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吉田豪 サッカー専門誌エアインタビュー問題を語る

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吉田豪さんがMXテレビ『モーニングCROSS』に出演。サッカー専門誌のエアインタビュー問題について話していました。


(堀潤)さあ、続いて豪さん、テーマの発表をお願いします。

(吉田豪)はい。

(堀潤)「エアインタビュー バトル激化」。


(宮瀬茉祐子)日本のサッカー専門誌において、実際に取材を行っていないにもかかわらず、取材をしたかのように記事を書くエアインタビューが横行しているのではないか? とジャーナリストの田崎健太さんが告発した件について、サッカー専門誌同士が激しく主張をぶつけ合っています。

(堀潤)これはなかなか気になっていたんですよ。実際、誰が本当なのか?っていう……

(吉田豪)まあ第三者からは絶対にわからないじゃないですか。なんとなく、こっちが正しい気がするとしか思えないっていう。まあ、田崎さんがずっと告発をしていて、反論したんですよね。で、田崎さんが「怪しい」って言っていたのは、「取材した時の写真がないプラス内容が薄い。そこがまず怪しまれるポイントだ」って言って。で、このサッカー専門誌側が言ったのが、「インタビューを出来ない状態になってしまったから、個別に取材したものにボリューム的に足りないところを囲み取材や記者会見の発言から補足をしている」っていう。それははたして「独占インタビュー」と言っていいのか? 問題とかはあるんですけど。

(堀潤)うーん。「独占」ではないですからね。

(吉田豪)ただ、「エアインタビュー」とまで言い切るのも難しい。ただ、エアインタビュー的なものって、僕もサッカーとは無関係の仕事ですけど、まあよくあるんですよ。

(堀潤)あ、そうですか。よくある?

エアインタビュー的なものはよくある

(吉田豪)全然、ないものじゃない。まあ、本人の意思でエアにしていることもあるし、事務所の意思でエアにしていることもあるし。有名な話だと、梅宮辰夫さんとか。僕の友達が連載を担当していたんですけど、「ああ、面倒くさいから適当に書いといて!」みたいな。想像で書くっていうのは普通にあるんですよ。

(堀潤)(笑)。「もう、いいよいいよ」って。そういうのがある。

(吉田豪)僕、タレント本のコレクターなんですけど、取材の時に持っていくと、「なに、この本! 俺、知らない!」って言って、中も全然取材を受けていないとか。あるんですよ。

(堀潤)へー! 豪さん、でもプロインタビュアーとしてはそういうのを見ると、許せないっていうか。なにか複雑な思いは抱かれるんじゃないですか?

(吉田豪)まあ、「薄いな」と思うこともあるし。僕もだから、囲み取材とかの発言から補足になりそうになったことはあるんですよ。僕、囲み的なことっていうか合同取材はやらないようにしているんですけど、2回だけ映画絡みでやったことがあるんですね。で、市川海老蔵さんがスキャンダルの直後。あのせいで公開が延期になった映画の……それで取材に行ったら、合同取材があった後での個別だったんですけど。面白かったんですけど、まあデリケートな話が多くて、かなりカットになったんです。で、足りなくなったから、「合同のやつを混ぜてくれ」って言われて。でも、それをやったら嘘になるじゃないですか。

吉田豪 市川海老蔵の素顔を語る
吉田豪さんがニッポン放送『上柳昌彦・松本秀夫 今夜もオトパラ!』に出演。歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの素顔について話していました。 (松本秀夫)今日は歌舞伎俳優の市川海...

(堀潤)そうですね。

(吉田豪)僕は、だから「諸事情で文字数が足りなくなったので、合同インタビューの部分から面白かった部分を抜粋します」みたいな感じで後ろにちょっと付けるっていう。

(堀潤)誠実だわ。豪さん、そこはね、自分の職業として譲れない一線ですと。

(吉田豪)でもそこは出版業界では普通になっていると思うんですよ。

(堀潤)ああー、「混ぜておいて」と。

(吉田豪)まあ、混ぜるのが当たり前。別にそれは悪いことじゃないっていう。で、僕も疑われたことが実はあって。ABブラザーズの松野大介さんっていう人がいて……

(堀潤)ABブラザーズ?

(吉田豪)ええと、中山秀ちゃんの相方です。

(堀潤)『笑っていいとも!』に出ていた?

(吉田豪)その後ですね。

(堀潤)『いただきます』。

(吉田豪)ですね。の、アシスタントをやっていて。で、その人を取材したことがあったんですけど、ある日突然、「吉田豪という男はインタビューに代理人を寄越すような男で失礼だ!」とか、突然ブログに書かれて。見に覚えがない。「僕、取材してますよ」っていう。で、そういう時に証拠を出すのって本当、難しいじゃないですか。でも僕は助かったのが、取材現場の写真がちゃんと雑誌というか単行本にも載っていて。「ほら、やっているじゃないですか」っていう。だから、その田崎さんが言った取材した時の写真の有無っていうのはたしかに重要で。

(堀潤)はー、なるほどね。

(吉田豪)ちなみにこの田崎健太さんっていう人、僕、知り合いなんですよ。

(堀潤)どうなんですか? 実際はどういう方なんですか?

(吉田豪)安田忠夫さんっていうちょっとデタラメなプロレスラーの方がいまして。ギャンブルで身を持ち崩して相撲を辞めて、プロレスに入ったんですけどそこでもギャンブルで問題を起こして辞めて……みたいな人を最後に救った人っていうか。引退試合をやってあげたのがこの田崎健太さんなんですよ。

安田忠夫


(堀潤)おおー。なかなかじゃあ、男気のある。

(吉田豪)それで稼いだお金で、ブラジルで相撲を教えるっていう道まで作ってあげて。で、空港で待っていたらその安田忠夫さんが現れなくて。なおかつ、その安田さんに告発されるようになるんですよ。

(堀潤)えっ?

(吉田豪)「あんな最低のやつは見たことがない。俺の金(引退試合の売上)をあいつが使った!」みたいな感じで告発し始めて。

(堀潤)そんな……恩を仇で返すような……

(吉田豪)まあ、どういう人かはみんなわかってるんで、あんまり本気にしなかったんですけど。僕が困ったのはその時に、「吉田豪も田崎のことはボロクソに言っていた」って安田さんが言い出してですね(笑)。僕、巻き込まれて。僕、一緒にイベントをやったことがあって、この話になったけど僕はなにも言ってないんですよ(笑)。それもただ、会場にいる人たちは証人になるけど、難しいじゃないですか。これこそ僕、エアだよ!って思ったんですけど(笑)。

(堀潤)本当ですね。でも、たしかになかなか見分けが難しいですね。これだけいろんなメディアが発達してくると、どこにクレジットがちゃんと明記された情報なのか?っていうのが見えにくくなってきているっていう。

(吉田豪)田崎さんサイドはだから「そのインタビューの音声を出せばいいだろう?」って言って。でも、それも許可なしで出せるものなのか?っていうのもあるし。難しいんですよ。潔白を証明するのも難しいし。完全にクロだって言い切るのも難しい。

(堀潤)どうすればいいですかね?

(吉田豪)ただ、怪しまれる記事が多いのは間違いないですよ。うん。

(堀潤)そういう意味で言うと、やはりなにかしら、これはこういういい情報ですよって証明できる人の価値が相対的には高まっていくということになりそうですからね。開沼さん、いまのお話、どう聞かれました?

(開沼博)やっぱりスポーツ誌業界っていうのはとても狭い……まあ、言い方はあれですけども。村社会的な部分があるという風に言われているというのもあるのかな? と思うんですね。僕はいま、中井祐樹さんっていう、これも格闘技を知っている方は知っている伝説的な方で。

(吉田豪)修斗ですね。

(開沼博)やっぱりそれまでプロレスを、ある面では八百長的な、決まりきったことをそのままやらされる、みたいな。でも、それをやらないと排除されるというような状況があったところに、本当に強い格闘技はこれだ!っていまの総合格闘技とかが流行るっていう文脈を作った方で。やっぱり、その時も村社会的なものがあったと思う。たとえばいま、生き残っている大きな総合的なスポーツ誌って文春のNumberぐらいで。やっぱりNumberに書けるかどうか。その時にいろいろなものを取れるかどうか。「取れるかどうか」っていうのは、選手との関係とかがうまくあるか?っていうことで。まあ、そこでじゃあ取れなかったらエアになっちゃうとかっていうのもあったのかな? と想像しますよね。

(堀潤)椎木さん、いかがですか?

(椎木里佳)私、前にAKBの子と共演した時にそのAKBの子が将来、卒業した時に社長になるために、私に擦り寄って。その後に「つながった。関係者だ」みたいな……「誰だよ!?」みたいに(笑)。もう本当にこう、真実じゃないことを平気で書くような人たちがいるので。あんまりこう……あんまり信じられなくなっちゃったなっていう。

(堀潤)そういう意味で言うと、豪さんみたいに自分の名前で、顔と名前を出して、そのブランドでやっているっていう方の情報が非常に価値が高くなりますよね。

(吉田豪)ちなみに田崎さん、Twitterでこういう告発をしていた時に、パーティーでこの編集長に直接たずねたことがあるっていうのが、それが実は酔っ払っていて、言葉荒く迫って、髪の毛を掴んで、髪の毛が掴まれた時に(皮膚に)爪が食い込んで流血した、みたいなことまでバラされちゃったりとかで。どっちがどっちかわからなくなっている状態がいまですね(笑)

(堀潤)なるほどね。ちょっとウォッチしていきましょう。エアインタビューの話でした。ありがとうございました!

(吉田豪)どうも!

<書き起こしおわり>


吉田豪と玉袋筋太郎 長谷川豊降板騒動を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。玉袋筋太郎さんとネット記事炎上をきっかけに『バラいろダンディ』などレギュラー番組を降板した長谷川豊さんについて話していました。

ガセ川さんがいなくなっちゃった。玉さんと宇多さんかイジりまくっていて笑った??

みやーんZZさん(@miyearnzzlabo)が投稿した写真 –


(安東弘樹)豪さん、こんにちは!

(吉田豪)はい、お願いします!

(玉袋筋太郎)いやー、よかったね、豪ちゃん。降板させられなくて。

(吉田豪)ねえ。心配していたんですよ。この番組で安東さん、失言だらけじゃないですか(笑)。

(玉袋筋太郎)気をつけてくださいよ!

(吉田豪)相当気を抜いて下ネタ連呼してるし。毎回ハラハラしていますよ。

(安東弘樹)シモでは大丈夫です(笑)。

(吉田豪)シモでは大丈夫ですね。安東さんは基本、弱者には噛みつかない人なので。そこは大丈夫ですね。

(玉袋筋太郎)そういうことなんですよ。優しいですからね。

(吉田豪)でも、あれですよね。アサヒ芸能の有名人スキャンダル大賞、次回はもう決定ですね。

アサヒ芸能 有名人スキャンダル大賞 受賞決定

(玉袋筋太郎)決定だな! ガセ川!

(吉田豪)おめでとう!

アサヒ芸能スキャンダル大賞夏場所! 今回も最高!

みやーんZZさん(@miyearnzzlabo)が投稿した写真 –


(玉袋筋太郎)おめでとう! いやー、豪ちゃんもやっぱインタビューしなきゃしょうがなく……

(吉田豪)ねえ。そういう空気は出ているんですけど(笑)。

(玉袋筋太郎)空気になってるんだけど。

(吉田豪)すぐ出るんですよ。こうなると、Twitterとかでね、「吉田豪、任せた!」みたいなのが。

(玉袋筋太郎)「豪ちゃんの出番だ! しくじり先生の出番だ!」と(笑)。しくじり先生も出られないと思うんだよね。

(吉田豪)無理ですよ。当分。10年は寝かさないと無理ですね。

(玉袋筋太郎)だな~!

(安東弘樹)もうね、まあ局アナですけど、なんとも言えないですけどね。

(吉田豪)反省の無い人に反省を言わせちゃダメですね!

(玉袋筋太郎)(小声で)本当だよな~。まあ、横にいた人だからあんま言いたかねえけどな。毒舌っつーのはね、やっぱその裏に茶目っ気と洒落っ気がねえと毒舌とは言えないんですよ。

(吉田豪)そう! 毒舌は技術いりますよ!

(玉袋筋太郎)いるんですよ! ねえ。

(安東弘樹)室井佑月さんが心配してました。

(吉田豪)そう。室井さん、本当ちゃんとした人なんですよ。実は。だって、絶縁状態だったんですよね。「絶交している」って言ってすごい仲悪いんですけど。そう……

(玉袋筋太郎)だけどさ、室井っていうのはさ、うちの相棒ともダメじゃん?

(吉田豪)そうです、そうです。つい最近、僕、一緒にニコ動で番組やって。「あのね、本当に博士、嫌い」って言った後に、「でもね、玉さんは大好きなの」って。「玉さんは本当に色気がある! 好き!」って言っていて。

(玉袋筋太郎)いや、そういう状況だったんだけど、この間メイク室で室井がさ、「いや、最近相方さん、すごいいいことやってる。いままでのイメージと私、変わっちゃった」なんて言っていて。

(吉田豪)ああ、百田尚樹と戦ったりなんかして(笑)。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。

(安東弘樹)ああー、なるほどね。

(玉袋筋太郎)俺、そこの板挟みにもなってよ。よくわかんねーんだよ。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)室井さんは「あのMCを誰がやるんだ?」っていうのをね。僕、会社辞めたら、あそこをやりたいって思っていて(笑)。

(玉袋・吉田)(笑)

(吉田豪)また! 「やりたい」と言い続ける安東さんが。

(安東弘樹)ずーっとやりたいんですね。MXは、本当ね。

(吉田豪)失言枠ですからね。

(玉袋筋太郎)本当だよ。半蔵門、大変なことになっているけどさ。

<書き起こしおわり>

吉田豪 安齋肇を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』で『タモリ倶楽部』の空耳アワーでお馴染み、安齋肇さんについて話していました。



(安東弘樹)それでは安齋肇さんということで。まずはあらすじとその筋をご紹介します。安齋肇さん、1953年、東京都のお生まれ。現在62才。1975年に桑沢デザイン研究所デザイン科を修了しデザイナーになった後は、日本航空のキャンペーン「リゾッチャ」のキャラクターデザインほか、ユニコーンや奥田民生さんなど数多くのツアーパンフレットを制作。イラストレーター、アートディレクターであり、テレビ番組『タモリ倶楽部』の人気コーナー『空耳アワー』でおなじみのソラミミストでもあられます。また、今年は盟友みうらじゅんさんの小説『変態だ』の映画化で映画監督デビューも果たしています。

(玉袋筋太郎)うん。

(安東弘樹)そして吉田豪さんの取材によりますと、安齋肇さんのその筋は……その1、本業はデザイナー。実はあの象さんマークを手掛けた人の筋。その2、タモリさんの横に座り続けて24年。父から「蛭子さんになれ」と言われた筋。その3、締切破りで遅刻魔。危うく指がなくなるところだった筋。その4、みうらじゅんさんとの大ゲンカの真相は……の筋。その5、12月公開映画『変態だ』。脱力系映画監督の筋。以上、5本の筋です。

(玉袋筋太郎)うーん! 安齋さんね。

(安東弘樹)いろいろあるんですね!

(吉田豪)一緒に『タモリ倶楽部』、何度か出ましたもんね。

(玉袋筋太郎)出てるんだよね。そう。あんまり、普段はお話してくれないんだよね。こっちから追いかけたらスッと逃げちゃうような。距離感っていうのがやっぱり、ありますね。

(安東弘樹)えっ? 象さんマーク?

(吉田豪)そうなんですよ。これね、まず取材をする流れっていうのがありまして。みうらじゅんさんから久しぶりに電話がかかってきて、「飲みに行こう」って言われて。「ちょっといま仕事なんで無理です」って言ったら、「じゃあ、俺の映画『変態だ』の監督をやった安齋さんを取材してくれ」って言われて。あの、みうらさんにねじ込まれての取材だったんですね。

(玉袋筋太郎)ねじ込みなの? 「飲みに行こう」だったんだ。

(安東弘樹)飲みの誘いを断ったら、ねじ込まれた?

(吉田豪)そうです。「代わりにやれ」っていうね。まあでも、全然安齋さん面白いんで。「行きます」って言って。で、安齋さんは本当にね、『タモリ倶楽部』の人としていま有名ですけど、本業はデザイナーで。代表作は本当、象印のマークなんですよ。

(安東弘樹)えっ?

(玉袋筋太郎)これがすごいよね!

(吉田豪)まあ、正確には一代前。ちょっとアレンジされちゃって。その前のやつで。まあ、昭和の頃の象印は安齋さんのやつだったんですよ。

代表作は象印マーク


(玉袋筋太郎)『ヒントでピント』の頃?

(吉田豪)そうです。そうです。象印賞の象印ですよ。あの時の。


(玉袋筋太郎)あ、そうだ! へー、でも、ずいぶん若い頃だよね?

(吉田豪)そうです、そうです。どういうことか?っていうと、デザイン事務所のアシスタント時代に上司が「あっ、マークたのむの忘れた! もう時間ないから、とりあえず安齋くんがマーク書いておいて」って言われて書いたのがこの象だったっていう……

(玉袋筋太郎)(笑)。へー!

(安東弘樹)それが、採用?

(吉田豪)そう。本当はちゃんとした人に依頼する予定だったんだけど、もう一週間ぐらい前だったから、その締切でたのむのは無理だっていうことで、とりあえず作ったら使われちゃって。で、アレンジされているとはいえ、いまもそれがベースになっているという。

(玉袋筋太郎)あったね、そういうのね。根本敬さんもあったよね、そういうのね。『生きる』のオヤジがどっかの大きい企業のマークになっていたこともあったな。

(吉田豪)そうですね。広告で使われたりしてましたよね。

(玉袋筋太郎)そうだよね。広告でね。そうだよ。

(吉田豪)おかしな時代があったんですよ。でも、なんか仕事が本当によくわからない人なんですよね。ドリフのヒゲダンスのシングルの裏ジャケを作った人としても有名なんですよ。

(安東弘樹)裏ジャケ?

(吉田豪)表じゃないんですよ。

(玉袋筋太郎)すごいよ、でもあれ、ミリオン……

(安東弘樹)どころじゃないですよね。

(玉袋筋太郎)すごいヒットしたでしょう?

(吉田豪)ところが、インストなんで、「歌詞カードに載せるものがない。どうしよう?」ってなった時に「おまけを付けよう」っていうことでジャケの裏に切り取り式のヒゲをつけたっていう。それが代表作の人ですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(爆笑)。そうだ!

(吉田豪)「スペースが余っているから」の人で(笑)。しかも、表は作っていないっていうね。

(玉袋筋太郎)あの表のイラストは違うんだ。へー! これ、でもすごいな。

(吉田豪)だからレコードジャケット、そんなのやっているのか聞いてみたら、チェッカーズの『WANDERER』とかユニコーンの『大迷惑』とか白井貴子さんとか吉川晃司さんとか。まあ、大物をやっているんですけど……「吉川晃司さんの時ってあれですよね。ケンカしたやつですよね?」って言ったら、「そうそうそう。特色つかいすぎて怒られて、印刷屋と大ゲンカになった」とか。結構、いろんなもので揉める人なんですよね。

(玉袋筋太郎)へー。全然見えないな、安齋さん。

(吉田豪)そうなんですよ。で、僕は実はこの仕事を始めてすぐにやった仕事が宝島の『VOW』っていう投稿コーナーの投稿選考主任って、投稿を選ぶ係だったんですよ。

(玉袋筋太郎)豪ちゃん?

(吉田豪)そうなんですよ。だから、僕はまず安齋さんがその『VOW』のVOWボーイっていうキャラクターを作っていて。それのテレホンカードとかを送っていたのが僕だったんですよ。

VOWテレホンカード


(玉袋筋太郎)へー! つながるなー!

(吉田豪)僕の中では最初から、安齋さんの仕事はもう大物デザイナーぐらいの感じで最初から接していて。すごい人だって。ところが、そのVOWボーイが当時、JALのキャンペーンのリゾッチャっていうのが始まった時に、全く同じデザインをそのまま……(笑)。

(玉袋筋太郎)リゾッチャ! そうだよ!

(吉田豪)王冠をつけたオレンジ色の人なんですけど。ヒゲがついているだけなんですよ。ヒゲと腰ミノとかがついている程度で、ほぼ同じで。やっぱり宝島社が激怒したっていう(笑)。


(安東弘樹)そりゃそうですよね。自分のところのキャラクターをそのまま、大会社日本航空のキャンペーンのキャラにしちゃって。王冠の色を変えてヒゲを生やしただけで。

(吉田豪)そうです。

(玉袋筋太郎)だけどここが、ヒゲダンスが効いてるね!

(吉田豪)なるほどね。ヒゲの人なんですね。

(玉袋筋太郎)ヒゲの人なんだ。これ。うん。

(吉田豪)で、その時僕、安齋さんに「安齋さん、知らないでしょうけど僕とVOWボーイの思い出を話していいですか?」って言って話したのが、ちょうど僕が『VOW』の仕事でしょっちゅう宝島編集部にお使いで行っていたんですよ。その頃。その時に、町山(智浩)さんがやっていた『宝島』で、本当これは完全に町山さんのせいなんですけど。町山さんが起こしたトラブルで宝島社が右翼に銃撃された事件があったんですよ。

(玉袋筋太郎)あったあった!

(吉田豪)弾丸を撃ち込まれて。

(安東弘樹)実弾を撃ち込まれたんですね?

(吉田豪)そうです。で、翌日僕は宝島社にお使いに行ったんですよ。行った瞬間に編集部の人に「伏せて!」って言われたんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)「えっ? 『伏せて』って、なに?」って思ったら、「頭が出ていると、撃たれる」って言われて。当時社員がずーっと窓から顔が出ないようにして伏せて移動していて。

(玉袋筋太郎)伏せて仕事していたと。

(吉田豪)そう(笑)。「なに、それ?」と思いながら、伏せていろいろ渡したりとかして。

(安東弘樹)新人の兵隊がまず言われることですよね。戦場でね。

(吉田豪)その後に、また宝島、どうかしているんですけど。宝島社っていう看板を外したんですよ。外したらバレないと思って(笑)。バレるに決まってるじゃないですか、そんなの(笑)。

(玉袋筋太郎)1回撃たれてるし。

(吉田豪)怪しいですよ、看板がないビルの方が(笑)。で、入り口に警備員も立たせるようになって。その時に、宝島社に当時、社員証がなかったんですよ。で、代わりになにかないか?っていうことで、『VOW』に掲載する人に送る、安齋さんのVOWボーイが書かれているテレカ。それを配って社員証代わりにして、入り口で警備員にVOWボーイを見せてみんな入るっていう間抜けな時期があって(笑)。

(玉袋筋太郎)どんなパスだよ!(笑)。

(吉田豪)そう(笑)。

(玉袋筋太郎)顔パスだな。うん。

(吉田豪)ねえ。「右翼も浮かばれない」って言っていたんですけど。

(玉袋筋太郎)すっごいなー!

(吉田豪)まあ、この時に抗議した右翼が電撃ネットワークのギュウゾウさんとかですからね(笑)。そういうのでつながっていくという。

ギュウゾウさんが町山さんに電話で論破された話

吉田豪が語る ギュウゾウ・BiSヒラノノゾミ対談記事ネット炎上騒動
吉田豪さんが雑誌BUBKAのUstream番組『豪STREAM』の中で、誌面に掲載された電撃ネットワークギュウゾウさんとBiSのヒラノノゾミさんの対談記事がネットで炎上気味になって...

(玉袋筋太郎)ああー! 緑山(スタジオ)にも来たという。

(吉田豪)そうです、そうです。で、テレカにまつわるエピソードをそう言ったら、安齋さんから出てきて。安齋さんが六本木のキャバクラで……あんまりキャバクラには行かない人なんですけど、みうらじゅんさんと一緒に行くようになって。で、初めてみうらさんとかとは別口で、ちょうど仕事が終わったから行こうと思って。で、次の日に『タモリ倶楽部』があるから1時間ぐらいでサッと帰ろうとしたら合計1万円ぐらいなのに8千円しかなくて。で、一緒に誘ったのがげんしじんっていう芸人さんなんですけど。その人も500円しかないから、なんかないかな?ってことで、「VOWのテレカ。あれが1枚500円だから、それを2千円で売ろう!」ってキャバクラの女の子に売りつけて、なんとかお店を出たけどタクシー代がないんで、西麻布の知り合いの店まで行ってタクシー代を借りて。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)悪いから1杯飲んでって、タクシーで帰ってシャワーを浴びて。で、床暖房が気持ちよくて寝ちゃって、『タモリ倶楽部』は朝9時集合。起きたら朝11時で……そうなんです。これが『タモリ倶楽部』の収録をすっぽかした事件っていうのがあるんですけど、これだったっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)ねえ! 安齋さん、やっぱりそうだよね。遅刻するとかね。

(吉田豪)遅刻で有名です。「安齋肇」で検索をすると、まず出るのが「遅刻」ですからね。で、次が「みうらじゅん ケンカ」っていうのが出て(笑)。その2つで有名っていう。

(玉袋筋太郎)リリー(・フランキー)さんとどっちが遅刻するかで、やっぱりリリーさんの方が遅刻するか?

(吉田豪)ですかね? 大物相手でも遅刻する人たちですからね。

(玉袋筋太郎)そう! 大物ですよ。タモリさん相手に遅刻してるんだから。

(吉田豪)そうです、そうです。

(安東弘樹)だいたい大物になる人は遅刻しますよね。後輩の安住紳一郎アナウンサーも、まあ遅刻をひと頃……最近はないみたいですけど。

(玉袋筋太郎)ああ、そう?

(安東弘樹)だから、相手が誰とか関係ないんですよ。

(吉田豪)そうなんですよ。

(安東弘樹)あれはちょっと、大物だなと思ったことがありますね。

(吉田豪)じゃあ、その2に行きますか?

(玉袋筋太郎)タモリさんの横に座り続けて24年。父から「蛭子さんになれ」と言われた筋。なんだろうね、これ?

(吉田豪)「何やっている人なんですか?」って言われるのがいちばん困っちゃうらしくて。たしかに『徹子の部屋』に出た時も、「タモリさんの横に座っている人」っていう説明だったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。デザイナーだよ!

(安東弘樹)徹子さんがそう紹介したんですね。

(吉田豪)そう(笑)。本業がよくわかんないんですけど。でも、安齋さんは「それがいちばん正しいと思う。近田春夫さんが『ロカビリーやロックンロールの日本の創生期に俺は同じ板の上で見ていたんだよ。それが俺の誇りだ』って言っていて、『それ、いいな』と思った。それに近い。タモリさんの横に座って歴史を見てきた人で十分」っていうね。

(玉袋筋太郎)いいねー!

(吉田豪)で、その安齋さんのお父さんはすごい真面目な人で。「タモリさんのサインがほしい」っていう親戚を、「そういうのはよくないから」って止めていたような人だったのが、ある時、「肇くん、サインちょうだい。親戚からたのまれちゃってさ」と言い出して。安齋さんが「俺、隣でヘラヘラしてるだけで大したことしてないんだよ」って言っても、「でもね、肇くんは蛭子さんみたいな活躍ができると思うんだよ」って言われて。その頃の蛭子さんって『スーパージョッキー』の熱湯風呂時代で(笑)。

(玉袋筋太郎)そりゃそうだ! もう、大活躍で。漫画家のギャラよりも全然そっちの方が収入が上だったっていう。

(吉田豪)そうそう。「漫画を描くのがバカらしい」ってなった頃ですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)そうそう。

(吉田豪)どんどん漫画の手を抜き始めた頃で(笑)。わかりやすく。

(玉袋・安東)(笑)

(玉袋筋太郎)だからそれぐらいの人気者で。

(吉田豪)「だって二本撮りでね、熱湯風呂に入るだけでサラリーマンの月収が入るんだよ! 働くの、バカらしくなるよ、それ!」って。

(玉袋筋太郎)その帰りに新宿の雀荘に行って捕まったんだから。

(吉田豪)そうです。そういう時期ですね。で、安齋さんは蛭子さんと違ってテレビで稼ぐっていう発想自体がない人なんですよね。あんだけテレビに出ているのにっていう。でも、考えてみると『タモリ倶楽部』以外に出ている印象ってないんですよ。

(玉袋筋太郎)まあ、みうらさんとBSでやっている洋楽のやつか。

(吉田豪)そう。みうらさんとセットで出ることはあるけど、単独で何かに出るっていうのが全然ないんですよね。不思議なんですよ。

(玉袋筋太郎)でも、味があるからなんか、俳優さんとかね、できるような気がするんだけどな。うん。

(吉田豪)ちょっとやったけど、やっぱり向いていないと思ったみたいですね。

(玉袋筋太郎)そうなんだ。

(吉田豪)安齋さんのでも、この力の抜け方って本当に異常で。普通ね、サブカルであれぐらいの位置に行ったらみんなエッセイ集とか出すじゃないですか。安齋さんは本当に絵本を出した程度で。それも、JALのキャンペーンのリゾッチャが終わってからリゾッチャの本を出したりとか。タイミングがズレてて全く売れないんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)へー!(笑)。

(吉田豪)最近も『WASHIMO(ワシモ)』っていう宮藤官九郎さんの原作で絵本を作ったんですけど、それがNHKでアニメ化された時は安齋さんの絵じゃなくなっていたりとか(笑)。

(玉袋筋太郎)なんだ、そりゃ?

(吉田豪)「あっ、WASHIMOの!」って言われても、「あ、まあ、僕の絵じゃないんで……」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。それがいいんだな。

(安東弘樹)俺、こういう人、好きだなー。

(吉田豪)デザインについても、「がんばる時期はすぎた」ってしょっちゅう言ってますからね。全然がんばっていないという。

(安東弘樹)そしてね、締切破りで遅刻魔……

(玉袋筋太郎)危うく指がなくなるところだった筋。これ、なんなんだろうね?

締切破りで遅刻魔

(吉田豪)有名なんですよ。やっぱり遅刻魔だから、締切も間に合わないんで。キョンキョンとか白井貴子さんとかチェッカーズとか、パンフレットの仕事をしても、発売が間に合わないこと多数なんですよ。ツアーの初日にないっていう。

(玉袋筋太郎)マズいよ、それ!

(吉田豪)パンフレットの入稿が遅れてっていう。で、初日どころか次も間に合わないっていう時に、これ、キョンキョンの時ですね。その時に担当編集が川勝正幸さんだったんですけど。電話で「安齋さん、これ本当にマズいですよ。これはもう、指を持っていきましょう。いい包丁を買っていきますから」って言われたことがあるっていうね。あの、バーニングもそこまで怖くないですよ!っていうね(笑)。

(安東弘樹)(笑)。そう言われたっていうことですね。

(玉袋筋太郎)脅されたっていう。川勝さんにだよね?

(吉田豪)川勝さんにですね。

(安東弘樹)まあ、でも指は全てあると。

(吉田豪)それぐらいに遅れる人で。『タモリ倶楽部』も何度も遅刻して。あの温和なタモリさんが怒ってますからね。タモリさんが「時計、ないの?」って嫌味で言ってるのに、タモリさんが時計を買ってくれると思って浮かれた人ですからね。

(玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)「あ、タモリさん、時計買ってくれるんですか? ありがとうございます!」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)いいなー!

(吉田豪)で、タモリさんが最終的には、「あのね、僕の時給、日本では結構高い方なんだよ」って言ったっていうね。

(玉袋筋太郎)かぁー! これはすごいよ。

(安東弘樹)実際、そうですもんね。

(吉田豪)あのタモリさんを1時間待たせたらいくらだ?っていう話ですね。

(玉袋筋太郎)たまに空耳、安齋さんがいなくてゲストが座っている時あるからね。

(吉田豪)間に合わなくて他の人がやっていることが多々あって。

(玉袋筋太郎)あった! 俺も1回あったかな? それ。ああ、あった、あった。

(吉田豪)で、全然それでクオリティーは落ちないっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)「誰でもいいんですよ、あれ」って言ってて(笑)。

(玉袋筋太郎)素材がいいんじゃねえか!っていう(笑)。

(吉田豪)そう(笑)。「ネタがいいから、誰がやってもいいんですよ、あれ」って(笑)。そもそも『タモリ倶楽部』を引き受けるきっかけがそれですから。遅刻ですからね。最初の打ち合わせに派手に遅刻して断れなくなったっていうね。そういう人なんですよ。で、遅刻した時も挽回するためにがんばろうとか、特別張り切ったりはしない人っていうね。「張り切る要素がないから」っていうね。

(玉袋筋太郎)いいなー!

(安東弘樹)こう生きられたらいいなー。

(吉田豪)ちなみに『タモリ倶楽部』以外の番組に出ている印象がそんなにないのは、それは出てないから、呼ばれていないからでもあるけど、過去に嫌な目にあった。ある深夜番組をやっていた時に打ち上げでプロデューサーに「お前のせいで番組が潰れたんだ」って胸ぐらを掴まれて言われたことがあって。

(安東弘樹)なんで?

(吉田豪)安齋さん、もともと準レギュラーとかで。「来なくていい」っていう条件で引き受けたらしいんですよ。

(安東弘樹)「来なくていい」っていう条件って……

(吉田豪)「デザインの仕事が忙しいから、年中行けないけどいいですか?」って言って、「いいよ」ってプロデューサーも言ってくれて。だから本当に行かなかったりしたら、それがやっぱりよくなかったみたいで、「お前のせいだ」って言われたっていう(笑)。「テレビ、嫌だ」って(笑)。

(玉袋筋太郎)なんか安齋さんの胸ぐらを掴むって……掴まれるタイプじゃないのにね。

(吉田豪)全然、全然。

(安東弘樹)よっぽど腹にすえかねた……よっぽどだったっていうことでしょうね。「本当に来ねえよ!」っていうことだったんでしょうね。

(吉田豪)「普通、そう言っても来るでしょう?」っていうね(笑)。

(安東弘樹)予想を上回ったっていうね。

(玉袋筋太郎)さあ、そしてみうらじゅんさんとの大ゲンカの真相は? の筋ですよ。

みうらじゅんとの大ゲンカの真相

(吉田豪)そうなんですよ。ケンカでは有名ですけどね。今回、監督した映画『変態だ』の前に実はみうらじゅんさんの原作で撮りたいものがあったらしいんですよ。それが『SLAVE OF LOVE』っていうSMの小説で。「この小説の映画化はきっと誰もやらないだろうから」っていうことで、飲みの席で山田五郎さんか安齋さんかどっちかがやろう、作ろうということになった。ところがそれがいろんなことが現実的に進み始めたらちょっと怖くなっちゃって、安齋さんは「今回はいいや」って逃げちゃったらしいんですよ。その結果、みうらさんと大ゲンカになったっていうね。

(玉袋筋太郎)はー!

(吉田豪)石垣島で殴り合いというか抱きつき合いの大ゲンカ。メガネが壊れたりしたっていうね。『週刊文春』のグラビアに写真入りで「みうらじゅんと安齋の大ゲンカ」と報じられて有名な事件。ところが、翌日も仕事なんでケンカの翌日、一緒にカヌーに乗って。ギクシャクしながら、2人でカヌーを漕いだっていうね。

(玉袋筋太郎)気まずいな、それ!

(吉田豪)「息が合わないと大変だよ」って言ってましたよ(笑)。

(玉袋筋太郎)カヌーはね。

(吉田豪)そしてね、はじめて知ったんですけど。あの後もだからすぐに仲良くなった印象だったんですけど。「やっぱり大人になってからケンカするとね、後を引く」って言っていて(笑)。「何年もギクシャクしちゃって。だからね、もうケンカしたくないと思ったから、今回映画を引き受けたんだよね」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。大人だね!

(吉田豪)「そういうことだったんですか!」っていう。

(安東弘樹)ただ、理由が全部ネガティブですね。引き受ける理由が。

(吉田豪)謎が解けたっていうね。「今回はちゃんとやろうと思って」っていう。

(玉袋筋太郎)すごいな。映画監督だもんな。

(吉田豪)そうなんです。R-18指定で12月10日から公開。『変態だ』っていうね。僕も試写で見たんですけど、衝撃なんですよ。もう試写ができているっていうことがもう衝撃で。こんなに常に仕事が遅れる人が2月頭にはクランクアップしていて……とかね。撮影にかかったのが8日間で、撮影には一切遅刻しなかったとか。「すごいじゃないですか!」って言ったら、「遅刻しそうだから撮影現場の近辺に泊まらされていた」っていうだけで(笑)。

(玉袋筋太郎)家が遠いんだよね。安齋さんね。

(吉田豪)そうです。そうです。「映画って面倒くさそうだなってずっと思っていたけど、やってみたらすげー面白い。相当面白い。久しぶりにがんばりましたよ!」って言ってたんですよ。

(玉袋筋太郎)おおっ!

(吉田豪)どれぐらいがんばったんだろう? と思って掘り下げてみたんで。ちょっとね。それが、その5ですね。

(玉袋筋太郎)その5。ねえ。

映画監督 安齋肇

(吉田豪)がんばらない安齋さんがどれぐらいがんばったのか? 「どういうことですか?」って聞いたらね、「あのね、俺ね、絵コンテを1枚も書かなかったんだよね」って言っていて。「どういうことですか?」って聞いたら、すごいいいプロデューサーが現れて。「そういうことは全然しないでいいですから」って言われたらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)おお!

(吉田豪)「任せてください。全部やりますから。監督の言った通りに動く、そういうスタッフを用意しますから」って言って、本当になんでもやってくれるすごい人たちを集めてくれて。打ち合わせとかでも脚本にあることをみんなが勝手に理解してくれて、勝手に解釈して。美術セットも衣装もスタイリングもどんどん決まっていく。めちゃめちゃ働くスタッフで、安齋さんはそういうスタッフの健康を気づかう役割。「ご飯、食べた?」とか「よく寝た?」とか。部活のマネージャーみたいな役割っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)監督でもなんでもねえじゃん!

