、22才ですね。

(小林悠)22才。なぜか、新宿の某ホテルで。

(横山剣)某ホテルの22階。

(玉袋筋太郎)22才で22階。

(横山剣)22才で22階(笑)。ゾロ目!

(玉袋筋太郎)ゾロ目!ニャロメ!じゃねーんだ(笑)。

(横山剣)まあ、そこに行くことになりまして。訳あってですね。言えないんですけど。理由は。ほいでまあ、数時間そこにいたんですけど。しばらくするとですね、ドンドン!って鳴ってですね。ノックが。それで、ホテルの人に鍵を借りたのか、ガチャン!って開いて。『大丈夫か!?』って。まるでもう、映画スターのように入ってきて。岩城滉一さんなんですけどね。

(玉袋筋太郎)岩城滉一さんが?

(横山剣)『大丈夫か!?』って入ってきて。

(小林悠)岩城さん、おいくつですか?

(横山剣)そうですね。僕より10個上ですから、32、3ぐらい。

(玉袋筋太郎)いや、それもう映画ですよね。

(横山剣)まるで映画で。『大丈夫か!?もう、帰っていいぞ』ッツって。

(玉袋・小林)かっこいいなー!

(横山剣)いやー、本当あの時の岩城さんの、あの、ガチンコ鳴らしてスタート!みたいな感じの。『大丈夫か!?』って。

(小林悠)映画の1シーンですよね。

(横山剣)ええ。本当、かっこよかった。

(玉袋筋太郎)へー!その後、リアクションはあったんですか?『あの後、大丈夫だったか?』とか。

(横山剣)ありました。ありました。『悪かったね』みたいな。岩城さんのせいじゃないんですけどね。はい。

(小林悠)何があったか、非常に気になりますけどね(笑)。

(横山剣)これが・・・このいちばん肝心なところが、言ったらもう何もかもアレしちゃうんでね。

(玉袋・小林)(笑)

(横山剣)もう、若気の至りというか。

(小林悠)ええ。人生いろいろですかね(笑)。

(玉袋筋太郎)人生いろいろだよ!かっこいいな、岩城さん!

(横山剣)かっこいいですね。ええ。


吉田豪 百田尚樹を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で作家・百田尚樹さんについて話していました。



(小林悠)毎月1回、プロインタビュアーの吉田豪さんをお迎えして、吉田さんがこれまでインタビューをしてきた一筋縄ではいかない有名人の様々な『その筋の話』を聞いていくコーナーです。よろしくお願いします。

(吉田豪)お願いします。

(玉袋筋太郎)お願いします。新年一発目だね。

(吉田豪)一発目ですよ。大変なことばっかり起きてますよ。新年。

(玉袋筋太郎)大変だな(笑)。

(吉田豪)えっ?SMAP分裂に続いて、浅草キッド分裂?

(玉袋筋太郎)違う!言うんじゃないっつーんだよ、それ!

(小林悠)(笑)

(吉田豪)どっちが事務所に残るんですか?(笑)。

(玉袋筋太郎)そりゃ、私は残りますよ(笑)。だって、個人事務所を作ってっから。

(吉田豪)(笑)

(小林悠)生々しい話、やめてください!ありません。ありません。

(吉田豪)否定しないと、そこは(笑)。『そうじゃないですよ』って(笑)。

(小林悠)(笑)

(玉袋筋太郎)仕掛けてくんなぁ、こりゃあ、おい。イテテテテ・・・もう、タップアウトみたいな(笑)。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)いやいや、まあ忙しいようで。豪ちゃんも大変で。まあ、今回はね、百田尚樹さんに触れちゃうということで。最初俺、『ひゃくた』さんって読まないで『ももた』さんって読んじゃってね。

(吉田豪)力道山ファミリー?

(玉袋筋太郎)力道山ファミリーだと思ったんだけど(笑)。まあ、そっちもその筋だけど。やっぱ百田さんっつーのもね、ついにインタビューしたってことなんだよね?豪ちゃんがね。

(吉田豪)しましたよ!なかなかね、Twitterでブロックされている人に会いに行くことってないと思うんですけど。

(玉袋筋太郎)すごいね、それ。

(小林悠)勇気いりますよね。

(吉田豪)勇気いりますよ(笑)。

(小林悠)なんで受けてくれたんですか?百田さんは。

(吉田豪)最初、警戒して断られたらしいんですよ。でも、僕の他のインタビューを読んで・・・最初は嫌がらせに来ると思ったらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)そういう人じゃないでしょう?(笑)。

(吉田豪)でも、僕が石原慎太郎さんのインタビューをしている記事を見て、『ああ、そういうだけでもないんだな』と思ってもらえたらしいですね。

(玉袋・小林)おおー!

(玉袋筋太郎)そうですよ。別に、ケンカするわけじゃないですからね。インタビューっつーのは。

(吉田豪)そうです。ぜんぜん、ぜんぜん。これ、僕よく言うんですけど。僕のインタビュー、たまに格闘技的なものだと勘違いする人が多いんですよ。潰し合い。『なんで潰さないんですか!?』っていう。あの、インタビューって潰し合いじゃなくて、プロレスなんですよ。相手の良さを引き出さなきゃいけないんですよ。ちゃんと。

(玉袋筋太郎)これだもん。ちゃんとね。

インタビューは潰し合いではなく、『プロレス』

(吉田豪)良さを引き出しながら、緊張感のある試合をするっていう。気を抜いたら何かするかもしれないっていう・・・

(玉袋筋太郎)そうそうそう。高田対武藤みたいなね。武藤がちょっと構えていたっていう。Uインター対新日の。

(吉田豪)高田対北尾とかなんですよ。理想としては。気を抜いたら、一発入れて倒すこともありっていう。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)それなんですよ。理想のプロレスというのは。

(玉袋筋太郎)俺、もう一発、いま豪ちゃんに倒されてるもん。

(吉田豪)(笑)

(小林悠)そうですね。

(玉袋筋太郎)最初にいきなり倒された。バーン!いいハイキック入って。あれっ!?って。

(吉田豪)信頼関係のある、しかし緊張感のある戦いなんですよ。理想が。

(玉袋筋太郎)これなんだよね!

(小林悠)本人はうれしそうですからね(笑)。

(玉袋筋太郎)さあ、そのね、素晴らしい芸当を。テクニックを堪能しましょう。

(小林悠)まいります。では、百田さんのあらすじとその筋をご紹介しましょう。1956年、大阪府のお生まれで現在59才です。大学時代、素人参加型の恋愛バラエティー番組『ラブアタック!』に出演したことをきっかけに、放送作家として活動をスタート。関西の人気番組『探偵ナイトスクープ』などを手がけます。2006年には『永遠の0』で小説家デビューを果たし、これがミリオンヒット。以降、第10回本屋大賞を受賞した著書『海賊とよばれた男』をはじめ、『BOX!』、『モンスター』など数多くの作品を生み出している百田尚樹さん。去年は初の新書『大放言』が話題になるなど、その過激な発言でもたびたび注目される小説家であり、放送作家でもあります。

(玉袋筋太郎)うん。

(小林悠)そして、吉田豪さんの取材によりますと、百田尚樹さんのその筋は、その1、『つい余計なことを言っちゃう性分。宣伝のために始めたTwitterなのに・・・』の筋。その2、『同じことはやりたくない。新しいことに挑戦するのがモットー。おかげでなかなか本が売れなかったけどね』の筋。その3、『恋愛バラエティー番組「ラブアタック!」に出演していた素人時代。自己PRで鼻血を出して放送作家になった』の筋。その4、『ケンカしなかったら仕事って増えるんだなあ。20代はクビの歴史』の筋。その5、『権力なんて興味もない。ずばり、大人になりきれないおっちゃんなんです』の筋。その6、『活字を読む人は絶滅危惧種。本の世界はマニアの世界だ』の筋と6本の筋が張っていらっしゃいます。

(玉袋筋太郎)うん!ねえ。じゃあ、その1からちょっとね。『つい余計なことを言っちゃう性分。宣伝のために始めたTwitterなのに・・・』ですけども。やっぱりTwitterで百田さんってね、かならずやっぱり付き物ですもんね。

(吉田豪)そうです。そうです。炎上し続けて。

(玉袋筋太郎)炎上。炎上。

百田尚樹のTwitter観

(吉田豪)で、そのTwitter観を聞こうってことで、まず最初に、『僕の存在、ご存じですか?』って聞いたら、『はい。知ってますよ。週刊文春の阿川佐和子さんの対談で見て、「あ、この人、僕の悪口をTwitterで書いた人や」と思って』っていう。

(玉袋筋太郎)ます、そこですからね(笑)。

(小林悠)えっ、本当に書いたんですか?

(吉田豪)いや、正確に言うと、騒動の時に作詞家の及川眠子さんがその騒動にかんできた時に。たかじんさんの作詞とかしてるから。で、なんか『売名行為の作詞家がどうのこうの』みたいな感じで、及川さんのことを知らない感じで書いちゃっていたから、僕、百田さんの名前も出さす、リプライも飛ばさず、『さすがにそうやって「売名行為」って切り捨てちゃうのは、あれだなと思います』っていうことをつぶやいたら、ブロックされて。名前も出してないし、リプライも飛ばしてないのに。ええーっ!?っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)いやー、すごいっすねー(笑)。

(吉田豪)っていう出来事があっただけなんですけど。実は、この阿川さんの対談でも、僕、実は百田さんの名前を出していて。で、『会えば好きになる人だと思うから、いつか取材をしたい』っていう話をしていたんですよ。で、なぜか?っていうと、文春だったらぜったいに百田さんは読むだろうから、そこで伏線を張るっていう戦いをしたんですよ。

(小林悠)さすが!

(玉袋筋太郎)これが・・・上手い!

(吉田豪)ところが、『読んでなかった』って言われて(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)顔を見た瞬間、『ううん!』って感じで。飛ばされたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)だけどそのね、イメージがあった豪ちゃんとね、対談するって。これはすごいよね。うん。

(吉田豪)そうなんですよ。そんなわけで、この流れからTwitter観を聞こうっていう流れで始まって。

(玉袋筋太郎)で、実際はどうだったんですか?

(吉田豪)まあTwitterね、フォロワー15万人で影響力が大きくなって。一時は本当に、ここ最近ですよね。ツイートするとほぼ100%ネットニュースになったりとかで。

(玉袋筋太郎)なってたよなー!

(吉田豪)で、だんだん鬱陶しくなってきて、片っ端からブロックしていくことになった。まあ、その中の1人に僕がいたっていう(笑)。

(玉袋・小林悠)(笑)

(玉袋筋太郎)そうかそうか。

(吉田豪)でも、ちゃんと言ったら、『わかりました。ブロック外しておきます』って言ってくれて。外れました!

(小林悠)おめでとうございます(笑)。

(吉田豪)やった!

(玉袋筋太郎)よかった!うん!どうなんだろう?これ、ブロックしちゃうっていうのは、心が狭い人なの?どうなの、それは?

(吉田豪)(笑)。そんなことないですよ。快適なTwitter生活を送るために。『見ている限り、タイムライン上には自分のことを褒めるようなことしか出てこない。やった!快適!』っていう。エゴサーチ、しなくなったらしいんですよ。『エゴサーチをすると悪口ばっかりだから、もうやめた』っていうね。

(玉袋筋太郎)だと思うよね。うん。やめちゃうだろうな。

(吉田豪)ねえ。あんな楽しいのに・・・っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)まあ、だからそういう、プライベートなもののつもりでやっていて。最初は本当にごく数十人ぐらいを相手に書いていたから。のびのびと。百田さん曰く、『へんずり』。いわゆるせんずりですね。の、発表とかをずっとしていたのが、『なんで俺、15万人相手にせんずり発表してるんだ?』っていう風に、だんだん冷静になって(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)あの、ねえ。いろんな余計なこと、書くわけじゃないですか。政治的な発言を書いたり。まあ、毎回出版社の人は反対してたらしいんですよ。『結局、右寄りの発言をしようが、左寄りの発言をしようが、かならず半分のファンを失う』と。

(玉袋筋太郎)ああー、そうだな。

(吉田豪)で、『「本を売れなくなるようなことをするな」ってみんなに言われているんだけど。そもそも宣伝のためにTwitterを始めたのに、俺、なんでこんな逆宣伝みたいなことをやってるんだ?』っていう葛藤になってきて。でも、『自分でもわかっているんですけど、性分なんですよ』っていうね。

(玉袋筋太郎)ああー!ねえ。

(吉田豪)結局、作家デビューが50才で。せいぜい書けて10年と考えて。10年間、トップを走る人もなかなかいない。自分もせいぜい数年だろう。生き残れないだろうと思っていたから、どうせ消える作家だっていう前提でのびのびと書いてきちゃった。そしたら売れちゃって、余計大騒ぎになったっていう流れだっていう話ですね。

(玉袋筋太郎)ああー、まあ、売れちゃったもんな。

(吉田豪)だから、『「ちょっと本が売れて調子に乗っている」とかよくネットで言われるけど、わかっていない。俺は昔からだ』っていうね(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)そういうことでした。

(玉袋筋太郎)昔からなんだ。

(吉田豪)『俺は昔から調子に乗っているんだ』っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)ねえ。百田さん。そうだよな。でも、その2で『同じことはやりたくない。新しいことに挑戦するのがモットー。おかげでなかなか本が売れなかったけどね』っていうことは、これ、どういうことなんだろう?

新しいことに挑戦し続ける

(吉田豪)ええと、だからのびのびとTwitterでいろいろ書く中で、作家の悪口をいっぱい書くんですよ。で、それが、『なんでみんな同じようなのばっかり書くねん?』と。別に言わんでもいいことを常に言う人だから、こういうことばっかり書いちゃう。だから、ミステリーの悪口とかね。

(小林悠)ええっ?

(吉田豪)『ミステリー、なんちゅう、しょうもない。『人が死にました。犯人誰でしょう?」。なんや、この話?』とか(笑)。

(玉袋筋太郎)根本だよ、そりゃ(笑)。

(吉田豪)『時代劇作家って書くものがなくなったら、かならず最後は三国志を書く』とかいうことばっかり書いては怒られて・・・

(玉袋筋太郎)やっぱり怒られるでしょうね。それは。

(吉田豪)で、まあ最終的なオチでは『百田さんが三国志を書くべきだ』って僕、言ったんですけど(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだよね(笑)。

(吉田豪)回収できるっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)なるほど!ああ、いいよ。それだよ。

(吉田豪)そうそうそう。ミステリーを書いたりとかね(笑)。自分で拾っていくべきだと思うんですけどね。

(玉袋筋太郎)おお、美味しいよね、それ。

(吉田豪)で、『作家仲間とかいるんですか?』って聞いたら、『いるわけないやないですか』と即答っていうね。作家のパーティーとか授賞式とか、一切行かないらしいんですよ。で、作家の知り合いもほとんどいないって言っていて。ただ、あれなんですよね。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の増田俊也先生。あの人とは交流があって、電話とかしてるらしいって聞いたんでそれを言ったら、実は会ったことはないらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)ただ、僕しくじったと思ったのが、『殉愛』騒動の時に『殉愛』の書評を書いて。増田俊也先生のこの木村政彦本の何が素晴らしいって、確信を持って書き始めたんだけど、確信が揺らいでいくんですよ。だんだん。調べれば調べるほど、要は木村政彦が最強だと思いっていたのが、力道山の方が・・・力道山も強かったっていう説がどんどん出てきて。『あれっ?』ってなってきて。ものすごい葛藤がそのまま描写されるんですよ。『この続きを書きたくない』とか(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そうだよね。

(吉田豪)それがすごい良かったんですよ。で、百田さんの『殉愛』は揺らぎがなさすぎるんですよ。自分にとって不都合な真実が出てきた時の葛藤みたいなのがなくて。みたいなことを僕が書いたら、この2人が交流があることが判明して(笑)。しくじった!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)ねえ!そうなんだよね。『殉愛』、たしかにそうかな。うん。

(吉田豪)で、その百田さんの考えとして、放送作家の時から、『同じことはやりたくない』っていうのが根本にあるらしいんですよ。で、そういうのは『これ、前にやったやん』ってことで極端にモチベーションが下がる。失敗してもいいから何か新しいことに挑戦するのがモットーで。だから作家になった時も同じ作品は書かないようにする。50才でデビューだから自己方法をしていたら時間がもったいない。でもこれ、『作家の生き方としてはいちばんダメだ』って言うんですよ。

(玉袋筋太郎)うんうん。

(吉田豪)要するに、読者は何か売れたら同じような作品を求めるし。出版社ももちろん求める。で、売れる。書店も喜ぶ。全員が得をするんですよ。

(玉袋筋太郎)幸せになりますよ。

(吉田豪)『でも、嫌なんですよ、それ』っていう(笑)。そのせいで、最初はぜんぜん売れなかったっていうね。書店の友達に『なんで僕の本、売れへんのかな?』ってぼやいたら、『当たり前。ブレすぎだもん』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)でも、『そうやってファンの望むものを書くのはたしかにプロの仕事だけど、しゃあない。僕の性分やし・・・』ってことで、ファンの期待を裏切り続けてきたと。

(玉袋筋太郎)だけどさ、聞いてると、普通放送作家の人っつーのはさ、会議とかでさ、話、どっか衝突したらそこを調停する人とかさ、そういう人がいるじゃん。タイプとして。この人は、そういうタイプじゃなかったんだろうね。

(吉田豪)ぜんぜん違ったみたいですね。

(玉袋筋太郎)うん。敵、多かっただろうね。

(吉田豪)売れる放送作家ってね、そういうちゃんと空気読める人な気がするんですよ。

(玉袋筋太郎)そう。空気読める人、多いと思うよ。

(吉田豪)ぜんぜん逆だったみたいですよ。

(玉袋筋太郎)かぁー!でも、素人時代があったわけだよね。『ラブアタック!』に出てたっつーんだからね。素人。

『ラブアタック!』の名物素人

(吉田豪)そうです。放送作家の原点が、視聴者参加の恋愛バラエティー番組『ラブアタック!』。朝日放送制作。むさ苦しい男たちがかぐや姫にアタックして1人が選ばれるか?選ばれないか?っていう番組で。その中に、だんだんいかに視聴者を笑わせるか?に命をかける『みじめアタッカー』と呼ばれる人たちが出てきて。百田さんはそのみじめアタッカーで。いわゆる名物素人だった。

(玉袋筋太郎)名物素人なんだね!

(吉田豪)情けないことをやって失敗する役。それは本当に、『実は計算だった』と本人は言ってるんですよ。

(玉袋筋太郎)計算?

(吉田豪)たとえば最初に出た20才の時は、めちゃくちゃ気弱で上がり症なキャラを設定して、スタジオでひっくり返って鼻血を出す。鼻血っていうのも実は偽流血で。でも、周りの人は誰も気づかないで。ほら、テレビで血ってアウトじゃないですか(笑)。でも、そういうのが評判で、また呼ばれて・・・みたいになって。

(小林悠)それ、自分で考えたんですか?

(吉田豪)考えたらしいんですよ。で、その結果ファンレターが何通も来て。で、女子大の学園祭にも呼ばれまくって。百田尚樹モテ時代が訪れるっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)で、奥さんがまた、かぐや姫なんですよ。その。

(小林悠)あ、番組の中の?アタックされる。

(吉田豪)そう。みじめアタッカーがかぐや姫を落としたっていうね。

(玉袋筋太郎)すごいじゃないですか!これ。大金星。

(小林悠)成功したんですか?番組内で。

(吉田豪)番組外なんですよ。番組外で飲み会をやるようになって落としたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。上手い、上手い。

(吉田豪)で、そういうのをやっているうちに、『放送作家としてやらないか?』って呼ばれるにようなるっていうね。

(玉袋筋太郎)そうか。『面白いからお前、ちょっと来いよ』みたいな感じなんだね。

(吉田豪)そうです。そうです。

(玉袋筋太郎)入り口はそういうこともあるかもしれないね。

(吉田豪)そしてその4の、『クビの歴史』っていうことにつながるんですね。

(玉袋筋太郎)そう。『ケンカしなかったら仕事って増えるんだな』って。当たり前なんだけどね。これね。

(吉田豪)そうです。当たり前です。放送作家って仕事も知らないで始めて。なんとなく、週に1、2回、企画会議に呼ばれて。そこで2、3時間しゃべったらお笑いで。だんだん、『これは仕事なのか?』っていうね、葛藤を覚えて。『アホみたいなことを言っただけの気がするのに、これは何なんだろう?』と。しかも、番組の企画会議では20代の若造だった百田さんが40代のプロデューサーやディレクターに『それ、ぜんぜんおもろないわ』とか『そんなんぜんぜんダメ』とか、ダメ出ししまくり・・・

(玉袋筋太郎)(笑)。トンパチですな、こりゃあ!

(吉田豪)で、そのうちに『口は悪いけど、言っていることは面白い』って最初評価されていたのが、だんだん『あんなやつと一緒に仕事したくない』ってどんどん片っ端からクビになるようになり・・・(笑)。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)20代の放送作家の歴史はクビだらけ。クビの歴史。

(玉袋筋太郎)そうだろうな。これ。

(吉田豪)で、気づいたら30になって。結婚して子供もできて。『これは真剣に働かなきゃいけない』と思って。で、『いつかはちゃんとした職業に就かなければ』と思っていたら、なぜか放送作家が正業になってしまって。そのうちに、ケンカも減ってきたと。そして、『ケンカしないと仕事って増えるんだな』と思った。

(玉袋筋太郎)そん時、気づいてるんだったらね、Twitterとか騒動の時とか、ケンカしなけりゃよかったのに。

(小林悠)そうですね!

(吉田豪)(笑)。まだ、気づききってない(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)気づききってないな(笑)。まあまあ、性分なですよね、これね。で、その5の、この『権力なんて興味ない。ずばり、大人になりきれないおっちゃんなんです』の筋。

(吉田豪)そうですね。作家になって売れて。そしてだんだん権力寄りになっていったような印象があって。よく、こういう風に言われると。

(玉袋筋太郎)これがあるから、随分叩かれる部分、あったもんね。

(吉田豪)そうなんですね。『権力が好き』ってよく言われるらしいんですよ。で、『「権力に擦り寄って」って言われるのは本当に腹が立つ』と言っていて。まあ、要するに本人曰く、百田さんと安倍首相が知り合った時も安倍さんは野党だったし。民主党が全盛期の時で、百田さんは当時、Twitterで民主党の悪口ばっかり言ってたら、雑誌『WiLL』の編集者から『ページ数あたえるんで、好きなこと書いてください』って言われて。そこで、『私がいちばん期待しているのは安倍さんだ』とエールを送ったら、それがきっかけで2人が対談し、交流が始まり。『百田さんの言葉にすごい励まされた』と安倍さんが言ってきて・・・みたいな感じで。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)そういう、だから当時としては勝ち目のなかった総裁選の前で。だから、そっちを味方していたような側だったのに、立場が変わっちゃったわけですよね。

(玉袋筋太郎)なるほどね。

(吉田豪)要するに。自民党政権になり・・・

(玉袋筋太郎)そうだよ。この頃ってあれじゃねえの?たかじんさんもさ、安倍総理と親交があったんだよね。この頃。一緒に旅行に行ったりして。

(小林悠)ええーっ!?

(吉田豪)そうです。そうです。風呂に入ってね。

(玉袋筋太郎)風呂、入ってんの。で、たかじんさんにもやっぱり励まされたっていう話もあったみたいだよね。

(吉田豪)で、その時、僕も思ったんですよ。結局だからね、当時の民主党とか当時の権力ですよね。権力に対して噛み付いていた時は光る人なんだろうけど、安倍さんが首相になっちゃって、そのバランスが崩れちゃったんだろうなと思ったんですよ。

(玉袋筋太郎)本当、そうだな。

(吉田豪)プラス、NHKの経営委員になったりとか。そういう、権力寄りの仕事が増えちゃったことによるっていうね。

(玉袋筋太郎)そう。だからやっぱりちょっとね、レフティーな人にね、そう言われちゃうわけですよ。

(吉田豪)(笑)。でも、怒ってましたよ。『月に2回、東京に出てきてNHKから2千万もらっている』って記事が出て、『なんで2千万ももらえんねん!?』って。NHKがそんなに出すわけねえだろ?っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)本当にヒールになっちゃったんだよね。うん。それでまた、口が立つしね。

(吉田豪)で、その時に僕、聞いたんですよ。『アンチが増えだしたきっかけって・・・そんなに昔、アンチが多かった印象なかったんですよ』って言ったら、『そうなんですよ。やっぱり「殉愛」の騒動が大きかったかな』ということで。

(玉袋筋太郎)ああ、『殉愛』ね。

『殉愛』騒動

(吉田豪)たしかに『殉愛』以前はそこまで叩かれていなかったと思うんですよね。で、という流れで実は『殉愛』の話ってほぼデリケートで。裁判案件になっているから、テレビに出た時も、『「殉愛」の話以外だったらなんでも話します』っていう人なんですよ。だから、こういうような流れだったら聞けるなと思って、僕、そうやって踏み込んだんですよ。

(玉袋筋太郎)上手い!(笑)。

(小林悠)自然と。たかじんさんの話ですよね。

(吉田豪)そうです。そうです。いろいろね、訴訟トラブルになっているんで。だからね、『あれ、ちょっと面倒くさいことに関わったなみたいな思い、あります?』って聞いたら、『いや、それはもうしゃあないですからね』みたいな感じで。あんまり後悔しないタイプだからっていう。だからサバサバした感じで、いい感じだったんですよ。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)ところがですよ、その後で、別のパートで『殉愛』の話をしていたんで。それは結構込み入った話だったんで。それは削らなきゃいけないなと思っていたら、あとで、『ちょっと百田さんが気にしていたんで「殉愛」の話は削ってくれ』って言われて。『あ、ぜんぜん。もう最初から載せるつもりもないんで、問題ない』っていう感じで削ったと。このやり取りだけ残していたんですよ。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)そしたら、『「殉愛」では嘘は書いていない。これはいずれ裁判で全部明らかになります』って余計なことを付け加えてきたんですよ(笑)。

(玉袋・小林)(爆笑)

(吉田豪)『百田さんが「言わんでいいことを言う」って、これだ!』と思って(笑)。

(玉袋筋太郎)これなの!そういう性分なんだよ。

(小林悠)こっちが削っているのに(笑)。

(吉田豪)そこだよ!わかってるでしょ!?っていう(笑)。書かなきゃいいのに、それ!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)まんまと、それはでも、うん。はまったというかね。

(吉田豪)で、ちなみに『殉愛』の話が始まった時に、僕、現場にいた編集の人に言われたんですけど。『吉田さんは本当に怖いですよ』って言われて。要するに、そういう話が始まった時に僕、一切うなずきもしないし。『ええ』とかのリアクションもしないんですよ。ひたすら『無』でこう・・・してて(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『さあ、どうしようかな?』みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。いやー、『殉愛』も読んだな。俺も。読んだよ。

(吉田豪)『殉愛』も面白いし、『「殉愛」の真実』も面白いし。

(玉袋筋太郎)『殉愛』ビジネスだよ。あれ。

(吉田豪)『2冊並べて読むと、最高』って僕、公言してるんですよ。

(小林悠)どっちから先に読んだらいいですか?