(吉田豪)なんでもないんですよ。女子マネなんですよ、完全に(笑)。「『スタート』も『カット』も言わなかった」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)「全部助監督の人が言ってくれるんだよね」みたいな(笑)。で、「監督、ここカットが足りないんです」って言われても、「大丈夫!」って言うような監督で。「えっ、絶対に撮っておいた方がいいですよ!」って何人も説得してくるらしいんですよ。次々に来ても、「いや、大丈夫だから。あってもなくても大丈夫!」って。そういう監督っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)天才だな、この監督!

(吉田豪)絶対にカットが足りないと、後で編集する時困るじゃないですか。僕の身近の杉作J太郎監督もしょっちゅうそれで困って。追加撮影を4年、5年たってからやったりとか(笑)。「つながらない」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)人間変わっちゃうよ、それ(笑)。

(吉田豪)絶対にそれ、撮った方がいいのに、「全然、大丈夫。大丈夫」っていう。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)「編集もね、最初は『CGなし』っていうことになっていたはずが、最終的にCGをいれてくれて。『あった方がいいですよ、CG』ってみんなが気を使ってくれてね。素晴らしい!」っていうね。「スタッフみんな寝ないし、ご飯も食べないし。お金もそんなにもらえないのに、文句も言わない。安齋さんは前乗りしてホテルを取ってもらっているからよく寝ていて。本当に面白かった!」って(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)「面白かった」っていうか、「楽だった」っていう感じですよね。

(吉田豪)そうなんですよ。聞けば聞くほど、一生懸命やった感が一切出ないんですよ。「いや、周りは一生懸命やっていたよ」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)安齋さんはやってないじゃないですか!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)胸ぐら掴まれるのも、なんかわかってきたよ。

(吉田豪)わかってきますよね。

(安東弘樹)でも、そこはわかっているんですね。自分でね。周りがやってくれる人っていうのはわかっているんですね。

(吉田豪)「映画がこんな楽しくなっちゃったらいけないんじゃないか?」っていうぐらい楽しかったっていうね。で、最終的に言い出したのが、「あのね、これでわかった。今回。映画ってね、監督のものじゃないね」って言い出して(笑)。

(玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)「それ、今回の場がそうだっただけですよ! 僕、いっぱい見ましたよ。監督のものの作品!」っていう(笑)。「いやいや、映画ってそういうものだから。1回で見切ってたよ。あれ、完全に全体の作品じゃないの」っていうね。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)だから、デザイナーとかやっぱりね、もっと責任があるけど。

(安東弘樹)そうか。自分が全部やらなきゃ、ですね。

(吉田豪)「あれはやっぱね、映画は違う」って言っていて(笑)。たしかにね、結構画がきれいな映画なんですよ。あれはやっぱりね、画面の色調とかカメラのレイアウトとかがよく出ているから、「さすがデザイナーの安齋さんだ!」ってなるだろうなって一瞬思うぐらいの感じなんですけど……「全然違うから。あれ、全部カメラマンのおかげ」って言っていて。「モニターも実は、カメラマンが2人いてモニター2台必要なのに1台しかなかったから。1個、見てないもん。僕」って(笑)。「それに全部OKって出していたんで」って。

(安東弘樹)1つのカメラを一切見ていない?

(吉田豪)そうです。全然わかってないんですよっていう。

(玉袋筋太郎)有名なカメラマンさんがね、来てくれたっていうね。

(吉田豪)そうです。三浦憲治とか有名なカメラマンが。賞をとっているような人がやっていて。

(玉袋筋太郎)そのモニターを1つしか見ていなかったっていう。

(吉田豪)「ただしね、パンフはしっかりデザインをやるんで。いいパンフは
作りますから!」って言っていて。「もう、締切は過ぎている」って言ってましたよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)そこ、まだできてないんですね(笑)。

(吉田豪)さすが!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)すごいなー!

(安東弘樹)安齋さん、すごい。

(玉袋筋太郎)仙人みたいな人だな。本当に。

(吉田豪)欲もないですからね。

(玉袋筋太郎)すごいよ。

(安東弘樹)でも、胸ぐらを掴まれてますけど、誰からも見放されていないっていうのがすごいですよね。需要があるわけじゃないですか。安齋さんにいろいろやってほしいと思うわけじゃないですか。監督をやってほしいとか。

(玉袋筋太郎)そうだよね。

(吉田豪)みうらさんとの関係も面白いですよ。

(玉袋筋太郎)みうらさんが自分から仕事を取っていくっていうあの話も面白かったね。

(吉田豪)はいはい。そのへんはいまね、DMMでアップされている僕の安齋肇さんのインタビューを読んでもらえれば。ねえ。身近で見たみうらじゅんってだけでも面白いですもんね。

DMM 吉田豪 安齋肇インタビュー


(玉袋筋太郎)面白かった。あれ。

(吉田豪)そもそもだって、安齋さんと仲良くなったきっかけっていうのがね。

(玉袋筋太郎)そう! それも面白いんだよ。

(吉田豪)「ラップの悪口で仲良くなって。いとうせいこうとかの」って。いとうせいこうさんの悪口を一緒に言っていたっていう(笑)。で、安齋さんは「いや、いとうせいこうくんはちゃんとしていて」みたいに言っても、「いやいや!」って。それが、気がついたらいとうさんとも仲良くなっていてっていう。

(玉袋筋太郎)そうなんだよね。不思議だなー。

(吉田豪)不思議な人ですよ。

(安東弘樹)そのみうらじゅんさんの小説を安齋肇さんが映画……まあ、「監督した」って言っていいのかね。このお話の後だと。ですが、映画『変態だ』は12月10日より新宿ピカデリーほか全国で順次公開します。これね、若いリスナーの人、申し訳ありません。R-18です。

(吉田豪)そうです。いやらしいです。

(玉袋筋太郎)18才未満の方は見られないっていうね。ちなみにあらすじ。主人公は大学でロック研究会に入ったことをきっかけに売れないミュージシャンとなった男で、妻と子の平穏な家庭を手に入れるが、愛人とのSM的な肉体関係も続けていた。地方で泊りがけのライブの仕事が入った男は妻を家に残して愛人と出かけるが、ステージ上から客席にいる妻の姿を目にし……

(玉袋筋太郎)うわっ! 他人事じゃないですね。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)ちなみに吉田豪さんの今後の予定ですが、10月9日(土)に渋谷にあるLOFT9で『Jさん&豪さんのトップハンター!』を開催。ゲストはRAM RIDERさん、そしてヨシモトブックスから発売中の『ぼくのインタヴュー術 応用篇 (高平哲郎スラップスティック選集 6 下巻)』に高平哲郎さんを豪さんが掘り下げるインタビューが収録されていると。お値段2400円。あと、なんかお知らせが……

(玉袋筋太郎)10月17日ですね。池袋ジュンク堂で『プロレス取調室』という本のトーク&サイン会があるんですけども、そこに豪ちゃんも緊急参戦ということで。ありがとうございます!


(吉田豪)僕の空手本の発売記念にもなったというね。

(玉袋筋太郎)だから、これはすごいよね。昭和プロレスと極真空手のね、これが一緒になるっていうことはたまらんイベントですよ、これ!

(吉田豪)アウトローエピソードだらけですからね(笑)。

(玉袋筋太郎)だらけだよ、これは! 濃いトークショーになると思いますんで。

(安東弘樹)間違いありません。これ、10月17日。ぜひ、こちらの方もね。映画『変態だ』もみなさん、ぜひ足をお運びください。念のため、もう1回言っておきます。R-18指定です。さあ、吉田豪さん、次回の登場は11月4日となります。ありがとうございました!

(玉袋筋太郎)ありがとう!

(吉田豪)どうもです!

<書き起こしおわり>

吉田豪と玉袋筋太郎 高樹沙耶を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。玉袋筋太郎さんと高樹沙耶さん、そして加勢大周さんの話をしていました。


(安東弘樹)こんにちは。よろしくお願いします。

(吉田豪)お願いします!

(玉袋筋太郎)お願いします。大変だね。いろいろ……

(吉田豪)どれですか?

(玉袋筋太郎)どれですか(笑)。そこまでにしておこう。

(安東弘樹)「どれですか」で終わりにしましょうか(笑)。

(吉田豪)「レコ大」とかいろいろね……(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)いろいろありますが……

(玉袋筋太郎)まあ、高樹沙耶とかね。

(吉田豪)一筋縄ではいかない有名人ですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)いかないよ。お縄になった方だからね。

(安東弘樹)えー、いろいろありますが……

高樹沙耶本の気になる記述

(吉田豪)高樹沙耶さん、僕、取材はしたことがないんですけど、当然本は全部読んでいて。『ホーリープラント』っていう大麻が世界を救うというようなテーマの本を出したりしていて。ただ、気になるのはこの本でもそうなんですけど、何冊かの本で「私が尊敬している人」として出てくるヨガの先生がいるんですよ。

(玉袋筋太郎)ヨガの先生?

(吉田豪)成瀬雅春さんっていう人なんですけど。この人、実は前田日明さんと対談集を出したりとかしているし。もっと言うと、角川春樹さんと一緒に地震を止めたりした人なんですよ。

(玉袋筋太郎)あっ! 地震を止めたり。もう、すごい偉い人だね。超人だ!

(吉田豪)すごい人なんですよ。大好きな人たちがみんな惑星直列みたいに全部つながったような気がして。

(玉袋筋太郎)おおっ! つながったなー!

(安東弘樹)そのぐらいにしておきましょうか。

(玉袋筋太郎)えっ、そうですか?

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)加勢大周がさ、捕まった時さ、奥多摩の方でロケをやってたんだよ。で、結構いいロケで。アウトドアなロケでさ。したら、加勢大周がさ、「最近僕、ガーデニングに凝ってまして」って言い出して。で、ロケが終わって、奥多摩から家に帰ったらその日に加勢大周が捕まっていたんだよ。

(吉田豪)ガーデニングでね(笑)。

(玉袋筋太郎)本当のガーデニングだったっていう。

(吉田豪)僕も取材したことあるんですけど、「タバコでもなんでも、どんどんキツい方、キツい方に行っちゃうんですよ、僕」って言っていて。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)「タバコでもなんでも」ってね。

(吉田豪)なんの伏線だろう? と思ったんですけど(笑)。

(玉袋筋太郎)普通はね、薄い方になっていくんだけどね。

(吉田豪)「キツい方に」っていうのが。

(安東弘樹)きっちりと伏線を張るあたりがね、いろいろありますが。

<書き起こしおわり>

吉田豪 杉井ギサブローを語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。アニメ監督、杉井ギサブローさんについて話していました。



(安東弘樹)今日なんですが、アニメーション監督の杉井ギサブローさんのあらすじ。これ、知る人ぞ知る、知らない人は全く知らないという方だと思うんですが。まず、杉井ギサブローのあらすじとその筋を紹介します。

(吉田豪)はい。

(安東弘樹)1940年、静岡県のお生まれで現在76才。1958年、東映動画に入社。日本で初めてのカラーアニメ映画『白蛇伝』や『少年猿飛佐助』のアニメーターとして活躍した後、1961年に虫プロ創立に参加。テレビアニメ『鉄腕アトム』の作画や演出、『どろろ』の総監督などを担当します。74年、『ジャックと豆の木』で劇場用アニメ監督デビュー。同時期に『まんが日本昔ばなし』の立ち上げにも参加。1985年にはあだち充原作の『タッチ』のテレビシリーズの総監督。日本アニメ大賞はアトム賞を受賞。2012年には杉井ギサブロー監督を主役にしたドキュメンタリー映画『アニメ師・杉井ギサブロー』が公開されています。自らが主役になっているということですね。

(吉田豪)そうですね。

(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材によりますと杉井ギサブローさんのその筋。その1、押しかけて勝手に弟子入りの筋。その2、日本アニメの歴史。大学生気分だった東映時代の筋。その3、「倍、出しましょう」「ラッキー!」。虫プロ入りの筋。その4、あの手塚治虫相手にわがまま放題の筋。その5、反骨の人生。「僕が作るとだいたい騒ぎになる」の筋。その6、プロデューサーはミルコ・クロコップの代理人? なりゆきでやることになったスト2の筋。以上の6本の筋でございます。

(玉袋筋太郎)ねえ! そうだよ。監督だもんね。

(安東弘樹)監督ですよ。

(玉袋筋太郎)最近なんか、映画監督が詐欺で捕まったよね。まあ、そんなことはどうでもいいんだけどさ(笑)。

(安東弘樹)今日、そっちに行きますねー(笑)。

(玉袋筋太郎)いやいや、なんか溜まっているのかな? だけど、もう76才なんだ。

日本のアニメの歴史そのものみたいな人

(吉田豪)そうですね。まあ、日本のアニメの歴史そのものみたいな人なんですけど。実は、いま出てないですけど、『ルパン三世』の魅力に最初に気づいて、最初に企画を立ててパイロット版を作った人だったりとか。

(安東・玉袋)おおーっ!

(吉田豪)まあ、いまだに評判の高い『銀河鉄道の夜』の映画を作ったりとかいろんなことをしている人なんですけど……僕が取材をした時、ちょうど僕のイベントがある日で。で、「2時間ぐらいでインタビュー終わるだろうな」と思ったら、この人ものすごい話好きで。全然インタビューが終わらなくて。インタビュー中にメールが次々来て。「豪さん、いまどこですか? もう開場です」みたいなのが。

(安東・玉袋)(笑)

(吉田豪)だから結構端折っていて。実は画期的なんですよ。『タッチ』とかの話、一切していないんですよ。この人の代表作なのに。

(玉袋筋太郎)そうなんだ!

(安東弘樹)でも、幅広すぎですよ。

(吉田豪)まあ、あまり語られていない部分も含めて語ってみたいんですけども。まず、1ですかね。

(玉袋筋太郎)はい。押しかけて勝手に弟子入りの筋。

(吉田豪)お父さんは板前で、小さな頃から絵を描くのが好きで。11才の時にディズニー・アニメの『バンビ』を見て「アニメをやろう」と決心したんですけど、当時アニメっていうのは海外に行かないとできないと思っていて。で、大人になったら海外に行って勉強をしようと考えていたんで。で、手塚治虫先生が好きだから、まず漫画家になろうと思って、中学3年生の時にうしおそうじ先生というね、要は『スペクトルマン』とか『快傑ライオン丸』とかでおなじみのピープロ(ピー・プロダクション)の人ですよ。

(玉袋筋太郎)ああ、はいはいはい。

(吉田豪)あの人のところに弟子入りして。しかも、弟子を取らない人なんで。しかも、中学3年生ですからね。勝手に押しかけて。しかも、うしお先生はすごい無口で、話もしてくれないから、黙ってじっと座って。なにも話してくれないから先生がトイレに立った瞬間に下に落ちている絵とかを全部ポケットに入れて持って帰って……

(安東弘樹)持って帰った!?

(吉田豪)持って帰って、どういうペンを使っているか? とか、同じ紙を探したりとかしながら学習してっていう……

(玉袋筋太郎)すごいな、それは。

(吉田豪)とかをやっているうちに、アニメの道があることに気づいて東映動画に入るっていう人なんですよ。

(玉袋筋太郎)『バンビ』なんだね。だから、『ジャングル大帝』が先だとかなんか言うけど、やっぱり『バンビ』の方が先なんだね。動物がしゃべったりするのは。

(吉田豪)はいはい。そうです。そうです。ディズニーが後にパクり返しますけどね。

(玉袋筋太郎)パクり返す。そうなんだよ! いろいろあるんだ。これが。

(安東弘樹)『ダンボ』も象がしゃべって。あれ、戦前ですもんね。日本との。さあ、そしてその2。大学生気分だった東映時代。これ、ねえ。

17才で東映動画に入社

(吉田豪)17才で入社試験を受けたとか、とにかく若いんですよ。この人、活動が。で、東映の本社に行ったら、当時は髭ボーボーの人とかばかりで。要するに、絵描きなんかにお金のある仕事がない時代で。「漫画や映画っていうのは絵を描くと給料をくれるらしい」っていうことで、芸大を出た人とか美術をやっているような人とか、そういうのが受けに来ていたっていう。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)ただ、東映なんで、実写の人と会社が同じなんですよ。で、東映の実写っていうのはすごいデタラメで有名っていうかね。まあ、黒社会が密着な……(笑)。

(玉袋筋太郎)ねえ!

(吉田豪)だからもう、一緒に飯を食っていてもまあ人の悪口ばっかりで。「アニメと何が違うか?っていうと、アニメには映画の予算を持ち逃げするようなプロデューサーが全然いない。でも、実写はすごいいるでしょう? だから実写はラフなんだよね。アニメは真面目」っていう(笑)。

(安東弘樹)なるほどね(笑)。当時は特にそうでしょうね。

(吉田豪)で、その真面目な感じが物足りないような人で。まあ、すごいちゃんとした人に見えるんですけど、口が悪いんですよ。本当に(笑)。それが面白かったですね。で、東映動画を4年ちょっとで……ちょうど大学に行ったような経験で。周りはみんな映画とか文学とか美術を好きな人とかで。「すごい面白かったんだけど、やっている作品がね。いやー、つまらなかったね!」って言ってね(笑)。「正直この会社、ダメだと思った」とかね。そういうことを言い続ける……

(玉袋筋太郎)(笑)。言っちゃうねえ!

(吉田豪)そうなんですよ。で、またこの頃もちょうど手塚治虫先生が『西遊記』っていう1960年に長編を作っていたんですね。で、東映に来ていたんで、手塚先生とか石森章太郎先生とかがストーリーボードを書いたりとかしていて。で、「先生とかが仕事をしている時はスタッフじゃないからそっちに行けないんだけど、誰もいないときは入れる。で、原画を盗んできたりとかして、それで勉強をして……」みたいな(笑)。

(安東弘樹)盗むのね(笑)。

(吉田豪)とりあえずね。はい。

(玉袋筋太郎)そう。芸はね、盗むもんだから。

(安東弘樹)芸は盗む! ああー、さすがです。

(吉田豪)で、給料がとにかく当時から安かったのは有名で。だから、突然会社に来ない人とかいたらしいんですよ。3、4ヶ月いなくて。なんでかな? と思ったら、交通費がないんでトラックの運ちゃんをやって稼いできたっていうね。

(安東弘樹)そのぐらい安かったと。

(吉田豪)そのぐらい安いけど、まあ好きでやっているから愛情も込められるし、ある意味プライドも持てたと。で、あまりにも安いから、組合ができるんですよね。東映って。

(安東弘樹)労働組合ね。

(吉田豪)そうです。そうです。組合が強いことで有名で。僕も中学生の時に東映動画に取材に行って「アニメーターになりたいんです」って言ったら、ひたすら組合の話とかをされて。賃金がいかに安くて夢のない世界かって言われて、僕はアニメーターになるのをやめたんですよ。

(安東弘樹)(笑)

(玉袋筋太郎)豪ちゃんも中学生の時に行っているのがいいよ。いいねえ!

(吉田豪)行きましたよ。僕の初インタビューですから(笑)。

(玉袋筋太郎)組合の話(笑)。中学生はチンプンカンプンだと思うよ。

(吉田豪)そうですよ(笑)。で、杉井先生も組合がとにかく嫌いで。「そういうような世界だったら僕が考える映画とは縁がないなと思って、嫌になって辞めようと思った。当時、東映動画しか日本にない時代だから、東映動画を辞めるっていうことはアニメを辞めることだ。でもまあ、僕らは定住者じゃなくて放浪の民の末裔みたいなもの。ヤクザな仕事なんで……」っていうことで、東映でちゃんと、日本で初の長編カラーアニメで東映動画の初の作品『白蛇伝』でデビューっていう意味で、本当に日本のアニメの歴史そのものの人なんですよ。

(玉袋筋太郎)見たよ、俺。この間、『白蛇伝』を。やっていて。でも、あれが最初なんだな。

(吉田豪)で、つまんないから辞めちゃって。

(安東弘樹)で、そっから3につながっていくんですね。

(玉袋筋太郎)「倍、出しましょう」「ラッキー!」。虫プロ入りの筋。

(吉田豪)東映動画を辞めて失業保険をもらいつつ、パチンコとかをやっていたら手塚先生がアニメをやることを知って。これは面白いものを作るだろうと思って虫プロに入って。手塚先生をたずねていくわけですよね。そしたら手塚先生が、「やあ、ぎっちゃん! よく来てくれました」って初対面なんですよ。

(安東弘樹)初対面!?

手塚治虫の虫プロに入社

(吉田豪)「”ぎっちゃん”って、初めて会いましたけど……」「東映動画でいくらもらっていました?」って聞かれて、「1万3000円から1万5000円かな?」って言ったら、「わかりました! 倍、出しましょう!」「ラッキー!」っていうことで。手塚先生は「倍、出しましょう」が口癖だったみたいで。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(吉田豪)だから虫プロ、実は結構いいお金をもらっていたらしいですね。

(安東弘樹)言われたいなー!

(玉袋筋太郎)「倍、出しましょう」。

(吉田豪)で、東映動画と虫プロがすごい仲悪かったのが、東映動画はものすごいちゃんとした作品を作っているのにお金がなくて。組合で戦って。虫プロはひどいアニメを作っているのに、あいつらいい金をもらいやがって……みたいな感じで。溝がどんどん深まっていくんですけども。

(玉袋筋太郎)ねえ(笑)。

(吉田豪)まあ、当時の手塚先生は本当に40代から50代ぐらいの雰囲気だったけど、実際は30代で。30代の青年が20代の若者を集めて虫プロというスタジオを作ったと。

(安東弘樹)30代だったんですね!

(吉田豪)だから、なにがすごいって杉井先生も20代で監督になっちゃうんですよ。

(安東弘樹)ああ、そうか! そういうことになるんですね!

(玉袋筋太郎)若いな! まあ、スタートが早いしね。

(安東弘樹)そうですよね。ある意味、中学生からですしね。

(吉田豪)そして、その4。

(玉袋筋太郎)あの手塚治虫相手にわがまま放題の筋(笑)。

手塚治虫にわがまま放題

(吉田豪)20代で本当に悪いんですよ。話を聞けば聞くほど(笑)。また、手塚先生っていうのが自分でアニメ作りを始めたものの、「自分はアニメの専門家じゃない」っていう思いが強くて。で、杉井さんとか東映動画でちゃんと勉強してきた人だから、一切口出しをしなかったらしいんですよ。「ああやれ」とか。

(安東弘樹)なるほど。アニメに関してはね。

(吉田豪)「自分はアイデアは出すけど、映像化するのはおまかせします」と。で、それをいいことにどんどん暴走していくんですよね。杉井先生が。「『鉄腕アトムの後番組をやってくれ』って言われて軽く引き受けて。西遊記のギャグもののパイロットフィルムを作った。でも、つまんなくてやめちゃった」とかって(笑)。

(玉袋筋太郎)やめちゃうんだ。また。

(吉田豪)そう。すぐやめちゃうんですよ。「だって、やってみたらつまんねーんだもん」みたいな感じで。

(安東弘樹)自分で作ったんですね。

(吉田豪)で、「もっと好きなことをやらせろ!」っていう感じでひたすら戦うんですよ。要するに、手塚先生に「二度と虫プロの敷居をまたぐな」って言われる覚悟でわがままを言うんですよ。そしたら、全部通るんですよね。「わかった。あなたの好きなようにやりなさい」って手塚先生から許可が出て。しかも、許可が出た時にせっかくだから「今後杉井ギサブローがやる作品に関しては僕は一切口を挟みません。手塚治虫」って一筆かかせてハンコもつかせて……

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)さらに暴走が始まり……っていう。

(玉袋筋太郎)手塚先生もすごいけど、やっぱすごいね。一筆書かせるっていうね。

(吉田豪)20代にして。

(安東弘樹)だって、大御所ですよね?

(吉田豪)超大御所ですよ。神様ですよね。それに20代で、そんなに大したキャリアもないですよ。この人、この時点では(笑)。

(安東弘樹)「ハンコ押せ。『口を出しません』ってハンコを押せ」と。

(吉田豪)その結果、その5になるんですよ。

(玉袋筋太郎)出た! 反骨の人生ね。「僕が作るとだいたい騒ぎになる」の筋。

(安東弘樹)だいたい想像できるような感じですが……

(吉田豪)まず、『悟空の大冒険』っていう僕も大好きなアニメがあるんですけど。オープニングで、「3、2、1、ドカーン!」っていうね。いわゆるカウントリーダーっていうやつが入っているんですけど。あれ、どういうことか?っていうと、あの頃のテレビ局は手動でVTRを流していて、そのカウントリーダーが流れちゃったら放送事故だからスポンサーがお金を払わないというシステムだったと。

(安東弘樹)その前のカウントが入っちゃうと……

(吉田豪)あれは出ちゃいけない部分。で、それに対してふざけるな!っていう思いがあって。「じゃあ、リーダーから始めてやろうじゃねえか!」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)そうなんだ! あのオープニングって。

(吉田豪)すべてがケンカ腰なんですよ(笑)。で、その時も「フジテレビの脚本家を全部集めてくれ」って言って全部集めてもらうんですよ。で、「いまフジテレビで放送しているドラマは全部面白くない!」ってまず演説をして。

(玉袋筋太郎)カマしだね。

(吉田豪)で、みんな怒って帰ったりする中で、「その話、面白い!」って乗ってきたのが井上ひさしさんとかで。「よし! じゃあみんなでムチャクチャをやろう! まとめるなんてことは考えるな。物語には起承転結の”結”があっての話じゃないだろ?」っていうことで、結構デタラメというか、ものすごい勢いのあるアニメを作った結果、大問題になっちゃうんですよ。「こんなものは誰が見るんだ?」と局が怒り、後々、杉井さんはフジテレビを出入り禁止になるっていうね(笑)。

(安東弘樹)なるほど!

(吉田豪)手塚先生には「こんなの、放送させない!」とかね、相当な文句も来ていたらしい。

(安東弘樹)あ、手塚先生のところに行っちゃうんですね。虫プロだからね。

(玉袋筋太郎)なんの作品で来たのかな?

(安東弘樹)気になりますね。

(玉袋筋太郎)で、『どろろ』。

(吉田豪)『どろろ』っていうのもまた無茶な作品ですからね。手塚先生が妖怪ブームにジェラシーを抱いて、身体を妖怪に奪われた人が次々と妖怪を殺して身体を奪い返していくっていう。まあ、かなりグロテスクな話なんですよ。それをゴールデンタイムにやるっていう無茶なことをしたりですね。しかもそれ、枠でいうとカルピス子供劇場っていう、つまり『アルプスの少女ハイジ』とか『ムーミン』とか『フランダースの犬』をやったところでカルピスがスポンサーでやっていたんですよ。

(安東弘樹)えっ? 『どろろ』、これ、そうだったの?

(吉田豪)その最初なんですよ。

(玉袋筋太郎)カルピス子供劇場。ええーっ?

(吉田豪)そんなところで、食事時に血が流れるっていうことでまずスポンサーが怒ったと(笑)。

(玉袋筋太郎)怒るよ! カルピス、白いぜ。

(吉田豪)で、「血はマズい。じゃあ、白黒にしよう!」って言って(笑)。「白黒なら、バレないだろう」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)で、白黒なの?

(吉田豪)そうなんですよ(笑)。

(安東弘樹)当時、カラーになっていたのに?

(吉田豪)白黒にして。そしたら、終わったら視聴率が悪くて。で、やっぱり局の方からいろいろ文句が来ていたんで、手塚先生に言われたらしいんですよ。「『どろろ』をギャグものにできないか?」って。「できるわけがないだろう!」っていうね。

(安東弘樹)手塚先生から言われたんですね。

(吉田豪)手塚先生が板挟みになって結構こういうことを言うのが多いらしいんですよ。『悟空の大冒険』でも裏で『黄金バット』が始まって。「これはヤバい!」ってことで手塚先生に「悟空を黄金バットのようにできないか?」って言われたりとか。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)杉井先生は「できるわけないだろう!」で蹴るみたいなね。そんなケンカ別れをして、最終的には結局、『どろろ』は『どろろと百鬼丸』に変わって、ギャグっぽい感じになっちゃうんですよ。で、杉井先生は怒ってプロデューサーに「お前、プロデューサーなんだから降ろす権限を持っているんだろ? 俺を降ろせよ! 監督が嫌だと言ってるんだから!」って噛み付いて。あんまり行かなくなったりとか(笑)。

(安東弘樹)「俺を降ろせよ」っていう人は、あんまりいないですよね。

(玉袋筋太郎)まあそれだけ、腕に自信ありっていうか。そういうことでしょうね。

(吉田豪)まあね。「そんな無茶なことを若い頃にやっていたんですかね」みたいに言ったら、「いや、若い頃だけじゃないよ。歳を取ってからも、『銀河鉄道の夜』の時も大騒ぎでさ」って言って。「『こんな映画、誰が見るんだ?』って取り囲まれちゃって……」っていう。「アニメなので宮沢賢治をわかりやすく子供向けに作ってくれると思ったら、なんなんだ、これは? 騙された!」ってみんなに言われたらしいんですよ。

(安東弘樹)動物っぽくなっているやつですよね?

(吉田豪)そうです。そうです。「『いやー、宮沢賢治ファンが見るんじゃないですか? 心配しなくていいですよ。賢治がお客を呼ぶんだから!』って言ってやった」って言っててね。「いいんですよ。たかが3億」って言ってて(笑)。

(玉袋筋太郎)かっけー!

(安東弘樹)これ、よく覚えているんですけど。後々伝説になっていますよね。

(吉田豪)そうですね。いまだに評判のいい作品なんですけども。当時はものすごく叩かれて。しかも、この『銀河鉄道の夜』とかを作る前にブランクっていうのがあって。この人、それもすごいんですよ。ほぼ10年間、全国を放浪していた期間があるんですよ。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)日本がアニメブームになって、ヤマトとかガンダムが流行っている頃、この人、なにも知らないんですよ。全国を放浪して、鬼の絵を売って生活していたんですよ(笑)。

(安東弘樹)鬼の絵を売って生活?

(吉田豪)そう。で、戻ってきてあだち充の『ナイン』と『タッチ』で再ブレイクっていうね。

(玉袋筋太郎)鬼から全く遠いところの作品だよね!

(吉田豪)で、「戻ってその間のヤマトとか、どういう風に見ていたんですか?」って言ったら、「ああ、ヤマトを見て、ひでーアニメだと思ったよ。下手でさ!」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)アニメの人ってみんなそうな感じするなー(笑)。

(吉田豪)意外と無頼派なんですよね。

(安東弘樹)西崎さんしかりね。

(吉田豪)そうそう。

(安東弘樹)で、さらにその6なんですけども。

(吉田豪)これで衝撃事実がわかったんです。

(玉袋筋太郎)プロデューサーはミルコの代理人。

(吉田豪)杉井さんって作家性が強そうでいて、意外と合うものであればどんな漫画でもやる人で。作品の幅がすごいんですよ。本人も「『悟空』をやったと思ったら『どろろ』をやって。宮沢賢治をやったら『タッチ』をやって。めちゃくちゃですよね」って言われて、「節操がないからね」って答えたりしているんですけど……中でも異色なのが『ストリートファイターII』。「なんであれをやったんですか?」って聞いたら、「実は前任者が逃げちゃってね、なりゆきでやることいなった」っていう。完全な尻拭いで。で、アニメから離れて本屋で働いていたゲーム好きな助監督がいたんで、そいつを本屋を無理やり辞めさせて、ゲームの説明をさせたらしいんですよ。

(安東弘樹)説明を。

アニメ版『ストリートファイターII』

(吉田豪)「まず、ゲームにはロールプレイングゲームっていうのとバトルゲームがありまして……」ってその段階から説明をさせて。

(安東弘樹)初歩ですね。

(吉田豪)初歩から。さらには、その人がマニアを何人か知っているっていうからマニアも集めて、スト2についての勉強会みたいなのをやったらしいんですよ。で、話を聞いた結果、「よし、わかった! スト2のマニアが期待しているような映画は一切作るのをやめよう!」って言って(笑)。

(玉袋筋太郎)なんでだろう?

(吉田豪)「お前らの期待通りにはしない!」って言っていて(笑)。

(安東弘樹)散々説明をさせておきながら、「お前らの好きな映画は作らん!」と。

(吉田豪)でも、最終的にはカプコンっていうゲーム会社のスタッフも喜んで。「監督、なんで自分たちがゲームに込めている思いをあんなに表現できるのか、よくわからない」とか言われたらしいんですけど。

(玉袋筋太郎)確信犯でそういう風に言っていたのかな?

(吉田豪)ただ、この仕事を引き受けるきっかけが、このスト2を何年もかけてアニメ化しようとしていたプロデューサーがいるって言っていたんですよ。それが今井賢一という人で、前任の監督に逃げられた後は自分からホテルに缶詰になって、一切書いたこともないシナリオを書いているっていう話を聞いて、「それは面白い!」って乗ったらしいんですよ。

(安東弘樹)今井さんがこういうことをやっているからと。

(吉田豪)「もう全然書いたこともない人間がやっているって、面白いじゃねえか! やるやる!」って言って。「しかも、そのシナリオが全然シナリオになってねえ。ひでーんだ!」って言って。「全部、俺が書き直してさ」って言って(笑)。

(安東弘樹)そりゃそうですよね。素人さんですからね。

(吉田豪)で、「この名前、聞いたことがあるな」と思ったら、ミルコ・クロコップの代理人の今井賢一氏ということが後に判明というね。

(玉袋筋太郎)あの今井さんなんだよね!

(吉田豪)そうなんですよ。元K-1の偉い人。そして、日本の格闘技界をいろいろと真っ二つにさせて大戦争になったきっかけを作った人。

(玉袋筋太郎)かき混ぜた人。

(吉田豪)そうです。で、言われてみればこのスト2って格闘技アドバイザーで石井館長とアンディ・フグが入っていたりとか、声優が羽賀研二とか船木誠勝とか、ちょっとそっち系が入っていたりとか。

(玉袋筋太郎)入ってるんだ。今井さんだよ。

(吉田豪)そうなんですよ。

(安東弘樹)もう玉さんもよくご存知で。

(玉袋筋太郎)ねえ。これ、襟がすっごい襟のシャツを着て、胸はだけちゃってよ。あの人。この間もRIZINで会ったよ。

(吉田豪)という真相が判明というね。

(安東弘樹)これ、杉井さんはご存知なかったっていうことですよね。

(吉田豪)僕もその時に「聞いたことあるな」ぐらいで話していて。「おかしいな?」と思って、あとでわかったっていう感じですね。

(安東弘樹)なるほどね。無頼派だ、この人。

(玉袋筋太郎)すごいね! でも、もう76才だからあ、やっぱりそういう経験もあるし。もう、過去のこともそういうことを言っちゃってもいいんだろうね。

(吉田豪)全然でも、いまだに現役で。「最近作った作品が外しちゃったんでね、なかなか作れないけど。まだまだやるよ!」みたいな感じで。

(安東弘樹)その作品も気になりますけども。ちょうど私の両親と同い年なんで。1940年生まれ。でも、写真を拝見すると、エネルギッシュですねー!

(玉袋筋太郎)若いよね!

(吉田豪)で、なんの話を聞いても、やっぱり「なんでこういう映画を作ったんですか?」みたいな話が全部面白いんですよ。たとえば、「『シナモン the movie』ってなんで作ったんですか?」みたいなのを聞いたら……

(安東弘樹)シナモン?

(吉田豪)シナモンってあるじゃないですか。サンリオの。

(安東弘樹)ああー。

(吉田豪)あれの映画とかも撮っているんですよ。幅広すぎるじゃないですか。

(安東弘樹)ええっ? シナモンの映画を撮っているって……

(吉田豪)「あれもね、会社に騙されたんだよね」みたいな話で。その後はサンリオとの確執の話をずーっとしてくれたりとか(笑)。かつて映画を撮った時に、そこからいろいろ協力してもらえるかと思ったらいろいろあって。「周りみんなに、『もうサンリオの商品を買うな!』って言ったこともあって……」みたいな(笑)。

(安東弘樹)ちっちゃい抵抗だ(笑)。

(吉田豪)まあ、いろんな話がどんどん出てくる人で。まあ、面白いですよ。

(安東弘樹)でもね、日本のアニメの草創期っていうか。最初から見てきた人ってなかなかね。ずっとその世界でやって、まだ現役でやっているってなかなか……

(吉田豪)日本初の長編アニメを作り、日本初のテレビアニメシリーズも作り。

(玉袋筋太郎)そうだよ。その東映動画の会社の社長の息子っつーのがK-1の番組を作っていたっつーのも。

(吉田豪)つながりますね!

(玉袋筋太郎)そうなんだよ。つながっちゃったよ!

(安東弘樹)そうやって考えると、こういう方の話を聞くと、ありがたいですね。歴史が全部わかるっていう意味では。

(吉田豪)ところがね、こういう方の話を聞くこの『HYPER HOBBY Presents キャラクターランド』という(雑誌の)僕の連載だったんですが、無事に今号で休刊が決定しまして(笑)。

(玉袋筋太郎)あっ!(笑)。

(安東弘樹)休刊だー。

(玉袋筋太郎)豪ちゃんも働きすぎだから。少しぐらいちょっと休んでもいいんじゃないかな?

(安東弘樹)じゃあ、ご紹介しますけども。現在発売している週刊新潮に豪さんによる荒木一郎さんのインタビュー本『まわり舞台の上で』の書評が掲載されています。

(吉田豪)これ、本当に面白いです。超名作。みなさん、ぜひ読んで下さい。

(安東弘樹)そして、『実話BUBKA超タブー Vol.16』。K&Mミュージック代表の小林清美さんを豪さんが掘り下げるインタビューが収録。

(吉田豪)3776のプロデューサーの方のすごい人生をひたすら掘るだけっていうね。

(玉袋筋太郎)掘ろうよ、掘ろうよ。あれ、読んだ? 村西とおるの『全裸監督』。

(吉田豪)買いはしましたけども、まだ。

(玉袋筋太郎)あれもね、700ページ。村西とおる監督伝。いいなー、あれも。

(吉田豪)荒木一郎本と同じぐらいの厚さですね!

(玉袋筋太郎)読書の秋、深まっちゃうな、おい!

(安東弘樹)玉さん、先々週ぐらいからずーっと言ってますね。

(玉袋筋太郎)そっちも読みてえ。たまんねえな!

(吉田豪)本当にいいですから。本当に口が悪いんです。荒木一郎さんも(笑)。

(玉袋筋太郎)悪そうだなー! 一筋縄では行かねえなあ!

(吉田豪)結構な大物の悪口がいっぱい出てきますよ(笑)。

(玉袋筋太郎)最高!

(安東弘樹)村西か、荒木か。みなさん、楽しみにしていただきたいと思います。吉田豪さん、次回の登場は12月2日ということになっていますね。今日はありがとうごじざいました!

(吉田豪)はい、どもー!

(玉袋筋太郎)どうもー!

<書き起こしおわり>

吉田豪と玉袋筋太郎 ASKAと成宮寛貴を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。トークの冒頭で玉袋筋太郎さんと再び逮捕されたASKAさんや週刊誌で薬物使用疑惑が報道された成宮寛貴さんについて話していました。



(玉袋筋太郎)よろしく、豪ちゃん。どうだろうね? また行ったね。確変かかったね、ASKAが。連チャンが。

(吉田豪)行きましたね。ずっとCHAGE and ASKAのジャンバーを着てきてよかった!っていう感じですよ。ずーっと着続けてましたからね!



(玉袋筋太郎)豪ちゃんのゲン担ぎだよ、それ! 「やっぱりやってくれた!」と。チャゲアスのジャンバーだよ、これ!


(吉田豪)再び価値が上がったっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)上がったな、また。プレミア感がね。で、成宮くんがまたね、コカインで……とか言われて。

(吉田豪)本人は否定してますけどね。

(玉袋筋太郎)否定している。事務所も否定しているけど、これでもしなんかね……いや、ないと思うんだけど、あったら『相棒』の中に2人出てくるわけだよね。

(吉田豪)そうなんですよね。”相棒”選びはどうなっているんだ?っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そう! 上手い、上手い(笑)。高樹沙耶だのね……再放送できねえじゃねえか、『相棒』が。

(吉田豪)どんどんできないシリースができちゃって。

(玉袋筋太郎)どんどんできなくなっちゃう! うん。

(安東弘樹)いいところから始まりますね。今日もね。

(玉袋筋太郎)ファンが多いんだからさ。相棒はね、ちゃんとしっかり選ばなきゃダメだよ!っていう話だよね。

(吉田豪)まあでもね、僕もドラッグ関係はあんまり人のことを言えないっていうか……

(玉袋筋太郎)えっ、どうした?

(吉田豪)僕、清水健太郎さんに言われたことがありますからね。一緒にロフトプラスワンでイベントをやる直前ですよ。プラスワンに清水健太郎さんが電話をかけてきて。「おい、吉田豪ってのはシャブやってんだろ? なんであいつがやっていて俺だけ捕まっているんだ!」って怒ってましたよっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)「やってないですよ!」っていう(笑)。

吉田豪 ロフトプラスワン清水健太郎イベントの衝撃を語る
吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』で、ロフトプラスワンで行った清水健太郎さんイベントについてトーク。その衝撃的な展開について話していました。 (吉田豪)近況とかも...

(玉袋筋太郎)やってないよ! そのさ、単刀直入さがすごいよね。

(吉田豪)清水健太郎さんに疑われた男なんで、僕も(笑)。

(玉袋筋太郎)疑われたんだよ。それもなにか、盗聴されているとかに近いかもしれないね。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)いいコメント、いいセリフがいっぱい出てきますね。今日ね。

(玉袋筋太郎)はい。

(安東弘樹)そして、今日豪さんに紹介してもらうのは、今年やはりいろいろあった……

(吉田豪)あっ、もう行っちゃうんですか?

(玉袋筋太郎)いいよ、いいよ。

(吉田豪)サブカルの話、していいですか? サブカル話はなし?

(玉袋筋太郎)サブカル話、いいよ、いいよ。サブカル、ねえ。マウンティング取られちゃって。どうしたの、豪ちゃん?

(吉田豪)(笑)。やめますか?

(玉袋筋太郎)やめとこうか(笑)。

(吉田豪)やめておきましょう(笑)。

(玉袋筋太郎)楽屋でやろう。

(安東弘樹)わかりました。それでは放送後が楽しみです。

<書き起こしおわり>

吉田豪 川本真琴を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。CDジャーナルでインタビューしたシンガーソングライターの川本真琴さんについて話していました。



(安東弘樹)では、今日豪さんに紹介してもらうのは、やはり今年いろいろあったシンガーソングライターの川本真琴さんです。まずは川本真琴さんのあらすじとその筋をご紹介します。1974年、福井県出身のシンガーソングライター。96年にデビューシングル『愛の才能』がいきなりの大ヒット。その後も『DNA』『1/2』などヒットシングルを連発。ファーストアルバム『川本真琴』は日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞しました。2000年以降はメジャーやインディーにとらわれない自由な活動を展開。神聖かまってちゃんとのコラボレート作品や川本真琴withゴロニャンずの活動でも話題となります。20周年を迎えた今年、セルフカバーアルバム『ふとしたことです』を発表。2016年はいろいろあった川本真琴さんでございます。

(玉袋筋太郎)うん。

(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材によるシンガーソングライター川本真琴さんのその筋は……その1、不思議な20年。デビューの筋。その2、アルバム100万枚売れても孤独。新宿御苑時代の筋。その3、体調不良からレーベルを辞めちゃったの筋。その4、あまり考えてなくてフリーターみたいな感じの筋。その5、地球の役に立ちたい。マイペースな理由の筋。その6、まさかの女優挑戦の筋。その7、あのタイミングの新曲が『ホラーすぎる彼女です』。忙しかった2016年の筋。以上、7本の筋です。

(玉袋筋太郎)なにかこう、フワフワしている人だよね。

(吉田豪)フワフワしてましたね。

フワフワしている印象

(玉袋筋太郎)フワフワしてるんだよね。「大丈夫かな?」って、いつも心配しちゃうみたいな。

(安東弘樹)ああ、たしかにそういうイメージありますね。

(玉袋筋太郎)なんかこう、「おい! そんな高いところで綱渡りしちゃ危ないよ!」っていうような感じがするんだけど。豪ちゃん、やっぱりそういう人なの?

(吉田豪)そのフワフワの謎を解いてきた感じですね。

(玉袋筋太郎)ああ、フワフワの謎をね。そういうことを抱かせるんですよ。彼女は、なんか。

(安東弘樹)相手にね、そう思わせる。

(吉田豪)じゃあ、1から行きますかね。

(玉袋筋太郎)デビューの筋だよね。

(吉田豪)今回、『CDジャーナル』っていう雑誌でこの新譜『ふとしたことです』発売記念でインタビューしてきたんですけどね。『CDジャーナル』、水道橋博士も買ってくれましたよ。ありがとうございます!

(玉袋筋太郎)あ、やっぱ。(水道橋博士のモノマネで)「俺、好きだから。川本真琴。タイプだから」って昔、言っていたから。

(吉田豪)あ、言ってたんですか?

(玉袋筋太郎)言ってたよ。(水道橋博士のモノマネで)「ど真ん中だから……」。

(吉田豪)上手いんですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)(水道橋博士のモノマネで)「好きだから」って言ってたんだよ。そうそう。

(吉田豪)なるほど(笑)。あの、セルフカバーなんですよね。それなので、20周年を振り返ってもらおうという企画で取材してきまして。実は、事前に言われていたのが1個だけあったんですよ。「今回のスキャンダルには触れないでください」という。

(玉袋筋太郎)それ、だって触れないと豪ちゃん、やっぱり仕事にならねえんじゃないの?

(吉田豪)まあ、とは言っても音楽誌ですからね。だから、どうやってさりげなく触れるか? をテーマに……(笑)。

(玉袋筋太郎)裏テーマがそうなんだ(笑)。

(吉田豪)というわけで20周年を振り返って。初期の曲……ソニーに最初は所属していたんですけど、「ソニー時代ってやたらとBPM(曲のスピード)が早くて言葉数がすごい多い。歌詞を大量に詰め込んでいる。あれってもしかしたら精神状態とかが関係している部分もあったんですか?」っていう風に聞いたら、むしろ逆で。「ソニーの頃は企画がしっかりしていて、あまり精神状態は反映されていなかった。最近の方が精神状態は関係してる」っていう。

(玉袋筋太郎)あ、じゃあ最近の方がもう素の自分的な感じなんだね。

(吉田豪)そうですね。最近はもっとゆったりした曲なんですよ。これはだから、精神的に落ち着いてきたからなのかな? とかずっと思っていたら、まあとにかく実は精神的に危うくてもどうであっても曲には反映されないような時代だったというか。

(玉袋筋太郎)逆にそれ、辛いのかな?

(吉田豪)もともとだからレベッカみたいなガールズバンド系の音楽性だったのが、それが方向性がいろいろとメジャーデビューするにあたって……まず、「中性的な女の子」っていうテーマになり、そしてオリジナル曲でデビューするはずだったのが、ディレクターが変わって企画も変わって、他人の曲をやるということになって。「だったら……」っていうことで「岡村靖幸さんの曲がいい」って言って、『愛の才能』でデビューすることになるんですね。

デビューシングルから大ヒット

(玉袋筋太郎)それが当たっちゃったんだもんね。

(吉田豪)で、いきなり当たっちゃって。

(玉袋筋太郎)すごいよ、これ。

(吉田豪)いきなりバカ売れですよ。その時の心境を聞いたら、「作品を客観的に聞いて売れるだろうなと思いましたね。なんとなく」っていう。すごい他人事なんですよ。

(玉袋筋太郎)他人事だね。

(吉田豪)「もっと自分を出したいという気持ちはありましたけど、自分のキャラと違うものが先行して出ちゃっているんで、果たしてそれがみんな好きなのかか? とも思って。もっと自分を出していった方が愛されるアーティストになれる気もしていた。自分を出した方が長続きするだろうなって」っていう。

(玉袋筋太郎)へー!

(安東弘樹)冷静に、ねえ。

(吉田豪)と言いながらも、あまり出せないままでいて。当時、テレビに出ていたのとかを久しぶりにいろいろ見直していたら、結構ドキドキするんですよ。『HEY!HEY!HEY!』のやり取りとか、なにを聞かれても全部一言で返していて。ダウンタウンの松本さんが「君は返しが早すぎる」ってイライラしていたっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)って言ったら、なにも覚えてなくて。「いや、自分では乗り切れているつもりで、楽しくやれていた」みたいな感じで。でも、結構ハラハラするのが多かったですけどね。

(玉袋筋太郎)ああ、彼女ね。まあ、そういう感じだよね。だからハラハラする。「あぶねえ! カウンター、あぶねえよ!」っていうね。「志村、後ろ!」みたいな。「気をつけろよ!」っていう感じがするよね。

(吉田豪)本人は意外と無意識でやっていたという。で、その2。

(玉袋筋太郎)その2。アルバム100万枚。こりゃーすごいことだよ。

(安東弘樹)しかも、シングルじゃなくてアルバムを100万枚ですもんね。

(玉袋筋太郎)あれよあれよだもんね。

(吉田豪)売れていた時代ですからね。日本レコード大賞ベストアルバム賞も受賞して。税金いくらだろう?っていうね。

(玉袋筋太郎)そうなんだよな。いくら儲けたんだろう? あんまり金儲け主義とかじゃなかったのかね? 彼女っつーのは。

(吉田豪)本人に聞いても、あれなんですよ。「100万枚売れた実感ってどうなんですか?」って聞いたら、「わかんないんですよ。100万っていう数は。当時もいまも」っていうね。で、その頃ちょうど新宿御苑に住んでいたっていうね。

(玉袋筋太郎)御苑!

(吉田豪)まあいまはね、のんか吉田豪か?っていう新宿御苑ですけども。

(玉袋筋太郎)か、竹山か。

辛い新宿御苑時代

(吉田豪)御苑に住んでいて、とにかく孤独だったっていう。「上京してきて、孤独で。うれしさとかリアル感がまったくなかった。すごいことが起きるけど、実際の生活の”辛い”とかの方が先立っていたんで、いまになってみれば賞とかもすごいんだけど当時は毎日暗い気持ち」という。

(玉袋筋太郎)あぶねえなー! そりゃあだって、100万枚売れて辛いなんて……

(安東弘樹)デビューして1曲目で売れてっていう。

(玉袋筋太郎)それで、福井から出てきてだよ。なんか東京でいろんな買い物とか、普通したくなるよね??

(吉田豪)だから、「キャラがかけ離れていっちゃって、自分のことを誰も見てくれない状況。みんなが見ているのは私の作っているものを見ているという感じで辛くて」っていう。

(玉袋筋太郎)うーん。

(安東弘樹)突然すぎると、そういうもんなのかもしれないですね。もしかしたら。

(吉田豪)しかも、上京直後。デビュー半年前までは1日100円で暮らしていたらしいんですけど、でも辛くなかったって言ってるんですよ。

(安東弘樹)そっちの方がね。

(玉袋筋太郎)100円でどうやって暮らしてたんだよ? 駄菓子屋行ってお菓子買って。カレーせんべいとかそういうのを買って……

(吉田豪)麩菓子とかで(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだよね。それがでも、いきなり100万枚なんだもんな。でも、それが虚しかったというか、実感がなかったんだね。

(吉田豪)その結果、その3に結びつくわけですね。

(玉袋筋太郎)体調不良からレーベルを辞めちゃったの筋。悲しいな、おい。

体調不良でレーベルを辞める

(吉田豪)まあ、辛い時期があったんで、途中から開き直って結構無茶なことを言い出したりとか、大人と戦ったりとかして、徐々に違う方向性にしていったんですけど。そのきっかけが体調不良だったんですよ。体調不良になってから、ある程度みんな気を使うようになってくれたっていうことで。時期的にはいつか? というと、『桜』っていう曲を出した後で体調不良になって。1ヶ月ぐらい辛い時期があって家から出られなかったっていうね。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(吉田豪)で、音楽を作るとか絶対に無理。どういう風に生きていたのかわからないぐらいの精神状態で。それを作っている頃は胃薬を飲んでいて、胃潰瘍になってしばらく休んだっていう。

(玉袋筋太郎)ああー。

(安東弘樹)胃薬を飲んで胃潰瘍?

(吉田豪)まあ、胃薬をずっと飲むぐらい胃がヤバくて何かと思ったら胃潰瘍で……っていう。

(玉袋筋太郎)いや、そん時にね、たとえば演技指導の女性とかがいればまた違った人生になったりとかね……

(吉田豪)新宿御苑でね(笑)。

(安東弘樹)それが、いいのか悪いのかはわかりませんが。

(玉袋筋太郎)片隅に、ねえ。

(吉田豪)そうですね。レーベルを辞めちゃうわけですからね。で、独立ですからね。まさに。

(玉袋筋太郎)独立だよね、これね。

(安東弘樹)やめなさい!

(吉田・玉袋)(笑)

(安東弘樹)たまにこちらに来ないとね。僕もね。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)いや、川本さんの話をしているわけですよ。

(吉田豪)そうですね。で、ちょうどその時期に会社が部署変更とか、一緒にやっていたディレクターとかも辞めることになったんで、「だったら……」っていうことでレーベルを辞めて。「その辛かった時期ってなにを考えていたんですか? 『辞めたい』とか思っていましたか?」って聞いたら、「辛すぎて、もうそういう悩むことすらできない。考えるってまだまともな状態なんだと思います」っていう。

(安東弘樹)ああ、そうか。「無」だ。

(玉袋筋太郎)大変だよね。当時、男性とかいなかったのかな? 支えとか、ペットを飼うとかさ。

(安東弘樹)そこはでも、正直気になりますよね。当時、支えてくれる人が。

(吉田豪)さすがにまだ、当時のそのへんは掘ってないですけどね。

(玉袋筋太郎)まだ、でもその男の影が出てこないんだよね。昔からそうだったよね。出てこなくて。

(安東弘樹)中性的っていうのもあるのかもしれないですけど。

(玉袋筋太郎)それで出てきたのがあの男だっていうところが俺はショックだったんだよ。「うえっ!?」って。

(安東弘樹)だってもう体育会TV弓道部のメンバーですから。同じ部員ですから。

(吉田豪)おおーっ!

(玉袋筋太郎)ラ・ママ コント大会のコーラスラインで出て3秒でもう手を挙げられちゃう男ですよ、あいつは。出てきただけで手を挙げられて退場させられる男だったのが、それがちょっとびっくりしたんだよね。

(安東弘樹)びっくりなんですよ。正直。

(玉袋筋太郎)お前には『愛の才能』があったんだな!っていう。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)本当にそうなんですよね。

(玉袋筋太郎)まあ、でも辛かったんだな。彼女は。そして……

(吉田豪)その4。

(玉袋筋太郎)あまり考えなくてフリーターみたいな感じに。これがすごい。

あまり考えずフリーターみたいな感じに

(吉田豪)本当に先のことを考えないでレコード会社を辞めたらしいんですよ。で、「メジャーに移籍するか? と思ったら、その頃ってちょうどインディーズっていう文化がいい感じに盛り上がって見えたんで、いい機会だと思ってインディーズに移った」って言いながらも、そこから一気にマイペースになるんですよね。

(玉袋筋太郎)はいはいはい。

(吉田豪)活動が。「なんでか?」って聞いたら、「自主制作のやり方がわからなかったから、曲だけ作っていた」って言っていて。「いや、わかんないでインディーズに行ったんですか?」って話で。

(玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)「ええっ?」って聞いたら、「基本的にどういう風にCDを出していいかわからなくて、どうしようかな?って。それで8年間ぐらい……」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)長えよ、8年(笑)。長いなー!

(安東弘樹)長い! 小学校を卒業しちゃいますよ。

(玉袋筋太郎)本当だよ。なにやっていたの? その8年は。

(吉田豪)まあ、単発でちょこちょこ出してはいたんですよ。ミホミホマコトとか、タイガーフェイクファとか違う名義で出したりとかしていて。そういうのも、名前を使えなくなったわけでもなくて。ただ本当にもう、思い出したように出すぐらいで。「なんだったんですか?」って聞いたら、「もうフリーターみたいな感じ。曲は作っていましたけど。雲をつかむような8年間で、流通のこともなにも知らないし、知り合いもほとんどいないし」で。流通わからないで8年ぼんやりしていたっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)すごいね、これ! 少しは、ねえ。なあ。

(安東弘樹)どうやって、生活を? ねえ。

(吉田豪)フリーター業ですよね。

(安東弘樹)「みたいな」じゃなくて本当にアルバイトをやっていたっていうことですか?

(吉田豪)で、その8年で曲作りの土台が完成して。で、いいスタッフに巡り合って。

(玉袋筋太郎)やっぱね、川本真琴に足りなかったのは赤羽の美声堂とかね、ああいうレコード屋に行ってキャンペーンとかやらなかったことだな。手売りだな!

(安東弘樹)ああー、箱に乗ってね。

(玉袋筋太郎)夜キャンペーンをやらなかったんだよ。

(吉田豪)演歌系のね(笑)。

(玉袋筋太郎)演歌系の。うん。まあ、似合わないけどね(笑)。やっていたらまたそれも衝撃的だったけどね。うん。さあ、そして続いて……地球の役に立ちたい。マイペースな理由の筋。

(吉田豪)そうなんですね。8年間ぼんやりしていて、やっていけるかな? と思い始めたのがサード・アルバム『音楽の世界へようこそ』を出した頃。要するに、2010年。6年ぐらい前ですね。

(安東弘樹)これはインディーズですか?

(吉田豪)インディーズです。このアルバムの時に、ずっと考え込んでいたらしいんですよ。なにを考え込んでいたのか聞いたら、「これは果たして人が聞いて役に立つものなのかな?」って考えて、いろいろ歌詞とかをボツにしたりとか、すごい悩んでいたらしいんですよ。「せっかく世に出すものだったら、役に立つものじゃないと私が生きている意味がないって考えて。元気になるでもいいし、明るい気持ちになるとか、あと、たとえばお金に汚い人がいたら、私の曲を聞いて『はっ!』っとするとか」っていう。

(玉袋筋太郎)おおーっ! 啓発系だね、これ。

(吉田豪)さらには、「人間中心じゃなくて、動物とか植物に目を向けてみようとか。そういうことで私が役に立てたらいいなってすごく思っていて。世の中っていうか、地球の役に立てないかな?って思って」って言っていて。

(玉袋筋太郎)黒柳徹子的になってきたね、これね。考えが。

地球の役に立ちたい

(吉田豪)思わずちょっと、「ええっ! 地球の役に?」ってちょっと半笑いで言ったら、すごい真面目に言っていたんで、「ああ、これは笑うところじゃなかった。しくじった!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)地球のためにだよ。

(安東弘樹)まあ、わからないでもないですけどね。

(吉田豪)安東さん的には「わかる!」っていう?

(玉袋筋太郎)パンダのマークが見えてきたよ、俺!

(安東弘樹)パンダのマークね!

(吉田豪)「WWE」じゃない方ね(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。「WWF」。

(吉田豪)それ、2年ぐらい悩んでいたらしいんですよ。で、「いま振り返るとあんなに考えることはなかったなと思いますね」って言いながらも、いまも「役に立つ歌を作らなきゃ!」っていうね。

(玉袋筋太郎)ああ、でもうれしいじゃないですかね。そうやって。応援歌ですもん。

(安東弘樹)そうですよね。いい原動力ですよ。

(吉田豪)だんだんマイペースな理由がわかってきたっていうね。

(安東弘樹)で、まさかの女優に挑戦? 僕、そのイメージが全くないんですけど。これは?

(吉田豪)どんどん不思議な活動になってきて。2011年ごろからは担当さんがいろいろやってくれるようになって、結構作品がちょこちょこ出るようになって。で、スカートっていうユニットをやっている澤部(渡)さんっていうちょっとぽっちゃりされた僕のCHAGE and ASKA仲間がいるんですけども。

(玉袋筋太郎)ジャンバーを褒め称えたという。

(吉田豪)その人と絡んだりとか、バンド活動をやったりとかするようになって。だから、「そういう風になってよかったですよ」って言ったら、「澤部さん、結構話に出るな。なんでだろう? 有名なんですか?」って聞かれたりとかして(笑)。「わかってないんですか!?」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)わかってなくて付き合っていた。お仕事をしていたと。

(吉田豪)「なんか今日ずっと取材を受けていて、インタビュワーさんが澤部さんの名前をよく出すんで、有名なんだなと思って」みたいな。で、「澤部さんっていうのはCHAGE and ASKAにすごい影響を受けた人で、TBSラジオでも前回の事件の直後にCHAGE and ASKAの曲を流したりするぐらい、ちゃんとガチなファンで。で、僕はCHAGE and ASKAについて澤部さんと話す仲間で。今日も着ているチャゲアスのジャンバーを本気でうらやましがってくれたのが澤部さんです!」って言ったら、「ああー、そうなんですね」って本当に興味なさそうに……(笑)。

(玉袋筋太郎)(爆笑)

(安東弘樹)そこは興味ないんだ(笑)。

(玉袋筋太郎)いいねえ!

(吉田豪)「『一緒に写真撮っていいですか?』って言われて、写真も撮りましたよ!」って言ったら、「好きですもんねー」みたいに。本当に興味なさそうに言われて(笑)。

(玉袋筋太郎)おおーっ! いいねえ!

(安東弘樹)本当にもう、マイペースというか。

(吉田豪)マイペースですよ。突然Twitterで澤部さんとかと組んでいるゴロニャンずっていうバンドを「一生続ける」ってつぶやいていたんで、「なんですか?」って聞いたら、「あれは担当さんに『もっと売れるように協力しろ』って言われて反省して書いただけ」っていうね(笑)。マイペース。

(玉袋筋太郎)マイペースだよ、これは。

(吉田豪)女優もなにをやっているか?っていうと、20周年記念でYouTubeに短編の自主映画を作って、自主的にどんどんアップして。

(安東弘樹)ああ、自分で作って自分で出ている?

(吉田豪)そうなんですよ。根本宗子さんっていう人に脚本をたのんでやっているんですが、本人いわく、「あのー、再生回数がどんどん少なくなってきていて、誰も見ていないみたいなんで」って(笑)。

(玉袋筋太郎)ちょっと待って! ピコ太郎になりたいんじゃないの?

(安東弘樹)(笑)

(玉袋筋太郎)でも、彼女だったらどっか映画監督でも好きな人がいて、使ってくれるんじゃないか?っていう感じがするんだけどね。

(吉田豪)「ドラマ、どうでしたか?」って聞かれたんで、「演技、徐々に上手くなってきていますね」って言ったら、「マジですか!」って言いながらも、「でも、これなんかの役に立つんですかね?」って聞かれると、僕に聞かれてもわからないじゃないですか(笑)。

(玉袋筋太郎)やっぱりなんかの役に立つっていうのがキーワードだな、こりゃ。

(安東弘樹)そこがベースにあるんですね。

(吉田豪)「女優挑戦がこれぐらいの年齢って珍しいですよ」って言ったら、「そうですか? 42才ぐらいで女優っていっぱいいますよね?」みたいに(笑)。「いや、いま始める人が珍しいんですよ!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そうか。42才か、彼女もね。それもちょっと衝撃的だね。

(吉田豪)変わった人ですよ。

(安東弘樹)いやー、42。そうですよね。そして、いよいよ核心に迫ってきますけども。あのタイミングの新曲が『ホラーすぎる彼女です』。忙しかった2016年の筋。

(玉袋筋太郎)これだ!

(吉田豪)NGが出ている中で、僕が探り探り言った質問がこれです。

(玉袋筋太郎)どういう風にボールを投げたの? 豪ちゃん(笑)。

いろいろあった2016年に吉田豪が迫る

(吉田豪)「以前のインタビューで2015年の抱負を聞いた時に、どう応えていたか覚えています?」って聞いたら、「覚えてないです」「『自分にとって無理のない仕事をする&結婚』と答えていたんですよ」っていうので、「なんでそんなことを言っていたんですかね?」みたいな話から、「まあね、今年は本当いろいろあったわけじゃないですか」っていう風にね……

(玉袋筋太郎)いいねえ! ほころびを作って。豪ちゃん、さすが!

(吉田豪)そしたら、すごいちゃんと答えてくれるんですよ。本当にいい人で。NGが出ていたのに、すごいいちいち、ひとつひとつ答えてくれて。

(安東弘樹)ああ、その時は川本さんだけ?

(吉田豪)一応事務所の人らしい人もいたんですけど、いくらでも話してくれる上に、「まあね、カットになると思いますけど……」みたいに僕が言っても、「いや、全然、全然。大丈夫ですよ。私、言っちゃいけないこと言ってないです」っていうね。

(安東弘樹)事務所の方が遠くでバツマークとかは?

(吉田豪)全然、全然。原稿チェックで多少は削られていましたけど、思いのほか残って。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)そうなんですよ。「私と狩野くんはいまでも友達なんですよ。世の中みんなが考えているよりほんわかした感じで、いまだに飲んだりもしている」っていう。

(玉袋筋太郎)飲んだりしているんだ。

(吉田豪)ただ、精神的なダメージは相当あったらしくて。いまもその話をしたら、「いますぐタバコを吸いたい気持ちになって。飲みに行ってからにしましょうか!」みたいになって(笑)。

(玉袋筋太郎)ほほー!

(安東弘樹)ほんわかした感じだけど……

(吉田豪)ここではちょっとスイッチが入ってっていう。ただ、でもすごい腹のくくり方というか、すごい名言だなと思ったのは、「今回のこういう件でスキャンダルより自分が勝てる、自分の音楽が勝てるって思っています」っていうね。

(玉袋筋太郎)かっこいい!

(吉田豪)「意味不明に『売名』とか言われたけど、私は勝てるって自分で思っていました」っていうね。

(安東弘樹)そういった売名とかってものよりも、そういった中傷にも勝てると。

(吉田豪)「ネットで悪口とか言われたりしても、長い時間かけて培った技術とかはたったの一言二言の悪口で消されたりしない」っていう。

(安東弘樹)楽曲にも自信があるというね。

(玉袋筋太郎)強いね! それはいい! スッとした。フワフワした中にもひとつ芯があったね。

(吉田豪)「いちばん頭に来たのはストーカーって言われたこと」っていうね。「東京に住んでいないのに、ストーカーはできない!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そうか!

(吉田豪)みたいな話からね、だんだん僕は個人名を出さずにいろいろ聞いていたのに、向こうから個人名を出してくるぐらいのサービス精神で(笑)。普通に載せない前提ぐらいで僕もいろいろ話す感じになって面白かったですけどもね。僕もちょうど最近、加藤紗里さんとテレビで共演したんですよっていう話で。

(玉袋筋太郎)おうおうおう。

(吉田豪)バイキングで共演だったんですけど、結構あの人も変わったというかすごい人だなと思ったんですよ。本番でスタジオに向かうじゃないですか。で、マネージャーと一緒に移動していて。あれ、スポンサーがライオンだから、台本にライオンのマークが入っているんですよ。で、マネージャーさんに「見て見て、ほら! ライオン。かわいい~!」とか言っていて。「それはいいから、いまちょっと台本読もうね」って言っても、「ほら、見て! ライオン! かわいい~!」「それはいいから、とにかくいまは台本をちゃんと読もうね」みたいな。すげーな、これ!って思って。

(玉袋筋太郎)すっごいな!

(安東弘樹)すごい。川本さんはすごい戦いをしていたわけですね。いろいろと。その人を相手に。

(玉袋筋太郎)は―! すごいな!

(吉田豪)ある種の本物だと思いましたよ。加藤紗里さんも(笑)。それを見て。

(玉袋筋太郎)それとこう、狩野英孝ってすごいな。

(吉田豪)すごいですね。

(安東弘樹)そう考えると、狩野さん、すごいですね。

(玉袋筋太郎)神がかってるね。実家、神社だから。

(吉田豪)そういうことなのかな(笑)。

(玉袋筋太郎)あるのね。

(安東弘樹)弓道部のキャプテン。

(吉田豪)そんなタイミングで『ホラーすぎる彼女です』っていう曲を作って出しちゃって誤解をされたっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)ああーっ!

(安東弘樹)余計ね。ちょっと微妙にシンクロしているだけに。

(吉田豪)だって騒動で加藤紗里さんとかとTwitterでやり取りした直後に「新曲できました」ってやっていたから、それは結びつけて見られちゃうわっていう(笑)。

(安東弘樹)ですよね。でも、本人は関係ないんですよね。

(吉田豪)全然。突然それで作られるわけもなく、前から作っていてPVも撮っていて、そのタイミングになっちゃったっていう。奇跡的なタイミングになっていたっていうね。

(玉袋筋太郎)逆パブというかね。パブになっているのか、どっちなのか?っていう。

(安東弘樹)これ、でも本当にここでぶっこんでいいですか? 実際にその、普通にお付き合いはされていたということで?

(吉田豪)ですよね。

(安東弘樹)そこはもう、認めてらっしゃるということですよね。

(玉袋筋太郎)ほー! ねえ。なんとなくこうフワフワしている彼女のイメージが、ぼんやりじゃなくてしっかり見えてきたよ、豪ちゃん。

(安東弘樹)さあ、で、この川本真琴さんのインタビューの模様なんですけど、現在発売中のCDジャーナル12月号に掲載されているということですね。で、12月17日、吉田豪さん『続 聞き出す力』発売。

『続 聞き出す力』

(玉袋筋太郎)これがすごいじゃない。帯が。

(吉田豪)帯が、ついに。伏線を回収しましたよ、きちんと(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そうだな!

(安東弘樹)そうですね。殿がね。帯をね。

(吉田豪)「ビートたけし氏推薦!!!!!!!」。

(玉袋筋太郎)『続 聞き出す力』。

(吉田豪)「私は吉田氏が私の悪口を書いたことを聞き出そうと怒鳴りつけたことがありましたが……」とかね、その話からちゃんと書いてくれているっていうね。

吉田豪 ビートたけしから受けた恐怖体験を語る
吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、TVタックルの収録中にビートたけしさんから受けた恐怖体験について、玉袋筋太郎さんと話していました。 (玉袋筋太郎)豪...

(玉袋筋太郎)そうなんだよね。

(安東弘樹)ただ、そのなぜ帯をやったのかも、プロセスもかきつつ、しかも本の半分以上の面積をたけしさんの顔が(笑)。

(吉田豪)僕の写真もなにもないっていうね。「誰の本だ?」っていう(笑)。



(玉袋筋太郎)これ、殿だなっていう(笑)。

(安東弘樹)確実に、「ビートたけし著」ですよね(笑)。

(吉田豪)「あっ、たけしの新刊だ」っていう(笑)。

(安東弘樹)これは週刊漫画ゴラクでの連載をまとめた書籍化の第二弾ですね。日本文芸社から税込み864円。安いな。

(吉田豪)安いです。新書ですからね。

(安東弘樹)これは、どういう方が入っているんですか?

(吉田豪)どういう方っていうか、いろんなインタビューをした、いまみたいな裏話だなんだとかを載せている本でっていう感じですね。そして、どうも帯を読んでいる限り、たけしさんは読んでいない気がするっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)ないないない! またそういうことを言うと、「お前、言っただろ?」って……

(吉田豪)(爆笑)。「おい! お前、読んだのになんてことを言ってるんだ!」って(笑)。

(玉袋筋太郎)怖いぞー、『アウトレイジ』モードに入っているから(笑)。

(吉田豪)新作できますよね(笑)。

(安東弘樹)たけしさんは「この本を推薦いたします。この本はおもしろいぞ!」って書いてありますよ。

(吉田豪)そうです。やった! うれしい!

(玉袋筋太郎)やった!

(安東弘樹)読んでないわけがないですよ。

(玉袋筋太郎)ない! うちの師匠だもん。だって。さあ、豪ちゃん。まあ俺たち的には12月8日だっけな? アサ芸の対談が。年末スキャンダル大賞。浅草キッドと吉田豪ちゃんとライムスター宇多丸の4人で。

(吉田豪)恒例のね。

(玉袋筋太郎)2016年をぶった切ると。

(吉田豪)もう、今年は誰ですかね? 大賞は。

(玉袋筋太郎)誰なんだろうね? 俺はたぶん……

(安東弘樹)書いています。

(玉袋筋太郎)この人じゃねえかな?って思運だよね。

(吉田豪)(笑)。僕も一票入れますかね。それはね。

(玉袋筋太郎)俺も一票入れよう。よし! さあ、どうなるかはアサヒ芸能をお楽しみ。

(安東弘樹)さあ、吉田豪さん。次回の登場は新年1月6日。よろしくお願いします。吉田豪さん、ありがとうございました。

(吉田豪)はい、どうもでーす!

(玉袋筋太郎)ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

杉作J太郎と吉田豪 AKB48 島崎遥香を語る

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杉作J太郎さんと吉田豪さんがDOMMUNE『JGO30』の中でAKB48の島崎遥香さんについてトーク。杉作さんが初めて島崎さんを見た際の話をしていました。



(杉作J太郎)あのね、いまの(曲)、良かったよ。年末感があって。やっぱりね、いまタクシーの運転手さんも言ってたわ。「季節感がだいぶなくなってきました」なんて。お正月も休まないしね、会社もいつまで続くかわからないしね。仕事納めがあってないような会社もあるから。もう。

(吉田豪)はいはいはい。

(杉作J太郎)だから「本当に世の中もだいぶ季節感がなくなってきましたね」なんて言っていましたけど。そうは言ってもね、やっぱり暦がこの12月の20日……クリスマスとかをすぎると、「ああ、やっぱり今年も押し迫ってきたな」っていう感じはしますね。

(吉田豪)しますね。

(杉作J太郎)ほんで、たとえば昨日。SMAPが解散……昨日で解散したんでしょ?

(吉田豪)解散は大晦日なんですけど、でも活動というか最後のライブが昨日(SMAP×SMAP)だったっていうことですね。

島崎遥香 AKB卒業

(杉作J太郎)だからそうやっていろんなものが、年内で終わるものがね。やっぱり1年の最後で終わっていく。ぱるる(島崎遥香)も最後のステージだったのかな? 昨日が。

(吉田豪)そうですね。劇場で。

(杉作J太郎)おつかれさんでした、ぱるるさん!

(吉田豪)うん(笑)。

(杉作J太郎)ぱるる先生ね(笑)。

(吉田豪)ぱるる先生。センセイ・ぱるるがね。

(杉作J太郎)ぱるる先生もがんばってくれました。ありがとうございました!

(吉田豪)たしかに現代の若山(富三郎)先生ぐらいの自由さがありますからね。

(杉作J太郎)俺はね、ぱるる先生はね、いちばん最初に篠本634に連れられて見に行った時に634が……

(吉田豪)AKBライターのね。

(杉作J太郎)「この中で誰がいちばんいいですか? 杉作さん、すごいと思う子、いますかね?」って言うから「あの子は?」って言ったら、「ああ、あれは渡辺麻友ですよ。そりゃあ、すごいですよ」なんて言って。「ああ、そうですか」「他にいませんか? 今日は7人休んでいるんですけど……」って。何組っていうのかな? まゆゆがいたところだから、C組じゃなくて、B組じゃなくて……

(吉田豪)チームB?