(吉田豪)『殉愛』からですね。やっぱり。

(玉袋筋太郎)『殉愛』を見て、『おおっ、すごい!こんなできた女性がいるのか!』みたいなところから入ってって。そいでもう1冊読むと、『あれっ!?』みたいな。これも面白い。

(吉田豪)『ど、どこまでが本当なのか!?』と思いながら。プロレスファン的にはこういうの、面白いんですよ。裏読みの(笑)。

(玉袋筋太郎)こっちを出せば、こっちが・・・みたいなね。あるから。そういったものが。さあ、そして、これ、作家としてね、感じているところ。テレビ人としてももちろんね、感じるところがあると思うんですけど。『活字を読む人は絶滅危惧種。本の世界はマニアの世界だ』っていうこの筋なんだよね。

(吉田豪)まあね、その通りであるんですけど、これをはっきり言うと、どれだけ角が立つのか?っていうことですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)そうなんだよね!よく言うじゃん。『テレビの視聴率で・・・』っていうことを百田さん、言っちゃってるわけだもんね。

放送作家としての感覚

(吉田豪)そうですね。百田さん、作家になってテレビとの差を歴然と感じたわけですよ。『たとえば、いま夜の9時台の番組で視聴率5%とかを取ったら即打ち切り。ゴールデンで3%って聞いたら悲惨な数字だけど。それでも、実質360万人ぐらいが見ている計算になる。これを本で言ったらすごい数字。村上春樹さんでも360万部は売れない。そういう世界なのに、要は本なんて果たして現代でどれほど影響のある文化なのか?鉄道オタク以下の世界かもしれない』と。

(玉袋筋太郎)怖いなー。

(吉田豪)『文楽のファンとかと変わらないんじゃないか?能とか狂言とか、そういう世界だよ、これ。いま、ゲームとかDVDとか映画とかインターネットとかスマホとか、人々の余暇の食い合いで。1日働いてご飯食べて風呂に入って、睡眠時間もいる。余暇の時間、せいぜい1、2時間のそれをいろんなメディアが食い合っている中で、活字を読む人間なんて絶滅危惧種に近いはず。そんな中で、いわゆる作家村とか文芸評論家とかがえらいふんぞり返っているように見えるから、腹が立ってしょうがなくて。どうしてお前たち、そんな偉そうにしてるんだ?』と。で、噛み付いていくわけですよ。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)で、基本、作家は嫌いっていう。なぜなら、みんな読者の方を向いていないからっていうことで。『小説を書く時、本当に思うのが、本当、ありがたい仕事で。一生懸命働いている人に余暇のサービスをするのがアーティストやスポーツ選手で。作家もそうだと考える。小説なんてなくてもいいものなのに。むしろ、平和だからこそできる仕事で』っていう。

(玉袋筋太郎)でも、そこまでやっぱ言うんだな。

(吉田豪)だからこそ、『売れなくなったら、読者のニーズがなくなったら即引退だ』って言ってるんですけど。でも、あれ!?って思うんですよ。さっき、ファンの期待を裏切り続けてきた話をしていて。読者の方を向いていない作家が多いって、あなたも!?っていう(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)たしかにな!

(吉田豪)向きましょうよ!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)『文壇バーなんて、行かねえ』って言うんでしょ?

(吉田豪)言ってました。言ってました。まあ、ケンカになるでしょうからね。

(玉袋筋太郎)ケンカ、仕掛けられるよ。仕掛けられるんだから!文壇バーなんつーのは。

(小林悠)しかもそれ、ちゃんと買っていくでしょうしね。

(吉田豪)ねえ。玉さんもケンカしてましたもんね。

(玉袋筋太郎)いやいや、それはね、しましたし。

(吉田豪)水道橋博士もしてましたよ。文壇バーでケンカ(笑)。

(玉袋筋太郎)ああー、もう怖い怖い。

(吉田豪)坪内祐三さんとしてましたよ(笑)。

(玉袋筋太郎)俺は坪内さんとはね、結構仲良く飲みますよ。ええ。

(吉田豪)おお!

(玉袋筋太郎)『楽しい人だな』って。

(吉田豪)酒飲み同士ね。

(玉袋筋太郎)でも、あの人にはつかまったんだよな。あれ、何だ?名前、ど忘れしちゃった。ええと・・・まあ、いいや。いいや。

(小林悠)でも、百田さんって『永遠の0』ですごく、映画化もされましたからね。ファンが増えて。でも、その後に蜂の話ですか?の、後にスポーツ物って、本当、何のジャンルの作家さんなんだろう?って。いまだにちょっと掴めない部分があるんですよね。

(吉田豪)そうなんですよね。

(玉袋筋太郎)でも、それだけ才能があるってことじゃないのかね?

(小林悠)あと、リサーチも大変だと思うんですよ。全く違う分野でやるわけですから。

(吉田豪)そこがやっぱり放送作家なんだと思うんですよね。どんなジャンルでもできちゃうし、対応できちゃうっていう。で、そんなにビジネスにならないような題材。蜜蜂とかでもできちゃうっていうのが放送作家センスだと思うんですけど。ちなみに、『永遠の0』のちょっといい話で言うと、これ、百田さんにも報告したんですけど。『あの蛭子能収さんが「永遠の0」の映画を見て泣いたの、知ってますか?』って聞いて。

(小林悠)本当ですか!?(笑)。

(玉袋筋太郎)これはすごいよ!

映画『永遠の0』で泣いた蛭子能収

(吉田豪)本当、驚いたんですよ。『そうですか!』って言って。あの心ない蛭子さんが泣いたんですけど。ただし、その監督に会った時に、『でも、泣いたからっていい映画とは限りませんよ』って余計なことを言ったんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)出た!蛭子!(笑)。出ました、黒蛭子!

(吉田豪)さすが蛭子!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)黒蛭子、出たなー!

(小林悠)いいじゃない、泣いてるんですから(笑)。

(玉袋筋太郎)いやいや、それなんだよ。黒蛭子。

(吉田豪)そう。いい話ですよね?わざわざ監督に言っちゃったんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)実にもう、一言で蛭子さんを表すエピソードだよ。

(吉田豪)百田さんも言ってましたよ。『現代人はそういう自意識があるんですよ。泣いたらいいんですよ。「涙と感動は別だ」とか余計なことはいいんですよ!』って。怒ってました(笑)。蛭子さんは現代人とは違いますよ。また(笑)。特殊ですよ、これ。

(玉袋筋太郎)違う人ですよ。

(小林悠)一般化できないですよね(笑)。面白いなー。

(玉袋筋太郎)まあでも、『永遠の0』とかも井筒監督がボロクソだったじゃない?あれを見て、もうハラハラハラハラしちゃってね。うん。で、『海賊とよばれた男』っつーのもすすめられて。『よし、俺も読むぞ!』なんて読んじゃって。『すごいな、すごいな』と思ったんだけど。なんか読んでるとこう、その会長をマンセーマンセーしすぎてて。なんか、くたびれちゃって。上巻でやめちゃったっていう。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)止まっちゃったんだよな。あれ。

(小林悠)まあでも、対象に対してすごく気持ちをかけやすいというかね。そういう感じは伝わってきますよね。全てをかけるんだろうなっていうことが。

(吉田豪)ちなみにこの僕のインタビューで緊張感のある戦いとして僕が仕掛けた部分として、『ちょっとこの話、話題を変えよう』と思った時に僕がやった技っていうのが、『個人的に聞きたいことを聞いてもいいですか?』って言って。『初体験はいつですか?』って(笑)。

(玉袋・小林悠)(爆笑)

(吉田豪)すごい強引な話の変え方して(笑)。

(玉袋筋太郎)浮いたボールだけど、いいね、それ!

(小林悠)そうですか!?(笑)。

(吉田豪)ビーンボールを投げてみて(笑)。

(玉袋筋太郎)そしたら、なんつったの?

(吉田豪)『いや、それはちょっとさすがに・・・』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)なに、そこ?そこ、弱えんだ!?

(吉田豪)すごい弱かった(笑)。

(玉袋筋太郎)そこ、弱え!?

(吉田豪)『早い方か、遅い方かだけでも』っつったら、『普通やと思いますよ』って(笑)。

(小林悠)急にかわいくなっちゃった。あれ?

(吉田豪)ただ、やっぱり自分のルールとして、『他人の話は書かない』っていうのがあるんですよ。で、初体験とかだと、相手のいる話だから書けない。要は、『へんずりの話だったらいくらでもできるけど、初体験はできない。へんずりの初めてがいつだったかだったら僕は言えますよ』って言ってましたけど(笑)。

(小林悠)別に聞きたくないですよ(笑)。

(吉田豪)そうなんですよ。そこにニーズはないんですよ(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)これ、面白い!

(吉田豪)そういう戦いをしました(笑)。

(玉袋筋太郎)ナイスファイト!これは・・・今後、またなんか一緒に仕事しそうな感じはあるの?

(吉田豪)どうなんだろうな?またブロックされる可能性もありますけど(笑)。

(玉袋筋太郎)これ、聞かれて(笑)。

(吉田豪)『こんなラジオで話しやがって!』みたいな。わからないですけどね(笑)。

(玉袋筋太郎)あぶねえ、あぶねえ(笑)。

(小林悠)今日、お話することはご存知なんですよね?ご本人は。いま、百田さんのお話をしていることは、ご本人は・・・?

(吉田豪)わからないです。エゴサーチしない人だから、わからないかも(笑)。

(玉袋筋太郎)ああー、だったら何言ったっていいや!

(吉田豪)(笑)

(小林悠)非常に興味深いです。さあ、この百田尚樹さんのインタビュー記事が掲載されました『週刊ポスト』。ただいま絶賛発売中ですね。『百田尚樹 だから私は嫌われる』というタイトルですね。吉田豪の深掘りインタビューとなっております。

(玉袋筋太郎)60才なんだね。

(吉田豪)そうなんですね。

(小林悠)すごくお若く見えます。

(吉田豪)まだ元気ですよ。ギラギラしてますよ。

(玉袋筋太郎)さあさあ、豪ちゃん。今年一発目。百田さんで盛り上がったけど。ねえ。まあ豪ちゃんは豪ちゃんの周りで、いろんな事件も去年起きたしね。

(吉田豪)なんですか、それ?えっ!?

(小林悠)(笑)

(玉袋筋太郎)そういったことも、いつか話せるんじゃないかな?

(吉田豪)次回ぐらい、話せますかね?時期的に。

(玉袋筋太郎)次回。いけるかな?この話はね・・・時期的にたぶんね、いけるんじゃないかと思うんだけど。

(吉田豪)いける気もしますね。

(玉袋筋太郎)ちょっと、予告編としてね。すごいことがあったんだよ!豪ちゃん!

(小林悠)なんかものすごいことがあったとしか私は聞いていないですけど。

(吉田豪)吉田豪、がんばった!

(玉袋筋太郎)いや、本当!日本全国から『豪ちゃん!よくがんばった!偉い!』っていうね。こういうお話もしたいなと思ってますからね。

(吉田豪)いろんな人に聞き込みされてますよ。僕

(玉袋筋太郎)『どうした?何があったか?』って。

(吉田豪)そういう話もね、次回、話せれば。

(玉袋筋太郎)お約束して、いきましょう。

(小林悠)そこを期待しながら、また来月お願いします。

<書き起こしおわり>

吉田豪 知られざる芸人名曲特集

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吉田豪さんがbayfm『with you』に出演。芸人さんたちが発表している曲の中から、知られざる名曲を4曲、紹介していました。

(松本ともこ)吉田豪さんの音楽特集、お願いします。今日は、何でしょうか?

(吉田豪)知られざる芸人名曲特集。

(松本ともこ)芸人さんも曲を出し、ヒットしている時代ですよね。『あったかいんだからー』とかね。

(吉田豪)名前が出た藤井隆さんを筆頭にね。

(松本ともこ)藤井隆さんももちろんそうですね。

(吉田豪)いい曲やっている人たちはいっぱいいるんですけど。まあいま、バックで流れているのが、西寺郷太さんが作詞作曲したスピードワゴンの曲なんですけどね。



(松本ともこ)スピードワゴンなんですか!

(吉田豪)これがまた、スピードワゴンの2004年リリースのDVDボックスの初回特典に入っているだけのCDっていう。初回特典に入っているCDが、2曲とも西寺郷太作なんですよ。

(松本ともこ)西寺郷太さんって幅広いですね。すごいですね。

(吉田豪)幅広いですね。だから、すごい知られざる・・・っていうか、僕も本当、なにも考えないで、普通に中古DVD屋のワゴンセールで買ったらCDがついていて、すごい良かったっていうだけの(笑)。


(松本ともこ)立派なボックスですね。

(吉田豪)2004年リリースのやつですね。『あたし認めない』っていう、ファンキーな、すごい西寺さんっぽいいい曲なんですけど。

(松本ともこ)貴重な1曲がBGMになった。

(吉田豪)こういうレベルのものが、ゴロゴロしてます。実は。

(松本ともこ)知らなかった。

(吉田豪)芸人さんの世界は。そして、まあ有名な芸人さんの曲もいっぱいありますけど。あんまり世間で語られてないようなやつばっかりやってみようかと。

(松本ともこ)お願いします。

(吉田豪)じゃあ、行ってみますかね。

(松本ともこ)いま、だってこれでびっくりしてますから。レベルの高さに。

(吉田豪)まあ、これきっかけなんですよ。この次の、1曲目に選んだのがザ・セセラギーズ(THE SESELAGEES)っていう。まあ、あんまり知名度はないでしょうけど。

(松本ともこ)横文字。アルファベット。THE SESELAGEES。

(吉田豪)ボーカルがフジタカルビ。ギターがニクグソタロウ。ベースがヘドビシャスとか。そういう名前の謎のOi!パンクバンドなんですけど。

(松本ともこ)Oi!パンクバンドってなんですか?

(吉田豪)ええとですね、80年代で言うとザ・コブラ(COBRA)というバンドがありまして。なんだろう?シンプルで力強く、男臭いパンクロックで『オイ!オイ!』言うようなやつなんですけども。そういうものを忠実に受け継いだバンドで。正体を明かすと、ボーカルがトータルテンボスの藤田さんで、ギターが野性爆弾の川島さん。と、2丁拳銃の小堀さん。2丁拳銃はね、甲本ヒロトさんとか真島昌利さんの楽曲提供でCDも多数リリースしてるんですけど。

(松本ともこ)はい。

(吉田豪)そんな吉本芸人さんたち中心にしたグループで。ひっそりと、今年の3月に音源を配信でリリースしてて。

(松本ともこ)へー!

(吉田豪)で、その後、盤にもなって。盤は通販で入手可能で。僕、普通にセセラギーズ通販でTシャツとかCDとか買ってるんですけど。

(松本ともこ)(笑)

(吉田豪)いや、デザインもすごいちゃんと。Oi!の基本に則っていて。で、楽曲も非常にOi!の基本に。ちゃんと英語詞の本格的な。

(松本ともこ)えっ、すごいですね。

(吉田豪)そのコブラっていうバンドが、インディー時代はすごいカッコ良かったんですけど、メジャーデビュー後、日本語になってすごいポップになって。正直、僕の中では『あれっ?』ってなっちゃったんですけど。あの、きちんとしています。これは。

(松本ともこ)あの、フジタカルビことトータルテンボス藤田さんは、やっぱ好きなんですね。

(吉田豪)そういうのが基本、好きな人たちなんですね。だからちゃんと、80年代のOi!パンクを完全再現。見事!じゃあ、聞いてみましょう。ザ・セセラギーズで『Oi THE NAIL』。

THE SESELAGEES『Oi THE NAIL』

※リンク先で視聴できます

(松本ともこ)これ、ちゃんと説明してもらわないで聞いたら、『あっ、誰だろう?』っていうね。

(吉田豪)全然芸人バンドの音じゃないですね(笑)。

(松本ともこ)すごいですね。これが、ザ・セセラギーズ。

(吉田豪)そうですね。まあでも、知名度がないのは当然っていうか。吉本の音楽担当の人とこの前、仕事した時に、『僕、そういえば通販でセセラギーズ買いましたよ』っつったら、『はっ?』って顔をされて。

(松本ともこ)(笑)

(吉田豪)『そんなグループが、弊社におりましたっけ?』ぐらいの感じで(笑)。

(松本ともこ)ひどい(笑)。

(吉田豪)本当に知られてないみたいですね。会社内でも(笑)。

(松本ともこ)社内での認知(笑)。でも、自分たちは本当に好きでやっている。

(吉田豪)まあ、会社でやっているわけじゃなくて、勝手にやっている感じですよね。

(松本ともこ)それがいいんでしょうね。本当、好きなことを制限なく、楽しくやっているっていうね。

(吉田豪)で、実は、この芸人がやるOi!パンクナンバーっていうのは、これが初じゃないんですよ。実は、キャイ~ンがやってるんですよ。

(松本ともこ)えっ、キャイ~ンが?

(吉田豪)キャイ~ンは、元電気グルーヴのCMJKさんのプロデュースで。丸々1枚プロデュースで96年にアルバムを出してるんですよ。『SHI~NE☆』っていう。これが、全体的に当然、そんな感じだからよくできているんですが。

(松本ともこ)『SHI~NE☆』?なんか、ちょっとあったな。

(吉田豪)そう。ヒップホップ、ハウス、テクノ、ジャングルなど、いろんな曲が入っているんですけど。ハードコアというか、これOi!ですね。完全に。『直球勝負!』という曲があるんで、聞いてもらいましょう。

(松本ともこ)はい。

(吉田豪)キャイ~ンで『直球勝負!』。

キャイ~ン『直球勝負!』

※リンク先で視聴できます

(松本ともこ)キャイ~ンの『直球勝負!』。

(吉田豪)かっけーですよね?

(松本ともこ)かっけー。私ね、この頃に、ウドちゃんとか番組とかでご一緒したことがあるから。たぶんこの『SHI~NE☆』はね・・・

(吉田豪)持ってますか?このお洒落なジャケ。ジャズ・ファンクっぽいやつ。

(松本ともこ)そう。で、もしこれ、手放して・・・これ、お洒落じゃないですか。手放してたとしたら、私は本当にダメなやつですね。本当(笑)。

(吉田豪)(笑)。はい、素晴らしい曲でした。

(松本ともこ)『直球勝負!』でした。

(吉田豪)はい。このままパンク路線行きましょうということで。

(松本ともこ)パンク路線がそんなにあったと。

(吉田豪)電撃ネットワークが、これまたCDを山ほど出してるんですが。1曲、なぜこの曲を?っていうのがあるんですよ。僕の大好きなザ・レジロス(THE REZILLOS)っていう超絶ポップな伝説のパンクバンドがいるんですよ。レジロスっていう。77年リリースのオリジナルアルバム1枚で分裂しちゃって。まあいろんなカヴァーとかもやっている、どポップな。この時代にこんな、どポップなことをやるUKパンクがいるのか?っていう感じだったんですけど。で、残ったメンバーがザ・レビロス(THE REVILLOS)を名乗って80年代にファーストアルバムを出しておりまして。

(松本ともこ)ふんふんふん。

(吉田豪)音楽的にはオールディーズ感が増して、突き抜けたポップさが減っちゃったんですけど。1曲だけ、この『Yeah Yeah』っていう曲がクラブヒットになって。ロンドンナイトとかですごい流れていたんですよ。



(松本ともこ)ふーん。

(吉田豪)で、ギュウゾウさん、よくロンドンナイトに行ってた人なんで。電撃ネットワークの。たぶんそれきっかけでカヴァーしたんだろうという。

(松本ともこ)ギュウゾウさんがキャッチしたんじゃないか?と。

(吉田豪)つまり、電撃ネットワークがレビロスのアルバムの1曲をカヴァーしてるっていう謎の(笑)。そんなことが普通あるか?っていう。で、電撃バージョンとロリータ18号さんのバージョンがあるんで。ちょっとロリータバージョンを聞いてみましょう。電撃ネットワークで『Yeah Yeah』。

電撃ネットワーク『Yeah Yeah (with ロリータ18号)』

※リンク先で試聴できます

(松本ともこ)『今年、夏どこにも行けなかった』っていうメッセージがさっきあったんですけど。今日ちょっとフェスっぽくていいんじゃないですか?

(吉田豪)かなりね。さっきからOi!Oi!いうような曲ばかりが流れますけども。

(松本ともこ)わかりやすかったー!(笑)。

(吉田豪)こちらが2002年リリースのミニアルバム『SASORI』収録の曲でしたね。

(松本ともこ)いいですねー。

(吉田豪)ねえ。最近は本当ね、アイドル関係の厄介ヲタとして有名になっているギュウゾウさんですけど。ちゃんとしてるんですよ、本当は!

吉田豪が語る ギュウゾウ・BiSヒラノノゾミ対談記事ネット炎上騒動
吉田豪さんが雑誌BUBKAのUstream番組『豪STREAM』の中で、誌面に掲載された電撃ネットワークギュウゾウさんとBiSのヒラノノゾミさんの対談記事がネットで炎上気味になって...

(松本ともこ)だってTwitterとか見てても、そういうギュウゾウさんしかいなくて。なんか・・・

(吉田豪)ただの厄介ヲタと思われますけど、本当は怖い人だし、本当はこういうちゃんとした音楽もやっている人です!っていうね。

(松本ともこ)ちょっとイメージが最近、違ってきたところで。ねえ。電撃ネットワーク『Yeah Yeah』。

(吉田豪)はい、そして最後はカンニングの。まだ二人組だった頃のカンニングが2004年にリリースしたシングルがあるんですけどね。カンニングの『ヘイ・ユウ・ブルース』っていう。これ、企画物みたいな感じでCDリリースを持ちかけられた竹山さんが、だったら好きなことをやってやろう!ってことで、自分の趣味を全開にさせた1枚なんですよ。

(松本ともこ)やっぱり人気がある時って、そういうの売れるから出しましょうって企画があるんですね。で、じゃあ俺、やりたいことをやるんだ!ッて言うこと?

(吉田豪)そうです。そうです。で、これは『ヘイ・ユウ・ブルース』のカヴァーっていう。『ヘイ・ユウ・ブルース』っていうのありまして。なにか?っていうと、左とん平さんの名曲なんですよ。ミッキー・カーチスのプロデュースで、深町純さんが編曲した『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』っていうのが、まあ当時はそんなに売れてはないんですけど、後にスチャダラパーが再評価して大槻ケンヂさんがカヴァーしたりで。

(松本ともこ)ふーん。

(吉田豪)アナログで再発されたりとかで。僕もアナログ再発の時に買って、『うわっ、なにこれ?やべえ!』みたいになって。



(松本ともこ)アナログ再発で手に入れた(笑)。

(吉田豪)で、カンニングさんが奥さんも含めてオーケンさんのファンとかなんで。たぶん竹山さんもこの頃に知ったと思うんですよ。で、その曲をバンバンバザールの編曲でカヴァーするっていう無茶をした結果、『5000枚プレスで600枚しか売れなかった』ってよくネタにしてるんですね。本人が。


(松本ともこ)(笑)

(吉田豪)いや、でもやっぱり好きなことをやり切ってますよ。うん。

(松本ともこ)はー!これが、2004年。10年ぐらい前の話?

(吉田豪)そうです。

(松本ともこ)よく手に入れてますね。

(吉田豪)当時買ってましたね。

(松本ともこ)へー。今日かけるのは、CDを?

(吉田豪)CDです。はい。じゃあ、行ってみましょう。『カンニングのヘイ・ユウ・ブルース』。

カンニング『カンニングのヘイ・ユウ・ブルース』



(松本ともこ)いま、スタッフと聞きながら、笑いながら(笑)。どうでしょうかね?初めて聞きましたよ。

(吉田豪)やっぱりあれですね。竹山さんはこの頃、いまよりさらにギラギラしてますよね(笑)。

(松本ともこ)でもこの頃のイメージ、すごい残っているから。なんかひさびさに気持ちよかったなー(笑)。

(吉田豪)全面攻撃(笑)。全方位に噛み付く(笑)。

(松本ともこ)『カンニングのヘイ・ユウ・ブルース』。いや、でも芸人さんの音楽への愛って、またアーティストとは違って、すごく精神的に深いところにあったりして。面白いですよね。そこを掘ってみるとね。

(吉田豪)音楽が好きな人たちが自分の趣味を出すと面白いことになりますっていう。

(松本ともこ)本当のやってらっしゃることは芸だから。それとはまた違うんだけど、好きなことを本気でやると。またクオリティーが高かったですね。

(吉田豪)という感じで。

(松本ともこ)いやー、今日はこういうわけで、普段はなかなか聞けない知られざる芸人の名曲特集を。

(吉田豪)もう1回ぐらいできますけどね。この企画ね。

(松本ともこ)あ、まだいるよってことですね。ぜひお願いしたい。

<書き起こしおわり>

吉田豪 CKB横山剣ホテル監禁事件を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『第3回TBSラジオぼんやり審議会』に電話出演。スペシャルウィークの面白かった番組や出来事を振り返る中で、『たまむすび』で横山剣さんが話したホテル監禁事件の詳しい話を紹介していました。


(吉田豪)あと、金曜たまむすびの横山剣さんゲストの回が、僕結構スリリングで聞けたんですよ。

(小林悠)あ、スリリング?どういったところが?

(吉田豪)スリリングですね。僕、横山剣さん本人にも確認した、横山剣さんがすごい危機的な状況だった時に岩城滉一が救ってくれたっていうエピソードがあるんですけど。

(小林悠)あの、まあホテルにカンヅメになったっていう。

(吉田豪)そうですね。

(小林悠)理由はね、教えてくれなかったんですよ。

(吉田豪)そうですね。放送上、理由はなかなか、あまり言えないので・・・っていう感じで言ってましたけど、僕、かなりあそこ、深く掘ったんですよ。

(小林悠)本当ですか!?(笑)。

細木数子さんの番組での証言

(吉田豪)あれ、原点言いますと、もともと細木数子さんがゴールデンタイムでやっていた番組のゲストで岩城滉一さんが出ていた時に、なぜか岩城滉一さんに関する証言として横山剣さんが出てきて。『僕の命の危機を救ってくれたのが岩城滉一さんで・・・』っていう。ゴールデンタイムで何の話をしてんだ?っていうような話を始めたんですよ。

(小林悠)おおっ!

(吉田豪)それが『僕がピストルを突きつけられて困っていた時に、岩城さんが助けてくれて・・・』って(笑)。

(一同)(笑)

(小林悠)大変な状況じゃないですか!

(吉田豪)ピストル!?っていう(笑)。そのシチュエーション自体もわかんないけど、それを救える岩城滉一ってすごい!っていうね(笑)。

(小林悠)本当、『映画の1シーンのような』っていう表現がありましたけども。あ、いかに危機的な状況だったのか、いまやっとつながりました。

(吉田豪)そう。本当にヤバかったっていう話なんですよ。もう、ラリってるぐらいの感じでヤバい人に、ビルの結構上の階で監禁されていた時に助けに来てくれたっていう話でしたね。

(小林悠)あ、もうぜひ、いま金曜たまむすびのポッドキャストでも配信されていますので。いまのお話をもとに・・・

(吉田豪)はい。そこが立体的になるようになっていますのでね。はいはい。

<書き起こしおわり>

たまむすび 横山剣が語る ホテル監禁事件

横山剣 少年時代のファッションのこだわりを語る
クレイジーケンバンドの横山剣さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。小さい頃からファッションにこだわりがあった剣さんが、VAN MINIを社割価格で手に入れるためにとった行動につい...

(小林悠)ですねえ。そんな、その3(の筋)に行きますか。そのままの流れで。思いもよらないトラブルで大ピンチに陥ったと?

(横山剣)言える範囲で。

(玉袋筋太郎)言える範囲で教えてください。

(横山剣)あの、まあちょっと怖い人に、訳あってですね、新宿の某ホテルのですね、22階ですね。行くことになりまして。

(小林悠)何才の時ですか?

(横山剣)ええと、22才ですね。

(小林悠)22才。なぜか、新宿の某ホテルで。

(横山剣)某ホテルの22階。

(玉袋筋太郎)22才で22階。

(横山剣)22才で22階(笑)。ゾロ目!

(玉袋筋太郎)ゾロ目!ニャロメ!じゃねーんだ(笑)。

(横山剣)まあ、そこに行くことになりまして。訳あってですね。言えないんですけど。理由は。ほいでまあ、数時間そこにいたんですけど。しばらくするとですね、ドンドン!って鳴ってですね。ノックが。それで、ホテルの人に鍵を借りたのか、ガチャン!って開いて。『大丈夫か!?』って。まるでもう、映画スターのように入ってきて。岩城滉一さんなんですけどね。

(玉袋筋太郎)岩城滉一さんが?

(横山剣)『大丈夫か!?』って入ってきて。

(小林悠)岩城さん、おいくつですか?

(横山剣)そうですね。僕より10個上ですから、32、3ぐらい。

(玉袋筋太郎)いや、それもう映画ですよね。

(横山剣)まるで映画で。『大丈夫か!?もう、帰っていいぞ』ッツって。

(玉袋・小林)かっこいいなー!

(横山剣)いやー、本当あの時の岩城さんの、あの、ガチンコ鳴らしてスタート!みたいな感じの。『大丈夫か!?』って。

(小林悠)映画の1シーンですよね。

(横山剣)ええ。本当、かっこよかった。

(玉袋筋太郎)へー!その後、リアクションはあったんですか?『あの後、大丈夫だったか?』とか。

(横山剣)ありました。ありました。『悪かったね』みたいな。岩城さんのせいじゃないんですけどね。はい。

(小林悠)何があったか、非常に気になりますけどね(笑)。

(横山剣)これが・・・このいちばん肝心なところが、言ったらもう何もかもアレしちゃうんでね。

(玉袋・小林)(笑)

(横山剣)もう、若気の至りというか。

(小林悠)ええ。人生いろいろですかね(笑)。

(玉袋筋太郎)人生いろいろだよ!かっこいいな、岩城さん!

(横山剣)かっこいいですね。ええ。


吉田豪 武論尊を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』で『北斗の拳』などの原作で知られる武論尊さんを紹介。本宮ひろ志先生との不思議な関係や『ドーベルマン刑事』、『北斗の拳』の制作秘話などを話していました。



(小林悠)今日は、どなたのその筋ですか?