(杉作J太郎)チームBか。柏木もいなかったんだよ。で、あといろんな人がいなかったの。北原もいなかったの。ロマン優光の本でおなじみの北原優光もいなかったの。「北原優光」なんて人はいませんよね。

(吉田豪)いませんよ(笑)。

(杉作J太郎)そしたら、「この中で誰かいい子、いますか?」って言ったらね、子供なんだけどすごく踊りがね。顔立ちも若干……顔があの子に似ていたんだ。いま思えば、声優の……

(吉田豪)声優の?

(杉作J太郎)ナントカ綾さん。

(吉田豪)平野綾?

(杉作J太郎)いや、ナントカ綾さん。誰か……あれっ、ちょっと待って。

(吉田豪)誰か、声優の綾さん。

(杉作J太郎)結婚したんだよ。野沢那智さんの事務所にいた人……さあ、ネットの能力をいまね……(笑)。

(吉田豪)試している状態(笑)。

(杉作J太郎)ええとね、遠藤綾だ! もう先に僕が出ちゃいましたけど、遠藤綾さんにちょっと似ていたんですよ。で、僕は当時、遠藤綾さんがちょっとタイプでね。ほんで、顔立ちもよかったんですけど。涼しげな顔なんですよ。遠藤さんってね。で、踊りがすごい画期的に上手なの。で、1人で一生懸命踊っているの。中にはダラダラしたのもいるんだよ。数名。ダラダラしたのがいる……まあ、そっちがすごい僕の目には魅力的に映ったの。「ああ、番格ロックみたいだな」って思ってね。俺はそれまでハロプロしか見ていないから。「スケバンじゃねえかよ、こいつら!」って思ってね。

(吉田豪)ハロプロはキビキビしてますからね。

(杉作J太郎)ハロプロはもう優等生の集まりみたいでしたから。「おい、これ劣等生かよ、これ全部? お前ら、オール1か2だろ?」みたいなね。そんなのが1人、2人いるんだよ。

(吉田豪)はいはいはい(笑)。

(杉作J太郎)で、「なんて自由な集団なんだろう!」って思って。

(吉田豪)いわゆるピンキー・バイオレンス感というか。

(杉作J太郎)もう本当に、「これボロをよく集めたな、こんなもん!」みたいな。で、そこで……

(吉田豪)(爆笑)

(杉作J太郎)いやいや、全部が全部じゃないよ。そこに感動したんですよ。僕は。

(吉田豪)そのアウトロー感にね。

(杉作J太郎)アウトロー感。誰かっていうと、それが結局宮崎とか平嶋なんだけど。感動したわけですね。

(吉田豪)ふてぶてしい感じが。

(杉作J太郎)いやー、「ふてぶてしい! 素敵だな!」って思ってね。そしたらね、その中で年端もいかないのに一生懸命踊っている、ものすごい踊りの上手な子がいるわけ。「あれ、いいね!」って言ったらね、「ああ、あれは研究生ですからね。まだまだですね」「誰ですか?」「ああ、あれは島崎遥香っていう子です」っていう。それがね、もう初めて彼女を見た時ですよ。

(吉田豪)いわゆる「ポンコツ」とか言われるようなダンスじゃなかった?

(杉作J太郎)いや、全然。だからその後にポンコツって言われるようになってね。「えっ、なんであの子がポンコツなわけ?」みたいな。

(吉田豪)「周りの方がポンコツだったよ」っていう?

(杉作J太郎)いや、周りはもうポンコツっていうよりはアウトローっていうかね。もうすぐあるけど、『マグニフィセント・セブン』。荒野の七人。あれ、面白かったんだ。あの映画が!

(吉田豪)はい。

(杉作J太郎)もうクリス・ペプラーじゃなくて……

(吉田豪)出ないですよ。その人は(笑)。

(杉作J太郎)クリス・アダムスだっけ?(※注 正しくはクリス・プラット)。すっごいいい役者が出てるの!

(吉田豪)(笑)

(杉作J太郎)あと、イ・ビョンホンがよかった。イ・ビョンホン。ああ、もう本当、韓国バンザイ! イ・ビョンホン、すごいよかったよ。やっぱりね、ちょっとね、いい映画でしたね。あの……

(吉田豪)はい。

(杉作J太郎)なんの話だっけ?

(吉田豪)あの、思いつきで話が転がりすぎていて。

(杉作J太郎)まあ、そんなもんですよ。

(吉田豪)年の瀬の話です。

(杉作J太郎)年の瀬なんだから。……一之瀬っていうところ、ない?

(吉田豪)場所?

(杉作J太郎)東の方に。環七の向こう、環七沿いに。一之瀬ってありますよね?

(吉田豪)今日、いつも以上に思いつきだけでトークしてる感じがしますね。

(杉作J太郎)生きている間のことよ。これも。生きている間。もう、死んだら何も思いつかないんだから。生きていることを謳歌しましょうよ、みなさん。

(吉田豪)はい。いいこと言いました。

(杉作J太郎)(笑)

<書き起こしおわり>

吉田豪 窪塚洋介を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で俳優 窪塚洋介さんについてトーク。あまりにも信頼できる男、窪塚さんの素顔について話していました。



(安東弘樹)さあ、その豪さんに紹介してもらうのが俳優の窪塚洋介さんなんですが。これがね、本当にすごいです。では、窪塚洋介さんのあらすじとその筋をご紹介します。1979年、神奈川県生まれの窪塚洋介さん。1995年に『金田一少年の事件簿』でデビュー。2001年には映画『GO』で主演を務め、最年少で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を獲得。その後も数多くの作品に出演します。2004年に自宅マンションの9階から落下し、一時重体になったこともあります。2006年からはレゲエDJ 卍LINEとして音楽活動をスタート。今月、日本公開されるマーティン・スコセッシ監督の最新作『沈黙 -サイレンス-』に出演することが話題になっている窪塚洋介さんです。

(玉袋筋太郎)うん。

(安東弘樹)で、吉田豪さんの取材による俳優 窪塚洋介さんのその筋なんですが、その1、ハリウッド進出。でも、オーディションに1回落ちていたの筋。その2、座右の銘は「俺に過去はない」の筋。その3、浮かれないタイプ。前に落っこちたからの筋。その4、Twitterで救われたの筋。その5、映画で勝負。テレビドラマは出ない。奇跡的にCMの筋。以上5本の筋でございます。

(玉袋筋太郎)やっぱ窪塚さんっつーとね、ちょっとこっちがオファーを出してもなかなかオファーを受けてくれないようなイメージがあるんだけど。豪ちゃん、どうだったの?

(吉田豪)まあ、映画の宣伝なんで今回は取材日にガーッと受けていたんですけど。僕も本当にずーっと会いたくて、ようやく夢が叶った感じで。前からK DUB SHINEさんとかは映画の絡みで仲がいいから、「洋介、紹介しようか?」って言われていたんですけど、「紹介っていうか、ちゃんと取材をしたいんですよ」っていう。

(玉袋筋太郎)じゃあ今回、本当にファーストコンタクトぐらいなの?

(吉田豪)そうですね。

(安東弘樹)念願が叶っての。

(吉田豪)『SPUR』っていう女性ファッション誌の初の依頼で、念を押されたんですよ。「くれぐれも映画の話から始めてください」って(笑)。完全に僕のやり口がバレているっていう(笑)。

(安東・玉袋)(笑)

(玉袋筋太郎)そうだよね!

(吉田豪)でも、僕史上としては奇跡的なぐらい映画の話をしているインタビューなんですよ。それで面白くしているっていう。

(玉袋筋太郎)そこでもちゃんとね、攻撃を入れてるからね。

(吉田豪)入れながらも、ちゃんと向こうの言うことも聞いて面白くしています。

(安東弘樹)そこが吉田豪の吉田豪たる所以という。

(玉袋筋太郎)『聞き出す力』ですよ、それが!

ハリウッド進出 でも1回オーディションに落ちていた

(安東弘樹)じゃあ、一応今回も映画の話から行きましょうか。ハリウッド進出。でも、オーディションに1回落ちていた。

(玉袋筋太郎)これ、すごいよね。でもね。

(吉田豪)マーティン・スコセッシ監督の新作『沈黙 -サイレンス-』に出ているんですけど。今回、そうなんですよ。オーディションに1回落ちていたっていう話で、その理由を聞いたら、最初はガムを噛んでオーディションに行って、「控室です」って通されたら、それがオーディション会場だったらしいんですよ(笑)。

(安東弘樹)本番だったんですか? オーディションの。

(玉袋筋太郎)面白えよな(笑)。

(吉田豪)ガチャッと開けた瞬間にみんなこっちを見て、「次は誰だ?」みたいな感じになっていて。「えっ?」って思ったまま、ドアのところで「クチャクチャ」って無意識に3回ぐらいガムを噛んで、「……これ、絶対に控室じゃないよな?」って。そしたらキャスティングプロデューサーで金髪の女性が結構な勢いで近づいてきて、「なにかな?」と思ったら、すごい至近距離で「マーティンはお前みたいな失礼なやつが大嫌いだっ!」って言われて(笑)。「ええっ!?」と思って周りを見渡したら、日本のスタッフもいたのにみんな一斉に顔を伏せていて。「マジかよ!? みんな逃げた!」っていう(笑)。

(安東弘樹)だってでも、「控室です」って言われたらねえ。

(玉袋筋太郎)そうだよね。

(吉田豪)完全なトラップっていうね。

(玉袋筋太郎)ガム、ダメなのかね? 向こうでもね。クチャクチャ。

(吉田豪)噛みタバコとかね、ありそうな気もしますけど。

(玉袋筋太郎)ありそうだけど。じゃあ、真樹(日佐夫)先生もここはダメだね。

(吉田豪)落ちてますね(笑)。

(玉袋筋太郎)松方(弘樹)さんも落ちてるね。ガム、クチャクチャやってっから。そうなんだ。それが何年ぐらい前だったんだろうね?

(吉田豪)これが結構前なんですよ。実は。そもそもこれ、ビデオオーディションだったんですよね。マーティン・スコセッシもいないやつで。で、その時に行って、しかも立て込んでいる時期で台本も覚えていなかったらしいんですよ。窪塚さん。

(玉袋筋太郎)かっけーなー!

(吉田豪)で、天下のマーティン・スコセッシのオーディションでそうそうたるメンバーが呼ばれていて、そのそうそうたる人たちがみんな暗記している中、ガムを噛んで台本を覚えてない人が現れるっていう……(笑)。

(玉袋筋太郎)そりゃ、落ちるよ!(笑)。

(吉田豪)そう(笑)。現場はシーンとしていてやりづらいとか、そういうレベルじゃなくて若干殺意があるぐらいシーンとした中での芝居だったんで、自分の持っている力の30%ぐらいしか出せず、「これは無理だろうな」と思いながら帰ったら案の定、「もう結構です」って電話で言われて。「すごい出たかった。マーティン・スコセッシ監督大好きなんで残念だな」と思いながらも諦めたら、2年ぐらいたってからもう1回、「オーディションに来い」って言われて。「えっ?」と思ったら前と同じ役で。「まだやってんの?」っていう。それで本当に改めてハリウッドってすごいと思ったという。

(玉袋筋太郎)ああー、そうだよね。2年だもんね。

(吉田豪)キツネにつままれたような感じでもう1回行って、今度はセリフも入れてガムも噛まずに。そしたらその、以前の金髪のプロデューサーが「Nice to meet you.」っつって、忘れていてくれたっていうことで……

(安東・玉袋)(笑)

(玉袋筋太郎)覚えてなかったんだ(笑)。

(吉田豪)そしたらもうね、ちゃんとセリフが入っていたんですごい評判がよくて。トントン拍子で監督も気に入ってくれて、オーディション突破っていう。

(玉袋筋太郎)すごいね。ハリウッドの映画にそんな出られるなんてね。

(安東弘樹)しかもそんな長いタームでやっているんですね。向こうの映画って。

(吉田豪)しかも、向こうの事務所とかにも入っていないんで、結構……

(安東弘樹)飛び込みオーディションみたいな感じ?

(吉田豪)だからだいぶ扱いが違うみたいなんですよ。本人もTwitterでぼやいていたんですけど、ポスターにも、事務所に入っていないと載らないとか。

(安東弘樹)あ、名前が?

(吉田豪)そうです。そうです。向こう版だと。

(玉袋筋太郎)じゃあ、浅野(忠信)さんとかは載る可能性はあるわけ?

(吉田豪)そうです。そうです。

(安東弘樹)載るでしょうね。間違いなく。いままでもある程度ね、定評というかちゃんと作品も作っているから、余計載るでしょうね。浅野さんね。

(玉袋筋太郎)たしかに『ブラック・レイン』でガッツ石松って載っていなかったもん。

(吉田豪)そうですね。(内田)裕也さんもあれ、全部オーディションだって言ってましたもんね。『ブラック・レイン』。日本の大物たちが全員オーディションを受けたっていう。

(玉袋筋太郎)いやー、すごいね。1回落とされて。でもこれ、覚えてなかったのがよかったよ。金髪のプロデューサーが。

(吉田豪)しかもそれで気に入ってくれて。マーティン・スコセッシが気に入ったということで、その後はもう親戚ヴァイブスぐらいの感じですごい良くしてくれたっていう(笑)。

(安東弘樹)ブラザー的な感じですね。

(玉袋筋太郎)でも、そもそもの「大物が結構オーディションを受けた」って、どういう人だったんだろうね? それも気になるよね。

(安東弘樹)そのオーディション自体がね。

(吉田豪)大物が落ちてもいると思いますよ。だから。

(安東弘樹)でしょうね。当然ね。そんな窪塚さんね、座右の銘は「俺に過去はない」。これはどういうことなんでしょうか?

座右の銘は「俺に過去はない」

(吉田豪)そのハリウッドのオーディションとかを受けるのも、若い頃、普通に日本のオーディションとか受けているでしょうけど。「こういうのを受けるのって、初めてなんですか?」って聞いたら、まず覚えていないんですよ。スタッフに確認して、「あの、初めてじゃなかったかもしれないんですけど。他にもあったかな?」って言ったら、「あの時に1回だけ」「その前にないんだっけ?」「ない」「じゃあ、これ最初? そうか。らしいです!」みたいな(笑)。ハリウッド進出だっていうのに、すごいぼんやりしていて(笑)。

(玉袋筋太郎)なんでだろうね。オーディションなんてね。

(吉田豪)なにかと思ったら、ものすごい忘れっぽいらしいんですよ。本人いわく、家に友達が来て飲んだりしていても、トイレに行っている間に誰が来ていたかわからなくなるらしいというですね。

(安東弘樹)トイレから出たら、「お前、いたっけ?」っていうことですよね。

(吉田豪)「誰かはいるけど、持ち物で誰かわからなかったりすると、『ヤベえ、誰がいるんだ? 先輩か? 後輩か? タメか?』みたいな。で、戻って、『ああ、そうだそうだ』みたいな。1日に2回会えるみたいなことはあります」ってすごいポジティブにとらえていて。で、こういうことを言った後に、「別にね、クスリやっているとかじゃないですよ」っていうね(笑)。

(安東・玉袋)(笑)

(吉田豪)そういうギャグを入れてくれるのが本当にいいんですよ。

(玉袋筋太郎)おおっ、いいねえ! そりゃあ、うれしいよ!

ちょいちょい入れるクスリギャグ

(吉田豪)結構ね、こまめにクスリギャグを入れてくれるんで、僕はそれを拾って。「わかりました! ちゃんと書いておきます!」みたいな(笑)。

(安東弘樹)「幻覚じゃないよ」っていうことですね。

(吉田豪)そうです(笑)。

(玉袋筋太郎)俺はここで好感を持っちゃったんだよな。海外に逃亡するわけじゃなく……ってやってないからだよね! やってないから、逃亡するわけないんだけど。こういう洒落っ気があるんだな。

(吉田豪)洒落っ気、すごいありますね。

(玉袋筋太郎)で、「俺に過去はない」って。

(吉田豪)だから、「なんか記憶のどこかがおかしくなっちゃっているかな?っていうのはあるんだけど、でもいまをちゃんと生きれたらいいというか。岡本太郎さんが『俺には過去はない』って言っていたのを聞いて安心した。岡本太郎先生がそう言ったというので、もっとひどい人もいるなっていうことで、安心してます!」っていう感じだったんですよ。

(安東弘樹)過去なんか覚えてなくていいと。

(玉袋筋太郎)いいんだよな。面白えよ。

(吉田豪)本当、しかもとにかく超かっこいいですよ。本当に(笑)。

(玉袋筋太郎)めちゃめちゃかっこいいよ。

(吉田豪)終わった後に「かっけー!」って言いたくなるぐらい。しかも、取材前に控室でメイクしているじゃないですか。なにを話しているかが聞こえてくるんですよね。ちょっと聞こえてくるのが、「バビロンシステムが……」みたいな(笑)。「おおっ、期待を裏切らない!」みたいな(笑)。「控室でもこういう話が!」っていう(笑)。

(安東弘樹)メイクさん相手でもバビロンシステムっていう。でも、雰囲気ってどんな感じなんですか? 窪塚さんって話とかをしている時には?

(吉田豪)超フランクですよ。だからそんなにちゃんとした自己紹介もしていないのに、「吉田さん」って呼んでくれるし。

(安東弘樹)ああ、ちゃんと名前でね。

(吉田豪)「ちゃんとしてらっしゃる!」っていう。

(安東弘樹)名前で呼ばれると、インタビュアーってうれしいですよね。

(吉田豪)ですよ。

(玉袋筋太郎)その時はガム、噛んでなかった?

(吉田豪)全然、全然(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。豪ちゃんに会うのにクチャクチャ……って。「おおう!」なんて(笑)。

(吉田豪)全然、噛んでても大丈夫です。しかも、僕なんかは(笑)。

(玉袋筋太郎)でもイメージと全然なんか違う感じで。そういうフランクな感じなんだな。

(安東弘樹)その3が、浮かれないタイプ。前に落っこちたから。いいじゃないですか。

前に落ちたから、浮かれないタイプ

(吉田豪)そうなんですよ。インタビューの中でハリウッド進出みたいなことになって、ニューヨークとかに移住とか、そういうことも全然考えないみたいな。ちゃんとしているんですよ。地に足がついている感じで。で、「基本はあまり浮かれきらないタイプですか?」って聞いたら、「そうですね。前に浮かれてて、高いところから落っこちたから」っていう感じで。落っこちギャグも連呼するんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)これは素晴らしいよ! 何しろ、大人になったというのかな? 「地に足の着いている」っていうこの振りの時点で、こっちはもうオチを待っている。で、「来たー!」って。

(安東弘樹)それでちゃんと落としてくれるっていう。

(吉田豪)「その時はあまり自覚はなかったけども、世の中的に上がってきているというか。いま街に出て、いい意味で指さされるようなことは増えたけど、それよりも世の中を良くしたいとか、大麻を開放すれば世の中が良くなるんじゃないか? とか、そういうことの方にエネルギーと意識が行っていたんで、どんどんアンバランスになった。その結果、起こしたんだと思う。自分のバランスを崩して」って。

(玉袋筋太郎)「バランス」。いちいち引っかかっているところが面白いよな。

(吉田豪)で、落ちても死ななかったことに対して、結構ノリノリの仲間たちから「やったじゃん! 無敵じゃん! お前、死なないんだな、最強じゃん!」とか言われたらしくて。「そういうんじゃないんですよ」っていう(笑)。「そっちのモードで行っていたら、もう死んでいただろう」って言っていて。本当に地味に復活してきて、勝ち得たんで。結果、いま思うと本当にその道を歩めてよかったっていう。だから、これもひどい話なんですけど、よく道で「全盛期、最高でした!」とか言われるらしいんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)「あの人はいま?」的な(笑)。

(吉田豪)そう(笑)。失礼な!っていう。「むしろ、いまの方が調子がいいっていう。あぐらをかかなきゃ、ふんぞり返らなきゃ、どこまでも成長できる仕事をしていると思っているから。昔取った窪塚みたいになりたくない」っていう。

(玉袋筋太郎)上手い!

(吉田豪)これね、持ちネタが多すぎるんですよ。

昔取った窪塚

(玉袋筋太郎)「昔取った窪塚」。上手いねえ、これ!

(安東弘樹)「昔取った篠塚」とはよく言っていたけど。

(玉袋筋太郎)ああ、昔取った車庫証明。篠塚みたいなね。ああー、上手いなあ! 他にもこの落下ネタがあるわけ?

(吉田豪)ずーっと言うんですよ。だから「ハリウッドから日本映画に戻る時、ハリウッドが本当にとにかくすごい規模がでかいし、すごいよくしてくれるからギャップを感じて大変だと思うんですよ」って言ったら、「1回舞台の仕事を挟んだのがよかった」っていう話で。「その流れで、だからいまは日本映画にフッと戻れると思うし、いいクッションになっている。高地から行くのに。だから、僕も柵に引っかかって助かったっていうのはありますけど、もっと柔らかいクッションがあって着地できるというか……だから、あんまり衝撃がない感じで、舞台がいいクッションになった」とかね。もうズルいぐらいの鉄板ネタで。「ズルいですよ!」って言ったんですよ。「卑怯ですよ、これ!」って(笑)。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(吉田豪)でも、本人いわくみんなが言ってくれるのを待っているらしいんですよね。「でも、突っ込みづらいみたいです」っていう(笑)。だから、すぐに突っ込むとちょっと嬉しいみたいなんですよ。

(安東弘樹)むしろね。

(吉田豪)品川庄司の品川祐さんにも「『ズルい』って言われた」って言ってましたよ(笑)。

(玉袋筋太郎)いちばんいいネタ持っているんだもん。まさに。”オチ”が最強だからね。オチだから。まさにね。

(吉田豪)他の人がまず経験していないっていうね。

(安東弘樹)だって9階でしたっけ?

(玉袋筋太郎)フジテレビの菊間ぐらいだろ? それを体験しているの。放送中に。あれ、俺、見ていたんだ。たまたま。そんな窪塚くんがTwitterで救われたの筋。

Twitterで救われた

(吉田豪)そうですね。Twitterが出てきて本当に救われたって言っていて。Twitterがなかった頃っていうのが、メディアで叩かれるストレスフルな生活を送っていたと。まあね、大麻がらみの発言だなんだっていろいろあったんで。政治的な発言もあったんで、いろいろ揶揄されて、イライラして。それがレゲエの活動を始めたことによって払拭というか浄化された思いがあると。まあ、思っていることを歌ったりとかもできるんで。それまでは憤死しそうな夜を過ごすようなことが結構あって。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)だから、たまに話す機会があると映画の宣伝とかでもひたすら自分の話をして、最後の5%ぐらいを映画の話をするような失礼なことをやっていたのが、Twitterっていうのを手に入れて、すごい武器を手にしたと。ただ、手に入れた結果本当にね、面白いんですよ。最近僕がすごい好きな窪塚さんのツイートが、ファンからの質問で「政治やシステムのことをしっかり学びたいのですが、どんな本を読んでますか?」っていう質問に「遊人の『ANGEL』は小学生にも衝撃的だった」というね。


(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)ナイス!っていうね。成人指定マンガです、それ!っていう(笑)。「性(政)」が違うっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)わかっているなあ!

(吉田豪)わかっているんですよ。真面目一方向じゃなくて、ちゃんとそうやって落としたりもしていて。で、「最近もTwitterであれ、面白かったですよ」って言って。「自転車を盗まれた。拡散してくれ!」って言って、「僕も拡散したんですよ」って言ったら、「すいません……」ってすごい謝っていて。単にこっち側に停めていたのにあっち側を探していただけで。酔っ払っていたっていうね(笑)。


(玉袋筋太郎)盗まれてなかったんだね(笑)。

(吉田豪)盗まれてなかったんですよ(笑)。「大変申し上げにくいのですが、ごめんなさい」ってツイートするっていう(笑)。

(安東弘樹)違う側に停めちゃっていたんですね。

(吉田豪)でもまあ、Twitterで叩かれたことはいま、3秒で忘れるっていうね。昔は2ちゃんとかで叩かれると、1ワードで3ヶ月ぐらい食らっていたらしいんですけど。

(安東弘樹)ダメージを食らっていたんですか。

(吉田豪)でも、いまは完全に忘れる力がどんどん強くなってきて。

(玉袋筋太郎)そうだよ。オーディションも忘れちゃうぐらいだからな。

(安東弘樹)いやー、面白い。本当に。

(玉袋筋太郎)それでこのでっかい仕事が来ているわけだからね。これね。

(吉田豪)そうなんですよ。オーディション、今回映画が1本決まって。2本目も決まって、3本目が主演なんですよね。それ、Twitterで3本目の主演の話が入ったって普通につぶやいていて。「あれって、情報解禁前ですよね?」「そうなんですよ」って(笑)。「つい、うれしくて……」みたいな(笑)。


(玉袋筋太郎)ダメだよ、それ!

(安東弘樹)かわいいですね(笑)。

(玉袋筋太郎)俺もうちの師匠の『攻殻機動隊』、ずーっと我慢してたからね。「言うなよ、お前」って言われてたから。

(吉田豪)つぶやきそうで。酔っ払って(笑)。

(玉袋筋太郎)危ないよ! 本当に。よせ、よせ、だよね。そうなんだね。でもまあ、映画で勝負。テレビドラマは出ない。奇跡的にCMっていう。この「奇跡的に」っていうところがいいよね。また。

(吉田豪)そうなんですね。まあ、基準っていうのが今回の映画が決まった時に、キャスティングに政治的な要素がなにもなかったっていうようなことを言っていて。日本はそういうのがあるから……みたいなことだと思うんですけども。「どういう基準があるんですか?」って聞いたら、「単純に台本を読んで、誰が撮るとか全部ひっくるめて自分がワクワクしたらやる。萎えたらやらない」みたいな感じで。なんでテレビに出なくなったか?っていうと、テレビドラマは名前忘れちゃったんですけど、フジテレビの有名なディレクターが競馬新聞を読みながらモニターチェックしているのを見て、「あ、やめよう」と思った。助監督が「監督、OKですか?」って聞いて、「ああ、OK」って言っても見ていないっていうね。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(安東弘樹)これ、誰だ? こんな人、いるの?

(吉田豪)それを後ろから見ちゃって、「うわっ……」と思って。「俺はこんな……」って。もちろん、テレビドラマにもすごい人がいるのは知っているけども、あまりの温度差に。もともとテレビ大好きだった人なんですよね。テレビの中で活躍したいと思った人が、テレビ好きだったからこそ、そういうものを見ちゃって、本とかでテレビ批判をするようになっていくっていう。好きがゆえの……っていう。

(安東弘樹)なるほど。裏切られた感もあるっていうことですね。TBSにはいないと思うけどな。

(吉田豪)(笑)。あまりの温度差にちょっと食らってしまって、「ここにいたら、ダメになりそうな気がする」って思って、そこからもうやめて。映画で勝負しながら、舞台という表現方法もまたひとつ、蜷川さんの手引きによって道をひらいていって。で、「いま役者としては舞台と映画と、CMとかは奇跡的にあったりすることもありますけど……」「奇跡なんですか?」って聞いたら、「俺だったら振らない」っていう(笑)。

(安東・玉袋)(笑)

(吉田豪)「でも、そう言ったら本当に呼ばれなくなっちゃうから……」っていう。フォローも入れつつ。

(玉袋筋太郎)わかってんなー! こういうセリフ、言ってみてえな、俺もね。「玉袋筋太郎、奇跡的にCMが」って。

(吉田豪)「この名前で」って(笑)。

(安東弘樹)そこまで落としてね。いやいや、すごいわ、窪塚さん。でも、このいましょうかいしましたけど。豪さん、もっとたくさんあるんですよね?

(吉田豪)そうですね。もちろんいっぱい出ています。載っていない話もいくつか拾うと、本当に主演の話も距離が異常に近い人だから、助監督のさらに助監督。セカンド・セカンドっていう人とすごい仲良くなったんで、小笠原の家族旅行にその人を連れて行って(笑)。

(安東弘樹)その人を連れて行ったんですか?

(吉田豪)そうです(笑)。で、1週間すごして。そしたら、「今度、映画に出てくれないか?」って言われて、「ぜひ!」って決まったっていう。

(安東弘樹)ああー。でも彼、計算じゃないんですもんね?

(吉田豪)全然。本当に。

(安東弘樹)仲良くなって、一緒にいたいから、「一緒に小笠原に行きましょう」って行ったら……そうか。そういうことがあるんだな。

(吉田豪)だからマーティン・スコセッシにも異常に気に入られていて。すごいですよ。終わったクランクアップの日もシャンパンを持ってきてくれて、注いでくれて、「乾杯!」って言った時にやっぱりクラブに慣れすぎていて、ついそれを一気飲みしちゃって(笑)。


(安東弘樹)スコセッシ監督のシャンパンを一気飲み?

(吉田豪)そうそう(笑)。クラブのノリでクーッ!っと行っちゃって、みんなに爆笑されて(笑)。「ああ、違うんだ。こういうのじゃないんだ!」って(笑)。それがまたウケたりとかで、「君がいてくれて本当に助かった。ずっと頼りにしていた」って言われて、みたいな。

(玉袋筋太郎)その映画の制作の話もすごいよね。

ハリウッド映画出演裏話

(吉田豪)裏話。原稿で文字数が足りなかったんで削ったんですけど、いい話で。観光バスが3台停まっていて。何かと思ったら「マーティン・スコセッシ」「アンドリュー・ガーフィールド」とか書いてあって。要は主演級の人たち。「うわっ、すげえな!」って思っていたら、3台ぐらい停まっていたのがある日、1台増えていて。何かと思ったら、「Yousuke Kuboduka」って書いてあって。「これ、何ですか?」って聞いたら、「今日からこれ、使ってください」って言われて。「先輩がいるから、使いづらいです」って言っても、「いや、気にせず使ってくれ。マーティン・スコセッシが用意したバスなんだから」っていう。

(玉袋筋太郎)かっけーなあ!

(吉田豪)さらに、撮影半分ぐらい行った時に、台湾の一流ホテルの19階でラウンジがあるらしいんですよ。そこがメインキャストが呼ばれて会合とかをしていたのが、ある日そこに連れて行かれて、「今日から終わりまで、お前、ここ好きに使え」って言われて。酒もバーッと置いてあるのを好きに飲んでいいっていう。

(玉袋筋太郎)すごいね、それ!

(吉田豪)で、「持っていくな」って書いてあるのを毎晩そこに行ってビール持ってきて、部屋で飲んでいて。「最高でした!」っていうね(笑)。

(安東弘樹)なんでビールを(笑)。

(吉田豪)「でも、ある人はホテルのグレードを下げられていたし、本当に実力主義の世界です」っていう。

(安東弘樹)ああーっ! ああ、そうか。それまで使っていた人が使えなくなったり。

(吉田豪)とかもあってっていう。

(玉袋筋太郎)ハリウッド、すげえな!

(安東弘樹)っていうことはやっぱり、監督が認めるか認めないかがほぼ全てっていうことですね?

(玉袋筋太郎)うん。そこを”沈黙”しないでね。そういうところがいいよ。本当に。

(吉田豪)(笑)。沈黙しない人ですよ。本当に。原稿では削ってますけど、実名を平気で出してくれる人だから、面白いんですよ。「『昔、ビルから落ちた後に近づいてきた人が一気に離れたことも会った』って言ってましたよね?」って言ったら、「ありました。○○さん」とかって普通に実名で言ってくれて(笑)。「すごい早かったです。近づいてくるスピードと、はけていくスピードが。新幹線のぞみでしたね!」みたいな(笑)。

(安東弘樹)上手いな、もう(笑)。

(吉田豪)でも、その離れた人が正直いまそんなに活動をしてないんで。いやいや、これは勝ちですよ。本当に(笑)。

(玉袋筋太郎)いやー、窪塚くんの印象が変わったわ!

(吉田豪)ナイスガイでした。本当に。

(安東弘樹)全部ズルい。かっこよくて、本当にすごい。

(玉袋筋太郎)去年、豪ちゃんがさ、「インタビューしたんですよ。最高に面白かった!」って言っていたんで。本当に俺も楽しみにしていたんだけど。面白かったな!

(安東弘樹)この窪塚洋介さんのインタビューの模様は集英社から出ている『SPUR』1月23日発売号に掲載されます。

(吉田豪)まだちょっと先なんですけどね。

(安東弘樹)で、今日話したこと以外にもたっぷりと内容満載です。

(吉田豪)写真もかっこいいんで、ぜひ。

(安東弘樹)日本発信のモード誌、女性ファッション誌『SPUR』。そして12月17日、吉田豪『続 聞き出す力』が発売中。週刊漫画ゴラクでの連載をまとめた書籍化の第二弾。帯はご存知ビートたけしさん!

(吉田豪)そうなんですよ。脅された甲斐があったっていう(笑)。無事、回収しましたっていう(笑)。

吉田豪 ビートたけしから受けた恐怖体験を語る
吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、TVタックルの収録中にビートたけしさんから受けた恐怖体験について、玉袋筋太郎さんと話していました。 (玉袋筋太郎)豪...

(玉袋筋太郎)見事に回収したね。これね。

(吉田豪)でも、最近ショックだったのが、ある人から聞いたんですけど。「ビートたけしファンの編集者が吉田くんに怒っていたよ」「なんでですか?」「あいつ、たけしさんにあんな風にちょっかい出しやがって! 許さない!」って言ってるらしくて。いや、むしろ出されたのは僕ですよ!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)なんで僕がそこで怒られなきゃいけないんですか?っていう(笑)。理不尽(笑)。

(安東弘樹)本の面積の半分以上がね、ビートたけしさんの写真という。

さて、これは誰の本でしょう?

みやーんZZさん(@miyearnzzlabo)が投稿した写真 –


(吉田豪)ひどい便乗の仕方をしていますよね!

(玉袋筋太郎)まあ、まだまだドラマは続くということよ! 終わらねえぜ!

(安東弘樹)こちらが日本文芸社から税込み864円で発売されています。豪さん、他になにかありますか?

#大橋巨泉 さんのキメセク話が読めるのは、 #吉田豪 さんの『続 聞き出す力』だけ!

みやーんZZさん(@miyearnzzlabo)が投稿した写真 –


(吉田豪)うーん。そんなもんで大丈夫です。

(玉袋筋太郎)ありがとう。今年もよろしくだよ。

(吉田豪)お願いします!

(安東弘樹)本当に素晴らしい筋をありがとうございます。吉田豪さん、次回の登場は2月3日でございます。今日はありがとうございました!

(吉田豪)はい、どうもー!

<書き起こしおわり>

町山智浩・春日太一・吉田豪 松方弘樹追悼特集

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町山智浩さん、春日太一さん、吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。亡くなった松方弘樹さんについて、春日さん、吉田さんが生前、松方さんに行ったインタビューのエピソードなどを交えながらお話されていました。

(赤江珠緒)この時間は映画評論家 町山智浩さんの『アメリカ流れ者』。今日は帰国中の町山さんにスタジオにお越しいただいています。町山さん、今回の帰国の理由というのは?

(町山智浩)アカデミー賞のノミネーションが日本時間で今日の夜、発表されるんですね。それの解説なんですよ。今日の夜10時からWOWOWの無料放送、アカデミー賞のノミネーション発表中継に出ますので、よろしくお願いします。だからこんな格好をしています。


(山里亮太)あ、今日スーツ着ていますね。

(赤江珠緒)今日、そうですね。ピチッとね。

(山里亮太)なんかの謝罪なのかな?って思ったら……

(町山智浩)いやいや(笑)。これから出演するからなんですけどもね。ただ、今回はそういうアカデミー賞とかトランプの大統領就任式とかあるんですけども、なによりも松方弘樹さんがお亡くなりになったので、今日はですね、松方さんに生前から何度も会っている2人の悪いやつを呼んできました。急遽呼んで、スケジュール変えて来てくれました。

(赤江珠緒)本当にありがとうございます。

(吉田豪)オフィシャルなのかどうかもわかっていないですけどね(笑)。お金出るかも知らないです。

(町山智浩)ギャラが出るのかどうかもわかっていないです、この2人(笑)。

(赤江珠緒)ちょっとまだ、紹介するまでしゃべらないでください。

(吉田豪)はい、すいません(笑)。

(山里亮太)無理して来てくれた人になんちゅうことを言うんですか! 声でわかった人もいると思いますけども。

(赤江珠緒)では、おひと方ずつゲストをご紹介します。まずは時代劇研究家の春日太一さんです。よろしくお願いいたします。

(春日太一)どうも、よろしくお願いします。

(赤江珠緒)さらにですね、プロインタビュアーの吉田豪さんにもお越しいただいております。よろしくお願いいたします。

(吉田豪)はいはい、お願いします。

(赤江珠緒)だから町山さん、豪さん、そして春日さん。すごいメンバーが集まったということになりますね。

(町山智浩)これ、トークショーやったら何百人も呼んで、5千円ぐらい取りますよ。週刊文春だったら(笑)。

(赤江珠緒)やらしい、やらしい(笑)。今日はみなさんに松方弘樹さんについていろいろと……

(町山智浩)松方弘樹さん、どれぐらいご存知ですか?

(赤江珠緒)私はやっぱり『遠山の金さん』のイメージと、あと『仁義なき戦い』を2年前に誕生日プレゼントでもらって一気に見て。で、その時に「松方弘樹さん、何回も生まれ変わるんだけど……」みたいな(笑)。

(吉田豪)死んだはずが……(笑)。

(赤江珠緒)そうそう。「あれっ?」みたいな(笑)。

(町山智浩)3回出てきて、3回とも死にます。

(赤江珠緒)そうそう(笑)。その印象が強いですね。

(山里亮太)僕もそれで見ていて、「これが30代なんだ」って驚いたんです。

(町山智浩)32ぐらいですよ。はい。

(山里亮太)ねえ。あの貫禄は出ないし。あと、僕らの世代でいうと『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の。いま、グッズが。豪さん。今日、Tシャツとかも。

(赤江珠緒)ああ、本当だ!

吉田豪の松方弘樹グッズ



(吉田豪)これがまた、微妙に違うんですよ。実は『元気が出るテレビ!!』が大ヒットして、いろいろとグッズが売れたじゃないですか。元気が出るハウス。あれが、タレントさんにほぼ還元されないっていうことに憤った人たちが次々とタレントショップを立ち上げたんですよ。それが、タレントショップブームなんですよ。実は。たけしさんとか高田純次さんとか島崎俊郎さんとか、いろんな人が立ち上げて。その中で松方さんも立ち上げたんですが、松方さんは便乗の仕方がひどくて。「元気!!松方」っていう店を立ち上げたんです(笑)。

こんなアツいグッズか777円で売られていたなんて! 欲しすぎる・・・

みやーんZZさん(@miyearnzzlabo)が投稿した写真 –


(一同)(笑)

(山里亮太)ちょっと寄せて行っちゃったんだ(笑)。これ、そっちの豪さんのアプローチもあれば、春日さんのアプローチもあるわけだから。これは今日、いろいろ聞きたい。

(町山智浩)松方さんって僕ら、1962年生まれのイメージからすると、まずいちばん松方さんと聞けばパッと出る言葉は「きつい一発」なんですよ。

(吉田豪)おおっ! これ、たぶんみなさん知らないでしょうけど、当時松方さんが流行らそうとしていたんです。

(山里亮太)豪さん、いま本を持っていますね。

(吉田豪)『きつい一発』っていう本がありまして。これ、どういう意味か?っていうと、わかりやすく言うと性行為のことなんですけども。

(赤江珠緒)ああ、そのきつい一発? えっ、どういう話です、それ?

(町山智浩)松方さん、フレーズでこれを流行らせようとしたんです。

(赤江珠緒)流行らせようとしたって、どういうこと?(笑)。

(吉田豪)「昨夜もきつい一発をしてな……」みたいなことを常に連呼する感じで。

(赤江珠緒)(笑)

(山里亮太)内容的にはじゃあ、そういう経験のことをいろいろ書いてあったんですか?

(町山智浩)一晩一発だから、あんまり強くないんですけどね。実際、はい(笑)。

(山里亮太)(笑)

(吉田豪)これ、75年に出た本なんですけど、すごいんですよ。女優さんとか中ピ連っていうウーマンリブの人との対談とかで、そういう人相手にずーっとひたすらセクハラするだけの対談集で。で、最後は当時の奥さんが出てきて、初夜の後に対談しているんですよ。

名著『きつい一発』


(赤江珠緒)ええっ!?

(吉田豪)まあ、子供を3人産んだ後で結婚式をして、その後の初夜なんですけども。「昨夜はきつい一発どころか、三発も四発もありがとう」みたいなことを奥さんが話しているような、あり得ない……

(赤江珠緒)それが、本になっちゃっているんですか?

(吉田豪)本になっているんですよ。そういう人。で、しかもそれが33才です。「俺、松方弘樹 33才。極めて健康」っていう。33で、これ?っていう。33でこの顔ですよ!

(赤江珠緒)ねえ、そうなんですよ。ほとんど変わらないですよね。それ以降のイメージとね。

(町山智浩)この人、実はお坊ちゃんなんですよね。

(春日太一)父親が近衛十四郎という時代劇スターだったんですけども。結構、お父さん自体が遅咲きの人だったんですね。50才ぐらいの時にスターになった方だったんで。役者の息子だったんだけど、結構一緒に苦労していた部分はあって。で、もともと歌手になりたくて、役者の道に無理やり入っていったというのがあるから、最初は結構役者が嫌だったって……

(吉田豪)歌手修行中の仲間が、五木ひろしなんですよ。

(赤江珠緒)うわーっ!

(町山智浩)そうだ。言うのを忘れましたけど、春日くんも豪ちゃんも松方さんとすごく、何度も会っている2人なんですよね。

(吉田豪)まあ、僕は1回だけです。

(町山智浩)ああ、そうか。

(春日太一)僕は4回ぐらい……3回か。やっていますけども。

(町山智浩)ここで言えないようなことも全部聞いている人たちです。この2人は。

大変な時期にデビュー

(春日太一)ただ、結局ね、松方さんって結構、「映画スターの最後の人」みたいなイメージがあるんですけど、大変な時期にデビューして。1961年、2年頃に東映京都時代劇で主演をやるようになったんですけど。その頃って東映時代劇に全くお客さんが入らなくなっていた時代だったんですよ。その時期に、北大路欣也さんと二大プリンスみたいな形で、両方とも2世スターで売ったんですけど、全くお客さんが入らなくて、すぐに脇役に回る様になって。それからどんどんどんどん上の世代……高倉健さんとかが出てきちゃったもんで、上が詰まっているということで大映という映画会社にレンタル移籍させられたんですよ。そこで亡くなったばっかりの市川雷蔵さんの後釜の役とかを……『眠狂四郎』とかそういうのをやらされて。結構きれいな二枚目の役をやったもんだから、また合わなくて人気が出ない。その間にさらに大映が潰れてしまって、東映に戻ることになるということで結構大変な……

(赤江珠緒)結構、不遇な時代があったんですね。

(町山智浩)そう。売れなかったんですよ。

(春日太一)戻ってきたら今度、他所から来た菅原文太さんがもうスターになっていたということで、それでしょうがないので『仁義なき戦い』を含めて、菅原文太の今度は脇でやることになって、牙を研いでいって……

(町山智浩)この人が注目されたのはやっぱり、渡哲也さんがご病気になられて、NHK大河の『勝海舟』を降りると。その時に抜擢されて、初めて脚光を浴びた形だったんですよ。

(吉田豪)代役としてっていうね。

(町山智浩)そう。そしたらすごいお茶の間の奥さんたちも、全然松方さんのことを知らなかったんですね。だから、「この人、素敵!」みたいに。うちのおふくろとか、その当時の人たちは「この人、すごい素敵だわ! 映画見たいわ!」って、その『勝海舟』で大スターになった時に、便乗して公開された松方さんの主演映画が『脱獄広島殺人囚』なんですよ(笑)。「それ、すっげー外してねえか、これ?」っていう。

(赤江珠緒)本当ですね(笑)。「いま、来てるのに!」みたいな。

(町山智浩)「三部作で一気に行け!」っていう感じで東映で作られたのがその続編の『暴動島根刑務所』。で、その次が『強盗放火殺人囚』。

(赤江珠緒)凶悪な感じばっかり(笑)。

(山里亮太)お母さん、どんな気持ちになったんでしょうね(笑)。

(町山智浩)せっかく『勝海舟』で奥さんたちがみんな「素敵!」って言っているのに、そこで全然それを狙わない三部作を作っていて、東映はなにをやっているんだ?っていう。

(吉田豪)「NHKのギャラが安い」とか文句ばっかり言って大問題になったりとか(笑)。

(赤江珠緒)へー!

(町山智浩)しかも、この三部作はコメディーなんですよ。

(赤江珠緒)ええっ!?

(町山智浩)「怖い映画だな」って思って見ると、ものすごく楽しい映画で。

(春日太一)バイオレンスコメディーっていうか。脱獄をして、どうやって逃げるか?っていうのをコミカルに描いていて。自由を求める男っていうかね。

(町山智浩)もうガンガン人を殺すんだけど、やっていることは間抜けで、見ていると笑っちゃうっていう。

(春日太一)絶えずちょっとしたミスを、女性関係とかでやってしまって。それでまた捕まって、また戻って、みたいな。

(町山智浩)間抜けなキャラなんですよ。

(春日太一)それでまた脱獄して、みたいな。

(山里亮太)それが、ちゃんとドン! とヒットにつながったんですか?

(春日太一)いや、全く。

(赤江珠緒)(笑)

(吉田豪)一部では評判いいですけどね。

(町山智浩)俺たちは喜んでいるけども、『勝海舟』でファンになった人たちは、「こりゃないだろ?」と思いますよ(笑)。

(赤江珠緒)万人受けするタイプの映画じゃなかった。

(吉田豪)そして、松方さんもあんまり評価してないです。

(山里亮太)自分も(笑)。

(春日太一)松方さんご自身も、実はこの段階は結構B級映画で。本人の中でもやっぱり意識がそういう……「俺がスターになった」っていう意識がその段階ではなかったみたいで。1980年代になってからようやく『修羅の群れ』っていう映画で、大きな東映大作で主演になるんですけども、この時期はもう世間がかなり……80年代ですから東映のヤクザ映画なんて見向きもしなくなった時代になったので、結構松方さんはスターになったのが遅かったし、それで映画にお客さんが入らない時代だったんで。そこはかわいそうな部分があるんですよ。

(町山智浩)映画は結構不遇で、『北陸代理戦争』っていう映画に出たら、それは実録映画なんで本当の実際のヤクザの人が協力をして、その人を演じたんですけども。そしたら、それは具体的に言うとはっきり言って山口組と戦った男なんですよ。そしたら、「そんな映画を作られたらメンツが立たない」っていうことで、そのモデルになった人はその映画の公開直後に山口組に暗殺されるんですよ。だから、すごく松方さんって不遇なんですよ。

(赤江珠緒)そうですね……

(春日太一)で、その映画はもともと菅原文太さんが降りて、代わりにやった映画だったりっていう。

(町山智浩)『仁義なき戦い』の続編として作られていたんですよ。

(春日太一)だから結構東映からすると使い勝手がいい人みたいな形で、便利使いされていた部分はあったんですよね。

(町山智浩)だから何度死んでも出てきたりとか。結構お坊ちゃんなのに苦労人なんですよ。

(春日太一)そうなんですよね。本人もそういう意識がスターとしての意識じゃなくて、「俺なんてこんなもんだ」っていう……鶴田浩二さんとか上の世代のすごい人たちをみんな見てきたんで、自分はそれぐらいでいいんだっていうことなんですね。

(山里亮太)どの共演者にもむちゃくちゃ腰が低い方っていうイメージがありますね。

(春日太一)インタビューをしていてもそうですね。

映画の話は全然しない

(吉田豪)僕がインタビューをしていても、映画の話とか全然しないんですよ。「覚えていない」って言っていて。それよりも俳優さんのくだらない話とかをどんどん積極的にしたがる人で。さっきの映画の監督とかの中島貞夫さんっていう人がいて、「どんな監督でした?」って聞いたら、「とにかく深作(欣二)さんとかと違って不良性感度に全然乏しくて、全然不良じゃない」と。

(町山智浩)東大出だから。

(吉田豪)「(女性を)口説いても、本当にあの顔じゃダメで。たとえばモスクワ映画祭に行った時にモスクワの女を買って。そしたら美人局で男が入ってきて、身ぐるみをはがされてパンツ1枚で逃げた。そういうような人。だから、作品も真面目すぎて面白くないんだよね!」って(笑)。すごい(笑)。

(赤江珠緒)もう、エピソードが(笑)。

(山里亮太)ねえ。かならず「豪快」っていう言葉をつけて説明されるじゃないですか。いろんな過去の話。いま、テレビなんかでいっぱい出てくるけど。

(赤江珠緒)そういうエピソードに事欠かない方なんですね。

(吉田豪)事欠かないし、そういう話をしたがる人で。だから、春日さんも困ったと思うんですけど。映画の話をしたがらない人だから。

(春日太一)基本的には、サービス精神がすごく強すぎて。僕も、基本的には映画の真面目な話とか、時代劇の作り方とか、そういう部分でうかがってきたんですけども。油断をすると、そっちのシモに持っていくんですよ。話を。だから僕の場合は「シモはいらないですから……」っていうことでグッと戻すっていう。「あ、そうなの?」みたいな形で。でも、そっちも大事だという。松方さんの中で基本的にあるのは、やっぱり遅れてきたスターで、自分の時代、一緒にいた上のスターの人たちへの敬意が強いんですよね。だから、自分が最後のスターみたいになった時に、その文化を守りたいっていうのが、ものすごい強いから。ご自身がどうかは別として、「スターとはこういうものである。自分たちが見てきたスターはこうだった」っていうものをあえて演じていた部分っていうのが……

(吉田豪)そうですね。豪快で、女遊びもして……みたいな。それを俺もやらなきゃいけないと思ってやっていた人で。

(春日太一)それをだから、また自分が極端にそれをやろうとしたものだから、ちょっと行き過ぎてしまったっていう。

(吉田豪)鶴田浩二さんとかがそういう人だったんで、それを学んだ部分もあったんですよ。

(町山智浩)鶴田浩二さんはすごい女好きで有名な人だったんですよ。

(吉田豪)まあ松方さんいわく、「鶴田のおやじさんはロリコンだから」って言ってましたから(笑)。

(赤江珠緒)ええーっ!

(町山智浩)それ、イメージまた違う方に(笑)。

(春日太一)ただ、それがあるから松方さんは「俺はこうだ」って……ただ、写真誌とかが出てきて、もうそれが許されない時代に松方さんはそれをやっちゃったもんだから、いろいろと叩かれたりとかスキャンダラスな存在になっていって。だから、東映の幹部の人とかと話をしたりすると、「松方はね、サービスでああいうことをやっているんだけど、ああいうことさえやらなければ、もっと女性客にもついてもらえるし、いろんな企画もやれるんだけど……結局そこが難しいところで」っていうことで。

(町山智浩)松方さんは奥さんがいるのに仁科亜季子(明子)さんと付き合った時にすごく叩かれたんですよ。

(赤江珠緒)当時、やっぱり叩かれたんですか?

(町山智浩)仁科亜季子さんって歌舞伎のお嬢さんなんですね。お父さんが有名な歌舞伎俳優で。で、その当時、お嫁さんにしたい女優ナンバーワンだったんですよ。

(赤江珠緒)はー!

(吉田豪)それを女遊びで有名な人が行っちゃったから。

(町山智浩)で、行っちゃったんだけど、仁科さんの方が惚れて追っかけるみたいな形になって、結構ドロドロのものが報道されたんで、仁科さんのファンはみんな結構、清楚な人として好きだったから大ショックで。それで結構、松方さんが嫌われたりとかしたんですよ。

(赤江珠緒)はー!

(春日太一)最終的には東映自体がどんどんどんどんいろんな、たとえば渡瀬(恒彦)さんだったりとか、健さんだったりとか文太さん、みんな離れていくんですね。だんだん男の映画が売れないということで。自分たちも、またNHKに出たりとか一般的な文芸映画に出たりという中で、松方さんだけは逆に東映に残って、ひたすらヤクザ映画をやり続けたっていう。ところが、その時期はお客さんが入らない時期だったので、そこのギャップが起きたということで。だから松方さんとお話をすると、「その時期の『修羅の群れ』こそが俺の映画だ」っていう。

(吉田豪)そうなんですよ。『修羅の群れ』の話はすごいしたがるんです。映画では。

(春日太一)意外と『修羅の群れ』とか見ている人は少ないと思うので。豪華キャストなんですけども。だから、結構そこのところの需要と供給があまり一致しない部分もあったりして。ご自身の思いとしてはそこは強いんだけども……っていうところなんですよね。やっぱり『仁義なき戦い』とかの話を聞きたいっていうことになっていくわけですよね。

(町山智浩)すごいですよ。真田幸村の役をやっているんですけども、あれとかこの間の大河(『真田丸』)と比べると全く違う世界ですよ(笑)。ものすごい違いますからね。もう、見た方がいいですよ(笑)。

(春日太一)最後は歴史を覆しますからね。

(町山智浩)SFになっていますからね。

(山里亮太)そうなんですか? 松方さん版の?

(春日太一)『真田幸村の謀略』というのですけどね。

(町山智浩)宇宙ものになっているんですけど(笑)。

(山里亮太)宇宙もの!?

(町山智浩)本当ですよ、はい。

(吉田豪)『修羅の群れ』が当たって、次に勝(新太郎)さんとやろうとしたっていう話がありましたよね。それが、やっぱり本物のヤクザの話をやろうとしたんで、警察からストップをかけられて。東映に圧力がかかったという。「あんたも叩けばホコリの出る体だろう?」って警察側から言われてっていう……不遇だったんですよ、いろいろ。

(春日太一)本当にね、時代が許さなくなっていったっていうことで。で、父親が近衛十四郎という時代劇の有名な、殺陣がいちばん上手いと言われた剣豪役者なんですけども。普段からやっぱり剣豪的な人なので、息子にもすごい厳しく当たっていたんで。共演作多いんですよ。松方さんが若手の頃でお父さんが主役というパターンで、ライバル役みたいなことをやっているんですけども。とにかく、面と向かって口も聞かなかったっていう。だから、衣装とかをつけている時に、鏡越しにしゃべったりとか、挨拶したりとか。それぐらい息子にも厳しく、後輩の役者として当たっていたという。

(町山智浩)だからあんなに腰の低い……たけしさんにまで腰の低い人になったんですね。

(山里亮太)そのイメージ、すごいある。

(赤江珠緒)そうですよね。

(春日太一)「とにかく父親から『先輩の芝居を見て盗め』っていうことを言われて、とにかく自分の本番が終わったらいろんな現場に行って、それを見て育った」ということをおっしゃっていたので。

(赤江珠緒)そういう親子関係だったんですか。

(吉田豪)そうやって勉強しているのに、演技の話とかをしたがらない(笑)。

(赤江珠緒)したがらない。だって、本当にバラエティーとかに出てね、気さくにしゃべってらっしゃるイメージが。

(吉田豪)インタビューでも、本当になんでも話してくれるんですよ。「そこまで聞いてないですよ」っていう感じのことを……

(山里亮太)じゃあ豪さん、大好物でしょう?

(吉田豪)大好物ですよ。全部食いついちゃうんですけど、原稿は全部削られましたよ(笑)。

(一同)(笑)

(吉田豪)だって「もうこれは時効だけど」って言って、普通に実名出していろんな話をするんですよ。とある大物俳優さんがいて、「あいつがちょっとある女性を妊娠させちゃったから。あいつは未来があるから、お前が妊娠させたっていうことにして、お前が女を病院に連れて行け」みたいな……

(赤江珠緒)ええっ!?

(吉田豪)「なんだよ、俺はどうでもいいのかよ!」みたいなことを実名で言うんですよ(笑)。「時効だけどさ」って、「時効じゃないですよ! それ、全然!」っていう(笑)。そういう人。

(町山智浩)力道山事件が有名なんでしょ?

力道山事件

(吉田豪)有名ですね。まあ、とある女性とちょっといい感じになって家に行ったら、「あら、ちょっと彼氏が帰ってきちゃった。隠れていて!」って言われてクローゼットに隠れたら力道山が入ってきたっていう……

(赤江珠緒)うわーっ!

(山里亮太)松方さんが隠れて、力道山が?

(赤江珠緒)その役者の揃いっぷりが(笑)。

(町山智浩)これ、見つかったら殺されますよ。

(赤江珠緒)そうですよね。

(町山智浩)そういう人なんでね。

(赤江珠緒)出ない方がいい。クローゼットから(笑)。

(吉田豪)当時、俳優さん同士でよく一緒に性病にかかったみたいな話があったんですよ。で、そういう話を聞いたら、「鶴田のおやじさんと同じ女性に行って、俺が先だったんだよ。俺が先になっちゃったんで、鶴田のおやじさんに『(性病に)なっちゃったから気をつけた方がいいですよ』って言ったら、おやっさんは『俺は免疫があるから大丈夫だ』って言って、『おい、みんなー! 松方が性病になったぞー!』って言いふらされた」っていう(笑)。そんな話ばっかりですよ(笑)。

(赤江珠緒)そんな話ばっかり(笑)。へー! あと、女性もすごいし、お金の使い方も豪快だったっていうのが記事なんかをいま見ても、いっぱいありますよね?

(春日太一)そうですね。松方さんがよくインタビューの時におっしゃっていたのは、「自分は役者としては三流だ。ただ、スポンサーを探すことに関しては一流だ」っていうことはおっしゃっていて。「一度もスポンサーに関して事欠いたことがない」っていうことはおっしゃっていたりとか。

(赤江珠緒)へー!

(吉田豪)晩年まで、そうですよね。事欠いている感じが全然しなかったっていう。

(春日太一)釣具メーカーであったりとか、何らかの大きなスポンサーが絶えずいるんですよね。松方さんには。そこはやっぱりあの人の苦労してきたところであったり……

(吉田豪)あと、愛嬌があったりとかで。

松方弘樹の色気

(春日太一)そうですね。あと、実際にお会いすると、色気がすごいんですよ。もう、なんか女性の気持ちがわかってしまうじゃないですけど。「うわー、もうたしかにこれは、抱かれざるをえない」っていう(笑)。

(町山智浩)抱かれざるをえない(笑)。

(赤江珠緒)そんなに?(笑)。

(山里亮太)あふれ出ているんですか?

(春日太一)なんでしょうね。すごいんですよ。ファッションもおしゃれだし、佇まいもかっこいいし、それでいながら腰が低くて。でも、声も発声もきれいだし、しゃべりも上手いし。顔もきれいだしっていうことになってきて、もうなんでしょうね? 本当に男の鑑みたいなところにあるので。もう、一緒にいると自分が恥ずかしくなってくるんですよ。

(一同)(笑)

(町山智浩)「俺はダメだ」って(笑)。

(春日太一)男としての偏差値が違いすぎちゃって。

(町山智浩)それは、あれじゃない? 男としての格が高すぎるから、自分は男だけど、あっちと比べるとほとんど女に近いっていう。「俺なんか、これだともう女性だな! あっちの男度に比べたら……」みたいな。「もう、抱かれるしかねえか」みたいな(笑)。

(春日太一)追いかけたくなる女性の気持ちはわかりますよね。本当に色気が……

(赤江珠緒)モテたんですね。

(山里亮太)へー! それはもう、女の人とかが好きになっちゃうんだもん。全てを捨てるとわかっていても。

(春日太一)インタビューした時も、最後はね、かなりもう、70をすぎてましたけども、ピンクのポロシャツとかを着ていましたからね。そういうのが普通に似合う。それが、おじさんが背伸びをしているっていう感じにならなくて、本当にちゃんとピンクが似合うんですね。

(山里亮太)そんな豪快ですごい松方さんから、なんであんな仁科克基みたいなのが……あれはもう、ろくでもないことばっかりしているから(笑)。

(吉田豪)ちょっとね、ダメジュニア感が(笑)。

(町山智浩)知り合いなの?

(山里亮太)番組で何回もエピソードを聞くと、いいダメジュニア感が。あれね、豪さん。結構なダメジュニア感がありますよね(笑)。

(吉田豪)当時の松方さんと同じぐらいの歳だと思うと、びっくりしますよね。

(山里亮太)そう!

(町山智浩)ああ、そうなんだ。はー。彼もまた、きつい一発でできた人でしょうし(笑)。

(赤江珠緒)いやいやいや、そこで使わなくてもいいですよ!(笑)。もう、いまさら流行らさなくていいです(笑)。

(町山智浩)ああ、そうですか(笑)。

(赤江珠緒)そうかー。

(町山智浩)松方さんっていうとやっぱり、釣りの人だと……

(赤江珠緒)はいはい。最近はね。

(山里亮太)いまの若い人たちだと、特に。マグロを釣ってっていう。

(春日太一)ただ、やっぱり時代劇に対する思いとか映画に対する思いをものすごく熱く持っていて、インタビューをしていても、「いまの時代劇はどこがダメだ」とか。自分が、たとえば『十三人の刺客』のリメイク版の現場に行った時に、もう殺陣師もダメだっていうことで、自分が殺陣をつけて、絡みの人たちも全部芝居をつけていったという話も……それはスターというよりはもう、時代劇の文化を背負った人間としてそこにいるみたいなところがあって、その意識はものすごい強かったんで。そのことをちゃんと伝えていきたいと思いながらも、どこかで「もう、時代も違ったし……」ということで諦めているところがあったりとか。そのへんの葛藤をものすごく、やっぱり生き残った人間であったがために強かったというのはありましたよね。お話をうかがうと。

(吉田豪)本人はもともとね、役者をそれほどやる気がなくて。漁師とか釣りとかやりたかったけど目が悪くて諦めた人が、よくそこまでやりきったなっていうことですよね。

(春日太一)それこそしかも、左利きなので。時代劇の立ち回りって昔、右利き用に刀ってもちろんできていますから。

(町山智浩)噛み合わない。

(春日太一)すごい大変だったということはおっしゃっていましたけども。まあ、そのおかげで二刀流ができるようになったということで。

(赤江珠緒)はー。

(山里亮太)柳生十兵衛。

(春日太一)そうなんですよね。宮本武蔵とか。それができるようなったりとか。そういうことはおっしゃっていまして。だから、すごい苦労して身につけていったという。

(山里亮太)すごいな。伝えるためっていうことで、いろんなことを犠牲にしてやっていたんだ。

(春日太一)だから一方で、その役者としてのストイックなところと、プライベートでのきつい一発とのギャップがすごいというかね。そこがまた、松方さんのスターたる所以かなという気がしますね。

(山里亮太)そうですね。きつい一発だって、スターを伝承するためにやっていたわけでしょう?

(赤江珠緒)そうそう(笑)。

(吉田豪)(笑)

(赤江珠緒)それで出た本なんです(笑)。

(春日太一)勝さんとも似ているんですよね。そこがね。行き過ぎちゃうんですよね。

(吉田豪)マスコミが来たら、つい、いろいろ言わなきゃって。で、「ある時期から一緒に遊んだマスコミが俺たちのことを書くようになった」ってボヤいてましたけどね。

(町山智浩)だから昔は、そういうことを言った方が芸能人は人気が出たんですよ。

(赤江珠緒)うんうんうん。

(山里亮太)いまはもう、真逆じゃん。

(町山智浩)だって梅宮辰夫さんなんて、「トルコの帝王」って自分のことを呼んでましたよ。

(吉田豪)まあ、その名称はいまはちょっとアウトですけどね(笑)。

(町山智浩)「国の王様なのか?」って思いますよね(笑)。

(赤江珠緒)いまだったらね。うん。もう、そういうのを許さない雰囲気にどんどんなっていくんでかね。

(山里亮太)昔の豪快な記者会見の映像とさ、(狩野)英孝ちゃんのニュースが一緒に流れてて、なんかねえ……

(吉田豪)釈然としない(笑)。

(山里亮太)あれ?っていう。

(赤江珠緒)あ、なんかいま、曲が流れてきましたが。これは?

(吉田豪)たけしさんとのデュエットですね。

(赤江珠緒)たけしさんとのデュエットの曲(『I’LL BE BACK AGAIN…いつかは』)。

『I’LL BE BACK AGAIN…いつかは』



(町山智浩)これもさ、一歩引いてたけしさんに歌わせていてさ。自分はコーラスに。

(吉田豪)ほぼ、そうなんですよね。歌手をやっていた人が。

(町山智浩)松方さん、歌、上手いんですよ。めちゃくちゃ上手いのに。たけしさんはまあ、こんな感じじゃないですか。それなのに、たけしさんを立てるんだよね。「俺に歌わせろ」じゃないんですよ。

(吉田豪)たけしの歌ですよ(笑)。

(春日太一)自分の主演映画でも、絶対に自分は目立とうとしませんからね。ゲストに来てくれた人を立てるっていう。それをすごいやっていた人なので。

(町山智浩)すごい気使かいの人なんですね。やっぱりね。

(赤江珠緒)懐が大きかったんでしょうね。やっぱりね。

(吉田豪)「酒の席でもそうやって気を使っていたから感動した」って橋本真也さんが言っていたんですよ。「俺はああいう男になりたい!」って言っていて。

(赤江珠緒)ああー、それはやっぱりモテるかもね。気を使えて、あの感じでしょ?

(春日太一)スターでありながら、一歩引くという。すごいんですよ。

(山里亮太)出てくるエピソード、全部そういう、みんなが感謝して。「こんなごちそうをしてもらった」だのなんだのって。

(町山智浩)松方さんだったら、みんなに見てほしい映画ってどれですか?

(春日太一)ああ、なんでしょうね、映画だと……難しいですけど、『暴動島根刑務所』とかね。あのへんを見てほしいな、僕は。

(赤江珠緒)『暴動島根刑務所』。

(町山智浩)実録でもなんでもないですけどね(笑)。

(吉田豪)本人は評価してないけど(笑)。

(春日太一)体制に牙をむいてギラギラと自由を求めて戦う松方弘樹っていうのがいちばんかっこいいですから。それはぜひ。あと、最近は『十三人の刺客』のリメイク版。これ、松方さんの空間だけ違いますから。やっぱり。

(吉田豪)殺陣のレベルが違う。

(春日太一)彼だけ殺陣の空間が違うので。そのへんでいかに松方弘樹っていうのが時代劇を背負いってたかよくわかると思います。

(吉田豪)ちなみに、『きつい一発』の巻末には『暴力金脈』っていう映画のコミカライズが載っています。すごい映画なんですよ。立派な総会屋になるためにがんばる映画なんですよ(笑)。当時は時代が違うな!っていう(笑)。

(一同)(笑)

(町山智浩)しかも、コメディーですよね。総会屋コメディーですよ!(笑)。

(赤江珠緒)総会屋コメディー(笑)。

(春日太一)これも面白いです。

(山里亮太)もう一生うまれないジャンルだよね(笑)。

(町山智浩)あと『恐喝こそわが人生』っていう映画もありますよ(笑)。恐喝をやったり、総会屋をやったりね、脱獄殺人囚ですからね。

(赤江珠緒)タイトルだけですごいですからね。

(町山智浩)だからNHKとか報道する時は、どういう風に報道したんですかね? 「『強盗放火殺人囚』の松方弘樹さんが……」とか、「代表作は『恐喝こそわが人生』」とか。「『暴力金脈』の……」とか(笑)。

(春日太一)『首領になった男』とかね。

(赤江珠緒)いやー、そっかー。やっぱり得がたい人だったっていうのがね。

(町山智浩)「『きつい一発』で有名な……」。本当に素晴らしいと思いますね。

(赤江珠緒)お時間が来てしまいましたが、今日は町山智浩さん、春日太一さん、吉田豪さんの3人で、昨日亡くなったことがわかった俳優の松方弘樹さんについて語っていただきました。本当にありがとうございました。急遽みなさん、集まっていただいて。

(町山智浩)スケジュールを変えて来てくれて、本当にどうもありがとうございました。

(赤江珠緒)本当にありがとうございました。

<書き起こしおわり>

吉田豪 玉袋筋太郎のスナック『スナック玉ちゃん』開店を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。玉袋筋太郎さんと、玉さんがオーナーのスナック『スナック玉ちゃん』開店について話していました。

(吉田豪)スナック玉ちゃん、オープンおめでとうございます!

(玉袋筋太郎)ありがとうございます。昨日、ご来店。豪ちゃん、ありがとうね。

(安東弘樹)もうさっそく。開店日に。

スナック玉ちゃん開店


(吉田豪)昨日はちょうどトークイベントだったんですよ。春日太一さんとぱいぱいでか美さんとのイベントで、そのまま春日さんと2人で流れて、飲んで。もう帰らなきゃと思って店を出た瞬間、店の前にコンバットRECがいたっていうね。

(玉袋・安東)(笑)

(玉袋筋太郎)もうね、豪ちゃん。俺の店ね、ジグモ。もう下から虎視眈々と獲物を狙って、ガッと吸い込んじゃうっていうね。そういう商売で行こう。

(吉田豪)吸い込まれましたよ。コンバットRECも(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。でも、いろいろあるね。豪ちゃんね。この間ね。

(吉田豪)ありましたね。だいたい僕、数日前に『たまむすび』に来たばっかりですよ。

(玉袋筋太郎)そうだよ。松方さんで。

(吉田豪)町山さんに呼び出されて。その春日さんと。「NO」も言えない状態で(笑)。

町山智浩・春日太一・吉田豪 松方弘樹追悼特集
町山智浩さん、春日太一さん、吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。亡くなった松方弘樹さんについて、春日さん、吉田さんが生前、松方さんに行ったインタビューのエピソードなどを交...

(玉袋筋太郎)町山というジグモに(笑)。

(吉田豪)完全に捕まって。春日さんなんて、「松方さんについての追悼は連載でしか書かない。私はコメントしません」ってツイートした直後に呼び出されて。「カッコ悪!」っていう(笑)。「あそこまで言い切ったのに!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)さっそくコメントという(笑)。

(吉田豪)そう。「NO」とは言えない(笑)。

(安東弘樹)さあ、いろいろありましたけども……

(玉袋筋太郎)「江角マキコの引退」?

(吉田豪)そこ行くんですか?(笑)。

(玉袋筋太郎)やめとこう。それは別の。トークショーで。

(吉田豪)アサ芸(有名人スキャンダル大賞)ですかね?

(玉袋筋太郎)アサ芸で行こう(笑)。

(安東弘樹)まあただ、僕がうらやましいのは一昨日、NHKの『ねほりんぱほりん』にご出演。

(吉田豪)まあ、正確には僕は出てないんですけどね。吉田豪型のブタと、あと僕の声が流れただけですからね(笑)。

『ねほりんぱほりん』吉田豪のブタ登場


(玉袋筋太郎)いいじゃない(笑)。

(安東弘樹)あの番組、好きなんだよな~! もう、やられた! と思いました。同じテレビ局の人間としては。

(吉田豪)久しぶりにいろんな人にうらやましがられましたね。「ブタになってうらやましい」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)僕もうらやましいです。僕は『5時に夢中!』か『ねほりんぱほりん』に出るのが夢なんです。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)ちょっと待て。『バラいろダンディ』にしてくださいよ。

(安東弘樹)ああ、『バラダン』。もちろんです! 『バラダン』、いいですか?っていう感じですけども。

(玉袋筋太郎)いつでももう、(司会の)蝶野さんを外しますから。

(吉田豪)名司会(笑)。「こっちの方が上手いですよ!」って(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)それはちょっと言えなかった……玉さんに言っていただけるのはうれしいですけどね。

(吉田豪)安東さん、他局が好きすぎるんですよ(笑)。

(安東弘樹)大好きなんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)赤坂にしてくださいよ!

(安東弘樹)赤坂ももちろん好きですけどね!

(吉田豪)玉さんも赤坂、好きですよね? お店も……

(玉袋筋太郎)赤坂、大好きですよ。骨、埋めますよ!

<書き起こしおわり>

吉田豪 板東英二を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。板東英二さんをインタビューした際の模様について玉袋筋太郎さんらと話していました。



(安東弘樹)このコーナーでは豪さんがこれまでインタビューしてきた一筋縄では行かない有名人の様々なその筋の話を聞いていきます。今日、豪さんに紹介していただくのはタレントの板東英二さんです。ではまず、板東英二さんのあらすじとその筋をご紹介します。1940年、徳島県出身の板東英二さん。1958年の夏の甲子園に徳島商業のエースとして出場。この大会で打ち立てた奪三振83。これは現在も破られていません。

(玉袋筋太郎)すごい!

(安東弘樹)卒業後、中日ドラゴンズに入団して現役生活の通算成績は77勝65敗。引退後は野球解説だけはなく、タレントとして数多くのテレビ、ラジオ番組に出演し大活躍。しかし、2012年12月に個人事務所が名古屋国税局から申告漏れを指摘され、芸能活動を休止。現在は活動を再開して最近はB.E.(Boiled Egg・ゆで卵)名義でYouTuberとしても活動しているゆで卵大好き板東英二さんです。

(玉袋筋太郎)うん

(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材によるタレント板東英二さんのその筋は、その1。全部自分で! クイズの問題は自分で作っていたの筋。その2。野球解説やってちょっとモメて……の筋。その3。ビンゴゲームを広めた男の筋。その4。金妻出演。東京中が「いっちゃん、いっちゃん」の筋。その5。植毛・所得隠しの真相は? の筋。その6。時計が2本。知られざる高倉健さんとの交流の筋。その7。本で書いていないようないい話、山ほど持っているの筋。以上7本の筋です。

(玉袋筋太郎)ねえ。さっそく行きましょうよ。その1から。

(吉田豪)その1から行きましょう。

(安東弘樹)すごいですね。これ。

(吉田豪)ちなみにプロフィール部分1個訂正というか。「Boiled Eggは俺じゃない」って言い張ってますね。一応ね(笑)。

(玉袋筋太郎)昭和だなー!

(吉田豪)「違います!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)守っているなー。偉い!

(吉田豪)マスクマンみたいですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)かっこいいよ!

(安東弘樹)じゃあもしかしたら違うかな?

(玉袋筋太郎)全部自分でクイズの問題を作っていたっていう?

自らクイズを作る

(吉田豪)そうなんですよ。今回、クイズ総合誌『QUIZ JAPAN』の仕事で取材してきたんで、実は野球の現役時代の話は一切聞いてないんですよ。で、まずクイズの話から聞いたんですけど、クイズ番組の仕事を実は相当やっているんですよね。司会からなにから。で、なんでか? と思ったら、いちばん初めは野球の現役時代に。「いちばん初めは見栄っ張りなもんですから、『知っている』っていうことが世間にちょっと偉そうにできるんじゃないか? と思ったのと、プロ野球の監督以下、ベンチに座っている者の野球のルールブックの読んでなさがすごい。ルールブックを読んでおいたらちょっとは賢そうに見えるかな? と思って読み始めて。だって監督ですら試合でモメたりすると『ルールブック持ってこい!』って監督が言ってそれで抗議することを調べるような状態だった」と。

(玉袋筋太郎)うん。そうだね。

(吉田豪)っていうことで、そういう方向に行き。で、オフの時から実はクイズ番組をやっていたんですよ。

(玉袋筋太郎)ええっ?

(安東弘樹)現役のオフの時から?