(吉田豪)はいはい。ええとですね、漫画原作者 武論尊さんですね。『北斗の拳』でお馴染みの。まあね、『マッドマックス』がヒットしてるということで、武論尊さんもちょっといいネタになるんじゃないか?ということで持ってきましたよ。

(玉袋筋太郎)そうだ。だって『デス・ロード』のパンフレットにちゃんと載ってたからね。インタビューが。武論尊先生の。

(小林悠)そうですか!

(吉田豪)まあね、『マッドマックス』見てね、いろんな人がね、『北斗の拳みたいだ』って言うんですけど、逆なんですよ。『北斗の拳』がパクッてるんですよ(笑)。

(小林悠)『パクッてる』って(笑)。

(玉袋筋太郎)いや、そういうことなのよ。そうなんだけど。

(吉田豪)時系列的には、そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)今回の『デス・ロード』の武論尊先生は、『でも、向こうもパクッてんじゃねーか?』っつってね、開き直っているってところが面白かったよ。

(吉田豪)『逆に俺たちの設定を取り込みやがったな!』って(笑)。

(玉袋筋太郎)『取り込みやがった』って言ってんだよ。なんなんだ?どっちなんだ!?みたいなね。うん。

(小林悠)お互いアイデアがこうね、影響しあっているということなんでしょうね。そんな武論尊先生のあらすじとその筋のご紹介です。

(玉袋筋太郎)うん。

武論尊先生のあらすじとその筋

(小林悠)武論尊さんは1947年、長野県のお生まれ。現在68才です。中学校卒業後、航空自衛隊に入隊し、7年間在職。その後、除隊すると元同僚の漫画家、本宮ひろ志さんのすすめで漫画原作者の道に進みます。そして、72年に週刊少年ジャンプ掲載の『五郎君登場』でデビューを果たすと、75年には『ドーベルマン刑事』、83年には『北斗の拳』。90年には『サンクチュアリ』など、いまもなお多くのファンがいる数々の名作漫画を生み出していらっしゃいます。

(玉袋筋太郎)うん!

(小林悠)そして、吉田豪さんの取材によりますと、武論尊のその筋は、その1 そんなひろ志に誘われて 本宮プロ時代の使えない資料係の筋。その2 安月給は競馬で解消 みんなの金は俺の金の筋。その3 4年がかりでヒットしたドーベルマン刑事。いただいたお金はお世話になった人への熱海の宴会で大盤振る舞いの筋。その4 ちょいワルオヤジなんかじゃないんだ。実は女性が怖いんだよの筋。その5 潰れかけのピンチを救ってくれた本宮ひろ志さんからの1本の電話の筋。その6 近い関係だからこそ 武論尊と本宮ひろ志コンビによる作品は絶対にあり得ない筋。その7 名作『北斗の拳』は行き当たりばったりのギャグ漫画の筋。その8 武論尊ワールドの魅力的なキャラクター。やっぱりジャギが好きの筋と、8本の筋が張ってらっしゃいます。

(玉袋筋太郎)おおー!自衛隊っていうのは、じゃあ本当に本宮先生と同じ。

(吉田豪)そうなんですよ。自衛隊でこの名前だから、相当硬派なイメージあるじゃないですか。チャールズ・ブロンソン感のある。

(玉袋筋太郎)そうだよね。武論尊だもんね。

(吉田豪)1回、たまむすびにも出てるんですよね。月曜日に。武井壮さんがとにかく大ファンで。『「サンクチュアリ」がもう人生の教科書で。尊敬して、男の生き方を学びました!』って感じで呼んだら、イメージと全然違う人が来ちゃったっていう(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)そうなんだ?

(吉田豪)すっごい面白かったですよ。男の中の男ぐらいの感じで来たら、軽ーいおっさんが来て。『もうとにかく、赤江さんに会いたくて来ただけだ。赤江さん、最高!』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)なんだ。なんか、もろ肌に革のベストとか着てさ、入ってきそうだよね。黒いサングラスして。

(吉田豪)傭兵っぽい感じのイメージ、ありますよね。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。そうじゃなかったんだ。赤江さんのファンだったって。メロメロになっちゃったっていう話だよね。武論尊さん。

(吉田豪)武井さんの話、聞いてなかったっていう(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(小林悠)結構ミーハーな方なんですね。

(吉田豪)ミーハーですね。軽いんですよ。すごく。

(小林悠)へー。意外ですね。

(吉田豪)で、やっぱり話も面白いです。だからちょっと順番に行っていいですか?

(玉袋筋太郎)順番に行こうよ。ねえ。『ひろ志に誘われて』って、本宮ひろ志先生ですよね?

(吉田豪)はいはい。本宮先生がいなかったら、本当こういう世界に入ってなかったっていう話で。まあ、自衛隊出た後に、同期の辞めてきた連中に退職金全部食い潰されて。どうしよう?って思った時に本宮先生が『ちょっと手伝ってくれ』って誘ってくれて。

(玉袋筋太郎)おおー。いや、これ絵心があったのかね?武論尊先生は。

(吉田豪)何もないんですよ。

(玉袋筋太郎)何もないの?

(吉田豪)何もないです。原作とかもなにもわからないから、とりあえず資料係の仕事を与えたんだけど、結局プラプラしてただけで。で、ベタも塗れない。消しゴムをかけたら原稿を破いちゃうしで。

(小林悠)ダメじゃないですか!

(吉田豪)何にもできないんですよ。

(玉袋筋太郎)ダメですよ、それ。

(吉田豪)絵も書けないけど、とりあえずやることないからアシスタント希望者の採用を本宮先生と決めていたっていう。で、基準は『高卒はダメ。中卒は採用』っていうね。

(小林悠)またそれ、どうして?

(吉田豪)理由は本宮先生も武論尊先生も中卒だからっていう。俺たちより上の学歴はいらない!っていう。

(玉袋筋太郎)(笑)。そうだよね。

(吉田豪)その結果、なんかね、漁師とか番長とかだけが入るシステムに(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)なんだ、そりゃ!?(笑)。

(吉田豪)当時、アシスタントで『壁、描け』ってたのむと、たのんでないのに必ずシミが入っていたりとか(笑)。もうね、生活の水準がそういう人たちしか入ってこないような状態で(笑)。

(玉袋筋太郎)いいね、それ!うん。

(吉田豪)そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)だからね、そういった部分の生活感が出るわけだ。

(小林悠)ですよね。生活の匂いが出ますね。

(玉袋筋太郎)匂い、出てるよ。それ。

(吉田豪)だから、後に『銀牙』とかを描いた高橋よしひろさんが来た時も、なぜ採ったか?っていうと中卒だからなんですよ。

(玉袋筋太郎)あの人、そうなんだ?

(吉田豪)『中卒?はい、決定!』っていう(笑)。

(小林悠)絵の腕前とかはチェックしないんですか?

(吉田豪)後で、みたいな感じで。まあ、とりあえず中卒なら良し。根性あるだろ?みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)あらー!じゃあ西村賢太先生もここに行けばよかったんだな、うん。

(小林悠)(笑)。違った人生が待っていた可能性がありますけども。

(玉袋筋太郎)だけどこのね、『安月給は競馬で解消』っていうね。

(吉田豪)ひどいんですよ。仕事しないでとにかくギャンブルしかしなかったらしいんですよね。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)よく追い出されなかったですね。

本宮ひろ志先生との不思議な関係

(吉田豪)まあ、友達ですからね。とにかく、麻雀やって酒飲んでただけらしいんですよ。『なんか調べたい』って言われると図書館に行くけれども、本宮先生が煮詰まって原稿をほっぽり出すっていう時には、『おい!これから逃げるぞ』って言われると、本宮先生が武論尊さんをバイクの後ろに乗せて逃げ出すみたいな。

(玉袋筋太郎)原稿か。

(吉田豪)原稿がもう辛いっていう時に船橋のオートレースとか行って。『もう仕事辞めよう』って思って船橋のオートレースとかに行くと、そういう時に限って勝っちゃって。機嫌よくなって、『よし、帰ろう!』っていう。そういうのを何度か繰り返したっていう話をしてて。

(玉袋筋太郎)すごい!

(吉田豪)で、これで思い出した話があるんですよ。本宮ひろ志先生って、デビューでいきなり大ヒットを飛ばして。『男一匹ガキ大将』っていう。ところが、これが辛くなっちゃって。富士の裾野に番長がいっぱい集まった、何万人と集まった回で、突然主人公が腹になにか刺さって。『完』っていきなり描いちゃって、失踪したことがあるんですよ。

(小林悠)勝手に自分で終わらせちゃったんですか?

(吉田豪)そうなんですよ。雑誌サイドは続けようとしてるんだけども、『辛いから、もう主人公を殺して俺は逃げる!』ってやったら、それを勝手に『完』っていうのをホワイトで消して続けさせられたっていう事件があったんですよ。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)じゃあ、編集者が勝手に消したってことですか。

(吉田豪)その時に、当時付き合っていた女をバイクの後ろに乗せて逃げたっていう話があって。僕は当時、本宮先生にも聞いたんですよ。その女性の正体まで聞いたんですよ。僕、本宮先生がカラーグラビア載っている当時の少年ジャンプを持っていって。バイクの後ろに女の子を乗せている写真があったんですよ。『あ、これこれ!』って言っていて。『俺、この子を乗せて逃げたんだよ』っていう話まで聞いていたんですけど。

(玉袋筋太郎)おうおう。

(吉田豪)その話を武論尊さんに言ったら、『違うよ。それ、嘘だよ』って言い出して。『その頃、本宮、女と付き合ってないもん。後ろに乗っていたの、俺だよ』って言い出して。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)『ええっ!?』って(笑)。

(玉袋筋太郎)なんで武論尊と(笑)。

(吉田豪)そんないい話だったのが、急に!?(笑)。『後ろに武論尊先生乗せて逃げてたんですか!?』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そうなんだ。女じゃなかったのね。

(吉田豪)って言い張ってましたよ。全然、謎なんですよ。この2人の関係も。

(小林悠)そうですね。濃い関係ですね。やっぱり、男と男の。

(玉袋筋太郎)なんか一線を越えてんのかな?『ブロークバック・マウンテン』みてーになってんのかな?

(吉田豪)『そんなことが2、3回あって、不思議な関係だった』とは言ってるんですね。で、そんな感じで、何もしてないから、どうしようもないっていうんで、編集の人とかが『お前、原作書くか?』とか言ってきたっていう感じで(笑)。

(玉袋筋太郎)ほー!

(吉田豪)『これはなんとかしなきゃいけない』っていうんで、仕事を与えたんですよ。

(小林悠)えーっ!?でも、原作って誰でもなれるわけじゃないですよね?

(吉田豪)誰でなれるわけじゃないですよ。当然。

(小林悠)何かそういう素養があるという風に、やっぱり判断されてっていうことなんでしょうかね?

(吉田豪)ただ、もうそれで始めて。まあね、給料3万程度だったんですけど。土日になるとみんなに『この馬がいいからこの馬を買え』とか本宮プロのやつらに言うらしいんですよ。で、みんなから金を集めて、『じゃあノミ屋にたのんでくるから』ってそのまま懐に入れたりとか。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)当っても配当金を払わないとか、そんな状態だったんで。『これは本宮から離さなきゃいけない』って編集が思ったらしいんですよ。

(小林悠)どういうこと!?

(吉田豪)こいつがここにいたら、大変なことになるぞ!っていう(笑)。

(小林悠)本宮先生にまで影響がということですか?

(吉田豪)そう。仕事を与えて追い出せ!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)いやなノミ屋だね、それも。うん。

(吉田豪)払わなきゃね。

(玉袋筋太郎)払わなきゃ。配当は。うん。いるけどね。あ、いや、いるらしいですけどね。『いるけどね』っつったら、俺がやってるみたいになっちゃう(笑)。

(小林悠)やってないですよ(笑)。

『ドーベルマン刑事』で大ヒット

(玉袋筋太郎)さあ、そしてほら、『ドーベルマン刑事』でしょ。やっぱり!

(吉田豪)いきなり大ヒット飛ばしちゃう。

(玉袋筋太郎)そう。大ヒットですよ。

(小林悠)じゃあ、最初の原作の作品が?

(吉田豪)最初じゃないんですけどね。3年ぐらいかかっての連載で大ヒットを飛ばして。これが映画にもなったんですけど。千葉真一主演で。ところが、ドーベルマン刑事なのに原作と全然違うの撮っちゃって。深作監督かな?ブタ連れてるんですよ(笑)。

(玉袋・小林)(爆笑)

(玉袋筋太郎)千葉ちゃん、そっか。ブタ連れてたね。うん。



(吉田豪)ドーベルマンじゃないの!?っていう(笑)。

(小林悠)ブタ刑事ですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)ブタ刑事。ブタ刑事。アグー豚。うん。『ドーベルマン刑事』。でもこれ、当たったよね。

(吉田豪)4年かかったみたいですね。それまで、年収120万円で。アパートの家賃が2万円だったんで、8万円ぐらい残ると。だから、毎日飲みに行っていた。それが年収が1200万になっちゃったから、もう夢のような世界で。まず何をやったか?っていうと、お世話になった人たちを連れて、当時住んでいた石神井公園の駅からタクシーで熱海まで行って芸者さんと宴会やって。タクシーずっと待たせておいて、ベロベロに酔っ払って、峠の上で全員がゲロを吐いてまた戻ってくるっていうのを。それを、何度かやったらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)やっちゃうんだよね、そういうこと。

(小林悠)もったいない使い方ですねー。

(玉袋筋太郎)やるよ、そういうの。

(吉田豪)何度かやった結果、1年で肝臓がパンクして1ヶ月入院っていうね。いきなり。初のヒットで。

(玉袋筋太郎)(笑)。もうでもね、やりたい気持ち、わかるよ、それは。うん。だって当時の1200万っつったら、大変だよ。デカいよな。言ってみりゃ。あの当時だ。

(吉田豪)まして20代でね、そんな。

(玉袋筋太郎)20代でやっちゃったら、そりゃやるっつーのよ。

(吉田豪)いちばん忙しいっていうか、いちばん大事な時期だったんで、休ませてもらえないから点滴を打って、寝ながら病院で原作を書いて。その時にお医者さんが『もう酒を飲んだらダメ』って言えばよかったんだけど、『完治しました。もう1回、肝臓が悪くなったらまた飲み過ぎなだけです』って言われたんで、また飲み始めたっていうね。

(玉袋筋太郎)かぁー!

(吉田豪)大丈夫だったんだっていう。

(玉袋筋太郎)でも、この頃はなんだろうね?赤江さんにゴロニャーゴするような武論尊さんのイメージはないね。

(吉田豪)まだ硬派な感じ。

(玉袋筋太郎)まだ硬派だよ、これ。

(吉田豪)まあ、でもね、女性には弱かったみたいですけどね。

(玉袋筋太郎)女性、弱かったんだ。

(吉田豪)ちなみにその『ドーベルマン刑事』のヒット、相当ヒットして。調子に乗ったらしいんですよ。本人曰く。調子に乗って、ちばあきお先生に怒られたりとかして(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)真面目な人ですからね。

(玉袋筋太郎)まあ、そりゃそうだろうな。うん。怒られたら何も言えないよ。改めるはずだけどな。普通は。

(吉田豪)(笑)。全然改めてない。

(玉袋筋太郎)で、当時の少年ジャンプ。だから、『ドーベルマン刑事』。『トイレット博士』はもうねえのか?終わってんのか?

(吉田豪)まだ、でもそれぐらいの頃ですかね。

(玉袋筋太郎)頃かな?もう『こと亀』は始まってるか?

(吉田豪)あの、原作の扱いが当時のジャンプって低かったらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)あ、そうなんだ。

(吉田豪)原作者が叩き台を書いたら、漫画家と編集で作っちゃうみたいな感じで。だから印税もジャンプだけは6:4の4だったらしいんですね。原作が。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)『じゃあ、当時ジャンプで書いていた梶原先生もですか?』って聞いたら、『うん。梶原先生は逆。6だった』って。

(玉袋筋太郎)さすが!さすが俺たちの先生!腕力でもぎ取った!

(吉田豪)(笑)。拳で。

(玉袋筋太郎)拳で(笑)。もう銀座で、『この野郎!』っつって。逆さ吊りにして。

(吉田豪)(笑)

(小林悠)そんなことしたんですか!?

(玉袋筋太郎)ガム子!

(吉田豪)まあ、そんなことする人ですから。

(玉袋筋太郎)する人。先生は。そうなんだ。

(吉田豪)通常、5:5らしいんですけどね。だから『北斗の拳』、原哲夫先生と後に、コアミックスっていう本に移って。それから5:5になったらしいんですよ。なぜか?っていうと、移ったら集英社といろいろモメるから、『5:5だったらいい』ってゴネた結果ッて言う。

(玉袋筋太郎)ほー!5:5。

(吉田豪)でも、基本言うことを聞かない人なんで。ジャンプの専属契約って当時あったんですよ。そういうのを無視して、『他の漫画でも書きたい』って言って、史村翔っていう名前で外で書いたりとかして。

(玉袋筋太郎)そう。史村翔ですよ。

(吉田豪)マガジン系でね。

(玉袋筋太郎)マガジン。そうそうそう。

(吉田豪)ペンネームを変えたら許すっていうことで勝手にやって。だからそういう勝手にやっていたから、実は『北斗の拳』が終わってから、あんだけヒットしたのに1回もオファーが来てないっていう。ジャンプから。

(玉袋筋太郎)出た!

(小林悠)ちょっとモメましたか?

(玉袋筋太郎)伊集院とニッポン放送みたいな。

(吉田豪)(爆笑)

(玉袋筋太郎)ねえ。そういうことじゃないの?そういうことじゃないかもしれないけど。だけどジャンプはかならず、『武論尊先生の漫画が読めるのはジャンプだけ』『秋本治先生の漫画が読めるのはジャンプだけ』って。

(吉田豪)『本宮ひろ志先生の漫画が・・・』とかね。

(玉袋筋太郎)かならず書いてあったんだよ。

(小林悠)あ、そういう宣伝文句があったんですね。

(玉袋筋太郎)かならず。そう。

(吉田豪)専属の契約料を払うかわりに、そういうのをやっていたんですよ。

(玉袋筋太郎)で、それが俺たち、ずーっと染み付いてたから。鈴木その子先生がね、テレビに引っ張りだした時に、他のチャンネルに使われるのが嫌だから、『鈴木その子先生が見れるのは未来ナースだけ!』ってかならず言ってたんだよ。それ、ジャンプシステム。『未来ナース』って番組でやってたから。

(吉田豪)即、でもみんな使っちゃいましたね(笑)。

(玉袋筋太郎)使われちゃった。即使われちゃって。先生。

(小林悠)ジャンプシステム、通用しなかったんですね(笑)。

(玉袋筋太郎)通用しなかった。鈴木その子さんには。うん。さあさあ、これね。だからその、ちょいワルオヤジなんかじゃないんだと。実は女性が怖いんだよっていう。

(吉田豪)女好きっぽい話をよくするんで、それを掘っていったら実はデビューは自衛隊の実習で浜松に行った時に、遊郭で17才の時に初めてで。

(玉袋筋太郎)あ、プロ相手なんだ。

(吉田豪)そう。『だからエッチの方が先でキスの方が後だから。最初にキスした時はすごい感動だった』と。

(玉袋筋太郎)わかるなー!これ、わかるなー!わかるよー!

(吉田豪)『キスは恋愛感情が入るので、唇の柔らかさを感じて、うわっ!となった』って(笑)。

(玉袋筋太郎)わかるよ!なんであれ、キスさせてくれなかったんだろうな。初体験のサリーちゃんも。

(吉田豪)(笑)。そこだけは守る!っていうね。

(玉袋筋太郎)守られちゃったんだよ。そこだけは。そんなことまでしてくれるんだったら、いいじゃねえか?と思ったんだけど。

(小林悠)ダメダメ(笑)。

(吉田豪)その後はプロ一辺倒で。『女性千人斬りした』って言ってるんですけど、『990人はプロだ』って言ってるんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(爆笑)

(吉田豪)もうほぼプロなんですよ。

(玉袋筋太郎)プロなんだ。ええ。

(吉田豪)実は漫画関係のパーティーとかで女性に軽いセクハラっぽいのをやってるのも見たことがあるんですけど。基本、本当不器用な。プロしか経験がない人が照れながらやっている感じで(笑)。かわいげがあるんですよ。

(玉袋筋太郎)いいじゃない、それ。

(小林悠)恥ずかしいのをごまかすためにやってるんですかね?

(玉袋筋太郎)だってほら、お金あるからさ。そういう邪な気持ちの女だって寄ってくるはずなんだから。それだったらもう、プロの方がいいと。割り切ったって言うかもしれないね。うん。

(吉田豪)『でも、「北斗の拳」でね、あれだけヒットしてキャーキャー言われなかったんですか?』って聞いても、『何もなかった。ただ、銀座のクラブとかに行った時に、ウェイターのお兄ちゃんとかがコソッと「サインしてください」とかはあったけど。基本、男性』っていうね。

(玉袋筋太郎)やっぱ男性なんだね。

(吉田豪)まあ、作品がやっぱり全部男ばっかなんですよ。女出てきても、そんなに主要な役ではないっていうか。本人も言ってたんですよ。『女の子、よくわかんない。基本、俺の漫画ね、全部ホモ漫画なんだよ』っていう。

(小林悠)ええっ!?そんなことないですよ。

(吉田豪)まあ、完全に男と男の話ばっかりっていう。『だから、コミケとか行ったら、俺の漫画とか全部パロディーはホモだから。みんなやっぱり、そうやって見ちゃうんだよ』っていうね。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)女性がモチベーションで書いているのに、がんばってもそこには届かないっていうね。

(玉袋筋太郎)そうなんだよ。憧れている、自分が実現できない憧れている男同士の友情だとか、そういったところをイメージして、投影しちゃうんだよな。

(吉田豪)そうなんですね。自衛隊時代の濃厚な男同士の関係とかが漫画にはなっていて。そこに女性が入ってこれないんですよね。『それは女性の心までわかろうとしてないからだ』って自分で言っていて。『やっぱり15才から22、3才まで自衛隊ですごしていて。1対1で女性と話すことが苦手』と。お酒飲まないで話せないらしいんですよ。女性と。

(玉袋筋太郎)ああー、わかるわ。それ、俺も一緒だもんね。

(吉田豪)(笑)

(小林悠)そうですか?そうでしたっけ?

(玉袋筋太郎)俺はもう、シラフでそんな女性と話したり・・・

(吉田豪)フランス座にいたせいで。若い頃に(笑)。

(玉袋筋太郎)そうかもしれない(笑)。もう、変態だな。うん。シラフで女と話しているのは。ってことはじゃあ、俺いま飲んでんのかな?って。

(吉田豪)(笑)

(小林悠)本当ですよ、もう。でも、たしかにシラフでは口説けないって言ってますよね。

(玉袋筋太郎)しかし、千人斬りで990人プロって、これまたいいですね。潔くて。それを言えるってことが。

(小林悠)自分で言えるところがね。

(吉田豪)傭兵っぽい感じがありますね(笑)。プロの軍人みたいな感じが(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。ねえ。まあでもそうやってヒットがあって。まあ大変ですけども。

(吉田豪)そう。だから奥さんにも・・・本宮先生が結婚する時に、奥さんがもりたじゅんさんっていう漫画家さんだったんですけど。奥さんも疑っていたらしいんですよ。

(小林悠)2人の関係をですか?

(吉田豪)『あんた、ホモじゃないの?』って、武論尊先生、『ブーちゃん』って呼ばれているんですけど。『ブーちゃんとデキてるんじゃないの?』って言われたぐらいに仲よすぎて。

(玉袋筋太郎)ああー、そうだろうな。うん。

(小林悠)バイクの後ろに乗ってね、逃避行したぐらいですもんね。

(吉田豪)怪しいんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)バイクの後ろに乗っている人って、運転してる人の腰に手、巻くんだから。そういったことですよ。そして、自衛隊ですもんね。

(吉田豪)で、バイクのね、振動が。吊り橋効果で、たぶん(笑)。

(小林悠)(笑)

(吉田豪)『恋だ』と思いますよ、絶対(笑)。

(玉袋筋太郎)『来いよ、おい!』っつって。『武論尊!』って。うーん、マンダム!

(吉田豪)ビッグマグナムが(笑)。

(玉袋筋太郎)ビッグマグナムが(笑)。そうだよ。大変だぜ!さあさあ。

(小林悠)でも、そんな2人だけれども、その本宮さんから救ってもらったっていう。

本宮ひろ志先生の電話で救われる

(吉田豪)そう。信頼関係がすごいんですよ。『ドーベルマン刑事』の連載中にも1回、壊れたことがあったわけですけど。その『サンクチュアリ』の時も、『このまま書いていたら絶対に潰れちゃうな』と思ったことがあって。ちょっと精神病んで、連載を中断して逃げたらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)おおー。

(吉田豪)『半年休ませてくれ』って言って北海道の牧場へ行って。で、もうずーっと牧場で地道に働いているうちに徐々に復活してきたんですけど。そんな時に、全然普段連絡してこない本宮先生から電話がかかってきて。『サンクチュアリ』を褒めてくれたと。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)『初めて、この仕事始めて褒められて。本当にやってきてよかったと思うぐらいの瞬間で』っていうね。

(玉袋筋太郎)かぁー!ここだなあ。

(吉田豪)これで復活できたっていう。本宮先生の電話のおかげで。

(玉袋筋太郎)これ。『あなたに褒められたくて』っていうね。高倉健さんが書いたけど。そういったことですよ。しかも、北海道の牧場だから、もう高倉健さんと一緒だよ。もう。うん。

(吉田豪)ちなみに『北斗の拳』のケンシロウも、やっぱり高倉健イメージなんですよ。やっぱり、しゃべらないで、リアクションで演技していくっていう。

(玉袋筋太郎)おいおい。そうなると、やっぱいろんな疑惑が・・・

(吉田豪)(爆笑)。なんですか?

(玉袋筋太郎)なんの疑惑かわかりませんけどね。うん。いや、うれしいね。そうやってね、言ってもらえるんだから。そこで救ってもらえた。

(小林悠)本当ですよ。それで元気になったってこともあるんですよね。

(玉袋筋太郎)でもさ、やっぱり漫画家の先生って大変だよね。ずーっと。まあ、豪ちゃんも締め切りたくさんあると思うけどさ。やっぱ逃げ出す先生、いるよね。

(小林悠)だってもう、ずっと机にかじりついている状態が続いてるわけですよね?

(吉田豪)そうです。まあ、酒飲みには行くけど、みたいな感じで。

(小林悠)ちょっと想像を絶しますよね。

(吉田豪)武論尊さんが言っていたのが、『やっぱり1回頂点に立ったりとか、ある程度名前が出ると、落とせない。「あいつ、もう終わった」とか言われるのがいちばん嫌で。そうなる前に、自分で幕を引きたい』っていう。で、これ2年前の取材だったんですけど。『自分の中で、あと1、2本。もう1回、池上遼一先生といいものを書いて、それを最後にしたい』って言っているぐらいの状態で。

(玉袋筋太郎)池上遼一先生とね。いいですな、それ。

(吉田豪)ところがこれだけ、ねえ。本当に思い入れのある本宮先生と組むのは絶対に嫌だって言っていて。

(玉袋筋太郎)なんでなんだろうね?これ。

(小林悠)これだけ絆が深いんだったら、いい作品ができそうですけどね。

(玉袋筋太郎)距離感かな?

(吉田豪)そうなんですけど、原作を書くっていうのはお互いがお互いの才能を全部見せ合うことで。本宮先生に『お前、こんなもんしか書けねえの?』って言った瞬間に武論尊さんとの関係はそこで終わると。逆にね、本宮先生から『俺の原作、お前はこれしか絵にできねえの?』とかね、本宮先生に武論尊さんが言った瞬間にやっぱり終わると。それは、やっちゃいけないと。この関係を保つためにはって。

(玉袋筋太郎)かっこいいなー!

(吉田豪)好きすぎるから、無理っていう。

『北斗の拳』誕生秘話

(玉袋筋太郎)あらー!ブロンソンとアラン・ドロンの『さらば友よ』みてーな。いやいや、かっこいいね、これ。ねえ。でもまあ、名作『北斗の拳』なんて俺、高校生の時かな?始まったのな。うん。もう、すごかったからね。やっぱ。

(小林悠)熱心に読んでましたか?やっぱり。

(玉袋筋太郎)読んでましたよ。そりゃ。すごい漫画が始まるって。ああ、マッドマックスだな、なんて。

(吉田豪)(笑)

(小林悠)やっぱりそれは感じましたか?