(吉田豪)野球クイズっていうのを寺内大吉さんがやっている3時間ぐらいの番組の中にクイズ番組を作って出題していた。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)なおかつ、クイズを自分で考えていたという。野球をクビになってからは、最初は野球解説しかなかったけど、半年したら「ディスクジョッキーをやってくれ」と言われて。その時も板東英二の野球クイズっていうのをやっていて。その中のクイズが、「カーン! と打者が打ったらボールが真っ二つに割れました。ひとつはスタンドに入り、ひとつはライトが取りました。これはルール上、どうなりますか?」とか聞いて。これも自分で考えて。

(玉袋筋太郎)考えてるんだ。

(吉田豪)当時は構成作家とかいないから。「これがホームランと思う人は起立。アウトと思う人は座ってなさい」って言って……「全員、不正解! そういうことはあり得ない!」っていうね。そういうことを考えていたりして。

(玉袋筋太郎)おおっ、外し系の答えだね!

(吉田豪)そうです。そうです。

(安東弘樹)ボールは2つに割れない! だから全員不正解と。なるほどね。

(玉袋筋太郎)やるなー、板東さん。

(吉田豪)その後のクイズの話を聞いても、それも構成を自分がやっていたとか、企画を自分で立てたとか、そんなのがすごい多いんですよね。

(玉袋筋太郎)へー! マルチだよな。それは。好きなんだね。そういうのがね。

(吉田豪)もともと。

(安東弘樹)根本的に好きじゃないとね。

(吉田豪)で、その2。

(玉袋筋太郎)野球解説をやってちょっとモメて……の筋だよね。

(吉田豪)そうですね。で、引退後にディスクジョッキーをやりつつ、野球解説をやっていたんですけど、まあ解説の仕事でよくモメていたらしいんですよね。で、伝説なのがCBCで解説者をやっていた時にサインを見破って放送で言ってしまった事件があるっていうね。

(玉袋筋太郎)すごいな(笑)。

解説中にサインを見破り、放送で発表

(安東弘樹)あるチームのサインを見破っちゃって。「ああ、これは次、こういう風になる」みたいなことを?

(吉田豪)しかもそれを、ワイプで抜いてもらったらしいんですよね。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)「どうして最下位になるかというと、ちょっとご覧になってください」って言ってワイプで抜いてもらって。「はい、長嶋さんが胸を触りました。左腕を触りました。ベルトを触りました。右足を触りました。覚えておいてくださいよ。はい、バントしましたね? その前のサイン、覚えてますか? この試合は僅差だったらもう一度、この場面がありますから」って言って。そしたら、またバントしたと。

(玉袋筋太郎)ダメだよ、それ!(笑)。

(吉田豪)サイン見破り。で、その時のディレクターがちょっと左がかった方だったんで、「バンちゃん、よかったよ! 徹夜してよくサインを解読したね!」って褒められたらしいんですよ。「秘密を暴くのは素晴らしい!」っていう感じで(笑)。で、月曜日に呼ばれたんで褒められると思ったら、「大変申し訳ないけど……いらんことを言ったから、今日限りで結構です。契約金は払います」でクビという。

(玉袋筋太郎)ああーっ! でも、物の見方としてその、ブロックサインを見破るっていうのもまた面白いんじゃないの?

(安東弘樹)面白いですよ。で、そのディレクターはどこの局かわからないですけど。褒めたディレクターは他の局だったんでしょうね。

(吉田豪)CBCですね。

(安東弘樹)「クビです」って、これは言っていいのかな? クビにしたのは弊社……

(玉袋筋太郎)系列の会社ですね。

(吉田豪)さすが!(笑)。

(安東弘樹)クビにしたのは弊社っていうね。

(玉袋筋太郎)言うなっつーんだよ(笑)。

(吉田豪)僕は飛ばしたのに……っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだよ!(笑)。

(安東弘樹)わかってねえな、本当に! まあ、過去の話ですね。

(吉田豪)昔話です。時効ですね。はい。で、実はその前の日にもモメた「あれあれ事件」っていうのがあって。長嶋監督初めての年で最下位で。江川さんと張本さんと王さんがモメていたらしいと。それを板東さんが見ていてその日、「今日は試合としては間違いなく中日が勝つでしょう。それも2対1か3対1でかならず中日が勝つ。間違っていたら僕は今日限りで解説を辞めます」ってハッタリをかまして。そしたら本当に3対1で中日が勝ったと。「ね? 言ったでしょ? あれがあるから、こういうことになるんです」って。そこからは「あれ」って言ってそれ以外は何も表現をしなくて。そしたら、電話が……(放送席の)横に電話があるんで。その時、サウナやっているわ、ナイトクラブをやっているわ、割烹をやっているわで電話が鳴るとすぐに取る癖がついてたらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)お客さんの電話かと思って。で、癖で「はい」って出たら、「板東に言え! 『あれあれ』じゃわからなんやないか! 説明させ!」って言うから、「じゃかあしいわい!」って電話を切ったのがオンエアーに全部入っていて(笑)。

(玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)で、大問題にっていう(笑)。

(安東弘樹)まあ、それは問題になるわな(笑)。

(玉袋筋太郎)「あれ」は気になるよな。

(吉田豪)っていうか、電話に出ちゃダメですよね。どう考えても。そもそも(笑)。

(玉袋筋太郎)だってその時、サウナとかやってたんだもんね。本当にすごいよ。ナイトクラブだの。実業家だもんね。

(安東弘樹)割烹って……(笑)。

(玉袋筋太郎)どれが本業かわからない。「じゃかあしい」って。電話取っちゃったって。いいねえ! そして……

(安東弘樹)ビンゴゲームを広めたんですか?

(玉袋筋太郎)板東さんなの、これ?

(吉田豪)そうやってモメたのをきっかけに名古屋でやっていた番組もクビになって、大阪に流れたんですよね。で、大阪でラジオ番組をちょろっとやって、もうひとつ面白くないということでダメになって。で、京都のKBSに行って、KBSのディレクターが「板東さん、面白いわ!」って言って「その時にやっていたクイズ番組でビンゴゲームっていうのを僕が日本でいちばん最初に始めた」というね。

ビンゴゲームを日本に広める

(玉袋筋太郎)へー! まあまあ、世界にはあるわけでしょう? 海外にあるけど、それを持ち込んだと?

(吉田豪)日本に持ってきて、番組にしたと。で、「僕のこのあざとさで大日本印刷の社長を知っていたので、『すいませんけど、三菱ランサーくれへんか?』と。大日本印刷側は統計上何枚配ってもビンゴが25枠あったら1年に2台出たらエエことや」という話で、それでビンゴゲームを始めて。

(安東弘樹)それを商品にしてっていうことですね。

(吉田豪)そうです。2台。「それぐらいなら、出そう」っていうことで。で、番組のメンバーが鶴瓶さんがいて、桂文珍さんがいて、外回りが明石家さんま。で、センターがタキシードを着た板東さんで。で、派手にやっていたらニセのビンゴカードを作って売っているやつがいて、ランサーが当たりすぎて三菱の代理店がお手上げに……っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)ええーっ、何だ、それ?

(玉袋筋太郎)すげー(笑)。

(吉田豪)で、「ある落語家が権力を持っていて、その枠の視聴率が高いから、そこで俺の番組をやるって言って僕はどかなきゃならんようになった」というね。

(玉袋筋太郎)ああー、誰なんだろう、権力って?

(吉田豪)たぶん調べたらわかりますよ(笑)。

(玉袋筋太郎)わかるね、こりゃわかる。俺もなんとなくわかる(笑)。

(安東弘樹)なんで大日本印刷で三菱ランサーなのか……車マニアとしてそこがさっぱりわからないですけど。

(玉袋筋太郎)そこの人脈がすごいんだよ。つなげ方が。

(吉田豪)その後、関西テレビでサイコロを3つ転がして当てるという韓国にあるゲームを視聴者参加でやって。で、司会をしていたらしいんですね。横山ノックさんと文珍さんとやっていて。そういうのがあったから、当時営業がすごく多かったらしいんですよ。デパートとかでこういうゲームとかをやる。ビンゴをやったりとかっていう。「まあ、えらい楽な仕事やな。野球より全然いい」っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。サイコロ3つで。チンチロリンじゃねえんだよ、これ。大小みたいなもんなのかな?

(安東弘樹)正直な方だな。

(吉田豪)で、いちばん有名なのが、オレオレ詐欺の元祖も板東さんっていうね。

(玉袋筋太郎)板東さん、すごいよ。

(吉田豪)ラジオ番組がきっかけだったんですよね。リスナーのおばあちゃんに毎週電話して、名前を名乗らずにいじって「俺、俺!」って言い張って。「いいからこれ、なんか送ってよ!」って言って、毎週なにかを送らせていたんですよね。それがまあ、オレオレ詐欺の元祖だったということで警察に怒られたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)ダメだよ、真似しちゃ。

(安東弘樹)これだって、そのままじゃないですか!

(吉田豪)「いいから送って! いいから送って!」っていう。どんどん悪化していったらしいんですよね。牛2頭とか、ニワトリ300羽とか、どんどん送ってくるという。

(安東弘樹)ああ、それだけね、純粋な方がいたということもあるんでしょうね。

(玉袋筋太郎)いいなー。だけどやっぱね、板東さん。この赤坂の放送局にもものすごい貢献をしているわけですよ。それがもう、『金妻』出演でしょう? 東京中が「いっちゃん、いっちゃん」の筋。

『金曜日の妻たちへ』

(吉田豪)板東さんの野球解説を脚本家の鎌田敏夫さんが聞いて「板東っちゅうのは面白いな」ということでドラマに呼んでくれた。それが『金曜日の妻たちへ』だったというね。

(安東弘樹)野球解説が面白くて、ドラマに。

(吉田豪)で、喫茶店のマスターぐらいで、「いらっしゃいませ」と言うような役かと思って受けたら、最初その一家が篠ひろ子さんと夫婦で、あと子供が4人いてやかましくワーワー言っている時にトイレから『どうしたんだい?』って言うんだけど、何回やってもNG。「板東さん、もう1回言ってください。不自然だった」って言われて3、4回NGを出したところで「もう無理です。意味がわからん」ってやめようとしたら、「板東さん、好きなように言ってごらんなさい」って言われて本番で「どうしたんやー?」って関西弁で言ったら一発OK。「その自然さがほしいんです」っていう感じで。で、板東さんいわく、「ああいう普通の東京の不倫のドラマで初めての関西弁やったんですよ」っていうね。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(吉田豪)「そこから、さんまとかが出てくる。それまではなかった」っていう。板東さんの特徴が、なんでも「俺がはじめて」って言いたがるっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。一番手なんだね。

(吉田豪)「それで、『毎度おさわがせします』が入って、次のシリーズの『金妻』が小川知子が僕と再婚するのに前の夫とヨリを戻して返ってくる。で、雨の中でびしょ濡れで帰ってきた時に僕が『なんでそんなこと、したんや? お前がいっちゃん好きやのに!』って言ったこの『いっちゃん』が流行って。東京中のOLに『いっちゃん好き』っていうのが流行るんですよ」って言い張ってたんですけど……東京中のOLに流行った記憶が僕、ないんですよ。

(安東弘樹)(笑)

(玉袋筋太郎)俺もないな。「いっちゃん、いっちゃん」って。

(安東弘樹)ご自分で言っているんですね?

(吉田豪)自分でです。

(玉袋筋太郎)すげー。好きなんだな、自分が。

(吉田豪)板東さん、「その時に六本木に住んでいたから、そのへんを歩いていたらみんなが『いっちゃん、いっちゃん』って言っていたから、えらいこっちゃなって思った」っていう話なんですよ。

(玉袋筋太郎)おおーっ! まあ、板東さんには聞こえたんでしょうね。普通の人には聞こえないかもしれないけど(笑)。

(吉田豪)幻聴みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)そう(笑)。さあ、その5ですよ。板東英二さん。植毛・所得隠しの真相の筋。

所得隠し・植毛経費騒動

(吉田豪)板東さんは本当にもうこっちが質問することもなく、どんどん一方的に話していくわけです。なんでも。で、「クイズは人が表れる」みたいな真面目な話をしていたら、なぜかそこで蓮舫さんの二重国籍問題について熱く語り始めて。まあ、全部カットしたんですけど(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)「そんなんが通るっちゅうんだったらね、僕は植毛のやつを知らなかったっていうのも、それまでの20何年間OKだったんだからね! 少なくとも7年さかのぼったら、それはOKだったんですよ。それ、経費で出ているんだから!」っつって。なんかスイッチが入って、聞いてないのに植毛の話をしてくれるわけですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)クイズの話で。

(吉田豪)「やった!」って思って(笑)。ねえ。「所得隠しを疑われて、『植毛を経費に加えてしまった』と説明したあの騒動も、ある時期までは経費で落ちていたんですか?」って聞いたら、「落ちてた。それも言ったところでしょうがないし。税務署が言ったわけじゃないから。はっきりと申し上げると、俺の金を持って逃げているやつが知っていたんですよ。そいつが俺のCMのギャラとかを持って逃げて。それを何に使ったか? 使った先はわからなイカン。植毛とかそういうわかりやすい使い道があればわかるけど……」っていうね。「俺の金を持って逃げたやつが、俺のCMとか全部そいつを通していた」みたいな。すごいややこしい話をどんどんし始めて。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)で、これをいい話に着地させなきゃと思って、「王さんとかがそんなことをやったら大変なことになるけど、板東さんはケチキャラとかそういうのがあったから、よかったですよね」みたいな感じのフォローをしたら、「そうそう。金にうるさいからね!」っていう感じで(笑)。「どっちかって言うと僕は常に本音をポロポロ言うから、それで助かっているのかな? と思いますね」っていうね。「みんな、金がいらんのだったら働かないでしょ? 金、ほしいでしょ? そこらに捨ててあって、『拾って帰れ』って言われたら披露でしょう? 『なんもせんかったら毎日10万円やる』って言われたら、みんな何もしませんから。くれんから、働いている。今日も新幹線に乗ってきたけど、タダだったらそんなもん、超満員ですよ!」っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)たしかに、そうですね。タダならね。

(吉田豪)どんどんスイッチが入ってくるという。

(玉袋筋太郎)ねえ。これ、板東さんの植毛っていうのは記者会見の前から気づいてましたけどね。カツラKGBとしては。

(吉田豪)おお、さすがに。

(玉袋筋太郎)「おおっ!」っつって。ひな壇で俺の前が板東さんだったの。もう確実に、「ああっ、クロだ! 見つけた、博士!」って言っていた覚えがありますよ。

(吉田豪)はいはい(笑)。

(安東弘樹)これ、インタビューの場所はどこでやったんですか?

(吉田豪)MXテレビの控室ですね。

(玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)僕が『モーニングCROSS』に出る時に使っている控室で。ものすごい大声でしゃべるんですよ。で、あそこってパーテーションで区切られているから、上が全部筒抜けなんですよね。で、インタビューの最中にいろんな人が「あっ、板東さん。お疲れ様です!」とか、控室越しに挨拶してきたりして、すごい大変だったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)そこでこの話をしているというね。

(吉田豪)オープンにいろんな話をしていましたね。オフレコの話とかをすごい、みんなに聞こえるように話してましたよ(笑)。「これは載せちゃダメだけどね!」って。

(玉袋筋太郎)(笑)。面白いんだよ!

(安東弘樹)本当に、僕は披露宴で挨拶してもらったんですけども。「だいたいこのパターンは離婚するパターンや!」って散々言っていただいて。披露宴で(笑)。「シーン……」ってなったところで峰竜太さんが助けてくれたという。

(吉田・玉袋)(笑)

(安東弘樹)全部いい方に持っていってくれたっていう。いまだに峰さんには感謝していますけども。その6です。時計が2本。知られざる高倉健さんとの交流。

(玉袋筋太郎)そうだよね。

高倉健さんとの交流

(吉田豪)健さんと仲が良かったことで実は知られていて。「『鉄道員』の時はもったいなかったな」って言っていて。。健さんが「板東さん、半年ぐらい時間がかかるけど、準備しておいてくれ」って言われたらしいんですよ。「来年、明けてもらえないか?」って。ちょい役だろうと思っていて。まさか長期だと思っていなくて。「言ったでしょ、板ちゃん」って流れちゃったっていうことなんですよ。

(安東弘樹)ああー、そうか。長期でできなかった。

(吉田豪)そうですね。で、健さんはみなさんが思っているような人ではなく、お茶目で義理堅さというか。で、板東さんの家内のおじいさんの会社で健さんのお父さんが雇われていたらしいと。「それで僕を『あ・うん』の相手に選んだんだろう。だって、こんな素人が行くの、おかしいですもん。どう考えても、僕より家内に会いたいみたいだった」っていうね。

(玉袋筋太郎)ほー!

(吉田豪)ただ、当時みんなから聞いていたのが健さんと共演すると時計をくれる。ロレックスをくれるというね、有名な話が。ところが、撮影が後半に入っているのにくれないというね。「俺にはくれないんだな」と思って残念がって諦めていたら健さんが「板ちゃん、いよいよ後半だね。もうちょっとだから、がんばらないとね! じゃあ、これ!」っつって包みをくれたらしいんですよ。「来たっ!」って思ってすぐに開けるわけにはいかないから、そのまま急いで帰って、奥さんに「おい、くれたよ!」って開けたら栄養ドリンクだったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)健さん(笑)。

(吉田豪)ちょうどいい重さのちょうどいい包みをくれて(笑)。

(玉袋筋太郎)上手いね!

(吉田豪)「なんやねん、この人!」っていう。考えれば洒落っ気があるなと思うけど。で、それからしばらくして、パンツ一丁で家にいたら、夜11時すぎにピンポンって鳴って。「どちらさんですか?」って言ったら「高倉です」っていうね。で、「すぐに参りますので」って言ったら、「いや、突然来たんで。すいませんが、ご主人にこれを渡してください」って言って、すぐに帰って。「高倉」って書いた風呂敷で開けたらロレックス。裏を見ると「戦友」って刻印がしてあるというね。

(玉袋筋太郎)かーっ!

(安東弘樹)戦友かーっ!

(吉田豪)「しかもそういうのを彫るのが香港で。香港のそういう彫師のところにしか行かない。わざわざ飛んで行くっていう。おかしな人ですよ」っていうね。

(安東弘樹)すごいな……

(吉田豪)で、健さんと九州でトークショーをやったこともあるんですよね。それが終わったらまた夜中にピンポンって来て、「高倉です」って。この次はコンスタンタンの時計で「感謝」って書いてあって。

(玉袋筋太郎)うわー、高いよー!

(安東弘樹)コンスタンタンってだって……すっごい。ロレックスと比べても、正直かなり。ええーっ!

(吉田豪)それぐらいの交流があっても「謎の人」って言っていて。そのトークショーでも、本当に健さんがすごいご機嫌で。まず板東さんが出ていって、トークショーとは名ばかりでこんなにしゃべれない男と……しかもあと、検事次長と。その3人でのイベントだったらしくて。「よく集まりましたね」って言っていたら、健さんがダーッと走ってきて「しゃべるぞ、今日は!」って大きな声で叫んだりとか。健さんらしくないことをやって。ところが、イベントが終わって楽屋に挨拶に行ったら、もういないっていうね。もう帰っているみたいな。なんで帰ったかも知らない。飛行機に乗ったのか、船に乗ったのか、列車に乗ったのかも知らない。そこから音沙汰なしで、突然時計を届けに来るみたいな。

(玉袋筋太郎)すっげーな! 健さん!

(安東弘樹)健さん、すごいですね。いま板東さんの話って忘れてました(笑)。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)健さんがすごすぎて。

(玉袋筋太郎)健さんの話になっちゃったね。

(安東弘樹)すごい方なんですね。健さん。

(玉袋筋太郎)で、7だな。本で書いてないようないい話、山ほど持っているの筋。あるだろうなー!

(吉田豪)こんな感じで、面白い話はしてくれるんですけど、僕の質問を全然させてくれないんですよ。

(玉袋筋太郎)ああ、自分でもう一方的に。

上岡龍太郎と島田紳助

(吉田豪)どんどん来ちゃうから。で、ようやく質問のチャンスが来たんで、「板東さんが昔から仲がいい上岡龍太郎さんも島田紳助さんも早い段階で引退しちゃったのは、板東さんがどう思っているのか知りたいんですよ」っていうね、聞きたかったことを聞いて。それでちょっとモードが変わって。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)「それは事情があって。普通だったら、いまでこそみなさんが倫理を問うような存在になったけど、そういうね、人間を人格者とかなんとか言うこと自体、僕は違うと思う」っていうね。「仲がいいからこそ、複雑な思いがあったわけですね。紳助さんの時は」っていう。まあ、もともと上岡さんとすごい仲が良くて。その流れで全然売れる前の紳助さんを紹介されたみたいな関係だったんですね。だから、たしかに僕はこの世界に入っていちばん感銘を受けたのは上岡ですから。横山ノックからは何の感銘も受けてない!」っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)これ、台本に「(キッパリ)」って書いてある(笑)。

(吉田豪)ノックさんがいかにひどかったのか? みたいなのをたっぷり聞きましたけど(笑)。そんな話をいろいろした後で、「人間って何かをやめるとかする時には、何らかの事情があるじゃないですか。そんなことは知る必要もなければ、それと先ほどから言うように芸人が何をしようが、倫理を問う方が間違ってるんです!」っていう感じで、「……上岡さんにも何かあったのか?」みたいな感じにしか聞こえないんですけども(笑)。

(玉袋筋太郎)ドキドキするな(笑)。

(吉田豪)ドキドキするような話をずっとしていて。

(玉袋筋太郎)あるんだろうな、墓まで持っていく話が。

(吉田豪)そういう話が本当に多い人ですね。政治がらみの話とかも相当いろいろあって。

(玉袋筋太郎)いっぱいあるでしょうね。ネームバリューがあって、タレント性があるんですから。

(吉田豪)で、何回も出馬要請があったらしいんですよ。で、「恥ずかしくてならなかったけども。後藤田先生と仲よくて、後藤田先生に何べん言われたかわからん。クレーン車まで、うちの事務所に来た。『出馬決定』って看板を取り付けにクレーン車が来て。出馬してへんっちゅうの!」っていう(笑)。引き受ける前にもう来ちゃったらしくて。「出馬しませんよ。僕なんか一発で捕まりますよ!」って(笑)。

(玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)「なぜかってね、『くれる』っちゅうお金はナンボでももらいますからね!」っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)人間っぽいなー!

(吉田豪)「『くれる』っちゅうから、もらっていいじゃないですか。もろうたら、その人に便宜を図るのは当然のことじゃないですか!」っていう。

(玉袋筋太郎)素晴らしいよ、板東さん。ねえ。

(安東弘樹)すごい(笑)。まあまあ、でもご自分でよくわかってらっしゃってますね。

(吉田豪)だから、「政治家になったらマズい」っていう自覚があるっていう。「俺がなったら、一発で捕まるぞ!」っていう(笑)。「合格はできるかもしれないけど」っていうね。

(玉袋筋太郎)まあ当選はするけども、即だよね。即辞任だよね。いやー、おもしれえ!

(吉田豪)もう完全にインタビューが終わった後の雑談とかでもボロボロと出てくるんですよ。「ラサール石井をコント赤信号から独立させたのも俺なんや!」っていうね。それで、ロート製薬にたのんで作った番組『クイズ!!ひらめきパスワード』で紳助さんをキャプテンにして、石井さんを……みたいな話がボロボロボロボロ出てくるんですよ。

(玉袋筋太郎)だけどやっぱね、本当に謝罪会見とかああいうことがあったらいまね、そりゃあ本当に倫理にさらされたわけだからね。

(安東弘樹)1回ね。

(吉田豪)余計に思うことはあるはずですね。

(玉袋筋太郎)それでもまだ、どっこいMXとかに出ているところがまた板東さんのすごさだよな。

(安東弘樹)で、基本その路線を変えてないですもんね。

(吉田豪)全然モードも変わってないですよ(笑)。

(安東弘樹)そこがやっぱりすごいと思うよな。

(玉袋筋太郎)借金っつーのはあったのかね? どうなんだろうな? 岸部(シロー)さんみたいなね、とか。

(吉田豪)はいはい。僕、だから本当は聞きたい話があったんですよ。『板東英二の金はこうして儲けるんや』っていう本がすごい好きで。86年に出た、完全にアウトなことしか書いていない本で(笑)。

名著『板東英二の金はこうして儲けるんや』



(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)この話を聞きたいと思ったら、もう全然聞く暇すらないという。これ、脱税騒動とかあった後で読むと謎が解けるというか(笑)。そういうものを全て認めているような本だったんで。「とっておき”オレの方法”全公開」っていう(笑)。

吉田豪が語る タレント本ワイン説『寝かせるほど味が出る』
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(玉袋筋太郎)すごいや!

(吉田豪)だって第四章のタイトルが「社長になって脱税せえへんか?」だったですからね(笑)。

(玉袋筋太郎)アウト!(笑)。

(安東弘樹)なんで違法から入っているんですか!(笑)。タイトルが違法っていう(笑)。すんごい人だな!

(玉袋筋太郎)正しい金儲けじゃねえもんね、それね。悪の手引書だよ。

(吉田豪)「みんなも節税のための会社作って遊びまひょ」って書いてました(笑)。

(玉袋筋太郎)「ひょ」!(笑)。

(安東弘樹)ダメなやつじゃないですか(笑)。

(玉袋筋太郎)見事!

(安東弘樹)いやー、でも徹底してるわ。

(吉田豪)徹底してますよ。

(安東弘樹)板東さん、改めてすごいということがよくわかりました。

(玉袋筋太郎)わかった!

(安東弘樹)豪さん、いろんな球を持ってきますね。やっぱりね。

(玉袋筋太郎)大ネタだったね、これは。豪ちゃんね。

(安東弘樹)ということで、この板東英二さんのインタビューの模様は古今東西のクイズを網羅するクイズカルチャーマガジン『QUIZ JAPAN Vol.7』に掲載されています。間もなく発売ですね。


(吉田豪)そうですね。

(安東弘樹)なにかありますか、豪さん?

(吉田豪)そんなもんですかね。

(安東弘樹)わかりました。吉田豪さん、次回の登場は3月3日、ひな祭りでございます。ありがとうございました!

(玉袋筋太郎)どうもありがとうございます。

(吉田豪)どもです!

<書き起こしおわり>

吉田豪 清水富美加(千眼美子)出家騒動を語る

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吉田豪さんがMXテレビ『モーニングCROSS』の中で清水富美加さんの出家騒動について話していました。


(堀潤)さあ、続いて豪さん、テーマの発表をお願いします。

(吉田豪)はい。

(堀潤)清水富美加さんの出家騒動。

(宮瀬茉祐子)宗教法人 幸福の科学に出家したことで話題となっている女優の清水富美加さんが新たにブログを開設したことが明らかになりました。開設されたブログは教団から与えられた法名 千眼美子名義で、メッセージや画像などの投稿はまだされていません。新しく開設したブログで清水さんがどんなメッセージを発信するのか、注目が集まっています。

(堀潤)ちょっと芸能に疎いんですけども。この件をきっかけに清水富美加さんを注目するようになったんですけど。なんか、きれいな方ですね。

(吉田豪)そして、ものすごい才能がある。バラエティーでも女優としても才能があったんでっていう。まあ、本も読ませていただきまして。

(堀潤)あ、例の本ですね。

(吉田豪)入手困難だと言われた。で、「暴露本」とか言われているんですけど、正直全然暴露本じゃないんですね。

『全部、言っちゃうね。』



(堀潤)へー。でも『全部、言っちゃうね。』っていうタイトルですよね?

(吉田豪)でも、全部言っている感じっていうよりは、言っちゃうと宗教宣伝本です。これは。

(堀潤)そうなんですか。

(吉田豪)あの、「洗脳騒動」みたいに言われてますけど、彼女はまずこの本でそれを否定しているんですよね。「洗脳をされたわけじゃなくて、そもそも芸能界に洗脳をされていた」って言っています。

(堀潤)なるほど。

(吉田豪)で、そもそも彼女は2世なんですよね。

(堀潤)親御さんがね。

(吉田豪)ご両親が信者で、ご兄弟も信者で。子供の頃から幸福の科学の漫画を読み、幼くして入信みたいなのをしているんで。だから、わかりやすく言うと2つの教えがバッティングして。で、小さい頃からの教えを選んだっていうことなんですよね。で、芸能界の方々がすごい彼女の批判をされているじゃないですか。いま。

(堀潤)ああ、そうですか?

(吉田豪)まあ、「仕事を途中でこんな投げ出すなんて!」みたいな感じで。あれ、絶対に逆効果なんですよ。そうやって仕事で追い込まれて、そこから救われたという人に対して「なんで逃げるんだ?」って言ったら……(笑)。

(堀潤)「それはあなたたちの価値観が違うからです」と。

(吉田豪)「あなたたちが間違っているんですよ!」ってなっちゃうだけなんで。で、彼女がなぜここまで追い込まれたかがちょっと僕、個人的にいろいろ聞いた話で。能年玲奈さんの騒動がやっぱり重なってくるんですよ。同じ事務所で。で、能年さんがいろいろあって仕事があまりできなくなって。

吉田豪 SMAPと能年玲奈(のん)事務所独立騒動を語る
吉田豪さんがMXTV『モーニングCROSS』に出演。SMAPと能年玲奈(のん)さんの事務所独立騒動について話していました。 TOKYO MX『モーニングCROSS』待機。エム...

(堀潤)ああ、能年さんと同じ事務所だったんですね。

(吉田豪)そうなんですよ。同じ事務所で同じ洗脳騒動が起きるという流れなんですけど。で、能年さんが仕事ができなくなったので、彼女自身すでに売れていたんですけど、能年さんに入るべき仕事が結構彼女に入った。で、キャパシティーをオーバーしていって。で、書き仕事とかそういうのもどんどんどんどん。だから事務所が推していたもんで入っていって、限界が来ちゃったと。

能年玲奈の仕事がどんどん入ってキャパオーバーに

(堀潤)まあ、事務所としては期待の1人の女優さんであり、タレントさんとして活躍してもらいたいという思いもあったんでしょうけど。それがどんどんどんどん、過剰、過密になっていったんじゃないか? と。

(吉田豪)ただ、事務所をフォローできる部分もあって。まあ、「給料が最初5万円だった」みたいなことがすごい報道されているんですよ。仮面ライダー時代。あれに関しては、僕も特撮のレギュラーをやっていた人の何人かから話を聞くと、「どうなんです? 儲かるんですか?」って聞いたら、「赤字です。ほぼノーギャラです」みたいな。名前を売るためにやる仕事なんで。その時代が安かったのを批判の根拠にするのはちょっと弱いんですよ。

(堀潤)まあ、最初からそんなガッポガッポもらえる話じゃないですもんね。

(吉田豪)そうです。特にものすごい過酷でいちばんお金にならないのが、その特撮のやつで。ただし経験になるっていう。

(堀潤)それこそ、先ほどのね、料理人の方のお話なんかも、最初は修行から始まって……っていう部分もあるよと。

(野田稔)最初からプレミアムフライデーはないんだよと。

(吉田豪)ただ、いろいろ読んで思ったのが、まあ本当に彼女が追い込まれていた時に救ってくれたのが、まあその幸福の科学だったということで。ちょっと読みますね。「生々しい話をすると、本当に事務所を辞めるとなると、映画もぶっちぎってPRもしないとなると、最低でも数億円は違約金の中に含まれてくるんじゃないか?って報道でも言ってましたけどレプロ(事務所)に要求されるお金はおそらく私に来ると思います。それをたった1人、こんな私、一人間の命を守るために、『たとえなにがあっても守ってあげるから。大丈夫だ』ということはどの事務所も言えないことだと思うんですよ」と。問題はそこなんですよ。たぶん。力のある事務所と戦えるのが、たぶんここぐらいしかなかったということなんですよ。

(堀潤)そうか。だから、なるほどね。まあ、たとえば一般企業で労働者がいろんな責任を負わされる時に、労働組合が動いてくれて、経営と向き合って交渉をしてくれたりする。芸能界にはそういう組合的なものっていうのがあまり存在しないから……。

(吉田豪)そうなんですね。もうちょっと平和な事務所に移籍して戦ってもらえるとかも、期待できないわけじゃないですか。

(堀潤)そうか。で、彼女の言い分を主張してくれる団体、勢力っていうのは他にいなかったんですね。

(吉田豪)そんな時に家族がそうだったら、そりゃあもう、行きますよ。だから、洗脳とかではないっていう気持ちはわかるんですよ。

(堀潤)そうか。まさに駆け込み寺なのかな?

(吉田豪)そうなんですね。ただ、彼女は本当に才能があった女優さんなんで。今後、だから彼女が幸福の科学の映画とかで活躍していくと言われているんですけど……それで、果たして満足できるのか?

(堀潤)そうですよね。

(吉田豪)そこになんかちょっとね、期待したい部分はあるんですけど。

(堀潤)うん。今度は幸福の科学も幸福の科学で、もっと彼女が間口広く活躍できるような関係を築いてほしいですよね。

(吉田豪)でも、たぶんもっと完全な宣伝に針を振った方になっちゃうと思うんで。そこが惜しい。もったいないっていう。

(堀潤)本当ですよね。でも、あれですよね。その、レプロの方々も会見を開いて、円満な方向に向かわせたいというようなことはありましたよね?

(吉田豪)どうなのかな?っていう感じですよね。

(堀潤)どう思います? 関口さん。ある種、働き方の問題にも関わってくる話でしょう?

(関口舞)うーん……ただ、まあ正直、その芸能界のビジネスモデルがあんまりよくわかんないですけど。

(堀潤)ああ、すごい大事な点ですね。

(関口舞)なんか1人の20代の女性が精神的に病んで、「もうできません」ってなった瞬間に何億円も損害が発生するようなモデル自体が結構すごい大変だなっていう……。

(吉田豪)収入はもっと安いのに、損害賠償はそのぐらいの額?っていう。たしかにCMとかをやっていたというのはありますけど。

(堀潤)たしかにアダルトビデオ業界でそういうものがひとつ大きな問題になって。

(吉田豪)あれも結局損害が大きすぎて辞められない。やらざるを得ないっていう。

(堀潤)で、業界としても自浄作用をさせなきゃ、みたいな話も出てきてますけれども。野田さん。これ、いまね、関口さんが「芸能界のビジネスモデルがよくわからない」っていう。たしかによくわからない中で、でも夢はあるし、活躍もしたい。だからポーンとまず飛び込む。でも、そこで見えるいろんなそういうスキームっていうのが、「えっ、こんな風になっていたのか!」って初めて気がつくっていう……。

(野田稔)あのね、ビジネスモデルだけじゃなくて、キャリアモデル的にもね、普通キャリアってある程度年齢を積んで、だんだんだんだん社会的価値が上がっていって。それに伴って給料が上がって、稼ぎが上がるっていう形じゃないですか。ところが、芸能界ってかならずしもそうなっていなくて。若い時にボーン!って売れちゃうみたいなことになると、キャリアがおかしくなりますよね。だから、ここをなんとかできないものなのかな?っていうのをすごく難しい。

(堀潤)でも、そういうのってスポーツ業界とかもそうなんじゃないですか? セカンドキャリアがなかなかね。

(野田稔)ちゃんとね、専門家が知恵を絞った方がいいような気がするな。これ。

(吉田豪)本当、「弱っている人はみんなここに来れば助かりますよ」みたいな本なんで。それ以外の助かる道をみんながいろいろ提示してあげないと危険だと思いますよ。

(堀潤)それこそね、芸能界の組合の話だったりとか。選択肢を様々揃える。どうも、ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

吉田豪 映画『We Are X』に出演していた話

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、X JAPANのドキュメンタリー映画『We Are X』に知らないうちに出演していた話をしていました。



(安東弘樹)さあ、毎月第一金曜日はプロインタビュアー吉田豪さん登場。よろしくお願いします。

(吉田豪)お願いします!

(玉袋筋太郎)お願いします! 大変だな、豪ちゃん。いろいろな。

(吉田豪)なんの話ですか?(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)どれですか?

(玉袋筋太郎)いやいやいや、いろいろ芸能界も大変じゃない。

(吉田豪)いろいろね。それ以外にもあれですよ。大変なことが。今日から、僕の出ている映画が公開されるんですよ。

(玉袋筋太郎)ええっ?

知らないうちに出演

(吉田豪)あの、Xのドキュメンタリーの『We Are X』っていうのが今日から公開なんですけども。知らないうちに僕が出ていたんですよ。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)知らないうちに?

(玉袋筋太郎)ギャラは? ギャラは?

(吉田豪)いやいや、全然そういうのは関係なく、知らないうちに。僕が出ているらしいっていう噂を聞いて試写会に行ったら、TAIJIさんっていうメンバーの方が亡くなったのを伝えるのが、『キラ☆キラ』で僕と小島慶子さんが話している音声っていう(笑)。

(玉袋・安東)おおーっ!

(玉袋筋太郎)どうなんだ?

(安東弘樹)じゃあ、小島さんも出ていると。

(吉田豪)そうです。

(安東弘樹)へー! ああ、そうか。ドキュメンタリーの映画だからそういうことになるんですね。

(吉田豪)そうです。クレジットとかはないですけど、ひっそりと出ていたんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)いいねえ、いいねえ! 銀幕デビュー。

(吉田豪)銀幕デビューですよ。

(玉袋筋太郎)声だけど(笑)。

(吉田豪)クレジットはないけど(笑)。感慨深いですよ。

(玉袋筋太郎)ねえ。いや、だからまあ、そう。出家とかな。

(吉田豪)出家騒動ね。

清水富美加 出家騒動

吉田豪 清水富美加(千眼美子)出家騒動を語る
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(玉袋筋太郎)出家騒動。どうなるんだろうね? 幸福の……。

(安東弘樹)あの、例の本は?