(玉袋筋太郎)うん。感じてたけど。でもやっぱすごい一大ブームになったし。だって、アニメ化だって不可能だとかね、言われてたこともあったし。

(小林悠)アニメ化が不可能?

(吉田豪)はいはい。まあ、ゴールデンタイムであんなに人を殺していいのか?っていう話ですよ。人が破裂するとか。それを透過効果とかで上手く処理したんですよ。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)映画版はもうちょっとグロなんですけどね。

(玉袋筋太郎)ねえ。そうだ。でも、そこまで当たると思わなかったんだ。武論尊先生が。

(吉田豪)もともと原哲夫先生が読み切りで書いたのがあって。それを、このままじゃ続かないからっていうんで、膨らませる役が武論尊先生だったんですね。

(小林悠)だいぶ設定は変えたんですか?

(吉田豪)大幅に変えて。現代の話だったのを未来にして、とか。マッドマックス感を付け加えて、みたいな感じですけども(笑)。

(玉袋筋太郎)うんうんうん。

(吉田豪)でも基本、武論尊先生適当なんで。あの適当さが活きたんですよ。

(玉袋筋太郎)適当さが?

(吉田豪)あの、思いつきなんですよ。経絡秘孔っていうのもね。

(小林悠)経絡秘孔って、穴を突くっていうことですか?

(吉田豪)そうです。秘孔を突いて相手破裂したりするんですけど。『あの資料だってね、針のツボの本が1冊あるだけだからね』って(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。よくあるよ、漢方薬屋に飾ってあるやつみてーな。

(小林悠)ありますよね。

(吉田豪)それで、適当なことを書いているだけっていう(笑)。『で、難しい漢字をつなぎ合わせて、○分後に爆発するとか。後ろ向きにしか歩けなくなるとか。笑いながらやってたんだよね』っていう(笑)。

(小林悠)笑いながら書いていた(笑)。

(玉袋筋太郎)ああー、そうかー。

(吉田豪)『こんなんなっちゃったりしてー』っていう感じで(笑)。

(玉袋筋太郎)でもたしかにギャグ漫画だね。そうなると。言ってみりゃあ。

(吉田豪)ギャグ漫画ですよ。絵が死ぬほど真面目だから。それの説得力が出たっていう。ちゃんと。明らかにふざけた内容でも。まあ、当時たしかに漫画好きの間ではギャグだって言われてたんですけど。書いている本人たちもギャグのつもりでやっていたっていう。

(玉袋筋太郎)かぁー!これだよな。

(吉田豪)原先生も結構ふざけて書いていたりする部分もあって。武論尊さんがそれ見て笑っちゃうこともあってっていう。お互いが悪ふざけやっていたんですよ。

(玉袋筋太郎)それでもね、みんな熱中しちゃったわけだからね。

(小林悠)そうですよ。だって、次の展開が全然読めないっていう話だったわけですよね。

(吉田豪)もう本当に見切り発車だったんで。最初にもう、なんかなんとなく舞台を設定して。なんでこいつ、旅してんだ?と思って。じゃあ、ロード・ムービーとしてこういう風にやっていこう。旅する理屈を考えだしたりとか。全てが後付けなんですよ。

(玉袋筋太郎)これ、だって毎週のペースでやるんだから。すごいよな。やっぱ、それぐらいの方がいいのかな?きっちり作るより。

(吉田豪)そうですね。たぶんでも、本宮イズムだと思うんですよ。本宮ひろ志先生も基本、ひたすらもう、伏線を回収しない人なんですよ。どんな伏線を張って、どうなるんだろう?と思ったら、そのまま放り投げて終わることがすごい多いんですよ。

(小林悠)あ、わかんないまま終わっちゃうこともあるんですか?

(吉田豪)とか、これ、どうやってまとめるのかな?と思ったら、大地震が起きたりとか(笑)。ひどいまとめ方をするんですよ。

(玉袋筋太郎)これは『進撃の巨人』の9月の公開の方にもなんか、引っかかるような。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)どうなっちゃうんだろう?みたいなね。伏線があったけど。

(小林悠)どう回収するんだ?って。

(吉田豪)ひっくり返した!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)『結局地震で終わる』だって(笑)。

(小林悠)(笑)。ちゃんと見届けましょう。

(吉田豪)そんな感じなんですよ、いつも。だから胸の7つの傷、あるじゃないですか。あれもなんとなく、ファッションとしてつけたらしいんですよ。最初。

(玉袋筋太郎)ああ、北斗七星のね。

(吉田豪)『「北斗の拳」だから北斗七星があるとかっこいいな』と思ってつけて。『なんでこれ、つけたのかな?』って後から考えだして。『これ、シンっていう相手がつけたことにすればいいじゃん!』ってなった瞬間に、『俺、天才的だと思った』と。惚れ惚れして。

(玉袋筋太郎)これだよ!

(吉田豪)で、だんだんストーリーがね。『「俺を愛してるって言ってみろ!」ってユリアに言いながら指を刺していく。一本ずつ』っていうね。

(玉袋筋太郎)これ!上手い!

(吉田豪)ゾクゾクして書いたらしいんですよ。『俺、上手いわ!』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そういうAVもあったけどね。何本ずつ入れるとか。

(吉田豪)(爆笑)。何本入るか?

(玉袋筋太郎)『何本入ってるんだ?』っていう。

(小林悠)こら!

(吉田豪)『俺、上手いわ!』(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。『北斗の拳』がなければですよ、ねえ、マグナム北斗は生まれなかったわけですから。

(吉田豪)あ、そこも?

(玉袋筋太郎)

(小林悠)マグナム北斗?

(吉田豪)男優さんですね。

(玉袋筋太郎)そう。男優さん。ここに北斗のあの形のホクロがあったから、マグナム北斗なの。

(吉田豪)7個の。

(玉袋筋太郎)7個の。そっからマグナム北斗だからね。うん。そうなんだよ。

(小林悠)あの、その方も含めて多くの方に影響を・・・

(玉袋筋太郎)影響を与えたって。そういうことなんですよ。

(吉田豪)すごいんです。

(玉袋筋太郎)うん。いいね。この編集者の堀江さんっていうのもよく出てくるもんね。ジャンプのね。うん。でも、そっか。大変だよ。『先生、先生』ってずっと付きっぱなしでやってさ。

(吉田豪)編集の堀江さんのこともね、『顔見りゃただの鈍感男で態度のデカい男。でも、漫画の面白いツボだけはわかっている人で・・・』って。

(小林悠)認めてるんですね。

(吉田豪)そう。その人が面白がらなかったら、常に、何度も書き直しして。その人が面白がってくれたら、かならず評判は良くなるっていう。

(玉袋筋太郎)すごいなー。二人三脚だね、そこもひとつは。ねえ。さあ、武論尊ワールドの魅力的なキャラクター。やっぱりジャギが好き!

(小林悠)ジャギ?

(吉田豪)やっぱね、武井壮さんとかは武論尊先生にケンシロウとかラオウみたいなものを投影してたと思うんですよ。本人もはっきりしてますね。ジャギっていう最悪なキャラがいるんですよ。

(玉袋筋太郎)うんうんうん(笑)。

(小林悠)どう最悪なんですか?

(吉田豪)あの、人間性が本当にひどい(笑)。

(玉袋筋太郎)うーん、なんつーのかね?

(吉田豪)あの、ジェラシーの塊みたいな。

(玉袋筋太郎)それが、やっぱりいいんだと。ヒーローじゃないんだと。世紀末覇者じゃないんだと。

(吉田豪)そう。『好きなキャラはジャギ。いちばん書いていて楽しいし、人間らしい。だからいちばん好き』っていうね。

(玉袋筋太郎)これ!なあ。うん。ラオウは究極の男だって。ケンシロウはいちばん書けない。

(吉田豪)そっち側の人なんですよ。で、やっぱり原哲夫先生も結構やっぱりね、『北斗の拳』のイメージで見られるんですけど。僕、取材したんですけど、まあぜんぜん違うんですよ。やっぱりこの人も。で、僕、原哲夫先生の奥さんとも仲良くて。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)あそこの夫婦関係も最高に面白いんですよ。

(玉袋筋太郎)なんなんだ、そりゃ?

(吉田豪)インタビューでそのへんの話、全部カットされちゃったんですけど。

(玉袋筋太郎)うんうん。言っちゃっていいよ。

(吉田豪)あの、奥さんが結構バイオレントな人で。奥さんに飛び蹴りされた話とか、いろいろ聞いて(笑)。変わった人なんですよ。奥さんも漫画をもともと描いていた人で。で、パーティーとかですごい目立つ人がいたんですよ。小学館とか講談社のパーティーに行くと、すごい美人の人がいて。で、かわいい女の子を連れていて。なんなんだろう?と思ったら、『原哲夫先生の奥さんと娘さんです』と。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)で、もういろんな漫画家さんにサインをたのんでっていうゲリラ活動。本来だったらもらっちゃいけないような人にもサインをどんどんたのんで。まあ、ね。それをまた同人誌にして販売するという、非常に・・・非常にゲリラな活動をしている人で。

(玉袋筋太郎)すごい!ゲリラだよ、それ!ダメですよ!

(吉田豪)『えっ、鳥山明先生のサインとか、そんな風に使っていいの!?』みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)ダメだよ、それ!すっげー(笑)。

(吉田豪)すごいゲリラな人で。で、僕は面白いから知り合いになってから、漫画家紹介したりとかして。『はい、じゃあサイン書いてあげてください!』みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)貢献してるじゃないですか(笑)。

(吉田豪)僕がブッキングするようになって。

(玉袋筋太郎)上手いねー!

(吉田豪)で、そんだけその人と話したら、『私、実は北斗の拳って読んだことないの』って言ってて。

(玉袋筋太郎)(笑)。すごいね。

(吉田豪)あの、1巻しか読んでないらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)『私には、はまらなかった』って言っていて(笑)。で、息子さんもいて、息子さんと話していたら、息子さんは石ノ森章太郎先生の大ファンで。特撮の。『だから、僕は原哲夫じゃなくて石ノ森先生の息子に生まれたかった』って言っていて(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)まあ、贅沢な子になるねっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)いまごろ、記念館任されているよ。どっかで。

(吉田豪)(笑)

(小林悠)本当、漫画家さんってもうね、まあ原作者の武論尊さんも含めてですが。すごいキャラだからこそ続けられるみたいなこともあるんですかね?

(吉田豪)まあ、イメージとは違った方向で面白いですね。みなさんね。

(玉袋筋太郎)うーん。

(吉田豪)その原先生のインタビューも終わった時ですよ。僕、ねえ。原先生の・・・そうだ。終わった時に奥さんが待ってたんだ。で、原先生に『色紙、持ってきて』って言って。原先生が走って色紙持ってきて。僕、掟ポルシェっていうのと2人で行ってたんですけど。その2人に色紙を渡して、『サインとイラストを書いて』って言われて。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)あの、日本のトップクラスの絵の上手い原哲夫先生の前で、僕らがイラストを書くっていう。

(小林悠)(笑)

(吉田豪)こんなプレッシャー、ないですよ!

(玉袋筋太郎)それ、ないよー!書いたの?で、豪ちゃん。

(吉田豪)原先生が持ってきた色紙に。書きましたよ。

(玉袋筋太郎)書いたんだ!(笑)。恥ずかしい!

(小林悠)イラスト、なに書いたんですか?

(吉田豪)一応、デザイン学校出身なんで書けはするんですけど。

(玉袋・小林)おおっ!

(吉田豪)ところが、書けるってわかってから、それから原哲夫先生の奥さんの同人誌で僕、3回ぐらい4コマ漫画書かされて。

(玉袋・小林)(爆笑)

(吉田豪)僕の4コマ漫画が読めるのは、原哲夫先生の奥さんの同人誌だけですよ(笑)。僕と掟ポルシェの4コマが読めるのは。

(玉袋筋太郎)読めるのは。豪先生と掟ポルシェ先生の。

(小林悠)不思議すぎる!

(吉田豪)北斗の拳豆知識でした。

(玉袋筋太郎)いい話だねー!ありがとう、豪ちゃん。

(小林悠)そんな吉田豪さんですけども、実は9月8日火曜日、午後7時からです。新宿ロフト・プラスワンで『復活 雑談天国』を開催いたします。ゲストはニッポン放送のアナウンサー吉田尚記さん。さらに10月6日火曜日、午後7時半から新宿ロフト・プラスワンで『Jさん&豪さんの世相を斬る 秋の特大号 「チョコレート・デリンジャー」いよいよ完成間近か!?』開催。詳しくはロフト・プラスワンのホームページをご覧ください。その他、いかがでしょうか?

(吉田豪)大丈夫です。

(玉袋筋太郎)うん。大丈夫。あの、回る前に言っていた、例の話。それはじゃあ、また今度な。教えてくれ。

(吉田豪)この直後にサラッと話します。

(玉袋筋太郎)サラッとお願いします。

(吉田豪)はい。

(小林悠)(笑)。いつもなんか、最後の最後に不思議な話が展開されて(笑)。

(玉袋筋太郎)じっくり話したいんだけど、なかなか・・・

(吉田豪)佐々木健介、大好き!

(玉袋筋太郎)佐々木健介、大好き!

(小林悠)いつか、機会があれば。

(玉袋筋太郎)ケンスキー!

(吉田豪)(笑)

(小林悠)吉田豪さん、次回の登場は10月2日です。ありがとうございました。

(玉袋筋太郎)ありがとうございました。

(吉田豪)はい、どもー。

<書き起こしおわり>

吉田豪と玉袋筋太郎 清原和博覚せい剤逮捕を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。覚せい剤所持で逮捕された清原和博さんについて、玉袋筋太郎さんと話し合っていました。



(玉袋筋太郎)いやー、豪ちゃん、大変だよ。今日は事情通で呼ばれてますからね。

(吉田豪)相当いろんなところから事情通としてのコメントを求められて。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)大変ですよ。たぶんいまごろ、裏でフジテレビで僕、出てるんじゃないですかね?

(玉袋筋太郎)ああ、そう?(笑)。

(吉田豪)なぜか清原問題のコメントを求められて(笑)。

(玉袋筋太郎)これがもうすごいんだよ。

(小林悠)ちょっと今日はムツゴロウさんのお話もあるんですけど。

(吉田豪)まあね。積もる話が多すぎますからね。

(玉袋筋太郎)スペシャルウィークだよね。これね。

(吉田豪)完全に。本当に僕、後悔しているのがマイバッハ谷口のTシャツを買っておけばよかったって・・・

(玉袋筋太郎)ああー!いいぞー!(笑)。

(小林悠)(笑)

(吉田豪)ねえ。NOAHのプロレスラーね。

(玉袋筋太郎)マイバッハ谷口な。そうだよ!

(吉田豪)こういう機会に着るべきだったのにな!って。

赤江珠緒とカンニング竹山 TBS小林悠アナ 熱愛発覚を語る
赤江珠緒さんとカンニング竹山さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、週刊誌で資産家との熱愛発覚が報道された小林悠さんについて話していました。 (赤江珠緒)でね、そ...

(小林悠)いやいやいや・・・

(玉袋筋太郎)俺もね、ダイキャストのマイバッハのミニカー買っておけばよかったって。うん。さあ、それでね、まさか・・・ねえ。いろいろ噂されていたけど。本当に清原容疑者が捕まっちまって。うん。豪ちゃんとはどういうお付き合いだったの?

(吉田豪)僕は1年前に1回取材しただけですね。要は田代まさしさんとか清水健太郎さんとかとは違って、そんなに深い付き合いはしていない。1回会っただけです(笑)。

吉田豪 清原和博インタビューを語る
吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。元プロ野球選手の清原和博さんにインタビューした際の模様について話していました。 (赤江珠緒)さあ、そして今日の本題は、プ...

(玉袋筋太郎)俺、また先週田代さんと会っちゃって。来る途中。

風間俊介と玉袋筋太郎 スナックを語り合う
俳優の風間俊介さんがTBSラジオ『たまむすび』にゲスト出演。玉袋筋太郎さん、小林悠さんとスナックについて語り合っていました。 (小林悠)午後1時になりました。みな...

(吉田豪)みたいですね。ばったり。

(玉袋筋太郎)それでだよ、それでこの清原だから、何かの前触れだったんだろうな。あれ。

(吉田豪)最近、田代さんいろいろコメントしてますからね。

(玉袋筋太郎)してるんだよ。

(吉田豪)ASKA問題でもそうだし、今回もそうだし。

(玉袋筋太郎)してるんだけどさ。それ、また次やった時、田代さん、それ素材として使われちゃうんだよ。

経験者としての深いコメント

(吉田豪)でもやっぱり経験者としてのコメントって深いじゃないですか。ASKAさんのあのブログ。いわゆる盗聴集団云々みたいなのの田代さんのコメントが、『わかる!』っていう感じで。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『あのね、やるとね、幻覚見るんだよね』みたいな(笑)。あの、やっている人としての、なかなか出せないコメントをするんですよ。

(玉袋筋太郎)やっぱりユーザーの声ってやつだよね。

(吉田豪)でも、やっぱりそういうリアリティーってあると思って。今回の清原さんの件に関しても、いちばんリアリティーがあったのは江夏さんだったんですよ。いいコメントしてましたよね。一言、『寂しかったんやろうな』っていう。

(小林悠)うわー・・・

(吉田豪)『ああ、わかる・・・』っていう。

(玉袋筋太郎)江夏の21球ですよ。21本打っちゃったっていう(笑)。

(吉田豪)江夏さんはちょうど離婚した後だったんですよね。で、それ、インタビューで聞いた時に、『奥さんと別れたことを唯一人生で後悔している』って言っていて。だから、奥さんを悪く言いたくないから、『離婚とは関係ないんだけど、俺の場合も寂しかった』って言ってましたね。

(玉袋筋太郎)ああー、違うなあ。

(吉田豪)深みがありますよ。

(玉袋筋太郎)深みがあるよ。どうなんだろう?清原っつーのは、記録抹消されちゃうのかね?

(吉田豪)どうなんですかね?

(玉袋筋太郎)どうなんだろうな?名球会とかさ。この間もお腹出して打ってたけどさ。まあでも、無冠の帝王だったんだけど、これで一冠とったって俺が言ったんだけどね。

(吉田豪)一犯ですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)あらら。一字違うだけでだいぶ違いますね(笑)。

(玉袋筋太郎)一冠じゃなくて一犯だってさ。で、これでようやくやめられて、『ありがとう、文春』っつったっていう。LINEで。

(吉田豪)なんか混ざってますよー(笑)。

(玉袋筋太郎)混ざってるんだけどさ(笑)。

(吉田豪)センテンススプリングじゃないですからね(笑)。

(玉袋筋太郎)まあ、豪ちゃんも忙しくて。今日は沖縄から帰ってきてくれて。まあね、いろいろ前振りしてるじゃない?豪ちゃん。

(吉田豪)そうですよ。『今年の目標は結婚』とも言ってないですよ。僕(笑)。

TBS小林悠アナ 2016年婚活宣言 『結婚します!』
2016年1月4日のTBSラジオ『たまむすび』の中で小林悠アナウンサーが2016年の目標を発表。『結婚します!』と婚活宣言をしていました。 (小林悠)やっぱり、あ...

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)(笑)。また私ですか!?いまさら変わりませんけど(笑)。

吉田豪 よくがんばった事件

(玉袋筋太郎)『吉田豪、よくがんばった事件』って。

(吉田豪)あ、それもう触れていいんですか?多少は。

(玉袋筋太郎)これ先週ね、俺、会ったんだよ。放送終わり。地下の駐車場でその、豪ちゃんとのね・・・

(吉田豪)関係者に?

(玉袋筋太郎)関係者に。したらまた、『謝っといてくれよ!本当、謝っといてくれ!たのむぞ、お前!』って言われてますから・・・言っちゃってもいいんじゃないかな?

(吉田豪)さっきのゲストがその場にいたっていう話もありますからね(笑)。

(玉袋筋太郎)さっきのゲスト?

(吉田豪)サンキュータツオさんが(笑)。

(玉袋筋太郎)あっ、そっか!あいつも残しときゃよかったな!

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)一体吉田豪ちゃんに何があったのか!?っていう。

(小林悠)何があったんですか?

(吉田豪)千原兄弟さんがトークイベントでネタにしていたっていうのも聞きましたよ。

(玉袋筋太郎)あ、もうすでに?

(吉田豪)僕の名前は出てないけど。うん。

(玉袋筋太郎)ああー。気になるっしょ?

(小林悠)いや、すごく気になって。何なんでしょう?

(吉田豪)女性週刊誌も動いていて、僕は取材を断りましたけどね。

(小林悠)えっ?それ、聞いていい話ですか?

(玉袋筋太郎)どうしよう?豪ちゃん。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)俺もこれでよ、豪ちゃんを焚きつけてよ。まあ、ね・・・またじゃあ、キャリーオーバーしとっか?

(吉田豪)(爆笑)

(小林悠)キャリーオーバー!もう!(笑)。

(吉田豪)ここまで来ておいて!?

(小林悠)思わせぶりだー!(笑)。

(玉袋筋太郎)いつまで引っ張るんだ!?っていう。

(吉田豪)まあ、人生でトップレベルの恐怖体験をしたっていう話ですよ。

(玉袋筋太郎)そう。恐怖体験。俺だったら漏らしていたっていう。

(吉田豪)いろんな人が言ってますよ。それね。

(小林悠)しかもそれ、小じゃなくて?

(吉田豪)『俺なら仕事やめて実家に帰っている』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)だから俺は紙オムツ履いているわけだよ!こういったこともあるんじゃないか?と。

(小林悠)漏らすスタンバイ。

(玉袋筋太郎)そう。

(小林悠)じゃあちょっとそれは、まあ無しということでね。

(吉田豪)また次号に(笑)。

(玉袋筋太郎)また次号にしよう!

(吉田豪)なんかね、メルマガで発表されるみたいな説もあったりなかったり。

(玉袋筋太郎)そう。メルマガでそっちが発表されたら、豪ちゃんもGO!だ。

(吉田豪)そうなんですよ。

(小林悠)ですね。ちゃんとルールは今回守ろうということで。

(玉袋筋太郎)じゃあ、ムツゴロウさん、行ってみようか?

吉田豪と玉袋筋太郎 ムツゴロウ・畑正憲のハードコアな素顔を語る
吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。ムツゴロウこと畑正憲さんの知られざるハードコアな素顔について、玉袋筋太郎さんと話していました。 (玉袋筋太郎)じゃあ...

(中略)

(玉袋筋太郎)いや、豪ちゃん。でも本当にね、まあ、いろいろな独立問題からベッキー問題から清原問題とかいろいろあって。忙しいな!

(吉田豪)清原問題でコメントしている時に、ふと思いましたもん。僕もいろいろ疑われてもおかしくない人間関係はあるなっていうね。僕の携帯に誰の名前が入っているか?って考えたら・・・っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。すごいね!

(吉田豪)前科ある人、相当いるぞっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。走査線上に豪ちゃんが浮かび上がった!とかよ。

(吉田豪)だいたいね、共通点誰か?って考えたら、僕が出てくるっていう(笑)。

(小林悠)(笑)

(玉袋筋太郎)全ての人物の中心に合わせていくと豪ちゃんにつながるんだよ。いや、面白かったよ。

(小林悠)まああの、今日のオープニングと言いますか。このコーナーの冒頭にもちょっと触れた話も、そのうち・・・

(吉田豪)はいはい。

(小林悠)次回は・・・

(玉袋筋太郎)大ネタだからね。それ。

(吉田豪)マイバッハの話?

(小林悠)違いますよ!

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)ですよね。これ、次回たっぷり掘り下げて・・・

(小林悠)違います。ええ、掘り下げないですね。もうね(笑)。

(玉袋筋太郎)調べられちゃうよ。豪ちゃんに。

(小林悠)ドツボにはまりそうになりました。

(玉袋筋太郎)電話帳にはね、小林さん。番号を教えない方がいいかもしれない。

(吉田・小林)(笑)

(小林悠)ありがとうございます(笑)。今日はムツゴロウさんについて考えました。

(玉袋筋太郎)スペシャルウィークだわ。本当、今週は。

(小林悠)ですね。吉田豪さん、ありがとうございました。

(玉袋筋太郎)ありがとうございました!

<書き起こしおわり>

吉田豪と玉袋筋太郎 ムツゴロウ・畑正憲のハードコアな素顔を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。ムツゴロウこと畑正憲さんの知られざるハードコアな素顔について、玉袋筋太郎さんと話していました。



(玉袋筋太郎)じゃあ、ねえ。ムツゴロウさん。行ってみようか?

(吉田豪)ムツさんも話題ですよ、いま。

(玉袋筋太郎)この人もすごいね。

(小林悠)では、その畑正憲さんのあらすじとその筋をご紹介します。1935年 福岡県福岡市のお生まれで現在80才となる畑正憲さん。東京大学理学部を卒業後は学習研究社(学研)で記録映画の制作に携わり、1968年には本格的な著作活動をスタート。72年には北海道に動物王国を建国し、動物たちとの心あたたまる交流を書き続け、第25回菊池寛賞を受賞します。以降映画『子猫物語』の監督ほか、テレビ番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』で活躍され、その体当たりのレポートと優しい笑顔でお茶の間の人気者になります。

(玉袋筋太郎)うん。

(小林悠)ご存知、ムツゴロウさんであり、作家、動物研究家、映画監督など多数の肩書をお持ちです。そして吉田豪さんの取材によりますと、畑正憲さんのその筋は、その1。『収入ゼロ生活でも、夫婦で寝袋生活でも、とにかくなんでも楽しむの筋』。その2。『イカサマをやる人には負けない。ムツゴロウの麻雀王国の筋』。その3。『うちにいる資格無し。王国に詐欺師が住み着いていた筋』。その4。『海外で機関銃を突きつけられて一言。俺はハングリーだ!の筋』。その5。『下水OK、ネズミOK。丈夫な身体に自分でもびっくりの筋』。その6。『象に踏まれようが海に落ちようが、どんな状況でも身を任せちゃうの筋』と6本の筋が張ってらっしゃいます。

(玉袋筋太郎)もう、このその6の筋なんか稲川淳二さんだもんね。リアクション芸人の。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)『象に踏まれようが、海に落ちようが』だもん。

(吉田豪)稲川さんも踏まれてはいない気がしますよ(笑)。

(玉袋筋太郎)踏まれてはないけどね。うん。いや、やっぱでもイメージとしてさ、小林さん。北海道なんだから。

(小林悠)いや、そうですよ。やっぱり偉大な存在であり、動物大好きな優しいおじいちゃんっていうイメージでずっといたんですけども。

(玉袋筋太郎)やっぱりこう、王国を築く人ですからね。結局は。

加藤紗里さんも尊敬するムツゴロウさん

(吉田豪)あれですよね。狩野英孝さんのいまの恋人も『ムツゴロウを尊敬している』って言っていて。

(玉袋筋太郎)ああー!そうなのか!?ムツゴロウ。

(吉田豪)そう。騒動の最中ね、ムツゴロウさんの名言を次々とリツイートしてますよ。


(玉袋筋太郎)(爆笑)

(小林悠)本当ですか!?

(玉袋筋太郎)よーしよーしよーし!あーしゃあーしゃあーしゃ!いや、たまにね、俺はあんまり好きじゃなくて、見てなかったんだよ。ムツゴロウ王国ね。

(吉田豪)反発しますよね。やっぱね。キレイ事を言ってそうなイメージがあったんですよ。

(玉袋筋太郎)そう。『何言ってやがんだ!?』ってね。最近ね、CSとかで再放送やって見るとね、爆笑だよ。やっぱ。いい人だよ。本当に。ガンガン犬とかひっぱたくからね。

(小林悠)嘘!?そんなの流れてましたっけ?

(吉田豪)そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)躾とか。すごいよ。

(吉田豪)結構イメージ、狂いますよね。発言とかも。

(小林悠)あれ、勝手に頭の中で思い描いていたイメージってことなんでしょうか?

(吉田豪)だってよく、『かわいいですね、これ!』って言いながら食べたりしますからね(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)あの、そのへんがやっぱり普通とズレているんですよ。うん。

(玉袋筋太郎)でも、作家さんとしてはすごい作家さんですもんね。

(小林悠)菊池寛賞ってびっくりですよね。

(玉袋筋太郎)そう。じゃあ、どの筋から行こうか?豪ちゃん。どれがいいかな?

(吉田豪)まあ、適当に順番から行きますかね?

(玉袋筋太郎)行こう、行こう。『収入ゼロでも、夫婦で寝袋生活でも、とにかくなんでも楽しむ』。

(吉田豪)ちょうどいま、ムツさんが話題になっているんですよ。ある媒体で『70才を超えた頃から動物愛がフッとなくなった』って発言をしていて。『ショック!』みたいに言ってるんですけど。『なにをいまさら言ってるんだ?』なんですよ。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)ええっ!?