(吉田豪)もちろん読みましたよ。僕はタレント本好きとしては、告白本とか暴露本と言われる本の中では全然ダメなやつですね。もっと素晴らしいものがいっぱいありますからね。あれはテーマはやっぱり告白とかそっちじゃなくて、勧誘とかの感じですからね。

(玉袋筋太郎)まあ、そうだろうね。

(安東弘樹)ああーっ、そういうことですか。

(吉田豪)そうなんですよ。ちょっと求めるものではない感じの。

(玉袋筋太郎)だから俺、堀北真希もさ、引退したから。「あれも出家したのか?」って聞いたんだけど、出家ではないと。

(安東弘樹)では、ない。

(吉田豪)家に入った方の。

(玉袋筋太郎)家に入った。そうだ、そうだ。

(安東弘樹)あれは「入家」って言うんですか? わからないですけど。

(玉袋筋太郎)なんなんだろうね?

(安東弘樹)まあ子育てをね、がんばるということで。

(玉袋筋太郎)そうだよ。

(安東弘樹)本当にいろいろありますね。世の中ってね。それをつぶさにご覧になっている吉田豪さんという感じですが。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。

<書き起こしおわり>

吉田豪 アナウンサー志生野温夫と全日本女子プロレスを語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、全日本女子プロレスの実況などでおなじみのアナウンサー、志生野温夫さんについて話していました。

吉田豪さんの志生野温夫 さんインタビュー、すげー面白い!

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(安東弘樹)このコーナーでは豪さんがこれまでインタビューしてきた一筋縄ではいかない有名人の様々なその筋の話を聞いていきます。でね、今日豪さんに紹介してもらうのが、フリーアナウンサーの志生野温夫さん!

(玉袋筋太郎)出たー! びっくり日本新記録!

(吉田豪)鳥人間コンテスト!

(玉袋筋太郎)鳥人間コンテストがすごいんだから、あれ。裏話は(笑)。おもしれー話があるんだよ。

(吉田豪)事故が大量に起きますから(笑)。ああいうのは。

(玉袋筋太郎)そうよ、そう(笑)。

(安東弘樹)僕の感覚で言うと、本当に小さい頃からずーっと見ていた、聞いていたというイメージの志生野さんなんですけども。

(吉田豪)(笑)。言えないことを文字で言わない!

(玉袋筋太郎)(笑)。いま豪ちゃんとね、筆談してるんだけどね。

(吉田豪)そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)そうなんだってさ。

(吉田豪)昔のテレビはね、デタラメです! 本当に。

(玉袋筋太郎)そう! デタラメだ!

(安東弘樹)ということなんですね。あの、絶対に言えないやつですので。

(玉袋筋太郎)でも俺、志生野さん、先週ちょうど中野のブルちゃん。ブル中野さんのお店の6周年で飲みに行ってたら、フッと入ってきて。元気だったねー!

(吉田豪)そうなんですよ。ご高齢ですけどね、相変わらずダンディな感じで。

(玉袋筋太郎)ダンディですよ。

(安東弘樹)僕らのイメージのまんまというね。

(吉田豪)人当たりもソフトな感じなんですけど、発言はすごいですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)発言はすごいんだよ! もう、やっぱりいいよ。あそこまで到達した人だから。そんなことはないと思う。OK!っていう。

人当たりはソフト、発言はすごい

(安東弘樹)それを全部聞いた上で、志生野温夫さんのあらすじとその筋をご紹介します。1932年大分県生まれ。56年、國學院大學を卒業した後、日本テレビに入社。スポーツアナウンサーとして力道山がいた日本プロレスの実況。王、長嶋の全盛期の野球中継。日本初のプロゴルフトーナメントの生中継。数多くのスポーツ番組の実況を担当。「○○であります」調の実況で人気を博すと、72年にフリーアナウンサーに転身。その後は女子プロレス中継やびっくり日本新記録、鳥人間コンテストなどスポーツ番組にとどまらず、バラエティー番組に進出し活躍。84才になったいまも現役アナウンサー。リングサイドの歴史の証人、志生野温夫さんです。

(玉袋筋太郎)うん。

(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材による志生野温夫さんのその筋は、その1。力道山とゴルフの筋。その2。プロレスを知らずに放送していたから……の筋。その3。女子プロは怖い世界ではありましたねの筋。その4。常に怖い思い。放送中にいちばん気を使ったのは……の筋。その5。クラッシュギャルズ誕生の筋。その6。「志生野さん、新しい技よ」「そんなのわかるか!」の筋。その7。ピストル、三禁、25才定年制。松永兄弟の筋。今日は7本です。

(吉田豪)はい。

(安東弘樹)さあ、志生野さんは2014年にこのね、その筋の話にご出演。

(玉袋筋太郎)そうなんだよね。だから志生野さんはフリーになって、で、びっくり日本新記録とか鳥人間コンテストとか。なんかあっちゃ大変だっていうところに使われたって言っていたよね。

(吉田豪)そうなんですよね。フリーっていうのは便利屋なんですよね。

(玉袋筋太郎)便利屋だっつーんだから(笑)。

(吉田豪)問題が起きそうなところ、局アナがやるわけにはいかないもので使われたのが志生野さんだったんですね。

(安東弘樹)ああー。対応に困るというか、いろいろと。

(吉田豪)厄介な案件。

(玉袋筋太郎)それを志生野さんがやると。

(吉田豪)女子プロもそういうことだったらしいですね。当時はまだちょっと黒い感じもあったりとかで。

(安東弘樹)黒い感じ……。

(玉袋筋太郎)そりゃあ面白いよね。志生野さんはね!

(安東弘樹)でもね、さすが84才。力道山とゴルフって、歴史の教科書みたいなレベルじゃないですか?

(吉田豪)まあ今回、BUBKAでインタビューしてきたんですけど。志生野さん、力道山時代から日本プロレスの実況をやったと言いながらも、力道山の試合をやっていないんですよね。日本テレビができて3年目に入社して……なんで。まだ新人アナだったんで。だから金曜日になると街頭テレビの設置場所をマイクの前で紹介したりとか。あとは若手の試合をやるファイトメン・アワーっていう番組が後からできて。それの実況をやっていたんですよね。

(玉袋筋太郎)おおー。

(吉田豪)で、偶然力道山がいたんで、「力道山さん。ちょっと横で選手の紹介をしてくださいよ」って言って一緒にやったことはあるっていう。ただ、力道山とゴルフをやったことがあるというのがいちばんの思い出ですよね。

(玉袋筋太郎)すごいよなー。

(吉田豪)若い頃からゴルフの番組の実況をやっていたんで。だから、「志生野はゴルフをわかっている」っていうんで、「力道山がゴルフをやるから、誰か相手をしてくれ。志生野、お前がいい」って言われて。でも、ゴルフを実況したことはあっても、やったことはないらしいんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)「でも、いいんだ」っていうことでもって無理やり行かされて。で、力道山はやっぱりわがままだから、ちょっと前がふさがったりするとニューボールを取り出して。山の方とか他のところにビャーッと打ったりする。当時初任給が9500円ぐらいの時代にゴルフボールが1個360円したのをバンバンバンバン打って……みたいな。

(安東弘樹)そこも豪傑だったんですね。

(玉袋筋太郎)そうだろうな。で、志生野さん、野球もやっていてね。それで日テレを辞める時にたしか佐々木信也さんとなんかモメて辞めたんだよね。

(吉田豪)はいはい。らしいですね。

(玉袋筋太郎)そうだよな。

(安東弘樹)湘南高校の佐々木信也さん。そうですか。

(吉田豪)ちなみに、ゴルフと言えばいい話があって。当時、フリーになってからやっぱりゴルフの中継をやらせてもらったらしいんですけど。どういうゴルフの中継か?っていうと、全部黒い方面主催のトーナメントだったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

フリーアナウンサーの役割

(吉田豪)「なんで今回、僕なんですか?」って聞いたら、そういう人が主催者だからと。で、優勝賞金が1000万とか出るから、大物たちがみんな来る。オイシイから。でも、「いいよ、任せとけ!」っていうね。「そんなのは局のアナウンサーには放送させられないということで、僕がやっていたんですよ」っていうね。

(玉袋筋太郎)クロゴルフ! プロゴルフならぬ、クロゴルフ!

(吉田豪)それが普通にテレビで中継されていた時代っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そこにこの、襟足を伸ばした人とかが来てるわけだからね!

(吉田豪)昭和ですね。で、女子プロも「なんで局のアナウンサーにやらせないの?」って聞いたら、「こういうものはフリーのアナじゃないと」って言われたっていうね。そういう時代。

(安東弘樹)そういう時代なんですね。

(玉袋筋太郎)飄々とやったんだろうな。志生野さんのことだから。

(安東弘樹)そうでしょうね。淡々と、飄々と。

(玉袋筋太郎)そして、その2ですね。プロレスを知らずに放送していたからの筋ですよ。

(吉田豪)そうなんですよ。プロレスがどういうものか、わかっていなかったと。まあ、特にいまのプロレスを見る感覚とは全然違って。当時はプロレスを見て、人が死んだりしていたじゃないですか。お年寄りがショック死したりとか。

(玉袋筋太郎)そうだよね。ブラッシーの試合とか。

(吉田豪)そうです。「そういう見方はみんなしていたし、僕らもそう思っていた。楽しむところじゃなくて、本当に真剣勝負で死ぬか生きるかって思って。そういうのを知らずに放送していた」と。これはたぶん日本プロレス時代ですね。で、「女子プロをやる時はわかっていたんですか?」って聞いたら、プロレス担当じゃなくなった頃に、後輩の徳光和夫さんなんかが馬場さんにかわいがられていたから。ジャイアント馬場さんが麻雀好きなので、「志生野さん、ちょっと馬場さんが麻雀をやりたいって言うから、来てください」って言われて。よく馬場さんと麻雀をやっていたらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)おおっ。

(吉田豪)で、「もうプロレス担当じゃないから、直接プロレスのことをなんでも聞いたりできるんで。プロレスっていうものはこういうものなんだなっていうのはわかっていた」って聞いて。馬場さんにプロレスを教わった、人、いないですよ!

(玉袋筋太郎)いないな(笑)。

(吉田豪)なかなか。

(安東弘樹)しかも、こういうものだっていうことを教えてもらったわけですよね?

(吉田豪)麻雀しながら(笑)。

(玉袋筋太郎)しながらだよ(笑)。すっごい。よく聞いちゃったよね。それはね。

(吉田豪)まあ、外の人だからですよね。で、後輩の清水一郎アナっていう人がいて。その人が本格的にプロレスが好きで。で、よく言われたらしいんですよ。「志生野さん、プロレスっていうのはプロスポーツの原点。プロ野球なんかとは違うんだ。いかにお客さんを楽しませるか? 究極のプロスポーツで、お客さんをがっかりさせない。これがわからないようじゃプロスポーツをしゃべる資格がない」なんて言われて、酒飲みながら怒られて。で、その頃はまた志生野さんも志生野さんで。「いや、清水。プロレスなんか八百長だよ」って言っちゃっていたらしいんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)そしたら、「志生野さん、それは違うんだ」ってさんざん言われて。ちょうどその時に王さんが60周年の時に巨人軍の監督をやって優勝できなかったと。「ほら、見ろ! 志生野さん、みんなが期待して、でも王さんで優勝できない。これがプロ野球の限界だ!」とかね。「『プロレスはかならず絶対に優勝してファンを満足させる!』みたいなことを言われているうちに、だんだん僕も変わってきた」というね。

(安東弘樹)もうプロフェッショナルスポーツ、エンターテインメントとは何たるものか? という。そういうことですね。

(玉袋筋太郎)まあ、考えてみたらさ、そういう風に思って見ていたIWGPの第1回でね、猪木が負けちゃうとかさ。ああいったこともあるんだよな。

(吉田豪)舌を出して失神して。

(玉袋筋太郎)そうなんだよ! そういうことも裏切るのも猪木。なんで志生野さんから猪木の話になっちゃったんだろうな? すいません!

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)いやー、だけどやっぱり女子プロだよね! もう本当に。

女子プロレスの恐ろしい世界

(吉田豪)女子プロは本当にただのショーじゃないっていうのが、選手から話を聞けば聞くほどわかる恐ろしい世界で。

(玉袋筋太郎)恐ろしい世界だよ!

(吉田豪)それが、その3ですね。

(玉袋筋太郎)女子プロは怖い世界ではありましたねの筋。

(吉田豪)そうなんですよ。ビューティ・ペアでブームが来て、ワーッと若い選手が入ってきた。あの時に入ってきた若い子はたぶんプロレスのそういう演出みたいな部分はみんな知らないで入ってきて。最初は全女も本当の新人が必死にフォールを取りに行くのが売りで、それをやらせていた。いわゆる”押さえ込み試合”っていって、全女は本当に特殊なんですよね。よくいろんな選手に話を聞いてもわかるんですけど、たぶん全世界で全女しかないと思うんですよ。賭けが成立するプロレスっていう。

(玉袋筋太郎)ああーっ!(笑)。

(安東弘樹)ああ、ある意味。逆の意味ね。賭けが成立する。

(吉田豪)団体内で賭けやっていたらしいんですよね。全女のスタッフの人たちがどっちが勝つか? で賭けをやっていたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)普通はコレかコレなんだけどね、そうじゃないんだから。

(吉田豪)それが成立するようなプロレスをやっていた特殊な団体で。で、それをやっているうちにだんだん選手もプロレスっていうのがわかってくると。で、「俺みたいなもんですよ。うんと練習して体を鍛えて大きい技を受けたりしてお客さんを満足させるプロスポーツなんだと選手も自覚して、盛り上がる試合をできるようになっていく。ただ、女の子っていうのは男と違ってどこか度胸がいいっていうか。受け身がまだできもしない時に、いきなりパイルドライバーとかバックドロップをやって、何人も亡くなっているんですよ。当時の女子プロの新人は。男子プロレスと違って、女子プロは怖い世界ではありましたね」っていう。

(玉袋筋太郎)そういう話だよな。志生野さんから聞いたよ。俺も、それは。やっぱり怖い世界だよね。まあ、少女たちは夢を持って、憧れて来るんだけど、その中がね。

(吉田豪)お互いにわざと嫉妬させて、その感情をリング上でぶつける。しかも両サイドを嘘ついて煽ったりしながらっていう。

(玉袋筋太郎)それが松永兄弟ですよ! 後から出てくるね。

(吉田豪)そうなんですよ。あくまでリアルな戦いをリング上でできるのがっていう。

(安東弘樹)ブルさんも言ってましたもんね。

(玉袋筋太郎)言ってた! さあ、その4に行きますか。

(安東弘樹)常に怖い思い。放送中に気を使ったのは……。

(吉田豪)「選手同士も感情的になってモメやすいし、団体も利用していた。クラッシュギャルズもやっぱり最後の長与千種とダンプ松本の試合なんかもそうで。徹底的にやる。だから放送していていちばん気を使ったのは、誰か死ぬんじゃないか?っていうことですよね。流血はいいんですよ。しょうがないから。フジテレビも嫌がったんだけど。流血は放送できないから。だけど、誰かが首の骨を折ったり。たくさんあったじゃないですか。宇野久子とか」って。これ、北斗晶ですね。

(玉袋筋太郎)北斗晶だよ。

(吉田豪)たしかに、そうなんですよ。まだ全然新人の時にすごい危険な技を仕掛けられて首を折っちゃって。僕もダンプさんから話を聞いたんですけど、最終的にはエスカレートしていって、包丁を持ち込もうとして止められたっていう。

(玉袋筋太郎)ダメだよ、包丁は!

(安東弘樹)それはプロレスじゃないです、もう。

(吉田豪)プロレスじゃないし、そんなのをテレビで中継できるわけないじゃないですかっていう。

(玉袋筋太郎)それを実現したのが上田馬之助の馬カラスだよね。

(吉田豪)ありましたね。

(玉袋筋太郎)馬カラスが出刃包丁を持ってリングに入っていたっていう。「包丁はダメだろう!」っていう(笑)。

(吉田豪)「廃人になる一歩手前まで行くような事故が続出していたから。でも、長与千種は一歩も引かずにそういうのを押し進めた。僕はすでに50代になっているから、『若い子がこんなのやっちゃいけない』っていうんで、常に怖い思いで放送をして」。

(安東弘樹)そういう、本当に怖い思いでやっていたんですね。

(玉袋筋太郎)親心だろうね。そういう気持ちがあるんだね。

(吉田豪)長与さんとは何度もぶつかってきたっていうね。

(玉袋筋太郎)これなんだよ。クラッシュギャルズ誕生の筋。

(安東弘樹)あのビューティ・ペアが辞めた後か。

(吉田豪)そうなんですよ。ビューティ・ペアが辞めて、フジテレビとしても本当に人気がドーンと落ちたんで、もう1回ブームを作ろうとした。これまたフジテレビっていうのも特殊で、フジの運動部じゃなくて、芸能部が中継をやっていたんですよね。だから、歌わなきゃ放送できないんですよ。

(玉袋筋太郎)ああーっ!

(吉田豪)だから、次々と誰を歌わそうってなっていて。ビューティ・ペアが解散した後も、いろんな人。ミミ萩原さんとかを歌わせたんだけども、どうもパッとしないということで、クラッシュギャルズを作ったという流れなんですけど。まあ、そういう時期にちょうどタイミングよく全日本のタイトルをかけて飛鳥と千種のシングルマッチがあったんですね。で、長与さんは当時、自分の思うようなプロレスができなくて引退するかどうか?っていう時にこういうチャンスが与えられて。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。

(吉田豪)タイトルマッチを後楽園ホールでやって。その時に長与さんが飛鳥に「決められた通りの試合はやめよう」と。ここから本当に志生野さんの発言ですけども。「飛鳥が勝つっていうのは千種も納得していたと思うんです。同じ負けるにしても、決まった通りのアレはやめよう。今日の試合は私は何でもやるから、飛鳥も何でもやっていい」と。

(玉袋筋太郎)それでブレイクだよ!

(吉田豪)「ギリギリの試合をやった結果。当たりの強いすごい試合をやって。それで、ファンをひきつけて千種に注目が集まって。後楽園ホールでハッピを着て千種を応援するファンが来るようになって。それを松永兄弟とかフジテレビは見逃さなくてクラッシュギャルズを作って、『炎の聖書(バイブル)』が大ヒット」という。

(玉袋筋太郎)いやー、クラッシュはすごいね。やっぱりね。そりゃあ飛鳥の方がレスターとしてはね、最初はリードしていたもんね。

(吉田豪)スターでしたからね。

(玉袋筋太郎)スターだからさ。それをひっくり返す長与千種!

(吉田豪)雑草として育てられた人が化けちゃったっていう。

(玉袋筋太郎)なあ! これはたまらねえ。

(吉田豪)そして、その6ですね。

(玉袋筋太郎)かならず技の名前を言えないっていう。

(吉田豪)そうなんですよ。当時、もう有名でしたからね。志生野さんが技を知らないっていうのは。当時本当、僕らも見ていて思ったじゃないですか。「おおっと、ロープに投げて……ぶつかったー!」っていう(笑)。

(玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)「ぶつかった!」ってなに?っていう(笑)。すごいプリミティブな実況をするんですよ。だってダンプ松本のことを「おデブちゃん」って言ったりするんですよ。

(玉袋筋太郎)いや、だけどそれもまた志生野さん、言っていたよな。そんなにすぐに技を覚えさせちゃダメだ。言っちゃったらダメだ。少しずつ、自分が「なんだっけ、なんだっけ」っていうのを見ている人が。どんどんどんどんそれが吸収していって、最終的に技の名前を言うみたいな。

(吉田豪)っていうのは言っているんですけど、まあ今回のインタビューでは言っていましたね。「千種が出す技についていけないのはアナウンサーの俺ぐらい」っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)開き直っちゃったよ(笑)。

(吉田豪)「あいつは男子のプロレスとかをずっと見ているから、関節技とか男子の新しい技をすぐに使う。俺はどっちかって言うと男子が使っている技は絶対に使っちゃダメよというぐらいで……」。ジャガー横田さんの教えで、志生野さんもそういう考えで。でも、千種さんはその逆だったんで。「……そういうのを使われるから、俺が参っちゃうんですよ。だからしょっちゅうケンカして。『この前、私が使った技は志生野さんの放送とは違う、新しい技よ』って言っても、『バカヤロー! そんなの、わかるか! お前、次々に技を売り物にするな。女子プロってそういうものじゃないだろ?』なんて言い合いになっていた」というね。

(玉袋筋太郎)いい時代ですよ、これ。

(吉田豪)でも、当時はそうやってモメていたのが、「いまの千種のプロレスは大好き」って志生野さん、言っていて。なんでか? と思ったら、「いまはもう体もついていきませんから、昔の技を出してファンを喜ばせるんですよ」っていうね。「だから、いまのお前が好きなんだ!」って言ってるというね。また志生野さんがここからすごい踏み込んだ話をし始めて。「僕ら、力道山の頃に育った古いアナウンサーだから、試合の最後、今日は何で決めるとかを絶対に聞いちゃいけなかったんですよ。力道山にそんなことを聞いたら跳ね飛ばされる。でも、若いアナウンサーたちはいい悪いじゃなくて、控室で選手をインタビューして、平気で聞けるんですよ。会社にも聞くんです。『今日はどっちが勝つんですか?』とか。最後の技とか。『今日、新しい技を使うから見ていて』『なんて言えばいいの?』なんて、そういう取材をしてバチッとやるっていうのがいまの若いアナウンサーたちで。それが恥ずかしいことじゃない。でもね、こっちとしては何もわからないから実況中継をしていても面白い。ちょっと外に立ってスポーツを見るのが基本姿勢だった。でも、後輩の人たちは徹底的に取材して『○○が決まったーっ!』って言える。そういう時代になった」。最初に出た技をいきなり言えるっていう。

(玉袋筋太郎)ジャストミートできるっていうことなんだね! ジャストミート!

(安東弘樹)個人名が書いてありますけどね(笑)。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)できたんだな、それが。番記者(バンキシャ)ってことですね(笑)。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)バンキシャですね。私も何年間か一緒の番組をやりましたけども。

(玉袋筋太郎)さあ、そしてその7。ピストル、三禁、25才定年制。松永兄弟。もう、これに尽きるよね。

(吉田豪)はいはいはい。専門用語が次々とね。松永兄弟は全女でピストル、三禁、25才定年制を提唱したっていうね。

(玉袋筋太郎)まあ、厳しいルールだよ、これ。

(吉田豪)ピストルっていうのが、さっき言ったような押さえ込みとかの、いわゆるシュートファイトですね。三禁が……。

(玉袋筋太郎)男、酒、タバコ。

松永兄弟伝説

(吉田豪)そうですね。で、松永兄弟について聞いたんですよね。そしたら、「僕らが接したスポーツ界の人間とは異質だった。独特の語感があって、ジャッキーとマキを戦わせて負けた方が引退っていうね。全盛時代にそういうカードを組んで、武道館で2人をシングルマッチで……」。押さえ込みでやったんですよ、これね。

(玉袋筋太郎)ああ、これ押さえ込みなんだね。

(吉田豪)ピストルで。で、マキを辞めさせた。

(玉袋筋太郎)マキなんか試合中、引退したくねえから何回も返したっていう。返しちゃって、返しちゃって。試合が長引いちゃたんだよ、あれ。

(吉田豪)で、「なんでそんなカードを組んだのか?」って聞いたら、「ギャラが高いから」っていうね(笑)。2人でいると高いから、1人辞めさせた方がいいみたいな。

(玉袋筋太郎)松永兄弟、恐るべし!

(吉田豪)で、それで1人いなくなって、人気が落ちて、テレビの視聴率は苦しかったんだけど、興行的には全然落ち込んでなかったらしいんですね。だから、「いつでもテレビと縁を切っていいんだ」っていう感じで松永兄弟は言っていたと。

(安東弘樹)頼らなくてよかったんだ。

(吉田豪)全然。だから、「あの3人はなんとも言えない魅力を持った経営者だったけど、僕がとてもついて行けるような常識人ではなかった」という。

(玉袋筋太郎)まあ、興行師なのかな? やっぱな。

(吉田豪)完全にそうですね。

(玉袋筋太郎)そうだよな。

(安東弘樹)生粋のっていう感じですね。

(吉田豪)デタラメな。だから、最終的には潰れちゃうわけですけど、全女がダメになった直前ですね。会社が潰れる前に、なぜか志生野さんがコミッショナーをやっていたんですね。

(安東弘樹)えっ、志生野さんがやっていたんですか?

(吉田豪)そうです。全然ただのアナウンサーっていうか、外の人じゃないんですよ。中の人になっちゃって。潰れる寸前で、「やれる人がいなくなったから」っていうことでたのまれて引き受けた結果、債権者たちが何かあると志生野さんを狙うわけですよ。「志生野を呼べ! コミッショナーだろう?」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)植田じゃないんだね。

(吉田豪)デイリーの植田さんじゃなくなって。で、目黒の全女の事務所があったんですけど、それを売り払う前にも債権者なんかがいつも来ていた。でも、松永会長がなにがすごいって、債権者が来ても「もう金はねえんだから、何でも持っていけ!」と。で、ヤクザに「バカヤロー! 殺すぞ!」なんて脅されても、「殺してもらって結構だ! 俺は早く死にてえんだ!」っつって。債権者なんか全然怖くないっていうね。で、ましてや銀行なんか相手にもしないっていうね。いくら銀行に金借りて、銀行が取りに来たって怖くもなんともないという。

(玉袋筋太郎)うーん。

(吉田豪)で、別ルートで聞いたんですけど、銀行の大事な話し合いにミゼットレスラーを同行させたりしていたっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)これがいいねえ! 誰だったんだろうな? リトルなのかな?

(吉田豪)深刻は話し合いに(笑)。

(玉袋筋太郎)いるんだな、そこに。

(吉田豪)ちょこんと座らせておくっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだよ。まあ、だけどその松永帝国も滅びちゃったわけだもんね。

(吉田豪)そうなんですよね。「ある時から株に興味を持つようになって。会長も俊国さんっていう弟さんとかも興行をちょっといい加減にした。だから、暴走した挙句、ぶっ潰れた。でも、いかにも全女らしい生き方で、あんな人たちじゃなきゃ、ああいう黄金時代は作れなかったし、僕はあの3人が本当に大好きでした」っていうね。

(玉袋筋太郎)素晴らしいんだよ、これ。やっぱり映画化決定だな、これも。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)でも、すごい。最終的には「大好きでした」と?

(吉田豪)いや、本当に大絶賛でしたね。魅力的でっていう。

(玉袋筋太郎)うん。いやだから、あの頃の松永さんももうちょっと話を聞きたかったもんね。

(吉田豪)1回インタビューして、イベントもやったんですけど。亡くなる直前、もう1人で歩けないような時期でも元気でしたからね。言っていることは。デタラメな(笑)。

(玉袋筋太郎)そこにまた、阿部四郎っていうね、レフェリーもいるわけだからね。

(吉田豪)極悪レフェリーね。正確には興行師なんですけど(笑)。興行師を極悪レフェリーとしてリングに上げちゃうっていうのがまずデタラメじゃないですか。

(安東弘樹)すごいですね。

(吉田豪)興行の世界の人っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。極悪レフェリーだから、もう極悪同盟の方にみんな味方するんだよね。

(吉田豪)カウントが速くてね。

(玉袋筋太郎)そう。カウントを速くして。そしたら、コミッショナーが本気で怒ったっていう。

(吉田豪)コミッショナーがプロレスを知らなかったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)知らなかったっていう(笑)。で、阿部さんが給料がもらえなかったっていう(笑)。

(吉田豪)「なんでそんな悪いことをするんだ、お前は!」っていう(笑)。

(安東弘樹)すごい世界だったんですね。本当にね。

(吉田豪)すごいんですよ。で、松永兄弟も興行ではそういう黒い人たちにお世話になっているけど、親分とかヤクザとケンカしたりするらしいんですね。「売上の何%か持って行かれるのは腹が立つ!」って言って(笑)。で、最終的には後楽園ホールでヤクザと壮絶な殴り合いをやったりとかするという(笑)。「ボクシングをやっていたから、平気なんですよね」っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。ボクシングをやっていたから。松永兄弟。

(安東弘樹)いろんな意味で打たれ強いんですね。

(玉袋筋太郎)まあ、でも志生野さんは本当に歴史の生き証人でね。本当にやっぱり、びっくり日本新記録から、鳥人間コンテストの話なんて聞くと、またコクがある話がいっぱい出てくるのよ!

(吉田豪)まだまだ話、持っていると思いますよ。

(玉袋筋太郎)持っているよね。絶対に持っている。

(安東弘樹)いやー、一見本当におだやかな、優しそうな感じの方ですけどね。

(吉田豪)「これはちょっと載せてほしくないんだけど……」って言いながら、本当に物騒な話もいろいろ聞いて。

(玉袋筋太郎)その興行先でさ、やっぱりそういう人たちに挨拶しなきゃいけないところにかならず連れて行かれたとかね(笑)。

(吉田豪)はいはいはい。まあフリーアナっていうのはそういう意味なんですね。

(安東弘樹)なるほどね。それを聞くと、フリーアナウンサーって大変だなと思いますけども。

(吉田豪)それと当時の全女っていうのはいろんな芸能人のゲストの方がね。

(玉袋筋太郎)そう。小野ヤスシさんとかさ、鈴木ヒロミツさんとか。

(吉田豪)そういう人たちも一緒に居座ってっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)また濃い名前が出てくる、出てくる。

(玉袋筋太郎)いかにも!っていう感じだよね。クロゴルフにも精通してそうだよね。その人たちね(笑)。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)ああ、面白かった。

(安東弘樹)この志生野温夫さんのインタビューは現在発売中のBUBKA4月号にたっぷりと掲載されています。そして、3月14日発売の別冊Quick Japan 3月のライオンと羽海野チカの世界で羽海野チカ先生のインタビューのお仕事もされているという。

(吉田豪)はいはいはい。そうですね。

(安東弘樹)そして、3月29日発売の別冊カドカワであの大谷翔平選手にインタビューをしていると。

(玉袋筋太郎)すげー!

(安東弘樹)またいつもとちょっと違う雰囲気のインタビューですね。これは。

(吉田豪)僕、野球を全然知らないんですけどね(笑)。

(安東弘樹)野球を知らないのに、そもそもこんな、まだハタチちょっとぐらいの若い野球選手を……?

(吉田豪)しかも、大谷選手って無趣味で有名なんですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。どう崩すか? まあ、豪ちゃん、違う方の二刀流は詳しいですけどね。そっちの人はね。

(吉田豪)そっち方面はね、得意分野ですけども。伊達に(新宿)二丁目には住んでいないっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)この野球の二刀流とどう対峙するか?っていうね。

(吉田豪)手探りな感じを味わってください。

(玉袋筋太郎)うん。最高、最高。

(安東弘樹)お知らせはこんな感じですか?

(吉田豪)そうですね。

(安東弘樹)吉田豪さん、次回の登場は4月7日でございます。今日はありがとうございました。

(吉田豪)どうもです!

<書き起こしおわり>

吉田豪と玉袋筋太郎 赤江珠緒送り出し会を語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』にゲスト出演。玉袋筋太郎さんと赤江珠緒さんの送り出し飲み会についてトークし、山里亮太さんの受けの素晴らしさやピエール瀧さんの暴れっぷり、赤江珠緒さんの付き合いのよさなどについて話していました。



(玉袋筋太郎)もうね、豪ちゃんが来ると1月、早いなって感じするよね。

(吉田豪)ですね。

(玉袋筋太郎)どうですか? 最近は、なんか。面白いニュースありますか?

(吉田豪)ニュース? とりあえずあれですよね。本当に先週の『たまむすび』会。赤江さんを送る会。

(玉袋筋太郎)豪ちゃんも結構早い時間から来たもんな。

(吉田豪)いや、玉さんがいちばん早いですからね。誰よりも。

(玉袋筋太郎)俺は早いんだよ。もうちょっと送らせて来りゃいいんだよ。あれ。絶対遅れて来たほうがね、みんな「ワーッ!(拍手)」ってやってくれるんだけどね。いきなり最初からいるからね。乾杯から。

(吉田豪)そして、誰よりも酒に酔っ払うっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)これがダメ(笑)。

(安東弘樹)そして最後までいるっていうね。

(玉袋筋太郎)最後までいる。それでお店に寝て帰ったっていう。大変だよ。そっから体調壊しちゃって。

(安東弘樹)もう1週間、1ヶ月早いですね。本当にね。

(玉袋筋太郎)早いなー。

(吉田豪)もう途中から完全に山里さんとかに向かって「山里! 天才!」とかもう、ずーっと(笑)。「何言ってるんだ?」っていう話しかずっとしてなかったですよ(笑)。

天才・山里亮太

(玉袋筋太郎)「お前は天才だ!」って。天才じゃない人に「天才だ、天才だ」って言っていたっていう。

(安東弘樹)いやいや、「天才」って思っているからこそ出るんですよね。

(玉袋筋太郎)山里の方は俺に絡まれて「人災だ」って思っていると思うよ。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)上手い!

(玉袋筋太郎)これだ。座布団、寄越せ、寄越せ、寄越せ(笑)。

(吉田豪)相当人災でしたよね。次々と絡まれて。絡まれ役として。

(玉袋筋太郎)そうなんだよ。山里、やられてたよね(笑)。

(吉田豪)天才でしたよね。あの受けは。

(玉袋筋太郎)受け身はすごいね。あれは。

(安東弘樹)別に仕事ではないのに。

(玉袋筋太郎)ないのに。

(吉田豪)瀧さんの攻撃を全て受けきってましたよ。

(玉袋筋太郎)そう。瀧、ハードだね!

(吉田豪)ハードでしたね。当たりが強いんですよ。

(玉袋筋太郎)当たりが強い。だって、恐喝してたもんね。

(吉田豪)そう。恐喝です。歌いながらの恐喝タイムっていう。

(玉袋筋太郎)歌いながら恐喝っていう。

(吉田豪)まあ、僕も1枚出しましたけども。

(玉袋筋太郎)まあチップね。ご祝儀よってことですよ。

(吉田豪)まあ、飲み代ですけども。山ちゃんは3枚出してましたからね。「1枚で終わるわけねえよな、お前な!」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。あれは『凶悪』だったね。まさに『凶悪』な瀧。

(安東弘樹)山里さんも結構な歳になっているはずなんですけどね。

(吉田豪)まだそういう目にあい続けるっていう。

(玉袋筋太郎)それでもね、山里。ちゃんと3枚置いたもんな。払った、払った。

(吉田豪)でも赤江さんの付き合いの良さもすごいですよね。

(玉袋筋太郎)ヤバいよ。本当に、1日であんなジンジャエールを飲んだ人は俺、見たことない。

(吉田豪)すごいですよ。お酒も飲んでないのに。周りがどんどんヤバいテンションになっても、ひたすら付き合い続ける。

(玉袋筋太郎)そうだよな。あの安定感。やっぱり強さだな。そこが赤江さんの強さだったんだな。

(安東弘樹)愛される秘密でもありますよね。

(吉田豪)ええ。

(玉袋筋太郎)ありがとうございます、赤江さん。

<書き起こしおわり>

吉田豪 羽海野チカを語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。漫画『3月のライオン』や『ハチミツとクローバー』の作者、羽海野チカ先生について話していました。



(安東弘樹)さあ、このコーナーは豪さんがこれまでインタビューしてきた一筋縄ではいかない有名人の様々なその筋の話を聞いていきます。今日、豪さんに紹介してもらうのは、現在公開中の映画『3月のライオン』の作者、漫画家の羽海野チカさんです。まずは羽海野チカさんのあらすじとその筋をご紹介します。漫画家、羽海野チカさんは東京都足立区生まれ。グッズデザイナー、イラストレーターなどを経て2000年、美術大学を舞台にした『ハチミツとクローバー』で漫画家デビュー。デビュー作の『ハチミツとクローバー』が2005年にアニメ化。2006年には映画化。2008年にはドラマ化。しかも大ヒットしております。2007年からはヤングアニマルにて高校生棋士を主人公にした『3月のライオン』の連載をスタート。現在、神木隆之介さん主演で映画化され大ヒット公開中。そんな人気漫画家、羽海野チカさんです。

(玉袋筋太郎)うん。

(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材による羽海野チカさんのその筋は……その1、いまならトークイベントもできる。豪さんのカウンセリングの筋。その2、ついに孫登場? 実年齢とは関係なく、思春期全開の筋。その3、学生時代は恐ろしい話と悲しい話のみの筋。その4、理想はあぶさん。羽海野先生の恋愛観の筋。その5、Twitterでカウンセラー増加の筋。その6、一石二鳥。『3月のライオン』は羽海野チカの筋。その7、「やっといて」と言えないので……アシスタントの力関係の筋。その8、豪さんのインタビューには物騒な話を……の筋。以上、これ最多かな? 8本の筋。

(玉袋筋太郎)だけどこれだけさ、すごい原作が当たっちゃって。ドラマ化、映画化されているってもうなんかさ、幻想としては女・梶原一騎的な感じだよね。だって。

(吉田豪)(笑)。成功者っていうね。

(玉袋筋太郎)もうなんでも当たっちゃって。どういう人なんだろうね。もうウハウハの生活をしてるわけでしょう?

(安東弘樹)まあ、言うたらそう……。

(吉田豪)と、思われるかもしれないですけども。

(安東弘樹)で、その1なんですけども。いまならトークイベントもできる。豪さんのカウンセリング。これ、どういうことですか?