(吉田豪)『みんな、知らなすぎるよ!ムツさんのことを』っていう。

(玉袋筋太郎)うん。

(小林悠)あれは『愛』ではなかったんですか?

動物好きのおじさんではない

(吉田豪)動物好きのおじさんだとみんな思っちゃってるんですよ。違いますよ。動物の話とかインタビューで聞かれると、テンションが下がる人なんですよ(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)『また動物の話かよ!?』みたいな感じで。

(玉袋筋太郎)すごいよね。

(小林悠)専門家じゃないんですか?

(吉田豪)あの、安田大サーカスとの対談を僕、組んだ時がすごい印象的で。団長が『ずっとムツゴロウの愉快な仲間とか見てましたよ!』とか言っても、ずっとスカすんですよ。『ん?ああ、そう。うん。はいはい』みたいな感じで、一切そこに食いついて来ない出。クロちゃんが『麻雀をやる』って聞いた瞬間にスイッチが入って。『あんた!麻雀やるの?あんた!』みたいな人ですよ。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)興味の方向はそっち。だから僕が最初、15年前にインタビューしたんですよ。『TVチョップ』っていう5号でなくなった雑誌でムツさんをインタビューして。で、すごい面白かったんですけど、面白すぎて僕のデビュー作の『男気万字固め』っていう単行本にその連載をまとめたんですが、ムツさんは入らなかったんですよね。

(玉袋筋太郎)ああー。

(吉田豪)あの、『世間のイメージを壊す話をしすぎた』っていうことで。『雑誌ならいいけど、単行本に入れるのはマズい』っていう風に(笑)。

(小林悠)お蔵入りですか?

(吉田豪)お蔵入りしたんですよ。

(小林悠)ええーっ!?

(吉田豪)まあ、それはいま、検索すればネットで読める状態なんですけども(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)だから15年前の記事がいまだにたまに、『すげー!この記事!』みたいな感じで騒がれていて。だから、そのぐらいから知ってる。みんな、わかってよ!っていう話なんですよ。ムツさんは、動物愛はそんなにないですよっていう(笑)。

(小林悠)へー!

(玉袋筋太郎)なんだったんだろうな。あの王国は。うん。

(小林悠)そうですよ。みんなしてテレビ見て。

(玉袋筋太郎)見てな。

(吉田豪)なんだろうな?本当に変わった人です。わかりやすく言うと。その、収入ゼロ生活っていうのも、もともと東大の大学院まで行って研究してて。学生結婚して。で、食べられない時間がすごい続くんですよ。で、何で食べていたか?っていうと、麻雀だったっていうね。

(玉袋筋太郎)ああー、麻雀でね。うん。

(吉田豪)そう。稼ぐってことを知らなかったらしいんですね。知らないから、定期的にお金がいる。普通の人はそうしてるってことを思いつかなくて、しょうがないから麻雀で稼ぎ。後は、八百屋に行って『野菜クズください。動物にあげるから』って言ったりとか、サンドイッチ屋に行って『パンの耳をとっておいてください。ネズミが好きなんですよ』。で、魚屋に行って『刺し身にした残りのアラ、それ、捨てないで』って。そういうのを毎日もらっていたと。

(玉袋筋太郎)ほう!施しを受けて生活。生きてたんですね?

(吉田豪)そうなんですよ。で、『実際にネズミにあげてたんですか?』って僕が聞いたら、『そんなもん、あげてたまるか!』って(笑)。

(玉袋・小林)(爆笑)

(吉田豪)『俺が食うんだよ!』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)『あげてたまるか!』まで言われちゃったよ。

(吉田豪)『ネズミになんでそんなもん、やらなきゃいけないんだ!?』って(笑)。

(玉袋筋太郎)これはもう、暗にディズニー批判でもあるね。これは。うん。すごいよ、これは。

(吉田豪)そういう人です(笑)。わかりやすく言うと。

(玉袋筋太郎)まあでも、サバイブしてたってことですよ。

(吉田豪)サバイブです。

(小林悠)生命力、強いですよね。

(吉田豪)で、奥さんが妊娠した時に、『こんな不安定な生活で子供が育てられるか?』と初めて考えて、『俺に考える時間をくれ』って言って、悩んだ末に家出。で、山谷で暮らすっていうね。

(玉袋筋太郎)山谷でな!うん。

(吉田豪)で、最終的には子供をちゃんと育てなきゃっていうことで、勤め始めてっていうね。

(玉袋筋太郎)うん。そうだよ。娘さんとかも出てたもんね。番組。

(吉田豪)やってましたからね。コンサートを。

(玉袋筋太郎)やってたな、おい!

(吉田豪)でも、娘さんとの思い出とかを聞いても、おかしな話ばっかり出てくるんですよ。当時の、要は局部ですね。男性自身の温度がどういう風に変化するか?とかを知りたくて、そこに体温計を挟んで、娘さんにその体温をチェックさせていたりとか。

(玉袋筋太郎)がきデカだね。やってることは。その。

(小林悠)ねえ。不思議ですね。

(吉田豪)そういう、研究家体質なんですよ。

(玉袋筋太郎)ああ、研究家なんだよ。それは。

(吉田豪)それに家族を巻き込む感じの(笑)。トラウマになりますよ。そりゃあ(笑)。

(玉袋筋太郎)だんだんムツゴロウさんが。イメージが。

(小林悠)ちょっと崩壊していきますね。どんどんね。

(玉袋筋太郎)王国崩壊。ええーっ!?

(吉田豪)2個目、行きますかね。

ムツゴロウの麻雀王国

(玉袋筋太郎)そうだよ。『イカサマやる人には負けない。ムツゴロウの麻雀王国』ですよ。麻雀はすごいですよ。

(小林悠)いやだー。

(吉田豪)『いやだ』じゃないですよ。

(小林悠)だって、ムツゴロウ王国がムツゴロウ麻雀王国になっちゃったわけですよね?

(吉田豪)ムツさん、だって麻雀で何回も日本一になったぐらいの強さなんですよ。『仕事で4日とか徹夜してると眠れなくなるから。そういう時は2日間麻雀すると、よく寝れるんだよね』って。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)6日寝てないですよっていうね。清原的なものをやってるんじゃないか!?っていう。

(玉袋筋太郎)清原!本当だよ!

(吉田豪)疑われますよ(笑)。

(玉袋筋太郎)ケミカルかよ、おい!

(小林悠)自然とアドレナリンが出るんですね。

(吉田豪)そうですよ。あの、ぜんぜん関係ないですけど、僕が清水健太郎さんを取材した時の大好きな話が、清水さんが『もう俺はドラッグやめたんだよ』って言っていて。『いまは本当にすごい健康だから。俺に密着すればわかるよ。俺ね、寝ないんだよ』って言っていて(笑)。

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(玉袋・小林)(爆笑)

(玉袋筋太郎)ぜんぜん健康じゃねーじゃねえか!っていう(笑)。

(吉田豪)『疑われるから、言わない方がいいですよ!』って言ったっていう。僕の大好きな話なんですけどね。

(玉袋筋太郎)いい話だー(笑)。

(吉田豪)はい。置いておいてね。そうなんですよ。ムツさんはだから、食べれなかった時代は相当バイトもいろいろやって、麻雀もやったんだけど、麻雀の世話にならなくなったのは31才とか32才の頃。それまでは麻雀で食べていた。あの王国の設立資金も一部は麻雀。馬の器具とかも200ぐらい買ったのも、全部麻雀。

(玉袋・小林)へー!

(吉田豪)『どれぐらい稼いだのか?は聞いたら引くから言わない』って言って。ただ、2005年にインタビューをやった時の唯一のNGが麻雀のレートの話だったんですよ。

(玉袋筋太郎)レート。そりゃ言えないよね。うん。

(小林悠)なんですか?それ。

(吉田豪)レート。

(玉袋筋太郎)お金の賭け。

(吉田豪)麻雀、お金を賭けるの、そもそもアウトですからね。ただ、クロちゃんが麻雀できるって聞いた瞬間にスイッチ入って。『あんた!いまいくら持っている?』って言い出して(笑)。『いま!?いま、やる気なんですか?』『いまやろう!』って言い出して。

(玉袋筋太郎)すげー!(笑)。

(吉田豪)ちなみにレートの話は載せなかったですけど、クロちゃんの50倍でしたね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。すごい!じゃあ、蛭子さんと同等ぐらいで(笑)。

(吉田豪)蛭子さん、安いですからね。

(玉袋筋太郎)安い。激安だよ。うん。で、イカサマやる人には絶対負けないんだ?

(吉田豪)だから、本当にムツさん、実は怖いから。『ムツさんの前でイカサマとかやったら怖いですね』『いや、ぜんぜん。ぜんぜん。俺の前でイカサマできるなら、やってもらいたい』って言ってて(笑)。

(玉袋筋太郎)かぁー!後ろには動物、いくらでもいるんだから。

(吉田豪)(笑)。猛獣が。

(玉袋筋太郎)行け、こら!熊、行け!オオツノの旦那、行け!っつって。

(吉田豪)(笑)。『イカサマやる人は負けるから。どうせ、そんなやつらね。ぜんぜん気にしない。怖くもない。怒りもしない』っていうね。

(玉袋筋太郎)面白いなー!

(吉田豪)それぐらい強いんですよね。

王国に住み着いた詐欺師

(玉袋筋太郎)まあそんなね、『ムツゴロウ王国に詐欺師が住み着いていた筋』。これがたまんねえな!

(吉田豪)大好きな話ですよ。ムツゴロウ王国って、ぜんぜんチェックしないらしいんですよ。いろんな人が好き勝手転がり込んできて、居着いちゃうと。で、加納典明さんもそんな感じである日電話かけてきて。『行きたいんだけど、行っていい?』って。そのまま数年間居着いたっていう。

(玉袋筋太郎)へー!

(小林悠)写真家の方ですよね?なんのお仕事してたんですか?ムツゴロウ王国で。

(玉袋筋太郎)なにやっていたんだろうな?自然でも撮っていたのかな?

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)馬のヌードとか撮ってたのかも。触りながら、こうやって。牝馬を。

(吉田豪)局部とかね。男女とも(笑)。これなら逮捕されないっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。典明!

(小林悠)これこれ(笑)。

(吉田豪)で、20年いたり、30年いたりとかそんな人もいる中で、中には詐欺師もいたっていうね。その人は『医者だ』って言い張っていて。で、周りに許可を取って居着いたんだけど、半年ぐらいたった頃、犬が病気になって。カルシウム注射しなきゃいけないと。で、医者がいるから、『カルシウム注射、打っておいて』って言ったら、注射を筋肉に打っちゃったと。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)それで医者じゃないことがバレて、ムツさんが激怒。『この犬を殺す気か?ちょっと来い!』って言って。で、両親に電話してみたら、やっぱり『医者だ』って言い張ってあちこちに迷惑をかけていたことが判明。『お前はもう、うちにいる資格がない』っていうことで、どうしたか?っていうと、真夜中の1時ごろに車に乗せて、いちばんわかりにくい北海道の原野に捨ててきたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)それ・・・『アウトレイジ』だぞ、やってること!そんなとこに捨てちゃったら(笑)。

(小林悠)完全に『アウトレイジ』ですよ(笑)。

(吉田豪)『北海道のわかりにくい原野』って、本当に怖いですよね。

(玉袋筋太郎)網走番外地だよ、おい!

(小林悠)本当。広すぎですから。

(玉袋筋太郎)ラスベガスの砂漠とか。そういう世界だよな。

(吉田豪)『犬を捨てるような感覚』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)やべーなー!

(吉田豪)やりますよ。怖いんですよ。

海外で機関銃を突きつけられても動じない

(玉袋筋太郎)で、『海外で機関銃を突きつけられて一言。「俺はハングリーだ」』って。

(吉田豪)そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)これもね、やっぱり行ってるだろうね。世界中。世界中、行ってますよ。

(吉田豪)海外で、本当にガイドを付けるのも拒否して。『そこに行くな』っていうところも勝手に乗り込んじゃうらしいんですよ。どんどん。で、アマゾンでトップレスの女の子に体を洗ってもらったりとか、そういうのが楽しいっていうね。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)こういう話を、本当に喜々として話すんですよ。『ブラジルでね、ボディペインティングした時はね、あれ、あの時は俺も勃ったよ!』みたいなね(笑)。言わないでいいことをどんどん言うんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)かぁー!

(吉田豪)『吸い込まれるようにね、胸に、筆が・・・』みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)ムツさん!

(小林悠)いやだ(笑)。想像したくないよー!

(吉田豪)そういう感じの人ですよ。で、インド東北部でホテルに泊まっていた時に、町で軍人が機関銃を持って、銃口を群衆に向けていたと。で、翌日、ドアを開けたら銃口が見えて。廊下に軍人がウヨウヨ。戒厳令だったと。でも、俺は腹減ってるから、『もっと偉いやつを連れて来い!』って言ってね。『俺はハングリーだ!朝食を食う権利がある!俺が貧血で倒れたら、どうしてくれるんだ!?』ってキレて。そしたら、『しょうがないから出ていい』っていうね。ゴネ得で許可が出て。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)で、スタッフは誰も出てこれなかったけど、ムツさんが1人で行って。で、食堂に行ってコックに目の覚めるようなチップをはずんだら30人前ぐらい作ってっくれたと。で、軍人のところに持っていって、『お前ら、食え!』って言ったけど、誰も食べなかったから兵隊たちの方を見て、1人で朝食を豪快に食べたと。

(玉袋筋太郎)かっけーな!

(吉田豪)こんな話ばっかですよ。本当に。

(玉袋筋太郎)こんな男になりてえな、俺も!ムツさん。

(吉田豪)でも、ちょっと似てるなと思うのが、あれなんですよ。松本零士先生に近いんですよ。

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(玉袋筋太郎)そう!俺もそう思っていた。いま。

(吉田豪)あの、出身地も近いんですよ。出身地も年齢も近い。あと、松本零士先生は久留米出身の78才で、ムツさんは福岡出身の80才。やっぱ北九州の血なんですよ。

(玉袋筋太郎)九州男だよ!九州男児、すごいね!

(吉田豪)外国で一切ビビらないっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)かっけーな!これ、強いね!

(吉田豪)そして九州男児の場合はこうやって聞いていて、『あそこが違う!』って電話をかけてくる可能性もあるっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)電話(笑)。

(小林悠)松本零士先生、以前そうでしたから。

(吉田豪)ムツさんが(笑)。

(玉袋筋太郎)ムツさんから電話かかってきたら、どうしよう?

(小林悠)お待ちしてますよ。

ムツゴロウさんの丈夫な身体

(玉袋筋太郎)いいねー!で、『下水OK、ネズミOK。丈夫な身体に自分でもびっくり』って。そうだよな。あんな動物に触ってんだから。ジカ熱とか、ぜんぜん怖くねえと思うよ。俺。うん。

(吉田豪)病気でロケをリタイアしたことも1回もないし。薬とか注射とか、『事前にやってくれ』って言われたりとか、渡されたりしても、全部捨てちゃうんですよね。そんなの、いらないっていう。

(玉袋筋太郎)すごいよ。普通、そんな、アフリカとか行ったら大変だよ。注射とか。

(吉田豪)ライオンに噛まれて指をなくしても、そのままね。『あらゆるケガが勉強の材料になる』っていうことで、ロケも休まず。とにかく、現地のものを食べて、現地のものを飲む人なんですね。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)というスタイル。

(玉袋筋太郎)普通、『水は怖い』って言うじゃん?そんなところ行ったら。生水、飲んじゃう人なんだね。

(吉田豪)ぜんぜん飲みますね。僕、好きな話が南インドにイルーラっていう家を持たない人たちがいて。そこに行った時に、そこの人たちはネズミが頬袋に貯めるお米を巣から取ってきて。おかずはネズミという生活。で、ムツさんは100匹以上ネズミを捕まえて、その米を炊いたものをご馳走になったと。

(玉袋筋太郎)ほー!

(吉田豪)で、『奥さんにね、その時こっそりお金を掴ませたらね、ものすごい喜んでくれたんですよぉ!』って言って。『で、「食え!食え!」ってなってネズミを次から次へと食べたんけどね。向こうの人はお金、すごい喜んでくれるんですよぉ!』ってね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。ヤバいよ、それは。うん。

(吉田豪)無邪気ですよね。

(玉袋筋太郎)肉食親父だよ、これ。やってることは。

(小林悠)ちょっともう、びっくりしちゃった。想像を超えてました。

(玉袋筋太郎)ねえ!ここでもネズミを食ってるってことは、やっぱ反ディズニーだな。これは。

(吉田・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)うん。ネズミ食っちゃってるんだもん。すごい。

(吉田豪)食料としてネズミを飼っていた可能性、ありますよね。

どんな状況にも身を任せる

(玉袋筋太郎)(笑)。かもしれない。すっごいよねー!そして、この『象に踏まれようが、海に落ちようが、どんな状況でも身を任せちゃう』という。でもこれ、なんとなくわかるんだよな。そういった状況に抗うと、余計にケガしたりするから。そのまま任しちゃった方がいいんじゃないの?

(吉田豪)猪木が言うところの、風車の理論みたいな。

(玉袋筋太郎)まあ、風車の理論だよね。うん。だからムツさんもそれをやって。象に踏まれるって大変だよ、これ!

(吉田豪)2トンの象に踏まれて殺されそうになっても、その時、その状況に全て委ねるっていうね。そう。海に放り出されても、なるようになれ!と思ったら、だいたい2日は大丈夫っていうね。

(玉袋筋太郎)かぁー!ねえ。だから本当、サバイバーだよね。

(吉田豪)そう。象に殺されそうになった時は、川の流れに身体を持っていかれて助かったっていうね。

(小林悠)これ、野生の象にってことですか?

(吉田豪)思いっきり踏まれたんですよ。川で。

(小林悠)動物園じゃないんですね。

(吉田豪)ぜんぜん、ぜんぜん、ぜんぜん。

(玉袋筋太郎)すごいね。象が踏んでも壊れない筆箱って昔、あったけどね。それと一緒だよ。

(吉田豪)(笑)。ムツさんも壊れなかったっていう。

(小林悠)えっ、どう踏まれたんですか?

(吉田豪)もう全身ですよ。そのままガン!といかれて。川がこう流れていたんで・・・

(玉袋筋太郎)そこがね、クッションになったんだよ。良かったー!

(吉田豪)で、『その時にみっともないと思いながらも、体の震えが止まらなかった。びしょ濡れだし、みじめ。でも僕、そういうのがすごーい好き!』って言ってて。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)伸ばしたんですか?『すごーい』って。

(吉田豪)そうそう。『ああいうの、興奮するんですよ!』って(笑)。人間の世界じゃ与えてもらえなくなった感情の起伏がそういう時に与えられるっていうね。『バカにされて、命まで落とすようになって、震えが止まらなくて、みじめで。もうそのままね、眠れないぐらいにうれしかったんですよぉ!』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)やっぱちょっと感覚が、すごい人なんだな。人間としてのステージがやっぱ上だよ。

(吉田豪)レベルが違いますよ。

(玉袋筋太郎)うん。格闘技も好きなの?

格闘技マニアのムツゴロウさん

(吉田豪)そうですね。格闘技の話も。昔、猪木・アリ戦の時に猪木を批判しまくる原稿を書いていた記憶があって。そのことを振ったら、本当にスイッチが入ったんですよね。『本当にあの時の猪木は最悪だった』って(笑)。

(玉袋筋太郎)なに!?いま、逆に評価されてるんだけどね。あの試合は。

(吉田豪)ねえ。『寝転がっているだけで、何もしない!』って。ただし、当時の小川直也は認めていたんですよ。15年前のね。

(玉袋筋太郎)ああ、15年前の。

(吉田豪)あの頃の。『猪木・アリ戦がパンクラスみたいなああいう格闘技の草分けになっていたことは認めるけど、お金を取る興行としてやった以上ね、やっぱり戦ってもらいたかった。戦いを放棄したことに僕は怒った!』って言っていて。基本、ボクシングマニアの人なんですよね。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)だから、会うたびにそういう話を振っていて。10年前に会った時には、『最近、ボブ・サップがちょっと良くなってきましたね。いいパンチを打つようになってきましたよ』とか。

(玉袋筋太郎)まあ、動物扱いなんだろうね。ボブ・サップも。うん。

(吉田豪)(笑)

(小林悠)全てが生き物であるということで。

(玉袋筋太郎)生き物であるっていうことですよ。生き物バンザイ!っていうことなんです。

(小林悠)やっぱりそれは動物愛があるってことなんじゃないですか?

(吉田豪)動物愛、なのかなあ?だからもっと、世の中の考える動物愛というのはもうちょっとね、かわいがる系じゃないですか。もっと大ざっぱなんですよ。大ざっぱっていうか、もっと宇宙的というかね。『かわいい!けれども、食べても美味しい!』みたいな(笑)。そういうジャンルじゃないですか。

(玉袋筋太郎)やっぱ『志村どうぶつ園』には出てこないもんね。

(小林悠)まあ、そうですね。

(玉袋筋太郎)『どうぶつ奇想天外』とか。

(小林悠)動物関係のイメージは、もうちょっと・・・っていう感じなんでしょうか?

(玉袋筋太郎)ねえ。いや、面白いな。俺ね、この間、1年ぐらい前かな?北海道に行った時、飛行機の中でムツさん、一緒で。空港下りる時も一緒でさ。で、ムツさん、1人だったよ。マネージャーもつけないで。うん。で、1人で空港下りて、迎えの車かなんかに乗って行ったんだけどさ。で、俺、その後にタクシーに乗って、『さっき、ムツゴロウさんいましたよ。やっぱりここ、王国があったところだからですかね?』っつったら、『まあ、そうなんすけどね。評判悪いんだよね、あの人』って言ってるんですよ(笑)。

(吉田豪)(笑)。なんで?

(玉袋筋太郎)何があったのかな?っていうね。いい人だと思うよ。でも、俺は。うん。

(吉田豪)麻雀がらみかな?なんですかね?

(玉袋筋太郎)なんかあったんだろうね。そりゃ。やっぱ、スケールがさ、俺たちの物差しで計れない人たちがやっぱり俺たち、惹かれるわけで。巨星なんですよ。だから。大きな。

(吉田豪)だからムツさんを誤解してましたよ。やっぱりね、『ムツゴロウのゆかいな仲間』のイメージがあって。ゆかいな仲間を率いている、なんか平和な人みたいな感じで見ていたけど。もうちょっとバイオレントな人じゃないですか。

(玉袋筋太郎)バイオレントであり、あの王国は俺、カルトだと思っていたから。

(吉田豪)(爆笑)。はいはい。

(玉袋筋太郎)問い合わせたこと、あるから。俺、電話して。

(小林悠)ええっ!?なんてですか?

(玉袋筋太郎)『普段はどういう生活をしてるんですか?』って。俺、もう。あれ、ハタチぐらいの時かな?

(吉田豪)ムツゴロウ王国はマンソン・ファミリー的な何かじゃないか?っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)なにかあるのかな?と思って。うん。で、『そういったことには、お答えできません』って。プチッて切られちゃって。そっからもうなんか、秘密主義的なところ、あったからね。そりゃあ八王子サマーランドにも、ムツゴロウ王国ができたんだけど。撤退だからね。

(吉田豪)まあね、行っても犬ぐらいしか会えないって言ってましたからね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。いい話!

(吉田豪)だから世間の誤解が多いから。本当ね、ちゃんと伝えたいですよ。ムツゴロウっていうよりは、クロムツだと思った方がいいんですよ。

(玉袋筋太郎)上手い!黒ムツゴロウ。クロムツ!美味しいよ!クロムツだよ。ムツゴロウ、泥の中にいるからね。こうやって。砂地にいるから。こうやって。目を出して。

(小林悠)印象が変わった方も今日、多いかと思いますけども。

(吉田豪)面白かった!

<書き起こしおわり>

吉田豪 清原和博と芸能界ドラッグ事情を語る

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吉田豪さんがMXテレビ『モーニングCROSS』に出演。覚醒剤取締法違反で逮捕された清原和博容疑者と、芸能界の薬物問題について話していました。


(堀潤)さあ、続いて豪さん。テーマの発表をお願いします。

(吉田豪)はい。

(堀潤)『清原和博容疑者と芸能界ドラッグ事情』。


(脊山麻理子)元プロ野球選手の清原和博容疑者が覚醒剤取締法違反容疑で逮捕された事件について、清原容疑者は密売人とされる男と群馬県内で繰り返し接触していたことが捜査関係者への取材でわかりました。

(堀潤)うーん。一部報道で清原容疑者が留置所で泣いているっていうのが出てましたけどね。

(吉田豪)だってピアスを開けようとした時に、僕の知っているある人に、『ピアスって開けると痛いんでしょ?』みたいなことを聞いてたみたいに、基本、そういう人なんですよ。本当に。

(堀潤)(笑)。本当はそんな『番長』じゃなくてね。

(吉田豪)そうそうそう。だからこそああやって、飾らなきゃいけなかったっていう。

(堀潤)大きく見せなきゃいけないっていう。さて・・・

(吉田豪)野球選手とか格闘家って結構、薬の方に流れやすいんですよね。どうしてもだから、興奮剤とか痛み止めとかが、どこからがアウトなのか?の基準がよく、その時期によって変わったりするんで。自然とそういうのを使っているうちに流れやすくて。

(堀潤)だってかつてもプロレスラーのみなさんとか、まあボディービルダーのみなさんとかも、いろんな薬剤で筋肉を増強してきたりとか。

(吉田豪)そうですね。ドーピングも毎回基準も変わるしで。で、今回いろんな人がコメントしたじゃないですか。清原さんの件で。個人的には本当、桑田真澄さんに引っかかったんですよ。

(堀潤)えっ?どうしてですか?盟友桑田さん。

(吉田豪)あの、ね。『黒い交際とかドラッグとか、僕、ずっと注意してたんですけど。それを煙たがられて絶縁されて。僕がもっと注意すればよかったですね』っていう。正直あの、自分が上がるだけのコメントで。あの、知ってるんだったら通報しましょうよ。そこまで言うんだったら・・・って。そして、あなたのせいで、清原はこうなったっていう自覚、ないですよね?っていう。最初のつまづきですよ。うん。

(堀潤)あの、巨人と・・・

(吉田豪)そうです、そうです。で、江夏さんのコメントがいちばん僕、染みたんですよ。一言、『寂しかったんやろうな』って言っていて。自分もそういう、ドラッグもやって大変なことになって。で、江夏さんも実は離婚直後だったんですね。あれって。江夏さんにインタビューした時に、そのことを聞いたんですよ。江夏さんは奥さんを守るために、『いや、離婚は関係ない。けど、寂しかったんや』って言っていて。あの、僕、だから田代まさしさんとか清水健太郎さんとか、いろいろ取材してますけども。やっぱり田代さんも、まあやっぱりそこですよ。

(堀潤)寂しかった?

ドラッグを使ってしまう理由

(吉田豪)寂しかった。で、清水健太郎さんも僕が取材した時に、清水健太郎さんの結構一緒に仕事しているライターの人と取材したんですけど。その人が言ってたんですよ。ちょうど僕が取材した時が、彼女と別れる瞬間ぐらいだったんで。すごい心配してたんですよ。『清水さん、本当こういう時にやっちゃうんで。なにかあったら、いつでも連絡してください。ぜんぜん、寂しかったら僕が相手しますから』ってその人が言っていて。基本、そうやって誰かが・・・なんだろうな?居場所と仲間なんですよ。結局、テーマって。

(堀潤)うんうん。

(吉田豪)それがないと、寂しくて。で、清原さんなんか特に僕、ちょうど去年取材してるんですけど。ちょうどだから、報道されて、取り巻きというかそういう人たちがどんどん一斉に離れていっちゃって。誰が残るか?って言ったら、まあそういうグレーな人たちですよっていう。

(堀潤)うーん。いちばんそこにつけ込んできやすい人たちだけ残っていく。

(吉田豪)そうですよね。で、僕、清原さんの取材をした時に、テーマが1個、あったんですよ。清原さんがよく新宿で1人でご飯を食べているっていう風に報道されていたんで。『僕、新宿在住なんで、呼んでくれたらいつでも行きます』って言いに行ったんですよ。

(堀潤)ああー、なるほど。うん。

(吉田豪)そしたらあっさり、『いや、いいです』って言われて(笑)。っていうのはあったんですけど。

(堀潤)豪さんにね、電話してほしかったね。

(吉田豪)基本、そこなんです。で、あとだからすごい思うのが、今回だから田代まさしさんがこの件でいろいろテレビとかでコメントもしていて。いい流れだなと思ったのが、『日本の芸能界は犯罪者を簡単に復帰させすぎているから、もっとちゃんと干すべきだ』的な意見って多いんですけど。僕、そうじゃないんですよ。

(堀潤)うん。

(吉田豪)そうやって干して、仲間も仕事もなくなった時に、また行くんですよ。本当に。

(堀潤)だから本当だったら、テレビに出てその薬物のことをね、きちんと言うっていう。前々から、豪さんそういう風にお話されてましたよね。

(吉田豪)そうですね。だからいまの田代さんみたいにダルクで毎日働いて、仲間がいる状態っていうのは絶対にすごいいいんですよ。

(フィフィ)うん。寂しくないんだよ。

(吉田豪)酒しかり、ドラッグしかり。完全にやめる状態ってまずないじゃないですか。一瞬でもやったらすぐ戻っちゃうわけで。

(堀潤)だいたいもう、刑務所に入っている時から次の薬物の売人たちが、ねえ。接触に向けて準備が始まっていて。塀の中でも勧誘があったりとか。

(吉田豪)僕はだから田代さんとイベントやっていても、本当、それを実感したんですよね。トークイベントのお客さんで来るんですよ。『田代さん、これ、いりますか?』みたいな人が。

(フィフィ)ええーっ!?

(吉田豪)それをなんとか阻止したりするんですけど。

(脊山麻理子)ASKA容疑者の手記にもそういう風に書いてありました。イベントにいらっしゃって。

(吉田豪)そうですよね。だから、来ちゃうんですよ。

(瀬尾傑)さっき、江夏さんの話が出ましたけど。江夏さんって完全に立ち直ってですね、もう野球解説すごくがんばってますけども。

(吉田豪)仲間がいたんですよ。やっぱりあれは。

(瀬尾傑)うん。で、僕、江夏さんが出所された後に、取材したことあるんですよね。で、どこも野球解説つかってくれない時代で。それでまあ、僕が週刊誌で野球を解説してもらおうと電話したんですよね。で、そうすると当時、江夏さんが出たんですけど。江夏さん、ああいう感じでちょっと怖いんですよね。

(吉田豪)はいはい。

(瀬尾傑)で、なかなか仕事たのみにくいなと思っていたら、その後、電話に当時内縁の奥さん。まあ、いま奥さんになっている方が出られて。で、僕に『あの、江夏はあんな気難しい男ですけど、もう野球しかないんで。野球の解説をやらせてください。もう野球だけがあの人のたよりなんです』って言ってですね。その内縁の方が僕に切実に話しかけてきたんですよね。で、それで結局一緒に仕事をしたんですけど。やっぱり、そういう一緒に守ってくれる人。支える人がいたからこそ、僕は江夏さんって立ち直ったんだと思うんですよね。だから清原さんの場合、そういう方がいるのかどうか。あるいは・・・

(吉田豪)離れちゃった・・・

(瀬尾傑)ねえ。で、それをさっきフィフィさんもおっしゃったようね、家庭が無理ならこれは社会でちゃんと支える仕組みができるかどうか?っていうところがとても大事ですね。

(堀潤)豪さん、ありがとうございました。

(吉田豪)はい。

<書き起こしおわり>
吉田豪・コンバットREC・サミュLが語る 桑田真澄の昔のイメージ
雑誌BUBKA、月1回の生放送『豪STREAM』で吉田豪さん、コンバットRECさん、編集長サミュLさんが、桑田真澄さんの昔のイメージについて語っていました。BUBKA2013年9月...

吉田豪 ビートたけしから受けた恐怖体験を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、TVタックルの収録中にビートたけしさんから受けた恐怖体験について、玉袋筋太郎さんと話していました。



(玉袋筋太郎)豪ちゃん、よろしくどうぞ!

(吉田豪)お願いします!いろいろありますね。

(玉袋筋太郎)まあな、あ、あるけどな・・・うん。そういうこったよ!

(吉田豪)はるかMANIA(永源遥)Tシャツ、着てきましたよ!



(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)小林悠さんへのエールのつもりで・・・

(玉袋筋太郎)待て待て待て!

(吉田豪)これは・・・後で?(笑)。

玉袋筋太郎 TBSを退社する小林悠アナにエールを送る
玉袋筋太郎さんがTBSラジオ『たまむすび』の中でTBSを退社し、番組を降板するパートナーの小林悠さんにエールを送っていました。 (玉袋筋太郎)さあ、そして、まあエンデ...

(堀井美香)ちょっとね、早い。

(吉田豪)早いですね。

(玉袋筋太郎)豪ちゃん、待て!ハウス!ハウス!

(堀井美香)落ち着いて。

(玉袋筋太郎)どうどうどう!

(堀井美香)どうどうどう!

(玉袋筋太郎)いや、でもね、豪ちゃん。まあ前回ね、言った、とにかく俺の師匠。天下のビートたけし師匠に会うたびに俺は師匠に言われるわけ。

(吉田豪)なんすか?

(玉袋筋太郎)『おい、吉田豪ちゃんに謝っといてくれ。謝っといてくれ。たのむ!』って。

(吉田豪)なにがあったんだと?

(玉袋筋太郎)なにがあったんでしょうか・・・?

(吉田豪)今日、僕もね、『元気が出るテレビ!!』のジャンバーも着てきたんですけども。

(堀井美香)いろいろ仕込むって大事なんですね(笑)。

(吉田豪)みんな大好き、ビートたけし。当然僕も大好きですけども。

(玉袋筋太郎)もちろん、好きなんだよ。

(吉田豪)ある事件があったっていう。

(玉袋筋太郎)あったという話を。そろそろ。うん。俺もね、殿に言ったの。『いや、謝ってちゃんと伝えてますけども。殿、この話はして・・・?』『いや、たのむからもうして、笑いにしてくれ』って。

(吉田豪)そうですね。笑いとして消化しましょう!ということで、なにがあったか?といいますと、12月2日に『ビートたけしのTVタックル』に僕、ゲストで呼ばれたんですよ。スタジオの収録に。

(玉袋筋太郎)おお、いいじゃない。うれしいよね?やっぱり、うちの師匠だ。ファンなんだ。だって俺たち。

TVタックル 地下アイドル特集で共演中の事件

(吉田豪)そうです。で、たけしさん、2回ぐらい取材して。番組でも共演は1回してるけども、まあ、認識しているかどうか?ぐらいの感じだったんですよ。で、地下アイドル特集だったんですね。

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(玉袋筋太郎)うん。アイドル。

(吉田豪)で、行きました。阿川佐和子さんとか大竹まことさんとかがいて。雑談をしていたんですよ。ちょうど、文化放送とニッポン放送とのコラボの直前だったんで、『大竹さん、裏番組を意識します?』とか、そういうような話とか。『行きたいんですよ、僕、あれ』とか言っていたら、『来りゃあいいじゃん!来て、入っちゃいなよ!』とか言われて、和気あいあいと話していて。たけしさん待ちをしていたんですよ。

(玉袋筋太郎)おう。

(吉田豪)で、たけしさんがスタジオに来ました。で、なぜかまっすぐ僕の方に来ます。で、すごい怖い顔をしてらっしゃいますと。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)『おう、お前か、吉田ってのは?おい、お前、なんか俺の悪口週刊誌で書いていたらしいな、おい?』って始まって。全く身に覚えがないんですよ。

(玉袋筋太郎)ないよ!

(吉田豪)『えっ!?なっ・・・それは僕じゃない・・・』『ああん?お前、なんかお前、俺の顔が曲がっているとかなんか、書いたらしいじゃねえかよ、おい!?』って始まって。『よくお前、俺の番組出てこれたな?』っていう。『いや、絶対に僕じゃないと思うんですよ』って言ったら、『ああん?証拠出てきたらどうすんだ?』みたいな感じで、詰められたまま本番スタートっていう・・・(笑)。

(堀井美香)(笑)

(玉袋筋太郎)豪ちゃん!本当よくがんばった!

(堀井美香)生け贄(笑)。

(吉田豪)『ええーっ!?』っていう状況で。

(堀井美香)生殺し(笑)。

(玉袋筋太郎)豪ちゃん、あのね、その状況、弟子でも滅多にないですよ。私も何回か、怒られたことありますけども。もし、その状況だったら豪ちゃん、俺、全部・・・脱糞、放尿。うん。

(吉田豪)ですよね?(笑)。『芸人さんなら田舎に帰っているレベルだ』って言われましたよ(笑)。完全に『アウトレイジ』ですからね。本物の(笑)。キターッ!っていう。で、前半が別の特集だったんで、『スタジオで座って待っていてください』って言われてたんですけど、座れる状況じゃないじゃないですか、そんなもん。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)ずーっと棒立ちで。『さあ、どうしよう?』っていう。で、阿川さんも言っていたんですけど。『ちょっとムシャクシャするから阿川さん、つないで』って言われて、阿川さんが初めて進行したらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)おわーっ!

(吉田豪)『どうしよう?』ってなっていたら、プロデューサーがスタジオの外に連れだして。で、『なにか問題があるんだったら僕、ぜんぜん身に覚えがないですけど。僕、いない方がいいんだったら、僕、帰りますよ』って言ったら、『突然いなくなるのもマズいし』って。で、オフィス北野の人、知り合いが何人かいたんで、『吉田さんがそういうことを言わないのは俺ら、わかってるから。ちゃんと後で説明するから、いまは出てくれ』っていう。『後で!?』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)後で(笑)。いま、説明してくれよ!

(吉田豪)この状況のまま出てくれっていう・・・

(堀井美香)地獄の(笑)。

(吉田豪)地獄ですよ!で、『わかりました。じゃあ、変にビビって引いたらそれもカチンと来るだろうし。出すぎてもカチンと来るだろうから、適度なバランスでがんばります!』って言って。だからオンエアーを見てもらうとわかるんですけど。たけしさんのギャグには笑っているんですけど、基本僕、ものすごい神妙な顔してるんですよ。常に。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『ニヤニヤとかしてたら、たぶんそれがイラッと来るだろうから』と思って。

(玉袋筋太郎)まあその瞬間にバーッ!っとスタッフが調べて。で、豪ちゃんじゃないっていうことを殿にね。うん。

(吉田豪)で、まだ収録の途中で、たけしさんが突然、『吉田さん、さっきはゴメンな』って突然言い始めて。

(玉袋・堀井)(笑)

(吉田豪)『ええーっ!?』って。もうすごいピリピリしてたんで、共演者もピリピリしてたんですよ。突然それを言い出して。『なんかさ、さっきさ、本番前に吉田さんのことさ、ちょっと「俺の悪口言っただろ?」って脅しちゃったんだけど。あれ、俺の勘違いだったわ』って・・・(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『ゴメンね!』って言われて。

(堀井美香)いや、でも素晴らしいですね。たけしさん、素晴らしいじゃないですか。

(吉田豪)そう。終わった後じゃなくて、普通に収録中にそれを言ってくれて。で、終わった後も『さっきはゴメンね』って言われて。『なんだったんだ、あれは?』っていう。即、玉さんに言ったら、『殿からいま、電話がかかってきた!』みたいな。

(玉袋筋太郎)そう!その晩、殿から俺に電話がかかってきて。『おう、玉袋。お前、吉田豪ちゃんって知ってるだろ?お前』『あ、知ってますよ』『あれ、俺よ、ちょっと間違えちゃってよ。謝っといてくれねえか?たのむぞ!お前、謝んねえと、とんでもねえことになるからな』って。逆に俺が脅されちゃって(笑)。

(堀井美香)さすが、アフターケアも忘れない。

(吉田豪)その後、だからいろんなオフィス北野の人と仕事をするたびに、謝られるんですよ(笑)。

(玉袋・堀井)(笑)

(吉田豪)『あの、言われたんで。殿から。「ゴメン」って』って。なんなんだ、これ?っていう、不思議な展開(笑)。

(玉袋筋太郎)豪ちゃん、リスナーのみんながね、本当、みんな言ってる。『豪ちゃん、よくがんばった!』って。

芸人間に話が広がる

(吉田豪)そうなんですよ。がんばったんですよ。ところが、これが、その場に陣内智則さんがいた関係で、芸人間で結構広まったらしいんですよ。で、ある僕の知り合いがぜんぜん関係ない芸人さんをインタビューしたら、『知ってます?あの話』って言われて、この話をされて。で、芸人間では、『この歳になってあんなにキレるたけしさん、かっこいい!』っていう話になっているらしくて。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『いや、俺のがんばりも褒めてよ!ちょっと!』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。リスナーは褒めてるよ!豪ちゃん、よくやったよ!

(吉田豪)で、最終的には東野幸治さんから、僕、プライベートの交流ぜんぜんないのに突然連絡が来て。『詳しく話を聞きたい』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)呼びだされて(笑)。で、最終的には千原ジュニアさんのトークイベントでこの話を、たけしさんから聞いた話として。勘違いで怒っちゃったエピソードとして話していたっていう(笑)。それぐらい解禁されているっていうね。

(玉袋筋太郎)そうですよ。ええ。もうぜんぜんですよ。

(吉田豪)ところが、女性週刊誌がそれを聞きつけて、取材に動いたりとかして。『ちょっと僕からコメントするわけには、まだいかないです』っていう風に言って。

(玉袋筋太郎)このネタを3ヶ月、俺たち寝かしていたっていう。俺たちが寝かしたんだ。えらいね!

(吉田豪)えらいですよ。これだけ口の軽い僕たちが(笑)。

(堀井美香)(笑)

(玉袋筋太郎)俺たちが(笑)。ベラベラなんでもしゃべっちゃう俺たちが(笑)。それぐらい、大変な。寝かせたって言う。

(吉田豪)緊張感のあった話でした!

<書き起こしおわり>


吉田豪 松方弘樹を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で松方弘樹さんについてトーク。玉袋筋太郎さんと、その破天荒すぎるエピソードの数々を話していました。



(玉袋筋太郎)さあ、そんな話もありますが。今回は松方弘樹さんのね、その筋を。豪ちゃん、ちょっとお願いします。

(堀井美香)それではですね、松方弘樹さんのあらすじとその筋をご紹介ます。1942年、俳優近衛十四郎さんと女優水川八重子さんの長男としてお生まれになり、60年に父の所属する東映に入社。映画『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』で俳優デビュー後は、時代劇を中心にその甘いマスクで二枚目スターとして人気を博します。以降、『仁義なき戦い』『修羅の群れ』『最後の博徒』といったヒット映画に多数出演し、91年には『江戸城大乱』で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞。以降、ドキュメンタリーやバラエティー、そして歌手など様々な舞台で活躍をされています。

(玉袋筋太郎)うん。

(堀井美香)そして、吉田豪さんの取材によりますと、松方弘樹さんのその筋は、その1、男の憧れ、東映スターの酒豪伝説の筋。その2、東映城の暴れん坊。街で800人斬り伝説の筋。その3、下ばかり見ていた新人時代。日本のハリウッド、京都太秦の筋。その4、時代劇から仁侠映画の時代へ。『仁義なき戦い』の筋。そしてその5、ギャラが安いならキャバレーで歌えばいいじゃない?の筋。以上、5本の筋となっております。

(玉袋筋太郎)もう松方さんの話をするとなったら、時間が、尺が足りないよ。

(吉田豪)全く足りないです。ええ。

(玉袋筋太郎)まあ、三日三晩語ったって語れるっていうね。

(吉田豪)いくらでも語れますが(笑)。まあ、ね。短めで。

(玉袋筋太郎)さあ、いまちょっと大変なことになっちゃってますけども。

(吉田豪)そうなんですよ。エールを送る意味で。

(玉袋筋太郎)行きましょう。

(吉田豪)そんなわけで、1個目からですね。

(玉袋筋太郎)男の憧れ、東映スターの酒豪。やっぱりお酒だよな、松方さんって言ったら。

松方弘樹の酒豪伝説

(吉田豪)そうなんですよ。現在73才。ちょっと病気療養中なんですけど。橋本真也さんが『男の憧れと言えば松方弘樹』ってよく言っていて。

吉田豪・玉袋筋太郎 永遠の中学生 橋本真也の魅力を語る
TBSラジオ『たまむすび』に吉田豪さんと橋本かずみさん、橋本大地さんが出演。玉袋筋太郎さんらと永遠の中学生、破壊王・橋本真也さんの魅力について語り合っていました。 (...

(玉袋筋太郎)おうおうおう。

(吉田豪)松方さんに憧れるあまり、マオカラーのスーツみたいなジャージを勝手に作って。選手会長時代に。みんなが迷惑したっていう(笑)。

吉田豪・玉袋筋太郎 ラーメン研究家 橋本真也を語る
TBSラジオ『たまむすび』に吉田豪さんと橋本かずみさん、橋本大地さんが出演。玉袋筋太郎さんらと、凝り性の橋本真也さんが練習そっちのけでラーメン作りにハマッた話をしていました。 ...

(玉袋筋太郎)そうそうそう!

(吉田豪)それぐらい、好きだったんですよ。で、『酒の席でもかっこいい。俺はあんな男になりたい』って言っていて。とにかく、お酒なんですけどね。ただ、お父さんが大酒飲みで実はお酒、嫌いだったらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)あ、近衛十四郎さんがもう大酒飲みで?

(吉田豪)そうなんですよ。だから、最初は一滴も飲めなかったんですけど、17才で映画業界に入って。まあ、いまはあれですけど、1年足らずでもう2升酒ぐらい飲むようになって(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。いい時代ですなー!

(吉田豪)飲まないと、輪に入れないらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)まあまあ、そりゃそうだね。

(吉田豪)で、何度も酔い潰されながらも、やっぱり先輩の言うことは絶対で。飲めない酒も『飲め!』って言われたら飲まなきゃいけないから。知らないうちにものすごい酒豪になって。

(玉袋筋太郎)すげーよ、それは。もう東京ドーム3杯分ぐらい飲んでいるだろうね。

(吉田豪)もう、だって松方さんの飲み会の場合って、ブランデーの瓶が山になって。まあ基本、1人頭1本飲むっていうルールみたいで。

(玉袋筋太郎)そうでしょう?俺の師匠と、やっぱり『元気が出るテレビ!!』時代に2人で3升空けたっつったからね。3升だよ?酒。

(吉田豪)だから、NHKの大河ドラマに出ていた時も、控室に酒瓶を並べていたらしいんですけども。それもまあ、差し入れがお酒しか来なかったらしいんですよ。で、ラストロールになると、スタッフさんが出演者の分だけズラッと水割り作ってくれて。それを飲んでから出かけたりしていたんですけど。

(玉袋筋太郎)かっけー!

(吉田豪)で、そのお酒を途中で盗み酒していたのが宍戸錠さんで。宍戸錠さんは収録中からずっと飲んでいたっていうね。

(玉袋筋太郎)らしいねえ!錠さんは。それ、ダンカンさんも言ってたもんな。『宍戸さんはもうずっと飲んでるからな』って。

(吉田豪)僕のインタビューの時も飲み始めて。『お前も飲め』って言って(笑)。

(玉袋筋太郎)まあ、笑えないんだけどもね。俺も。人のことを言えないんだけど(笑)。

(吉田豪)(笑)。で、宍戸さんはもう途中から酔っ払ったら会話がどんどんループし始めるっていう(笑)。大変な状態でしたけども。まあでも、それだけ飲んでいたのが、もうこの時点で『5年前にやめた』って言っていたんですよ。なんでお酒をやめたか?っていうと、やっぱりお父さんも、好きだった鶴田浩二さんも、萬屋錦之介さんとかも、みんなお酒で最終的に死んじゃったんで。で、梅宮さんとかに誘われてもきっぱりやめたというね。

(玉袋筋太郎)おおー!そうだよな。みんな、そうだね。スターはね。勝さんもそうだし。みんな酒なんだわ。うん、これが。

(吉田豪)ある時期でやめるかどうか?ですよね。

(玉袋筋太郎)そう。ねえ。ある時期・・・コノヤロー!(笑)。

(吉田豪)(笑)

800人斬り伝説

(玉袋筋太郎)さあ、その2に行きましょう。暴れん坊。街で800人斬り。やっぱプレイボーイっつったらもう、松方さんだよな。

(吉田豪)まあ千人斬りっていう説もあるんですけど。

(堀井美香)あ、800人斬りって、そういう斬りっていうことですね。

(吉田豪)そうですよ。石川五エ門的な方じゃなくて。ルパンの。そっちじゃなくて。そうなんですよ。賭け事にぜんぜん興味がなくて。とにかく、この世界に入ったら大変な時代だったと。右を向いても左を向いてもべっぴんさんばっかりっていうことで。で、京都の太秦っていったら日本のハリウッドで。で、松方さんはどこに行ったって俳優として顔が通る。街に行ったらそりゃモテるっていうことで、800人斬り。

(玉袋筋太郎)だって俺がもし女だってね、そんな、松方さんがいたら、そりゃあもう許しますよ。全部ですよ、もう。

(吉田豪)ちなみに10代で童貞を喪失した時は、お母さんにすぐに報告したっていうエピソードもありましたよ(笑)。

(玉袋筋太郎)えらい大らかな時代だよな。

(吉田豪)で、当時ね、店の女の子がすごい粋で。出世払いで飲ませてくれたっていうことで、金はホテル代と女の子に使った』って言ってましたね。

(玉袋筋太郎)おわー!いいねえ!

(吉田豪)でも出世してちゃんとお金は返したらしいんですけどね。まあ、当時の東映の伝説っていうのはね、本当山城新伍さんとかがね、新しい女優さんが入ってきたら、誰が落とすか?を賭けでやっていたっていうね。

(玉袋筋太郎)うんうん。

(吉田豪)で、梅宮さんもこれ、有名な話ですけど。プロデューサーに脚本の注文をしていたと。内容の修正とかじゃなくて、『男優が5人出ていたら、女優も5人にしろ。そうじゃないとケンカになる』っていうね。

(玉袋筋太郎)(笑)。すごいよね。で、山城さんの場合はもう、誰かが行った後の女優さんも行くからね。で、『お前、そういうこと大丈夫なのか?』『うん。風呂入って洗えば大丈夫だ』っつったっていうね(笑)。

(堀井美香)ちょっと!本当ですか?(笑)。

(吉田豪)当時ひどいのが、こういう人たちの対談で、『同じ人に性病を伝染された』とかそんな話、普通にしてるんですよ。もう、ルールが違うんですよ、いまと(笑)。

(玉袋筋太郎)違うよね(笑)。

(吉田豪)『お前のせいで、みんな伝染ったやないか!』みたいなことを(笑)。ひどい!

(玉袋筋太郎)で、松方さんがさ、やっぱりなんかすげーいい女と若い頃付き合っていて。で、その女の部屋に行った時に、ドンドン!と。男が来ちゃったらしいんだよ。で、『隠れて!隠れて!』って松方さん、クローゼットに隠れたら、入ってきたのが力道山だったっていうね。すごい話があるぜ、それ。

(吉田豪)力道山と奪い合いの話、結構みんなしますよね。ミッキー安川さんも言ってましたよ、そんな話(笑)。

(玉袋・堀井)(笑)

(吉田豪)この世代の人の特徴は、平気で人の話をするんですよ(笑)。『そういう話だと、面白い話あるよ!』って、平気で千葉真一さんのことを売るんですよね(笑)。『「あゝ同期の桜」っていう作品で九州にロケーションに行った時に、俺と千葉ちゃんの2人でね、女中さんをおさえこんだんだよね』みたいな(笑)。千葉さんの話を売っちゃダメですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。千葉さん、いいなー。

(吉田豪)とか、辰兄いの話とか、平気で売るんですよ。釣りの番組でアラスカ、アンカレッジに行った時の打ち上げで・・・まあ、『釣りの番組』っていう時点で比較的最近な気がするんですけど(笑)。

(玉袋筋太郎)まあまあまあ、ねえ。でも、『松方弘樹世界を釣る』はやっていたからね。日曜日の名物番組。

(吉田豪)で、辰兄いは『そういうところにこれから行くけど?』って松方さんが誘ったら、『俺は嫁が外国人なのにここに来てまで外国人を相手にする気はない』って言って断られて。で、しょうがないってんでストリップに行ったら、なぜか後ろ姿が辰兄いに似てる人がかぶりつきにいたと。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『あんた、外国人は飽きたって言ってたじゃん!』と松方さん。で、見たらエロ本を大事に抱えていたっていうね。しかも、いまみたいに大っぴらじゃない時代のエロ本!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)濃いねえ!

(吉田豪)で、しかもそれ、帰りに自分で持って帰らないで、松方さんの荷物の中に入れてきたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『お前は大丈夫だ』って言われたっていう(笑)。

(堀井美香)これ、取材されたんですか!?吉田さんが?

(吉田豪)そうです。『こういう話ね、いっぱいあるよ!』って言って(笑)。『いくらでもあるよ、こういう話!』って(笑)。

(堀井美香)すごいですね(笑)。こんなの、言ってくれるんですね(笑)。

(玉袋筋太郎)男だなあ!

(吉田豪)そうなんですよ。で、最近聞いたこういう話で、まあ松方さんの千人斬り伝説をある人が取材したらしいんですよ。そしたら、『それは誤解だ』って言っていて。『ああ、誤解だったのか』と思ったら、『違うんだよ。これね、一生で千人とかじゃなくて、俺、1年だったんだよ、それ』っていう(笑)。

(堀井美香)ええーっ!?

(玉袋筋太郎)すっげー!

(吉田豪)『1日3人ペースでさ』みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)マジック・ジョンソンだよ、これ。すごいね!

(吉田豪)異常です(笑)。

(玉袋筋太郎)異常だよね!異常すぎる!

(堀井美香)えっ?億、超えてるってことですか?

(吉田豪)いや、1年のすごい時がそうだったっていうね。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。『億』ってそういう計算しちゃうの?堀井さん、それもすごいよ(笑)。

(吉田豪)それで20年とかやったら・・・みたいなね(笑)。

(玉袋筋太郎)トータルで億っつったらすごいよ。フィリピンに行ったあの中学の校長先生みたいな。あの先生だってすごいんだから。あれは悪いけどね。

(吉田豪)年齢の幅もすごかったしね。

(玉袋筋太郎)すごかったけど。いやー、まあね、絶滅危惧種なんだよ。うん。肉食恐竜。

(吉田豪)梅宮さんも含めて本当に、元気でいてほしい!

(玉袋筋太郎)元気でいてほしい!

(吉田豪)がんばれ!

京都太秦での新人時代

(玉袋筋太郎)さあ、その3。下ばかり見ていた新人時代。日本のハリウッド、京都太秦の筋っていうね。まあ、そのいい時代の太秦を知っている俳優さんっつったら、やっぱこういう年代の人たちですもんね。

(吉田豪)同じ東映の中でスカウトされて、東京の東映から京都の太秦の時代劇に移ったのが18才の時で。東京と京都はやっぱりぜんぜんスケールが違ったらしいんですよ。撮影所にいる人数がエキストラを含めて1万人っていうね。そう。香盤表が壁いっぱいで。外に全部流れているようなそんな時代で。毎日がお祭り。とにかく人だらけ。先輩も大勢いる。っていうかむしろ、先輩しかいない。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)だからもう、頭下げっぱなしらしいんですよ。18才とかじゃ。『だからね、結構お金拾いましたよ』って言っていて(笑)。どういうことか?っていうと、みんなお金を懐に入れて、撮影場所のセットでダーッ!っと走るんで。結構距離があったんで、結構な確率でお金が落ちていたから。相当それで稼いだっていう。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)ただ、俳優コーポの4階に住んでいて、4階から1階に下りてくるだけでも何百人かに頭を下げなきゃいけない状態だったんで。もうそれが辛いっていうんで、頭を下げないでいいように、4階から外にロープ垂らして。ロープを伝わって出ていたっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。それが『野生の証明』の『レンジャー!』に(笑)。

(吉田豪)役立った!(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。『レンジャー!』って。そうだよ。いや、でも松方さんとうちの師匠もね、ずーっと『元気が出るテレビ!!』でやっていたじゃない?で、当時うちの師匠が四谷で北野屋っていうね、割烹料理屋をやっていたんですけど。

(吉田豪)はいはい。マッチ持ってます(笑)。

(玉袋筋太郎)あ、マッチ持ってる?すげー!そうすっとさ、松方さんがさ、松茸のシーズンになるとさ・・・もうスケールが違うよね。松茸100キロだからね。

(吉田豪)100キロ!?

(玉袋筋太郎)100キロ送ってくんだから。北野屋に。

(吉田豪)(笑)

(堀井美香)国産の?

(玉袋筋太郎)国産の松茸。

(吉田豪)時価いくらですか?

(玉袋筋太郎)たいへんだよ!たぶん京都の山の裏の方のさ、持ってるのかわかんねーんだけど。100キロ。で、軍団っつったって、まあ30人ぐらいじゃない?それでもう、松茸パーティーだよ。こう、焼いたりさ、蒸したりね、やったんだけども。最終的には板さんも、もうキリねえじゃん?100キロ、捌けねえから。最後、カレーに入れたっていうね。

(吉田豪)もったいない(笑)。

(玉袋筋太郎)松茸カレーになった(笑)。

(吉田豪)風味、全部なくなりますよ!絶対、転売した方が儲かりますよ、それ(笑)。

(玉袋筋太郎)わけわかんないよ。本当、転売した方がよかったね。それぐらいのスケールだからね。松方さんの。100キロだよ!?

(吉田豪)カレーに入れたらたぶんエリンギと大差なくなりますよ(笑)。

(玉袋筋太郎)エリンギ並。そうやって食べていた。俺たち。うん。さあさあ、そんなスケールの松方さんです。やっぱりこれね。『仁義なき戦い』シリーズ。好きだなあ。

『仁義なき戦い』

(吉田豪)そうですね。で、時代劇から60年代半ばに仁侠映画メインの路線に変わって。松方さんは26才の時に大映にまず、移るんですね。大映は勝新さんしかスターがいなかったんで、ここなら主役が取れると勧められたんですけど、2年して大映が潰れちゃって。しょうがないから、上がつかえている東映に戻った。で、東映ではうだつが上がらない。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)当時の岡田茂社長からは『30才までは辛抱せい』って言われて。で、がんばって30才になったら、『40才までは辛抱せい』と言われ。そんな中で、『仁義なき戦い』が73年に31才の時にできたっていうね。

(玉袋筋太郎)31才だったんだ。あの坂井の鉄っつぁんやった時は。

(吉田豪)だから顔が若いっていうことで、メイクで隈を入れたりとか。歌舞伎みたいに朱色を入れたりとかして。で、やっぱりそれでもね、健さんのおでこのシワがほしいとか、鶴田さんのシワがほしいとか思ったと。

(玉袋筋太郎)珍しいね。やっぱシワがほしいんだ。

(吉田豪)やっぱりでもね、31には思えないですけどね。あの凄み。

(玉袋筋太郎)思えないね。うん。

(吉田豪)『でもやっぱりね、役者っていうのは40才からですよ』って言われてましたね。『40才で「修羅の群れ」の主演をやって、やっと一丁前かな?と思った』っていうね。

(玉袋筋太郎)見たよ。『修羅の群れ』まで。そこまで一丁前になったっていうのを思わなかったって、すごいなー!

(吉田豪)ただ、ところがそれで一丁前になった瞬間ぐらいから、仁侠映画が少なくなっていくんですよね。世の中の問題で。そういう作品を作ろうとすると、ちょっと警察が圧力をかけてきたりとかね。特に、テレビに出るんだったらいろいろマズいとかでっていうことで。まあ、それ以前には本当、東映ってデタラメだったので有名じゃないですか。

(玉袋筋太郎)そうでしょう。

(吉田豪)まあ、その筋の方が撮影所に来て、演技指導を直接することもあったしっていう。だから、有名な話ですよ。山城新伍さんが言っていたんですけど。賭博のシーンとかでリアリティーがないと、『ダメだよ、お前ちゃんと本物に習わないと』って怒られるっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだよ!手本引きなんか、本当だからね。あれ。手本引きなんて、放送じゃ言っちゃいけないぐらいの博打だからね。手本引きっつったら。うん。

(吉田豪)梅宮辰夫さんのリアリティーも『本物から習ったから』って言ってましたから(笑)。モデルにちゃんと直接会って、みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)まあ、コンプライアンスの緩い時代だな。うん。で、このギャラが安いならキャバレーで歌えばいいじゃないっていうこの筋ね。まあ、昔の俳優さんってもう、キャバレーがあったから。そういったところのステージって、かならずやっていたみたいだからね。うん。

安いギャラとキャバレー営業

(吉田豪)NHKの大河ドラマ『勝海舟』。74年。これが渡哲也さんの降板で10回目から主役交代っていう珍しいパターンだったんですけど。まあ、これが当時ね、ギャラが安いってさんざん文句を言っていたんですよ。『NHKは安すぎる。週5日拘束で、これか?』っていう。で、しょうがないからね、歌手活動の営業に行って。80本ぐらい行っていたって言うね。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)で、しかもそれ、『ギャラが安いから歌で営業する』って、当時も公言していたんですよ。で、モメますよね?NHKと(笑)。

(玉袋筋太郎)モメるよな。そりゃそうだよ。

(吉田豪)まあでも、歌えるだけで収入がぜんぜん違うっていうね。沖縄から北海道までキャバレー周りをしてっていう。そうやって営業をやっていくうちに、しゃべりが楽しくなって。ラジオと営業で話術を勉強して、バラエティー番組の道ができていくんですよね。

(玉袋筋太郎)ああー!やっぱり松方さんのイメージね、それが変わったっていうのはやっぱり『天才たけしの元気が出るテレビ!!』だもんね。

(吉田豪)そうですね。それまで、ああいうのを全くやっていなかったですもんね。

(玉袋筋太郎)ないないない。

(吉田豪)最初はもうちょっとなんかね、ちゃんとしたコントみたいな番組だったじゃないですか。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。会社設定でね。

(吉田豪)そうです。演技も必要な。それが、ただのバラエティーというか。行き過ぎたバラエティーにあっていって・・・(笑)。

(玉袋筋太郎)そう!それでVみてさ、松方さんのあの破顔大笑。

(吉田豪)甲高い声でヒーヒー言うっていう(笑)。

(堀井美香)泣いてましたもんね。いつもね。

(吉田豪)あの甲高い声は完全に演技だったらしいんですけど。汗はガチだったっていうね。まあ本当、1時間番組の収録で4時間しゃべっていて。いちばんすごい時は6時間やってね。観覧に来ていたお客さんの電車がなくなるぐらいだったっていう。

(玉袋筋太郎)これがさ、その時テレビ局も景気がよかったから。大変だわ。期末にかならずやるんだよ。スタッフを集めて、慰労会みたいなのを。まあ、『元気が出るテレビ!!』のその慰安会。俺たちが司会をやってるんだけど。

(吉田豪)伝説、聞きましたよ。

(玉袋筋太郎)すっごいよね。

(吉田豪)あの大金が飛び交う慰安会が。

(玉袋筋太郎)もうね、ジャンケンやって、こんなお金が入るのか!?って(笑)。

(吉田豪)(笑)

(堀井美香)へー!

(玉袋筋太郎)まあ、スタッフの数も多かったしね。

(吉田豪)制作費もすごかったっていう。

(玉袋筋太郎)制作費もすごかった。商品だってすごかったもんね。だって相棒はあん時、スクーターを新車でもらったろ?俺も25万の金のネックレス当たっちゃって。

(吉田豪)おおーっ!

(玉袋筋太郎)それをうちの師匠が『10万で売ってくれ』って俺に言って。で、俺が、普通ね、師匠だったら『どうぞ!』って言うんだけど。10万で売ったっていう。俺も俺だよ。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)うん、そう。いいよなー!

(吉田豪)そう。観覧が女の子ばっかり200人ぐらいいたんで、出て行くだけで恥ずかしくて汗をかいていたらしいんですよね。単純に。そんな時に高田純次さんが後ろから、『あのね、下から5番目の左から3人目。パンツ見えてる』とか言ってくるっていうね(笑)。『恥ずかしくて見れないですよ、そんなもん。余裕がないんだから』っていう。

(玉袋筋太郎)おおー、いや、どうですか?この伸び伸び野球だよね。野球で言えば本当伸び伸びしてましたよね。

(吉田豪)で、ちなみにたぶんこれ、まだ表に出てない衝撃のエピソード。僕らだけが喜ぶような話。当時、子供の頃ですよ。ルー・テーズの岩石落としをやって、弟の鎖骨を折っちゃったっていう話をしてて(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)あの、目黒祐樹さんをバックドロップで・・・(笑)。骨折してたっていう(笑)。衝撃の事実が明らかになりましたよ。

(玉袋筋太郎)いい時代だなー!

(吉田豪)ただまあ、こういうひどい話をした中で、本当にこれね、もう昔話です。

(玉袋筋太郎)昔話!

(吉田豪)いちばんひどい話としては、『本当、あの頃ね、当時ひどかったからさ。うちに小指が送られてきたことあるよ』って言っていて(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(堀井美香)昔話ですから。

(玉袋筋太郎)昔話ですよ!

(吉田豪)『困るっての、そんなの!送られてきても』っていうね(笑)。

(堀井美香)幻想かもしれない(笑)。

(吉田豪)幻想です。

(玉袋筋太郎)そうそう。幻想。

(吉田豪)おもちゃかもしれない。

(玉袋筋太郎)おもちゃですよ。

(中略)

(玉袋筋太郎)いやー、豪ちゃん、ありがとう。今日は本当、よくがんばった。今日もよくがんばった!

(吉田豪)ねえ。たぶん小林悠さん、気になっているはずなんですよね。ずっと引っ張られて。でも、聞けなかったという。

吉田豪 ビートたけしから受けた恐怖体験を語る
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(玉袋筋太郎)まあまあまあ、しょうがねえ。しょうがねえ。番組の終わりにそりゃ発表すっから。

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(吉田豪)はいはい。

(玉袋筋太郎)ありがとうございます。豪ちゃん、ありがとう!

(堀井美香)吉田豪さん、次回の登場は4月1日となっております。ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

杉作J太郎『ロバート・デ・ニーロになれなかったよ feat.宇多丸』を語る

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杉作J太郎さんがDommune『JGO27』の中で自身の曲、LL COOL J太郎『ロバート・デ・ニーロになれなかったよ feat.宇多丸』を紹介。レコーディング裏話や、当時と現在のアイドルファンを取り巻く環境について、吉田豪さんと話していました。



(吉田豪)宇多丸さんが入っているのはどれですか?3ですか?じゃあ、『ロバート・デ・ニーロになれなかったよ』、行きますか?

(杉作J太郎)行きましょうか。じゃあ最初、一番だけでも。

(吉田豪)一番だけでも?

(杉作J太郎)まあまあ、途中からしゃべってもいいから。じゃあ、1曲いってみましょうか。『ロバート・デ・ニーロになれなかったよ』。LL COOL J太郎 feat.宇多丸。

LL COOL J太郎『ロバート・デ・ニーロになれなかったよ feat.宇多丸』



(杉作J太郎)いやー、これは……やっぱりあの、自分で聞くと、キツいもんがあるね。

(吉田豪)(笑)。いいじゃないですか!

(杉作J太郎)ああ、そうですか。

(吉田豪)いい曲ですよ。

(杉作J太郎)僕、いまこれを聞いてね、大手企業のサラリーマンが管理職になる時に入る地獄の特訓みたいな感じがしてましたよ。

(吉田豪)どういうことですか?

(杉作J太郎)いや、これをみんなが大きい声で言わされる、みたいなね。これは厳しいね、やっぱり。これ、相当大変だったんだよ。録る時。

(吉田豪)これ、たしかあれですよね。宇多丸さんと大ゲンカした頃ですよね?

(杉作J太郎)そうです。ただ、それはね、曲のことではなかったと思う。レコーディングが終わった時は、握手してましたから。「やったー!」なんて言って。「おつかれさーん!」なんて言って。「さあ、もう終わったから楽しくお茶でも飲んで帰りましょう」なんて言って。

(吉田豪)ええ。

(杉作J太郎)ほんで、それから三宿のデニーズに行ったのかな?僕と宇多丸さんとダースレイダーで。そこでビール飲んだりなんかしてたら、ケンカになったんだね。

(吉田豪)たしか、モーニング娘。がテーマで?

(杉作J太郎)加護ちゃんのことでケンカになったの。

(吉田豪)(笑)

(杉作J太郎)こんなことを歌ってるのに。みんなで「アイが生まれた日」とか言ってんのに。その亜依のことで大ゲンカして(笑)。

(吉田豪)(笑)。「あいぼーん!」とか言ってるのに。

(杉作J太郎)いやー、なんか世界情勢を見るような感じですね。平和にしなきゃいけないのはもっともなんだけど……みたいなね。いやー、大ゲンカしちゃって。ダースが真ん中で、「いや、もうやめてくださいよ、2人とも」みたいなね(笑)。

(吉田豪)(笑)

(杉作J太郎)まあでも、宇多丸さんが割とふっかけてきますからね。

(吉田豪)そうですね。酒が入るとね。

(杉作J太郎)うんうん。たぶん、ケンカっていうか議論が好きなんだと思うんですよ。

(吉田豪)そうです。そうです。そういう人です。でも、久しぶりにこれを聞いて、しみじみとしたんですよ。Jさんが「もう大変です 俺も44」って歌っているんですよね。

(杉作J太郎)44?

(吉田豪)そうですよ。当時。

(杉作J太郎)「四十余」なんだよ。たぶん、本当は。これ、なんて書いてます?ここ。

(吉田豪)「44」。

(杉作J太郎)ああー、これね、「四十余」なんだよ。うん。これ、「四十余」じゃないと韻踏んでないんだもん。これ、「ん」じゃないんだよ。

(吉田豪)はいはい。そうですね。

(杉作J太郎)これね、「ロバート・デ・ニーロになれなかったよ」「俺も四十余」なんだよ。だからこれね、僕、初めてこの作詞をした時にね、韻を踏まなきゃいけないっていうのでね、まあダースレイダーの地獄の特訓を受けてね。「なんて日本語ってややこしいんだ」と思ってね。ヒップホップの厳しさをよくわかりましたよ。

(吉田豪)(笑)

(杉作J太郎)だから「四十余」なんだよ。40才だったんだよ。

(吉田豪)なるほどね。

(杉作J太郎)44じゃなかったのよ。まだ。

(吉田豪)はいはい。だから、当時のJさん、40って考えるとしみじみとしますよ。

(杉作J太郎)なんで?

(吉田豪)いや、僕いま45じゃないですか。

(杉作J太郎)ああー!

(吉田豪)そう。Jさんが、「40才にして『アイドル、アイドル』言ってるよ」って呑気に笑っていたのが、人のことを一切言えない(笑)。

(杉作J太郎)いま、あなたがそれを5才抜いていまね、「アイドル、アイドル」って言ってて。もう……

(吉田豪)(笑)

(杉作J太郎)「アイドル!」みたいになっているのも(笑)。あの、ダイソーって行くと、ほら。商品名がね、「ザ・台所」とか、「ザ・文具」とか書いてあって。あなた、いまもう「ザ・アイドル」っていう感じだもんね。いやー、もうアイドル大好きな45になった気持ちはどうですか? いま。

(吉田豪)(笑)。恐ろしいですよね。

(杉作J太郎)だってこれ、40の俺が相当なんか当時ね、叩かれたのよ。もうめっちゃくちゃに。サンドバッグぐらい。「サンドーバァーッグにー♪」みたいな。それぐらい叩かれたのよ。みんなから。

(吉田豪)はいはい。その当時を、だからあれだけモーニング娘。が国民的アイドルだったのに、迫害はいまより厳しかったですよね。

(杉作J太郎)いやー、厳しかったですね。まあ、本当ね。だからより、我々の当時のモーヲタのモーニングを応援していたみんなのね、結束力というか。友情というか。それはあるといまでも信じたいけどね。ええ。

(吉田豪)いまの方がだから、まあヲタの人数が増えたんですかね?

(杉作J太郎)革命が起きたんだね。じゃあね。アイドル周りで。おそらくだから、我々が明治維新の前に死んだ、俺らが吉田松陰とか……

(吉田豪)礎となってね、いろいろと(笑)。

(杉作J太郎)えー、『花燃ゆ』に出ていた人たちだなって。誰? 高杉晋作とかさ、明治維新を見ずに死んだ。我々はそうかもしれないね。

(吉田豪)ヲタの自由民権運動ですよね。

(杉作J太郎)まあ、それでモーニング狩りみたいな。新選組みたいなやつらがいたわけですよ。

(吉田豪)モーニング狩り(笑)。

(杉作J太郎)モーニングファン狩りみたいな。

(吉田豪)(笑)。ありましたね。

(杉作J太郎)あったと思いますよ。でも、やっぱり革命というか、時代が変わったんですね。

(吉田豪)そうですね。それは本当、思いますよ。「好きだ」って言いやすい時代になった。

(杉作J太郎)本当ですね。だからこの、いまアイドルの人たちも、うーん……ちょっと難かしいな。この話は。この話はもう、やめましょう。

(吉田豪)Jさんの曲でも行きますか?

(杉作J太郎)そうしましょう。

<書き起こしおわり>

杉作J太郎 日比谷野音ステージでの大失敗伝説を語る

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杉作J太郎さんがDommune『JGO27』で吉田豪さん、ゲストのSAWAさんとトーク。日比谷野外音楽堂で司会をした際にしでかした大失敗について話していました。



(杉作J太郎)いや、だっていろいろやることもあってね。楽しいでしょう?

(SAWA)そうですね。イベントも2ヶ月に1回、オーガナイズしたりとか。野外フェスをやったり。『サワソニ』野外フェスを今年は……

(吉田豪)今度は日比谷野外ですよね?

(SAWA)はい。野音じゃないんですよ。上野恩賜公園野外ステージ。

(吉田豪)あ、上野だ。はいはい。

(杉作J太郎)『サワソニ』?

(SAWA)『サワソニ』っていうイベントをやっているんですよ。よかったら、遊びに来てください!

(吉田豪)ラッパーでもあるんで、ぜひ。

(SAWA)ああーっ! ラッパー!?

(杉作J太郎)ええ。かなりのもんですよ。

(SAWA)(笑)

(吉田豪)LL COOL J太郎として活動されてますので。

(SAWA)ヤバい! ちょっと、ぜひ。

(杉作J太郎)そうです。あ、僕も野音、行きましたよ。日比谷の。

(SAWA)すごい!

(吉田豪)ああ、司会やりましたね。

(杉作J太郎)やりました。やりました。

(吉田豪)ええと、ZAZEN BOYSとクレイジーケンバンドの。

(SAWA)おおー! ビッグネームですね。

(杉作J太郎)まああの、大失敗をしでかしまして。

(吉田・SAWA)(笑)

(吉田豪)いちばん鬱々としている時に、そんなデカいイベントが来て。マイクを持つなり、「死にたいです」って言ったっていう伝説があるんです(笑)。

(SAWA)ダメじゃん!(笑)。

(杉作J太郎)まあまあね、こうやって生きているところを見ると、まあそれもブラフだったのかな?という……(笑)。

(吉田・SAWA)(笑)

(杉作J太郎)まああの、本当に死ぬ人は「死にたい」って言わないかもしれませんからね。

(吉田豪)まあね。SOSに近いですよね。「こういう状態です」って伝えてるっていう。

(杉作J太郎)だからたぶん僕はね、その「死にたい」って言った時はSOSでね。あなたとか、いろんな人が助けてくれたんだと思いますから。

(SAWA)そんな時、あるんですね。杉さんにもね。

(吉田豪)杉さんにもあったんです。

(SAWA)病み系アイドルなんですね。

病み系アイドル杉作J太郎

(杉作J太郎)あの、杉さん一時期パチンコもやってましたんでね。パチンコは手軽にそういう気持ちに割となるんですよ。

(吉田豪)「死にたい」って?(笑)。

(SAWA)やんなきゃいいじゃん!(笑)。

(杉作J太郎)「もう、終わった。もう、なにもかも終わった……』みたいな。「今日までの人生は何だったんだろう?」みたいなね。

(吉田豪)たしかに、やめた方がいいですね(笑)。

(SAWA)やんなきゃいいじゃん!(笑)。

(杉作J太郎)いや、ところが勝った時はね、もうね、何でもできそうな気がするんですよ。

(吉田豪)ああ、万能感。

(杉作J太郎)勝った日の万能感ったらないですよ。もう。

(SAWA)躁鬱を作り出しちゃってるんですね。

(吉田豪)アップダウンが激しい。

(杉作J太郎)自動躁鬱を作るマシンがパチンコというね。

(吉田豪)だからギャンブル、本当に依存症になりやすいのはそこですよね。

(杉作J太郎)ああ、ジェットコースターに乗っているみたいなね、スリルが味わえるというね。

(吉田豪)アメとムチが。たまに来るアメがすごい甘く感じるっていう。

(杉作J太郎)もう本当ね、10数万儲かる時が……まあ、これもでも、違法なのかな?

(吉田豪)違法ですね。換金は……

(SAWA)ダメだ、ダメだ(笑)。

(杉作J太郎)まあね、ジャイアンツのみなさんもいま、苦労しているみたいだから。

(吉田豪)(笑)

(SAWA)そこにつなげる!?(笑)。

(杉作J太郎)俺らもね、襟を正してやっていかなければ……ということでね。やはり、我々も「紳士たれ」ということでね、やっていきたいと思います。

<書き起こしおわり>

吉田豪 素顔の乙武洋匡を語る

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吉田豪さんが2011年にTBSラジオ『小島慶子キラ☆キラ』の中で乙武洋匡さんについてトーク。世間の一般的なイメージとは違う、素顔の乙武さんについて話していました。



(小島慶子)でね、今日は私もずっとTwitterでフォローしていて。Twitterでフォローし始めた頃、とてもびっくりして。いまはもうすっかり慣れっこになってしまったんですけど。乙武洋匡さんですね。

(吉田豪)はいはいはい。

(小島慶子)Twitterの文面を見ているとちょっと、それまでのイメージとだいぶ違って。最初、びっくりしちゃったんですけど。

(吉田豪)そうですね。Twitterでようやくキャラが浸透したというね。まあ、1976年生まれの現在35才。大学在学中に講談社から出した『五体不満足』が500万部を超す大ベストセラーになって。その後、スポーツライターとか小学校の教師を経て、いま、4月からは保育園の運営に関わったりしているんですよ。

(小島慶子)あ、そうなんだ。保育園。へー。

(ピエール瀧)先生をやっていたっていうところまでは知ってますけども。保育園なんだね。

(吉田豪)先生でものすごいストレスをためて。「やっぱり保育園からやらなきゃいけない」と(笑)。いろいろやっているんですが。で、先月号の『BREAK MAX』でインタビューして。まあ、ざっくり分けるとエロ本側の雑誌なんですよ。『BREAK MAX』って。青いシールで貼ってある。「すいません、こんないやらしい本に」って伝えると、「いや、光栄です」っていう感じで。

(小島慶子)何度もインタビューされているんですか?

(吉田豪)まあインタビューは3度目で。最初が2002年に『小学三年生』で。2006年に『男気万字固め』っていう僕のインタビュー集の文庫版でインタビューして。ほぼ5年ペースで取材していて。ただ、今回インタビューの前に乙武さんにTwitterでものすごいハードルを上げられたんですよ。ちょっと小島さん、そこを読んでください。

(小島慶子)「僕がTwitterを始める10年以上も前から、僕のブラックさ、エロさに気づき、記事にしてくれていた人物がいた。インタビュアーとして評価の高い吉田豪さんだ。彼の取材対象に対する膨大な情報量と、表面にとらわれない観察眼には心底驚かされた。今日は夕方から、数年ぶりに豪さんのインタビューを受けます。今回は僕のどんな側面を描いてくださるのか、僕自身、いまからとても楽しみにしています」。

(吉田豪)うん。ハードル、上げすぎなんですよ(笑)。そこまで期待されても……っていう(笑)。

(小島慶子)(笑)

(ピエール瀧)まあでも、楽しみにしている感じは伝わりますよ。

(小島慶子)好きなんですね。豪さんを。

(ピエール瀧)「さあ、拾ってくれる人がやってきたぞ。俺のボケを」っていう(笑)。

(吉田豪)そうです、そうです(笑)。「ちゃんと突っ込んでくれる人が来たぞ」っていう。そうなんですよ。「僕のことをずっとそういう目線で伝えてくれる人は豪山だけだったと思う」って言ってくれているんですけど。たしかに、Twitterを始めて、みんな驚いていたじゃないですか。

(小島慶子)最初、びっくりしました。

Twitterで危ないギャグを飛ばす乙武くん

(吉田豪)乙武くんがこんな危険なギャグを飛ばしているっていう感じで。で、僕が持っているいちばん古い乙武さんの記事が98年のもので。ちょうど本を出した直後だったんですね。「両手両足のない早大生が書いた『五体不満足』に感涙・感動」っていうひどいざっくりした見出しで(笑)。で、記者に「爪の垢を煎じて飲みたい」と言われて当時の乙武さんがどう答えたか? というと、「残念ですが、その爪がないんですよ」っていうね、ブラックなギャグで返す。これ、乙武くんの持ちネタだったんですけど。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)で、「日本のマザーテレサみたいな人になってほしい」とか言われるんですけど、「絶対に嫌です」っていう。まあ、基本的に変わっていないんですよ。13年前からずっと同じことを言っていて。「まあ、『成長がない』と言えば成長がないけど、『ブレない』と言えばブレない」って言っていて。ただ、乙武くんのこういうブラックでエロな面基本、スルーしていたんですよね。

(小島慶子)ああ、報道する側が。

(ピエール瀧)まあ、そりゃあね、整合性つかないでしょうからね(笑)。『五体不満足』しか持っていない人にとってみたらね。

(吉田豪)ただ、『五体不満足』もよく読むと、ブラックな状態のがいっぱい入ってるんですよね。要所要所に。ただ、そこを拾わないことが多かったんですよ。

(小島慶子)まあ、感動的なお話の中で取り上げられることが多かったのね。

(吉田豪)で、差別ギャグ言ったとして、それを載せた媒体が責任を取らなきゃいけないというような部分もあるというか。で、そのいい例と言っていいのが、そう言っていいのかわからないですけど、2002年の『小学三年生』では、僕が乙武くんのブラックなギャグを全部拾った結果、編集長が飛ばされたんですね(笑)。

(小島慶子)ええーっ?

(吉田豪)で、その話を前に乙武くんにしたら、即座に担当編集から連絡が入ってきて。「僕も飛びました」っていう(笑)。まあ、正確には担当編集と編集長が飛んで、連載が7ヶ月で終わったっていうのなんですけども。

(小島慶子)わー(笑)。

(吉田豪)まあ、どういうことか?っていうと、乙武くんのそういうギャグだけを拾うっていうのをやったんですよ。『小学三年生』で。乙武くんが「いろんなことに手、出しちゃうんですよ。手、ないのに」とかずっと、そういう度に僕がドカンドカン笑って。「最高!」って言うっていう(笑)。

(小島慶子)のを、やって?

(吉田豪)やって。で、その中で「『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出た時の話っていうのが僕がすごい印象的だ」って言っていて。要は乙武くんが「雪の日に車いすで移動している時に、雪で立ち往生しちゃったんですよ。あ、僕の場合は座り往生か?」って言ったら、お客さんがドン引きしたんだけど、タモさんだけ爆笑して。「やっぱそういう時はなに? スパイクタイヤとかはつけんの?」っていう風にかぶせたんですよね。

(小島慶子)うん(笑)。

(吉田豪)「すごい! やっぱりこれは引いたら負けだな」っていう風に思ったんですよ。

(小島慶子)まあ乙武さんはね、仕掛けてきているわけだからね。

(吉田豪)そうです、そうです。っていう風な話をしていた記事だったんですけどね。でも、乙武くん曰く、「本当にいままでは『これを笑っていいの?』みたいな人が7割。『面白いじゃん!』っていうのが3割だったのが、続けていくことによって、だんだん五分五分になって。逆転して笑ってくれる人が7割になり……っていう感じで。Twitterを始めて本当に気持ちよかった」って言っていて。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)で、今年の2月にニコニコ動画でホリエモンの番組に乙武さんが出る時に、ちょうど2人がTwitterでやり取りしていたんですよ。で、「僕も同席したい」ってTwitterでつぶやいたら、2人から誘われて。急遽、乙武くんのブラックなギャグを拾う係として出ることになって(笑)。

(小島慶子)そういう係(笑)。

(吉田豪)そうなんですよ。横で説明するっていうね(笑)。で、その時に乙武くんが言っていたのが、「車いすに乗っているとガンタンク。降りるとジオングになります。足なんか、飾りですよ。偉い人にはそれがわからないんですよ!」っていうね、乙武くんにしか言えないガンダムギャグを飛ばしていて(笑)。

(小島慶子)すごいですね(笑)。

(吉田豪)やればやるほどニコ動の人たちが衝撃を受けていくっていう(笑)。「すげー! すげー! すげー!」ってなっていくっていうのがむちゃくちゃ面白かったんですけど。乙武くん曰く、そん時にいちばん面白かったのが、ホリエモンに「最近は手足を伸ばすみたいな技術も発達していて、そういうオファーとかもあるんじゃないの?」って聞かれた時に、「たしかに『五体不満足』を出した当初はいくつかそういうお話をいただきましたね」って言ったらホリエモンが、「えっ? なんでそん時に受けなかったの?」って聞いてきて。「いまさら手足が生えても、美味しくないじゃないですか」って言っていて(笑)。

(小島慶子)うん(笑)。

(吉田豪)その直後、ニコ動のコメントが「美味しくない」「美味しくない」の弾幕になったっていうね(笑)。「まあ、普通の地上波だったらああいう時、『美味しくない』って絶対に言えないですよね」って言っていたんですけど。

(小島慶子)まあ、インターネットの動画だったから、言えたのかな?

(吉田豪)で、Twitterではいろんな人ともやり取りしているんですよ。乙武くんが。で、ある日、元AV女優でライターの峰なゆかさんとやり取りしていたりして。で、峰さんは最初は気にして。っていうか、世間的なイメージしかなかったから、「乙武さんにフォローされたら、不健全なことを書けなくなります」って言ったらしいんですよ。そしたら乙武くんが「いや、僕は五体不健全ですから」って返したって聞いて。さすがだなっていう(笑)。

(ピエール瀧)うーん。

(吉田豪)基本、そんな感じでAV女優の人とも友達とかになってるんですけど。「AV、そんなに見るわけじゃないんですか?」って聞いたら、「だってね、見てもね、溜まる。処理ができないから、あんまり見ない」って言っていて(笑)。

(小島慶子)コラッ(笑)。

(吉田豪)で、峰さんとやり取りした直後に、中村うさぎ先生とも交流していて。で、2人で一緒にホストクラブに行こう!っていう話で盛り上がっていたんですよ。で、「面白そうじゃないですか」って僕もそこに入ったら、「一緒にどうですか?」って誘われて。で、なぜかホストクラブじゃなくて、一緒に新宿のゲイバー『ひげガール』に誘われたんですよ(笑)。

(小島慶子)『ひげガール』(笑)。

乙武くんとゲイバーで飲む

(吉田豪)ショーパブ系のすごい激しい愉快なところですね。二丁目じゃないところですね。で、そこで、乙武くんは初めてのゲイバーだったらしいんですよ。で、初めて中村うさぎさんとの対面でもあって。「これは絶対、つぶやくのはマズいだろうな」って僕、思っていたんですよ。で、乙武くんのTwitterを見たら、「中村うさぎなう。ゲイバーなう」ってつぶやいていて(笑)。「あ、いいんだ、これ」っていう(笑)。

(小島慶子)(笑)

(吉田豪)で、朝方ぐらいまで飲んでベロベロになって。で、僕が笑ったのが、乙武くんが泥酔して、車いすが蛇行運転になっていたんですよ(笑)。

(小島慶子)千鳥足だ(笑)。

(吉田豪)そう(笑)。乙武くん曰く、「初めてお酒飲んだ日も、蛇行運転で電信柱にぶつかって。電信柱に『すいません』って謝っていた」っていうような(笑)。わかりやすい酔っぱらい。

(小島慶子)乙武さん、結構お酒いっぱい飲むんですか?

(ピエール瀧)『サザエさん』じゃん(笑)。

(吉田豪)漫画ですよ(笑)。

(小島慶子)かなり飲むんですね?

(吉田豪)結構飲みますね。ガンガン行きますよ。で、朝まで飲んで、解散した数時間後に、これも驚いたんですけど。Twitterを見ていたら、乙武くんが「妻が陣痛なう」ってつぶやいていたんですよ。

(小島慶子)あ、そんな時に行ってたんですね。

(吉田豪)その時にゲイバー行っていたことに衝撃を受けて(笑)。でも、さすがにこれは反省していたんですよね。「油断していたんですよ。予定日がもう1週間ぐらい後だったんで、ベロベロになって家でシャワーを浴びて。まさに寝ようとして電気を消して、カーテンを閉めた瞬間に電話が鳴って。義理の妹に『陣痛が始まった』って言われて、『うわー!』と飛び起きて。『ゲイバーなう』とつぶやいた時点では何の後悔もなかったんですけど、『陣痛が始まった』っていう連絡が来た時点で、『あれ、つぶやかなきゃよかった』ってさすがにショックを受けましたよ」って(笑)。

(小島慶子)(笑)。ねえ。身内も見てますからね。

(吉田豪)「でも、まあしょうがないと思って。あれ、やっちゃったな。しょうがない。楽しかったし!」っていう(笑)。しかも、ゲイバーでモテモテだったんですよね。乙武くんがトイレに行こうとすると、店は狭いんで、だいたい車いすを入り口に置いて、お付きの人が運ぶ感じなんですけど。で、トイレに行こうとすると、「私が連れてく! 私がチンコ持つ!」ってみんな大騒ぎするんですよ(笑)

(小島慶子)なんですか、コラッ(笑)。もう!

(吉田豪)引っ張りだこで(笑)。で、そんな時にちょっと僕、仕掛けてみた話があって。「乙武くん、ホスト経験があるっていう噂を聞いたんですよ」っていうのを確認したんですよ。そうしたら、「あ、僕、年に1回ぐらい働いてますね」ってあっさり返して。

(ピエール瀧)どういうこと? 「年に1回ぐらい働いてます」?

(吉田豪)そうなんですよ。乙武くんの親友のマキさんっていう方がホストクラブでオーナーを務めていて。その彼のバースデーイベントになると、ヘルプで駆り出されるらしいんですよ。

(小島慶子)ああー、なるほど。

(ピエール瀧)「スペシャルホストがやってきた!」っていうことで。

(吉田豪)ものすごい、うれしいですよね。乙武くんが来たら(笑)。で、乙武くん曰く源氏名もあるらしいんで。ちょっと瀧さん、ここをお願いします。

(ピエール瀧)「ホストの世界っていろんな営業の仕方があって。王道は『色恋』っていう恋愛をしているように見せかけてお客さんに来てもらうものと。あとは『友達営業・友営』っていって、『さあ、今日も楽しく飲もうね!』みたいなテンションでやるのと。あとは、『オラオラ』っていって上から出られることでキュンと来るような女の子に対して、『なんだよ、オメー。また来たのかよ? うぜーな』みたいな態度をわざと取るとかっていう中で、当然、キャバクラの世界でもあるように、枕営業っていうのもあって。それで、僕についた源氏名が『枕』」。

(吉田豪)(笑)

(ピエール瀧)ズルいなー!(笑)。

(吉田豪)ズルいんですよ。掴みとして、完璧なんですよ。乙武くんがやって来て驚いた上に、「どうも、枕です」って言ってドカンと来るっていう(笑)。

(ピエール瀧)すごいねー(笑)。

(吉田豪)卑怯ですよ。見た目か?っていう(笑)。

(小島慶子)これは、こうご自分でおっしゃるんですもんね? 戸惑う人も多いでしょうね。本当、「笑っていいのかな?」とかね。

(吉田豪)まあ、酒入っていればいいか?っていうような感じでしょうね(笑)。面白い。

(ピエール瀧)まあ、そこで試されるところもあるでしょうね。乙武くんサイドにしてみると。「あ、この人は引くんだ、ここで」っていうのと、「わっ、かぶせてきた!」っていう。かぶせてきた時は、キャッキャ楽しいでしょうね。でもね。

(小島慶子)いけるぞ!って思いますからね。

(吉田豪)わかんないんですよ。乙武くんって、試しているかどうかわかんない部分があって。僕も最初に会った時に、握手を求めてきたんですよ。それ、すごい試されている気がして。驚いたら負けじゃないですか。驚いたり、ちょっと引いたりしたら。いかに動じないで、「はい、どうもー!」っていう感じで握手するか?っていう。手の部分をキュッと握るんですけども。

(小島慶子)うんうん。

(吉田豪)でも、やっぱりそれを聞いたら、「『俺は動じないぞ』っていう顔をして握手をする人もいますね」って言ってましたよ。やっぱり。全部わかるっていう。

(ピエール瀧)そうだろうね。

(吉田豪)いやー、すごいですよ。でも本当、異常に自由度が高いんですよね。

(ピエール瀧)ねえ。禁じ手がないんだもんね。

(吉田豪)ないんですよ。「っていうか、結婚しててホストクラブ、いいんですか、それ?」っていう(笑)。

(小島慶子)そうよね。奥さん、怒んないのかしらね?

(吉田豪)って言ったら、「妻には感謝です。頭が上がらない」って言っていて。奥さん的にはこれ以上やっちゃダメみたいな線引きもなくて、自由ですっていう。ただ、「さすがに2人目の子供が生まれる時にゲイバーに行っていたのは怒られましたか?」って聞いたら、「別になかったですね。『えっ、ケンカしないんですか?』ってよく聞かれるけども、結論から言うと、しない。どの場面でも、言ってることが向こうの方が100%正しいから、怒られても『ですよね』で終わる」っていう。

(小島慶子)そうなんだ(笑)。

(吉田豪)そうなんですよ。だから、世の中的には乙武さんイコール正しいっていうイメージが強すぎたから。こうやって自分のだらしないところを言えば言うほど、「謙虚ですね」みたいに言われるらしいんですよ。「違うのに……」っつって(笑)。「そうやって自分を落とすなんて、本当に出来た人ですね」みたいな感じで。だから、「周りに『あいつ、ダメだよ』って言ってもらわないといけない」って言っていて。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)だから自発的にこうやって言ってるんでしょうけど。まあ、こんな風にいろんな壁を感じながらブラックなことを発信し続けてきた人なんですよね。で、「カタワ」っていう言葉をよく使うんですけど。それにも理由があって。乙武くん曰く、「いま、その『カタワ』という言葉は障害者を差別する言葉だということから、『身体障害者』っていう言葉になって。それがまた今度は『害』の字がよくないってことで、『障がい』になって。でも、そんなことをしていたら、また何十年後かに、『障』の字は『差し障りがある』っていう意味がだから、『しょうがい』になるのは目に見えている。それって、障害がある人に対する見方、意識の中に差別をしてるんじゃないの?っていうものが残っているから、言葉だけをいじっていると思う」と。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)「その意識さえちゃんとフラットになったら、もともとの『カタワ』っていう言葉だって別に使ってもいいんじゃないの?っていうメッセージを込めて、敢えて使っている。ただ、自分がそこだけ伝えきれてないせいかもしれないけれども、『乙武くんがそうやってカタワっていう言葉を使うのは障害者をバカにしてるんですか?』みたいな捉え方をしている人もやっぱりいる」っていう。

(小島慶子)よくね、やり取りされてますね。Twitterで。

(吉田豪)そう。で、そういう反応も含めて、Twitterは面白いこともあるけど、面倒なこともあるツールで。僕はいま、フォロワー3万5000人ぐらいでそういうことを感じるんですけど。乙武くん、30万人を超えているから、単純に考えて面倒なことも10倍あるはずで。でも乙武くん、いちいちちゃんと戦うんですよね。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)で、そのおかげで、順調にというか定期的に騒ぎが起きて(笑)。たとえば、乙武くんに向けて誰かが「バーカ」とつぶやくと、乙武さんがそれに、「カ、カ、カメラ!」ってしりとりで返したりとか。で、フォロワーからは「なんでそうやって乙武さんのことをバカにしたり、すごく絡んでくる人に対して敢えて対応するんですか? それを見ている私たちも気分悪い。どうかスルーしてください」っていう反応もあるらしいんですけど。乙武くんは、「それはできなくて。そこがもしかしたら、教師気質なのかもしれないですけど。常にどんな意見でも、『なんでこの人はこういうことを言ってるのかな?』って考えちゃう」と。

(小島慶子)うん。わかるわかる。

(吉田豪)「で、考えた時に、もしかしたら中には本当に僕のことを嫌いで、なんか言ってやろうと思っている人もいるのかもしれないですけど、でもそれ以上に、『寂しいのかな?』とか、『本人の中で抱えているものがあるのかな?』とか、そういう風に考えてしまうタイプで」という。

(小島慶子)でもなんか、乙武さんのやり取りを見ていると、そうなのかな?っていうのはわかりますけどね。

(吉田豪)上手いですよね。「だから面白い返しをして。要は、『北風と太陽』じゃないけど、その対象の人に対して、無視するなりバッサリ斬り捨てるという北風を使う方法もあるかもしれないけど、『面白いじゃん!』とニコッと返してやることで、その人が救われた気持ちになったり、心が開かれたりしたらいいな」という。

(ピエール瀧)うん。

(吉田豪)「それが結局は捉え違いで、ぜんぜんそういうことがなかったとしても、別にその人にとってはマイナスにならない。自分がただミスをしたっていうだけで。だから、なるべくああいう返しをして。そうすると、びっくりするほど、手のひらを返したように、『本当はすごくファンなんです!』とか『ごめんなさい』とか言う人が多い」って言っていたんで。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)それを聞いて、「まあ、乙武くんが本当、ああいう下らない返しをするたびに、『腕あるな!』と思いますもんね」って僕が言ったら、「腕、ないのにね!」っていうね(笑)。まあ、定番の落としをするっていう(笑)。

(小島・瀧)(笑)

(小島慶子)もう、乙武さんしかいないマーケットですからね。ライバルがなかなか出てこないっていうのはね(笑)。

(ピエール瀧)その返しの数々ね。他の人はね、使えないですからね(笑)。

(小島慶子)超オリジナル。

(吉田豪)持ちネタ、多すぎるんですよ。本当、手足絡みのギャグが多すぎるんですよね。ただ、最近被災地に行った時のことをインタビューで、「僕なんかが行っても足手まといになるかと思った」って言っていて。「ここ、突っ込むところなのかな?って思ったりした」って言ったら、乙武くん曰く、「本当にTwitterを始めて感じるようになったのは、手や足を使った慣用句があまりにも多いこと」っていう。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)「だから本当にボケたい時はそういうのを使っているけど、普通の文章の時にそういう言葉が出てきちゃうと、『またボケてんのか?』と本心が伝わらなくなる可能性があるので、敢えて違う表現を探したりすることが多い。本当、多いんですよ。手や足を使った言葉が。それだけ手足って重要なんだなと思って」って言っていて。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)まあ、たしかに乙武くん、mixiで僕、マイミクだったんですけど。mixiって、足あと機能ってあるじゃないですか? 乙武くんの足あとが付いている時に、毎回、シュールだなと思っていて(笑)。

(小島慶子)(笑)

(吉田豪)車輪?っていう(笑)。

(ピエール瀧)うーん。轍?っていう(笑)。

(吉田豪)そうそう(笑)。「そうやって、被災地に行った直後にこういうバカ話ばかりの取材を受ける振り幅が乙武くんらしいなって思った」って言ったら、「Twitterを始めてから、特に意識するようになったのが、本当にいいピッチャーってどんなに速い球が投げられても、ストレートしか投げなかったらだんだんバッターは目が慣れてきて打てるようになってくる。そういう意味で、伝えたいと思うメッセージを発信していく一方で、なにかクスッと笑えたり、『こいつ、下らないな』って思うものを挟んでいくことで、それぞれをより際立たせることができるのかな? と思って」と。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)「これまでも相当変化球を投げてきたつもりなのに、世間では自分がメディアに登場するところだけを切り取られて、ストレートしか投げさせてもらえてなかった。それがTwitterは編集責任は自分にあるので。ようやくキャッチャーのサインを無視して、自分で変化球を投げたい時に投げるっていうそういう実感はあります」っていう。

(ピエール瀧)そうだろうね。ボールになる変化球みたいなものも、どんどん投げたいんだろうね(笑)。乙武くんはね。

(吉田豪)はいはいはい(笑)。ストライクゾーンとか無視したいっていう。

(小島慶子)乙武さんを取材する人は、乙武さんがどういう人か?っていうことよりも、こういう感じの乙武さんの素材がほしいと思って取りに来ちゃうからね。だから自分に必要な部分だけ使って、あとはもういらないって。

(吉田豪)そうです。ブラックなギャグを全部削っちゃうんですよ(笑)。

(ピエール瀧)まあ、その時点で向こうも本気で取材しようと思っていないっていうことですからね。

(小島慶子)そうだよね。本当、単に素材を取りに来ているだけっていうことになっちゃうし。それはそれで失礼だよね。

乙武くんのバンド活動

(吉田豪)ただ、そんな乙武くんも本当にどうしようもない人だなと思ったのが、去年からバンド活動を始めたんですよ。で、そのバンド名が『COWPERKING(カウパーキング)』って言うんですよね(笑)。

(小島慶子)もう、なにそれ? 本当、ろくでもない名前ですね(笑)。

(吉田豪)で、乙武くん曰く、「これね、ここで語ったら本邦初ですよ。豪さんだから今日、初めてメディアで語りますね」って言っていて。「バンドのリーダーがとにかく聞き間違いが多い人で。2人で一緒に海外旅行に行った時に、現地でドライバーを雇って。そのやり取りを彼に任せていたら、首をかしげながら戻ってきて。『カウパーキングって言ってるんですけど、何なんですかね?』『それ、どう考えてもカーパーキング(駐車場)でしょ?』『ああっ!』ってうことで。で、バンド名を決める時にその話が出て、『カウパーキングにしよう!』と。


(ピエール瀧)そこで切るんだ?(笑)。

(吉田豪)まあ、正確にはね。それと、ダブルミーニングですけどね。カウパーのキングと。

(ピエール瀧)(笑)

(小島慶子)『ウ』で切るのか、『ー』で切るのか。

(吉田豪)「『さすがにマズいんじゃないのか?』っていう話もあって調べたら、カウパー液のカウパーはもともとイギリスのウィリアム・カウパー教授が発見して、その名前をつけたっていう経緯があるから別に卑猥じゃないし、これはNHKにも出られるだろう。NHKにクレームが来たら、『人の苗字を何だと思ってるんだ?』と。あとは、ポルノグラフィティさんの存在が心強かったですね。かわいい女の子たちが『ポルノが大好き』って普通に言ってるじゃないですか。だから俺らも人気が出たら、『カウパーが大好き』とか言ってくれるんじゃないかと思って」っていう。

(小島慶子)ひどいですね(笑)。もう、本当に。

(ピエール瀧)「出た―、カウパー!」みたいなね(笑)。

(吉田豪)「待ってました!」って(笑)。

(小島慶子)もう、ひどすぎる(笑)。

(吉田豪)「Tシャツとかタオルとかのグッズを作る時のデザインも考えていて。三叉の王冠の先からピュッと出ているのとか。そのTシャツをかわいい女の子たちが着てくれるのを目標に頑張っています!」「なあ? カウパータオルで汗を拭く感じの」「はい。乾くんだか、濡れるんだか…」とかね(笑)。最悪です!っていう(笑)。

(ピエール瀧)(笑)

(吉田豪)「自由度、高いですよね。真面目に保育園のこととか考えながらも」っつったら、「はい。クレーム来るかな?」「大丈夫だと思います!」っていう感じで(笑)。そんなバンドのボーカルもやっているんでね。そっちの活動も注目してあげてほしいっていう。

(小島慶子)よくね、つぶやいてますね。バンド活動のことも。

(吉田豪)真面目な部分だけじゃなくて、こういうところも見てあげてくださいという。

(ピエール瀧)うん。いいですよね。乙武くんね。

(小島慶子)吉田豪さんとはやっぱり相性がいいんですね。ずいぶん突っ込んだことをね、お話されて。

(吉田豪)そうですね。ただ、真面目な話をぜんぜん聞かないんでね(笑)。かわりに僕は(笑)。

(小島慶子)今日は保育園のことがほとんど分からなかったですよ(笑)。

(吉田豪)そういうのは他のインタビューで読んでいただければ(笑)。

(ピエール瀧)いま、園でこのラジオが流れていないことを祈るばかりです(笑)。

(吉田豪)「この人にはちょっと預けられないな」って(笑)。

(ピエール瀧)「これ、園長先生のこと言ってない?」みたいな(笑)。

(小島慶子)真面目なね、父兄、父母の方がこれを聞いて(笑)。

(吉田豪)「この人、カウパーの王様なんでしょ?」っていう(笑)。

(小島慶子)ねえ。プロインタビュアーの吉田豪さんでした。ありがとうございました。また来週、お願いします。

(吉田豪)はい、どうも。

<書き起こしおわり>

吉田豪 永井豪から聞いた梶原一騎伝説を語る

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吉田豪さんがDommune『梶原一騎生誕80周年/知られざる梶原一騎世界』の中で、永井豪先生とのトークショーの中で聞いたパーティーで梶原一騎先生と遭遇した際のエピソードについて話していました。



(吉田豪)永井豪先生とこの前、大阪でトークショーをやったんですけど。永井豪先生が、梶原先生のパロディーをやって。その結果、パーティーに行ったらずーっと梶原先生が睨んでいて。

(宇田川・植地)(笑)

(宇田川岳夫)それは、いつごろの?

(吉田豪)いや、ジャンプの初期でしょうね。「ヤバい!」と思って。

(宇田川岳夫)ああ、『ハレンチ学園』とかやっていた頃。

(吉田豪)「すいません、あんなこと描いちゃいまして」って行ったらニコニコしてくれて…って。

(宇田川・植地(笑)

(吉田豪)「自分から行くと、なんとかなるんですよ。梶原先生は」っていう(笑)。

(植地毅)行かないと、どんどんどんどんね、事態が重くなっていくっていうことですよね。

パーティーでの梶原一騎先生

(吉田豪)いろんな人から、そういうパーティーでの梶原先生話を聞いて、全部最高だもんな。だから、さいとうたかを先生のインタビューをした時も、やっぱりその話が出たじゃないですか。「パーティーで出会ったら、ずーっと梶原先生が僕の周りを回るんだ。グルグルと、睨みながら」っていう(笑)。

(植地毅)威嚇してるんすかね?(笑)。

(吉田豪)お互いに一切挨拶もしないままの距離感でっていう(笑)。

(植地毅)そう。ねえ。東西劇画の巨塔にもかかわらずね。

(吉田豪)ねえ。小林よしのり先生とかが当時、ジャンプのパーティーに行ったら、その時はやっぱり入り口に真樹(日佐夫)先生がいて、入りづらかったっていう(笑)。


(植地毅)(笑)

(吉田豪)真樹先生がこうやって、ずーっと待っていて(笑)。漫画家、入れるわけねえだろ、これ?っていう(笑)。

(植地毅)そうね(笑)。

(中略)

(宇田川岳夫)いや、だからそれだけほら、語り尽くせないものがあるんですよ。新発見が次々と出てくるんですよね。

(植地毅)だから、いまだにそうなんですよ。

(宇田川岳夫)まだまだこれから、たぶん出てくると思いますよ。いろんなところで。

(植地毅)だから、いま話しているだけでも、やっぱり単行本になっても復刊されてないし。もしくは、未収録であったりとか。

(宇田川岳夫)そう。そういうのも見ないとダメですよね。

(植地毅)そういうのをどんどん掘り下げていかないと、やっぱり本当の梶原って語れないんじゃないかなって。真実の姿を。

(宇田川岳夫)そう。真実の姿ね。

(吉田豪)そして、同じ時代に活動していた漫画家さんとかから、本当に全く話の流れとは関係ないのに、梶原先生の話を一応聞くっていう活動は僕、やっているんですよ。

(宇田川・植地)(笑)

(吉田豪)「永井豪先生と、なんで公開トークイベントで梶原話を掘っているんだ?」みたいな(笑)。

(植地毅)でも、さっきのみたいに。

(吉田豪)新ネタ、出るからね。そう。……全然関係ない話、していい? そん時、永井豪先生が話していた全く知らなかった新ネタがあって。『ハレンチ学園』の時にワイドショーとかに引っ張りだされて、PTAに吊るし上げられた話は有名じゃん? そん時の話で、「今回は全然『ハレンチ学園』の話はしないですから」っていう条件で、大阪の番組に呼ばれたことがあって。「ああ、本当に言われた通りだな」と思ったら、途中でなぜか、巨大な、デカい、ボロボロの服を着たアフロの女が入ってきて。「あんたの『ハレンチ学園』、なんや!?」って感じで、突然絡みだす奴が出てきたんだって。

(植地毅)現場で?

(吉田豪)現場で。スタジオで。「なんだ、これ?」と思いながらも、「突然、こんな人が乱入するっていうのはおかしいから、たぶんこれは仕込みかなんかだろう。テレビ局の」と思っていたら、その人が数ヶ月後に和田アキ子としてデビューしたんですって(笑)。

(宇田川・植地)(笑)

(吉田豪)「ええーっ!?」っていう(笑)。まだまだ知らない話、あるな!っていう(笑)。

(植地毅)それ、仕込みなんすか?

(吉田豪)仕込みだったんだって。デビュー前の。

(植地毅)ああー。じゃあその、『ハレンチ学園』に物申す一般視聴者みたいな。

(吉田豪)物申すデカい女っていう(笑)。

(植地毅)デカい、関西の(笑)。

(吉田豪)(笑)

(植地毅)あの、昔のテレビ局って、めちゃくちゃやりますよね。

サラ金 杉山会長とミッキー安川の戦い

(吉田豪)昔、めちゃくちゃやるねー。ねえ。それこそ、梶原先生の貴重な、見ていない映像もまだあるもんね。そういう、それこそサラ金の鬼の杉山会長と梶原先生の……あれ、映像は見たことがないんですよ。俺。

(植地毅)そう。ミッキー安川と杉山会長が番組の中で取っ組み合いを始めて、梶原先生が仲裁に入るっていう(笑)。

(吉田豪)そう(笑)。

(宇田川岳夫)そんなことがあったんですか?

(植地毅)らしいんですよ。

(宇田川岳夫)それ、何年ごろ?

(植地毅)だから、全盛期でしょうね。

(吉田豪)写真はある。杉山会長の本にそのへんの描写は全部出ているんですけど。映像で見たことがなくて。

(植地毅)そうそう。で、あれ結局ね、プロレスだったわけじゃないですか。

(吉田豪)まあ、ミッキー安川さんは言ってましたね。

(植地毅)杉山会長は本気だったかもしれないですけど(笑)。

(吉田豪)打ち合わせ済みでギリギリの試合をするっていう(笑)。

(植地毅)ダーッて金をバラまいてっていう。それを梶原先生が、あれですかね? ワイドショーのコメンテーター的なポジションにいたっていう? それとも、ジャッジとして呼ばれたのかな?

(吉田豪)だから本当、梶原作品の謎っていろいろあって。それこそ、『人間兇器』とか『カラテ地獄変』的なもので、しょっちゅう地下プロレスみたいな話が出てきていたじゃない?

(植地毅)はいはいはい。血のしたたるステーキを食いながらね。

(吉田豪)そうそうそう。普通のプロレスではない、地下のギリギリの試合をするやつ。あれが実はね、実在したっていう話は真樹先生から聞いたことがあって。正確には、温泉場とかで黒社会の人が金をかけてやるようなプロレスが存在して。で、そこでずっと勝っていたのが、木村政彦さんの弟子の岩釣さんとかで、みたいな話をそのへんの周辺から僕も聞いたことがあって。だから、梶原先生、ただのファンタジーかと思ったら、実はリアルがだいぶ混ざっている説っていうのがあって(笑)。

(植地毅)事実にもとづいていた(笑)。

(吉田豪)そうそう(笑)。

(宇田川岳夫)一時期は地下プロレスって新宿やなんかでやってましたよ。

(吉田豪)まあ、ああいうものじゃない、本物のやつです。

(植地毅)本物。ああいう、お客を入れてやるやつじゃなくて。お客も本物、みたいな。

(吉田豪)そうそうそう。

(宇田川岳夫)いまの、その岩釣さんの話って、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』に書いてますよね?

(吉田豪)そうです。いろんな腕利きの外人たちのトップに立っていたのが岩釣さんだったっていう話ですけど。

(植地毅)それはもう、リアル『人間兇器』ですね。完全に。あれ、実話?

(吉田豪)そうそうそう。

(植地毅)まあ、すごい出てくるんですけどね。エピソードが。『空手バカ一代』だって、出てきますよね?地下プロレスの話は。だから、梶原一騎世界、「ファンタジーだ」なんて言われてますけど、結構事実です!(笑)。

(宇田川・吉田)(笑)

(宇田川岳夫)そうなんですかね?

(吉田豪)意外と。

(植地毅)そういうことですよね。意外と。だいたいほら、主人公の生い立ちとかも実体験に基づいているっていう感じじゃないですか。ねえ。カンカン(鑑別所)なり、少年院なりにブチ込まれて、そこでリンチされて、みたいな話とかも。

(吉田豪)そして、ねえ。真樹先生曰く、「あのへんは全て俺の少年院のエピソードがもとになっている」っていう(笑)。

(植地毅)(笑)。あの、ねじりん棒の話とかね。

(吉田豪)そうそうそう。

(植地毅)『あしたのジョー』に出てきたね。あれは事実だったっていうね。だからこそ、あの迫力につながってくるんじゃないかと思いますけどね。

<書き起こしおわり>
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