吉田豪のカウンセリング

(吉田豪)いま出ている『クイック・ジャパン Special』っていうのと、『FRaU』っていう女性誌で羽海野チカさんをインタビューしたんですが。実は2005年に僕、『クイック・ジャパン』と『CONTINUE SPECIAL』っていうのでインタビューして。そしてイベントも1回、やっているんですよ。でも、会うのは10年以上ぶりっていう状態で。

(玉袋筋太郎)10年だもんね。

(吉田豪)そうなんですよ。ちなみにそのトークイベントもすごい特殊な形で。羽海野先生って顔出しをしないんですよ。で、年齢もミステリーなんで、熊のぬいぐるみを横に座らせて、別室からマイクでしゃべって。僕が熊のぬいぐるみとイベントをやるっていう。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(安東弘樹)ああ、私の好きなNHKの番組に近い感じで?

(吉田豪)そんな感じですね。

(玉袋筋太郎)でも豪ちゃんはもちろん素顔は知っているわけだもんね。

(吉田豪)もちろん、もちろん。

(玉袋筋太郎)不思議だよね。

(吉田豪)で、実は今回、10年以上ぶりに会って。その時も以前インタビューした『CONTINUE SPECIAL』っていうのを持ってきていて。「このカウンセリングのおかげで私はだいぶ変わった」っていう。

(玉袋筋太郎)「カウンセリング」(笑)。10年前の豪ちゃんのカウンセリング。

(吉田豪)そうなんです。「カウンセリング・インタビュー」って言われだしたのって僕、羽海野先生きっかけでもあるんで。当時は本当、山ほど資料を持っていって、それをカルテのように見ながらいろいろと話を聞いて。「睡眠時間はどうなんですか?」とか「全然それで大丈夫ですよ」とか、優しく肯定していくようなことをやり続けていたんですよ。

(安東弘樹)なるほど。肯定ね。

基本、ものすごいネガティブな人

(吉田豪)そうです。で、羽海野先生は基本、ものすごいネガティブな人で。「そういうネガティブな話っていうのは人に言ったら引かれるからしちゃいけない」って思っていたらしいんですね。ずっと。ただ、僕は羽海野先生のネガティブさっていうのが一回りして異常に面白くて。聞く度に爆笑してて(笑)。「最高じゃないですか、その話!」って言って。それを全部原稿にも載せて。「そういうようなダメな話っていうのは隠さなくてもいい。実は意外と笑いになったりするんじゃないか?」っていうのを覚えて生きるのが楽になって。

(玉袋筋太郎)ああーっ!

(吉田豪)それまでは本当に筋肉少女帯が人生の支えで……みたいな人だったのが、トラウマを笑い飛ばしたことで。さらに、作品がアニメ化されたことで、いろいろ声優さんとかで人間関係が広がっていって。そこで友達ができて、「遊びにおいでよ」とか言ってくれる人ができて。「海外旅行にも行けるようになったんです!」みたいな。「あれぐらいから私は変わったんです」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)もう吉田先生ですな。本当に。

(安東弘樹)ですね。吉田豪さんの完全肯定がきっかけで、いろんな社会活動を。

(吉田豪)そうですね。その時期から人間関係もいろいろ広がって、全てが上手く行くようになったんです、みたいな。で、実は今回、『FRaU』の編集者からのメールで「羽海野さんは『吉田豪さんじゃないとロングインタビューを受けない』という話があります」って来て爆笑して(笑)。「なんだ、それ?」っていう。そしたら実は、この日は1時間の
インタビューを2本連続だったんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。すごい! いや、ものすごい信頼されているよ、豪ちゃん。これは。

(吉田豪)で、なにかと思ったら、「まだ『3月のライオン』ではカウンセリングしてもらっていないので、成長した私を見てもらいたいと思った」っていうね。

(玉袋筋太郎)へー!

(安東弘樹)いい話じゃないですか!

(吉田豪)たまにはいいことするんですよ、僕も(笑)。

(安東弘樹)これ、なんか『たまむすび』っぽくない……(笑)。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)全くそれで梶原一騎的でもねえしね。

(吉田豪)全然ないです。ゼロです。

(玉袋筋太郎)全然ないんだね。

(安東弘樹)で、そのさっき年齢非公開っていう話をしましたけども。ついに孫登場ってこれ。実年齢と関係なく思春期全開。

年齢非公開

(吉田豪)そうですね。年齢も公表してなくて、ご結婚もしてなくて。「一体いくつぐらいだと思われているのかな?」っていう話をしていて。「漫画の読者の中では、たぶん若いと勝手に思っているはずで。年齢を発表しないで来ちゃっているから、いつ言えばいいのかと思って……」と。もともと少女漫画を描いていたので、その時は同時代性を必要としていたから隠していたんだけど、いまはもういつ言っても構わないという状態で。その後に言っていたのが、休載とかが多いらしくて、よく「なんで休むんだ!」とか言われるらしいんですけど、「私ね、君のお母さんよりも年上なんだよ……」っていう(笑)。「体が辛いの……」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)ああーっ! そんなところにヒントが隠されているわけね。

(吉田豪)ヒントを言うと、僕よりも上なぐらいですね。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(安東弘樹)『3月のライオン』、僕、アニメとか見ていましたけども。えっ、ああ、そうなんですか!

(吉田豪)ただ、年齢を超えたかわいらしさのある人。で、年齢を超えた思春期感のある人なんですよ。

(玉袋筋太郎)じゃあ、タイでタイ人の男性と付き合っていたあのおばあさんみたいな人だね。60才の……。

(安東弘樹)倍の年齢のね。きっちり倍でしたからね。

(玉袋筋太郎)あれ、すごい。笑っちゃった。へー、そうなんだ!

(吉田豪)で、最近会う人が年下ばっかりになってきて。仕事をする声優さんも10年前と違って、今回は本当に自分の子供世代になり。で、『3月のライオン』の主題歌を歌うぼくのりりっくのぼうよみさんはついに孫世代登場!っていうね。

(玉袋筋太郎)そこで孫だったんだ。年齢的にね。

(吉田豪)ただ、「この思春期感は本当に治らない」って言っていて。Twitterが本当にもう、常に悩んでいるんですよ。昨日、今日ぐらいもずっとまた悩んでいて。どうでもいいことなんです。正直。棋士が何段とかあるじゃないですか。何段の数字部分を漢数字じゃなくしちゃったことで。「ちょっとそれ、違いますよ」みたいに指摘されてからヘコみ始めちゃって。「私はなんてことをしてしまったんだろう……」みたいな。基本、そういう人なんですよ。

(安東弘樹)そうかそうか。

(吉田豪)で、ある日も「新宿の世界堂という画材屋さんの前で、お金を持ってこないで来ちゃって。タクシー代もない。画材も買えない。『どうしよう?』って思って途方に暮れて立ち尽くしていた」みたいなことを書いていて。「近所だから言ってくれれば僕、お金貸しますよ。すぐに行きますよ!」って言って。そういうことがすごいよくあって。「新宿で力尽きて。お腹がすいてお店に入ろうとしたけど、ちゃんとしたお店に1人で入ったことがない。カフェとか入ったら死んじゃうし……」っていう。

(玉袋筋太郎)なんで?(笑)。

(吉田豪)緊張しちゃうらしいんですよ。「カフェ、怖い」っていう。「喫茶店しか入れないんですよ。カフェに入ったら死んじゃうので」って。

(安東弘樹)ああ、そういうことか。喫茶店は入れるんですね。

(吉田豪)そうなんですよ。ちょっとおしゃれなところっっていうのがもう怖くて。「無理です!」って。

(玉袋筋太郎)ああー、わからなくもないんだ、そこは。

(吉田豪)「表参道ヒルズのそばに用事で言ったら、入れる店がない。『タリーズなら……』って思ったら、すごいおしゃれなタリーズで『これは無理』って思って撤退しました」みたいな。そういう人なんですよ。

(玉袋筋太郎)ああーっ! そういう部分があるから、作品に出てくるのかな。なんかね。そのシャイさというか。

(吉田豪)ただ、『ハチミツとクローバー』っていうのが実はリア充のおしゃれな恋愛漫画だと思われていたわけですよ。美大を舞台にした。それで、「こんな美大、ない」とか叩かれたりとかしていたんですよ。実はもうそれがそもそもの誤解で。羽海野先生自身はおしゃれしたこともなく、友達もいたことがなく、美大に行ったこともない人がそういう憧れを込めて描いた作品だったんですよ。私が味わったことがない世界を。そしたら、おしゃれ漫画ってレッテルを貼られてショックを受けて。「こんなリア充漫画、読まねえ」とか言われて。

(玉袋・安東)(笑)

『ハチミツとクローバー』への誤解

(吉田豪)そう(笑)。かわいそうな人なんですよ。1個1個、誤解を解いたんですけど。そもそもおしゃれ漫画にした理由も、もともとの媒体がCUTiE Comicっていうおしゃれな女性誌だったんで、「おしゃれ要素を入れなきゃ!」って思って。で、美大とかにして、おしゃれな服を着せて。その後、それが休刊になって『ヤングユー』っていう女性の漫画誌に移ったんで、「恋愛要素を強化しなければ!」ってやって。みたいな感じであの、媒体に合わせただけなんですよ(笑)。

(安東弘樹)(笑)

(玉袋筋太郎)経験はないんだもんね。

(吉田豪)全然、全然。

(安東弘樹)だから、憧れを具現化したら、それが本当だと思われて叩かれるっていう。

(吉田豪)そう。叩かれて。それで、今度は『3月のライオン』がその反動になって。おしゃれ要素を全部消そうとして、ほぼユニクロな感じの服にしたりとか、シャツはインにするとかにして。で、ウジウジした部分を強化したんですよ。本人らしい。そしたら、「こんな鬱漫画読まない」とか言われて(笑)。「そうすりゃいいんだ?」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)これ、編集者の人っていうのはもうベタ付きなのかな?

(吉田豪)そうですね。基本。

(玉袋筋太郎)そうなんだろうな。たぶん。その人と上手く、関係ができているというか。いいところを出そうとか。作品としては、その編集者がいて。パーソナルな部分は豪ちゃんが出すと。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)まさにそうですね。

(玉袋筋太郎)その2つに分かれている。そうなんだ。

(吉田豪)インタビューではね。「こんな人です」っていう。

(安東弘樹)いやー、でもあのネガティブさが僕、大好きですけどね。最高ですよね。

(吉田豪)最高ですよ。好きになりますよ。本当にどんどん。聞くと。

(安東弘樹)だからなんか、「歪んだ」っていう言葉が当てはまるかわからないですけど、なんとも言えない心理描写ですよね。

(吉田豪)そうです、そうです。それは本当、本人そのままだったというね。

(安東弘樹)すごい納得した。さあ、続いて……。

(玉袋筋太郎)逆にそれが気になるんだよ。その3が、やっぱり。

(安東弘樹)学生時代ね。「恐ろしい」と「悲しい」話のみってこれ、どういうことですか?

羽海野チカ先生の学生時代

(吉田豪)そうなんですよ。せっかくなので『FRaU』では本当、基本的な話を全部聞こうと思って。「原点を探ってみたいんですけど、子供の頃からそんな感じだったんですか?」って聞いたら、「子供の頃は記憶があんまりないです」っていう(笑)。思い出が無いっていう。

(玉袋筋太郎)いきなり柵越えだよね。答えとしては。

(吉田豪)1人で図書館と家で本を読んでいるぐらいの記憶しかない。記憶のシーンは全て1人で、どこから1人だったのか?って考えたら、幼稚園でもう仲間外れになっていて。幼稚園のお庭の隅っこで砂山に横穴を掘ってハチのお家を作ったりとか。その頃から人と馴染めないタイプ。10代の頃は逃げ場がなくて。で、「美術系の高校に行ったら、絵が好きだし仲間がいるかも」と思ったら、都立で探したら1つしかなくて。それが工業高校の中のデザイン科だったから。ものすごい、時代的にビー・バップ(・ハイスクール)なところで「しまった!」ってなったっていう……(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そうだろうな、時代的に。

(吉田豪)で、「女の子が少なければいじめられないかな?」って思ったら、デザイン科は男子が7人だけであとは女子と。そしたら、『花のあすか組!』みたいな……それもそういう時代ですけども。そういう人たちがいて、「アカン!」って思って。「……最も厳しい3年間でした」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(爆笑)。全て裏目だね! 裏目、裏目。

(安東弘樹)裏目ですね。面白いように裏目だ。

(吉田豪)デザインの話も合う人がいなくて。ただ、先生がよくしてくれて。みんな不良だから課題を出さないんで、すごいかわいがってくれて。

(安東弘樹)ああ、(羽海野先生は課題を)出すからね。

(吉田豪)で、美術のおじいちゃん先生が「お前が課題を持ってくるのが楽しみなんだよ」って言ってくれて。その先生がサンリオの入社試験を受けられる道を作ってくれて。で、サンリオに入ることになるっていう。

(玉袋筋太郎)そうかー! もう、ストーリーだな。もう。

(吉田豪)で、「サンリオでは馴染めたんですか?」って聞いたら、ちょっと少し怖い女の上司が最初についたんだけど。その人の愛情を勝ち取ろうとして延々がんばり続けたらめちゃかわいがってくれて。で、サンリオっていうのが基本、美大とかを出ないと入れない。周りにいる人たちはみんな美大生なんですよ。で、はじめてそうやって友達みたいなのがその時にできて。で、美大憧れがここでできるんですよ。

(安東弘樹)ああっ!

(吉田豪)そして、自分が味わえなかった楽しい学生生活。先生はかわいがってくれた部分とかを活かしながら『ハチクロ』になっていくっていう。

(玉袋筋太郎)それなんだ、じゃあ。そこで触れ合った美大の先輩方は?

(吉田豪)「羨ましいな」っていう。「私の行ったことのない美大」っていう。

(安東弘樹)キラキラしていたんでしょうね。

(吉田豪)そうです(笑)。

(玉袋筋太郎)で、自分の鏡に写したものを描いたみたいなもんなんだね。はー! すげーな。

(安東弘樹)すごいなー。でも、がんばったんですね。

(吉田豪)がんばりましたよ。

(玉袋筋太郎)よく出会えたね、豪ちゃん。こんな素敵な人に。

(吉田豪)素敵ですよ(笑)。かわいい。

(安東弘樹)そんな羽海野さんが実は、あぶさん。

(玉袋筋太郎)あぶさんなんだね。これ。

(吉田豪)羽海野先生の恋愛観。僕、聞いたことなかったんで。「せっかくなんで、恋愛観聞いていいですか? 女性誌なんで」って思って聞いたら、「私、恋愛が苦手なので。待ち合わせとかをすると死ぬかもしれないので」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)待ち合わせで死ぬかも……カフェに入っても死ぬかもしれない。待ち合わせでも死んじゃう。

羽海野チカ先生の恋愛観

(吉田豪)「なんですか?」って聞いたら、「待ち合わせは本当に危険なので」っていう。「あと、別れ際に次に会う約束なんて、どうやってしたらいいかわからなくて、2度目の死を迎えるので。別れ際に約束できなかったら、またなにかで連絡を取らなきゃいけないじゃないですか。そこで3度目の死を迎えるので、無理だな」っていう。

(安東弘樹)なんで全部「死」なんですか? これ、「緊張する」っていう意味ですか? どういう?

(吉田豪)もうとにかく難しいんでしょうね。人間関係が下手で、それがまた恋愛になると。ようやく友達とかと付き合えるようになったのに、恋愛はまだ難しいみたいな感じの。

(安東弘樹)「待ち合わせをすると死ぬかもしれない」っていう言葉を僕、はじめて見ました。

(吉田豪)はじめて聞きましたよ。『3月のライオン』の中で、主人公がヒロインに対していきなり婚姻届を用意するシーンがあるんですよ。なんの恋愛もないのにっていう。あれは実は水島新司先生の『あぶさん』のプロポーズらしいんですよね。

(玉袋筋太郎)ほう!

(吉田豪)居酒屋さんの娘さんがずっと脇役として出ていたのに、ある日あぶさんが試合の帰りに婚姻届を持って、大将しかいない時に居酒屋に行って。大将に「これ……」って渡して、交際期間なしで婚姻届を持っていく。それが妙に面白くてときめいたので、漫画の中でもやって。だから、読者からすると「いつ恋愛が始まっていたんだ?」とか「いつ好きになった? 理由がわかんない」とか言われるんですけど、「私もわからないんですよ」っていう。「いつも理由もないし。私の中ではとってもリアルなんです。だから、いつかいきなり婚姻届を持ってきてくれる人がいいなと思って。交際期間なしで『お願いします!』みたいな」っていう。

(玉袋筋太郎)すごいよ、これは!

(吉田豪)それが理想の恋愛っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)下手すると殺到するかもしれないよ。財産目当てで(笑)。

(吉田・安東)(笑)

(玉袋筋太郎)ダメだよ! ダメダメダメ(笑)。

(吉田豪)真面目な人なんですから。傷つけちゃダメですよ。

(玉袋筋太郎)そうだね。本当に。みんなで守っていこう。

(安東弘樹)だからまあ、ピュアなんですね。本当に純粋なんですね。で、Twitterでカウンセラー増加の筋。

Twitterカウンセラーの増加

(吉田豪)そうですね。そのTwitterの話になった時に、「羽海野先生のTwitterが本当に好きで。相変わらず思春期の悩みを抱えているのが伝わってきて」と。この取材をした頃だと肉まんかなにかを食べたらしいんですよ。で、お店の中で食べたら怒られちゃって。「お店の中で食べないでください!」って。そんなルールがあるのを知らなくてシュンとしちゃう感じの(笑)。「寒空の中で食べました」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)かわいいな! なんか抱きしめたくなるけどな。

(吉田豪)そんなことばかりしてるんですよ(笑)。「最高!」って思って。

(玉袋筋太郎)いやいやいや。

(吉田豪)で、そういう話をしていた時に、なんでTwitterがああなるかっていうと、ネーム、つまり話を考えている時にそれをやっていると頭がすごく動くから、開けなくちゃいけない漫画の箱を開けると、ついでに自分の箱も開いちゃって収集がつかなくなる。で、その自分の箱の中に暗いことがいろいろと入っていて、それをワーッと書き出しちゃうっていう。

(玉袋筋太郎)ああ、そうか!

(吉田豪)で、「ファンの人が見たら嫌かな?」とも思っていたけど、「出勤の時に楽しく読んでいるから気にしないで」っていう感じでみんなに言われて、受け入れられるようになっていって。ファンの人は「そういうのを面白いって言ってごめんなさい」とか「先生、わかります。私も同じこと悩んでいました。中学生の頃」とかね(笑)。「いくつだと思ってるんだ?」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)でもう、そんな感じでカウンセラーが順調に増えているらしいんですよ。先生がそうやって傷つくたびに、「先生、大丈夫ですよ!」みたいな。みんなが(笑)。

(玉袋筋太郎)すげー!

(安東弘樹)そうか。普通Twitterをやっている方がカウンセラーになりますけど。そうか。周りが……。

(吉田豪)ヘコんだツイートの後は、みんながもう励まして(笑)。昔は僕ぐらいだったのが、いまカウンセラーがすごい増えて。「大丈夫ですよ!」って(笑)。みんなが言う。

(玉袋筋太郎)助けられているんだな。

(吉田豪)Twitterで音を上げることもよくあって。原画展とかいま、よくやっているんですけど。「なんでうちの県に来てくれないんですか!」とかよく怒られていて。で、最近Twitterで検索してご本人が見たっていうのが「ホストに入れあげている」っていうので。「ホストクラブなんて行っているわけないじゃないですか!」っていう(笑)。「死にますよ!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)即死だよ、そんなの。看板見ただけで即死だよ、そんなの。うん。

(吉田豪)「メディアミックスがこうやってあると、もともとあんまり好きじゃないから読まないでいた人がものすごく攻撃してくるんで苦しい。使う言葉もエッジが効いていて辛い。でも、励ましてくれるんで、みんなに生かされてます」っていう。

(安東弘樹)「生かされている」。

(玉袋筋太郎)素晴らしいな。ねえ。「なんでうちの県に来てくれないんですか」って、まあそれはねえ……。

(吉田豪)作者に言っても……っていうね。

(玉袋筋太郎)たしかに。まあ、リクエストっていうこともあるからね。

(吉田豪)「自分でいろいろ動いてください」ってことですよ。本当に(笑)。デパートとかに言ったり。

(玉袋筋太郎)デパート、行けるのかな?

(安東弘樹)そう。デパートなんてね、まさに。

(吉田豪)そして、その6。

(安東弘樹)一石二鳥。『3月のライオン』は羽海野チカ。

自分自身を反映させた『3月のライオン』

(吉田豪)そうなんですね。よりイコールになって。映画の『3月のライオン』で主人公が「自分には将棋以外に何もないんだ!」って叫ぶシーンがあるんですよ。「これって羽海野先生にとっての漫画でもあるんだろうなって思った」って言ったら、まあ、本当にそうだと言うことで。『3月のライオン』を始める時に、「話を考える時に全部そうやっていろいろな箱が開いちゃうから、自分がその時に悩みそうなことを全部題材にすれば悩みについても考察できるし、ネームもできる。一石二鳥!」って思って。「深い箱も開くし、悩みと同じものをテーマに居場所を探してそこに一緒にいる人を探して。人生と仕事の両輪を上手く作るかどうかの男の子の話にしたら、失敗しても上手く行ってもそれが作品の結末になる。そうすると、Twitterが暗くなる」っていう。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)つまり、羽海野先生の生き様の成果によって主人公の着地点も変わる。漫画のラストも変わるらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)ああー、そうか。

(吉田豪)羽海野先生がちょっと上手く行ったらハッピーエンドになって。最後1人ぼっちになったら、みなさん、察してください……っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)ああーっ!

(安東弘樹)そうか。じゃあ流れも決まってないんですね。

(玉袋筋太郎)乗り移っているよ、それは。

(吉田豪)まあ、結末自体は決まっているんですけど、それが平和になるか、平和じゃなくなるかが決まってないという。それが全て自分の人生なんです。

(玉袋筋太郎)すごいな、これ。

(吉田豪)「漫画って本人のパーソナルな部分がすごい出ると思っていて」って言ったら羽海野先生も同感で。「出した方が、欠点も個性なので。長所が似ていても、欠点ってみんなそれぞれいろんな種類があるから。それをそのまま出しちゃった方が、オリジナリティーのある漫画になる。それを出すのはやっぱり勇気がかなり必要で。漫画家さんと話していても、本人と話した方が引き込まれるケースがある。悩んで話したことでグッと来るから、それを描いてしまった方がいいと思うけど、『悩みなんか描けないよ』って言われて。惜しい! あなたが悩んでいる姿が美しいのに。私はほとんど描いているのに」っていうね。

(玉袋筋太郎)やっぱりね、なんだろう。先ほど出てきた名前だけど、晩年の梶原一騎先生もね、なんかやっぱり坂道を転げ落ちる時には漫画の中に自分のね……。

(吉田豪)心の叫びを描いてましたよね!

(玉袋筋太郎)心の叫びが出てるっていうのがあるんだから。

(吉田豪)全部出してましたよ。

(玉袋筋太郎)そう。「どいつもこいつも!」とかね、「この野郎!」とか。

(安東弘樹)その、吐露になるわけですね。

(玉袋筋太郎)吐露になっていくんだけど、でも、羽海野先生は当たっているわけだからね。ずっと。

(安東弘樹)そうですよね。

(吉田豪)当たっているのに、悩み続けるっていうね。

(玉袋筋太郎)不思議だなあ!

(安東弘樹)だって言わば、成功者じゃないですか。

(吉田豪)成功すれば、それが全て幸せっていうわけではないと。

(安東弘樹)まあ、ねえ。

(玉袋筋太郎)よっぽど本当、さっきの話じゃねえけどホストクラブに行っちゃった方が楽になるんじゃねえかと思うんだけど。俺。

(安東弘樹)ちょっとうちの番組の企画で行っていただきたいぐらいの感じですけどね。

(吉田豪)企画で(笑)。

(玉袋筋太郎)でも死にますから(笑)。

(吉田豪)その不器用さが伝わるのがその7です。

(安東弘樹)「やっといて」と言えないんだ。アシスタントとの力関係。

アシスタントとの力関係

(吉田豪)アシスタントさんに頼み事をするエピソードになったんですけど。ちょっとめんどくさいようなシーンをアシスタントさんに頼んだら、誰も返事してくれなかったらしいんですよ。原稿を受け取ってくれない。それで、ものすごい担当さんが待っている切羽詰まった状況だったから、「わかりました。自分でやります」って返して、ものすごい勢いで見開きの背景を筆ペンで描いて。「迫力が出たから、いいかなって」っていう(笑)。

(安東弘樹)いい人だ。

(玉袋筋太郎)いや、もう抱きしめてやりたくなるね。本当に。

(安東弘樹)いや、本当。さっきからずっと思いますよ。

(玉袋筋太郎)思うね。「大丈夫だよ!」って。

(吉田豪)「がんばったよ!」ってね(笑)。で、そういう作業が終わってアシスタントさんに「『もうサイゼリヤしか開いてないけど、みんなでご飯食べに行こう』って言ったら、『ああ、ちょっと私、忙しいんで』とか言われて心がポキっと折れたことがありました」って(笑)。

(玉袋筋太郎)アシスタント、頼むよ!

(吉田豪)「みんなでちょっと慰安旅行とか行こう」って言っても断られたりして。いま、そのアシスタントをなんとか活かせるようになろうとがんばっています!」って言われて(笑)。それを誌面通じて訴えてどうするんだ?っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだよ。サイゼリヤだってようやく行けるようになったかもしれないんだから。

(吉田豪)そこは死なないですからね(笑)。

(安東弘樹)羽海野さんが誘うっていうこと自体が奇跡ですよ、これ!

(玉袋筋太郎)お金がありゃキャンティだってどこだって行けるんだから。

(吉田豪)高いところね(笑)。「そういうことをもう1回言われたら、『いま、疲れていて。みんなでご飯に行こうとしているのにピシャッと言わないで』って言おうと思って。その人は時々、他人とのコミュニケーションって怖かったんだな』って思い出させてくれるんです」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)あの、お給料を払っている側でしょう?

(吉田豪)そう(笑)。

(安東弘樹)雇い主ですよ。雇用主。

(玉袋筋太郎)が、なぜそこまで気を使ってんの?(笑)。

(安東弘樹)でも、その人は選んだんですよね。この羽海野さんをね。しかもね。

(吉田豪)そうです(笑)。

(安東弘樹)そこがすごいね、また。

(吉田豪)アシスタント残酷物語的な話はよく聞きますけども、逆ですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)逆だよ、これ。うん。

(安東弘樹)どれだけ気を使っているんですか。さあ、そしてその8。豪さんのインタビューには物騒な話を。

羽海野チカ先生の謎のサービス精神

(吉田豪)また羽海野先生がなぞのサービス精神がある人で。今回もなんか新宿の話をしていたら、「なんでこんな話を僕に提供するんだ?」って話をまずしだしたんですよ。新宿2丁目の漫画家さんがいっぱい遊びに来るお店で飲んでいたらしいんですよ。そしたら、とあるプロレスラーの人が突然暴れて、様子が変わって一緒にいた人を気に食わないって暴れて。その人が殴られて。結局、朝4時ぐらいまで超狭い店に4時間近く監禁されて警察沙汰になったと。

(玉袋筋太郎)(笑)。誰だ、それ?

(吉田豪)一瞬、応戦した方がいいのかなって思ったら、「いま羽海野さんがケガをしたら、白泉社が大変なことになるから黙ってここにいなきゃダメです!」って言われて。「当たり前ですよ! なんで応戦するんですか、羽海野先生が? 止めてくださいよ!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そこだけは命知らずだね(笑)。

(吉田豪)「私がなんとかしなきゃ!」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)4時間近く監禁されたって(笑)。誰だよ?

(吉田豪)またいい人なんですよ。その人が、「今度結婚が決まった」って最初に言っていたらしくて。「これが大事になったら、結婚がダメになっちゃうかもしれない」って思って。「これは大事にしちゃダメだ」って(笑)。

(玉袋筋太郎)ああー。

(吉田豪)そういう話で、なんか知らないけど僕にはエピソードを提供しなきゃみたいなのがあるらしくて。10年前も「私、実はロス疑惑の三浦和義さんからお手紙をもらったことがあるんですよ」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)「獄中から同人誌の通販を頼まれまして……」みたいな(笑)。

(玉袋・安東)ええーっ!?

(吉田豪)「これ、絶対にそうですよね? 獄中にこの名前の人、いないですよね?」みって。三浦和もまたすごいマニアなんですよ。全然売れる前の同人誌時代に目をつけているんですよ。羽海野先生を。

(玉袋筋太郎)うわーっ!

(安東弘樹)ものすごいですね!

(吉田豪)そう。

(玉袋筋太郎)俺たちにとってのキング・カズですよね。

(吉田豪)そう(笑)。

(安東弘樹)『たまむすび』的キング・カズ。

(玉袋筋太郎)キング・カズなんだよ。へー! それは……。

(安東弘樹)いや、これ俄然興味深まったと思いますが。この羽海野チカさんのインタビュー、現在発売中の『別冊クイック・ジャパン 3月のライオンと羽海野チカの世界』と講談社から発売中のライフスタイル誌『FRaU』にたっぷりと掲載されていると。

(吉田豪)こういうのを知った上で映画とか漫画を見ると、より楽しめるんですよ。

(玉袋筋太郎)そうだね。うん。

(安東弘樹)でも、いちばん我々としては面白かったのは、現在発売中の『別冊カドカワ』で大谷翔平選手にインタビューと。

(吉田豪)そうなんですよ。謎のマッチメイク。すごいんですよ。大谷さんって無趣味で有名らしいんですよ。で、無趣味な大谷さんと、僕は野球を何も知らないんですよ。で、「2人で雑談をしてください」っていうテーマで(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)野球しか知らない人と(笑)。

(吉田豪)そう。野球を一切知らない人とっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)平行線だけどな。それでも成立させた豪ちゃんがすごい。野球が好きなんだってね。常に野球のことを考えてるっつーんだもんね。

(吉田豪)なんだろうな。ポップな星飛雄馬ですよ。

(玉袋筋太郎)ああーっ! 野球ロボットでもちょっと違うロボット。

(吉田豪)そう。楽しくロボットに徹している感じの。悩まない。「ディスコ行かなきゃ!」みたいにならない(笑)。1人でクリスマスパーティーとかやらない星飛雄馬っていう。

(安東弘樹)で、『BUBKA』で女子プロレスラーの堀田祐美子さんのインタビューですね。

(玉袋筋太郎)これも面白そうだな。堀田祐美子も。

(吉田豪)最高でした。

(安東弘樹)吉田豪さん、次回の登場は5月5日、子供の日です。

(玉袋筋太郎)子供の日だから、どうしよう? 子役にする?(笑)。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)なんなんだろうね、面白いよ。5・5・豪ですよ!

(安東弘樹)3つ並びますから。

(吉田豪)おおっ!

(安東弘樹)今日はありがとうございました!

(吉田豪)どうもです。

(玉袋筋太郎)ありがとうございました!

<書き起こしおわり>
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吉田豪 ライターと作家の肩書論争を語る

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吉田豪さんがMXテレビ『モーニングCROSS』に出演。はあちゅうさんのツイートをきっかけにネット上で盛り上がったライターと作家の肩書論争について話していました。


(堀潤)さあ、続いて豪さん。テーマの発表をお願いします。

(吉田豪)はい。

(堀潤)来ました。「ライター? 作家? 肩書論争」。

(宮瀬茉祐子)ブロガーで作家のはあちゅうさんがまとめサイトで「読モライター」のくくりで掲載されたことに対して、「私、ライターではない」とTwitterに投稿。作家とライターの違いについて波紋を呼んでいます。

(堀潤)結構続きましたよね。レスがね。

(吉田豪)まあそもそもこれ、他人事みたいになっていますけど、僕ですからね(笑)。当事者。

(堀潤)見てましたよ(笑)。その話題になっていた時は気づかなくて、1日、2日後ぐらいして……。

(吉田豪)まとめられてから。

(堀潤)そうそうそう。そこから拝見してました。

論争の経緯

(吉田豪)まあ、簡単に説明しますと、もともとこの「読モライター」っていうのがタレント性があって顔出しして、交友関係とかも商品にしているネット系ライターのことを指す新たな言葉ができて。

(堀潤)「読モライター」っていうんですね。

(吉田豪)で、そこにくくられたことに反論して。そこまではわかるんですけど。で、「私はライターではなく、作家だ。プロフィールとかで『ライター』と書かれると、毎回直しています」ってなっていて、そこで僕が「Wikipediaとかでも『ただ単に”作家”と書いた場合、著作家。特に小説家を指す場合が多い』と……まあ、日本ではそうなっているので。はあちゅうさんの場合は小説も最近書かれたけど、基本は作家というよりはライター枠の人だと思います」って書いたことからどんどん広がっていって……という騒動なんですけど。まあ、根本はたぶん……。

(堀潤)ええ。たしかにいろんな人が相乗りしていて。

(吉田豪)そうなんですよ。はあちゅうさんの最初のこの設定にズレがあったと僕は思っていて。はあちゅうさんの考えだと、「作家っていうのは自分の意見を書く。ライターっていうのは自分以外を取材して、誰かの意見を書く」っていうことになっていたんですけども、自分の意見を書くっていうのはたぶんコラムニストとかエッセイストなんですよ。で、作家も別に作品で自分の意見は書かないことが多いし。で、ライター……僕、自分以外を取材するけど、自分のことも書くんですよ。

(堀潤)うん。小説家の方もね、すごい取材、取材、取材を重ねてっていう。

(吉田豪)私小説ならともかくっていう。だから、まずここの……。

(堀潤)そこがちょっと引っかかりが発生する原因だと。

(吉田豪)そうなんですよ。プラス、やっぱりだから、「ライター」っていうのは書く仕事全般を指す言葉で。で、「作家」はその中での限定的なものだから、「ライターではなく作家」って言うと「それはちょっと違うんじゃないですか?」ってことから、本当たぶん「作家」っていう肩書にこだわりがある人がものすごく多いから、みんな次々と参入してきて。

(堀潤)いや、その肩書はなかなかみなさん、それぞれにありますからね。

(ピーター・バラカン)「文筆家」っていう言葉はもう日本語では使わないのかな?

(吉田豪)堅いんですよね。

(堀潤)文筆家は、あります。あります。ありますけど……。

(吉田豪)でも、それがたぶん適切だと思うんですけどね。そういう方が。

(堀潤)はあちゅうさんはね、小説もいま、がんばって書いている。一方でなりたい自分を肩書にすることでそこに追いつこうと……。

2パターンの肩書のつけ方

(吉田豪)そうなんですよ。結局、結論としては僕もそうなって。いろいろといろんな人の意見を読んでいくうちに、やっぱり2パターンあるんですよね。夢とか志を肩書にする人と、現実、いま食べている仕事を肩書にする人。で、現実派の人はその夢派の人に対して何か言いたくなるっていう(笑)。

(堀潤)ああー、そっかー。たしかにね。

(吉田豪)「お前、まだ違うじゃん?」とか(笑)。

(堀潤)「俺だって控えているのに!」みたいな(笑)。

(吉田豪)そうなんですよ(笑)。っていうことなんだろうなと思ったのと、あとだから「ライターではなくて、作家」っていう言い方の問題っていうのもあって。これ僕、前に「アイドルじゃないです。ダンス&ボーカルグループです」問題っていうのがあって。

(堀潤)なんですか、それ?

(吉田豪)「あなたはアイドルの人ですか?」って言われると、「いや、違います。私はアイドルじゃなくて、ダンス&ボーカルグループです」って言い張るのがあったんですけど。正直、仕事の範疇も完全にアイドルで、稼ぎ方もアイドルなのに、なぜそのこだわり?っていう。それはたぶんだから、「ああ、アイドルじゃないんだ」ってその言葉を聞いて思うよりは、「アイドルって呼ばれるのがそんなに嫌なんだ」っていう風になっちゃう。

(堀潤)だからそこに優劣をつけているっていうのが透けて見えるのが……っていうことですね。

(吉田豪)そうなんですよ。そういう風に受け取っちゃったんですよね。

(宮瀬茉祐子)ライターとじゃあ作家も、どちらかと言うとやっぱり「作家さん」って言われる方がなんとなく上っていう風な認識ってことなんですかね?

(吉田豪)そうなんですよ。「ライター 作家」で検索するといろいろ引っかかったのは、「ライターという肩書から作家に肩書を変えて収入を10倍にしよう」とか。さらに作家はそれぐらいヒエラルキーが上っていうようなイメージがあるので。

(宮瀬茉祐子)たしかに。歌手とかも「アーティストさん」とかになりますね。

(ピーター・バラカン)言われたものをつけるっていうのも変ですよね(笑)。

(吉田豪)アイドルである問題です(笑)。

(堀潤)そういうの、あったよ。「うちはアーティストなんで、これ、できないんです」っていう風にお仕事をちょっと分けていた方も近くにいて。びっくりした。

(吉田豪)「今年からアーティストになったんで、アイドルイベントは出れません」ってよくあるんですよ(笑)。

(堀潤)ああ、そうそうそう!(笑)。

(吉田豪)「なに、それ?」っていう(笑)。

(堀潤)そう。この間まで一緒に楽屋で写真を「イエーイ!」とか撮ってTwitterに上げていた人が急に上げられなくなったとか。そうか。

(吉田豪)で、はあちゅうさん、ただ気持ちがわかるのが、ライター講座の仕事を頼まれた時に「アポ取りとかテープ起こしのやり方とかを教えてくれ」って言われて、「それは私はやっていない。私はライターじゃない」っていう結論になったらしいんですけど。言っちゃうとこれ、僕もやっていないんですよ。

(堀潤)ああ、なるほど。

(吉田豪)だからやらないライターも全然いるしっていう。やっぱりライターはもっと広い意味のはずなんですよね。

(堀潤)そうか。でもなんか、あれですね。はあちゅうさんもそうですけど、豪さんもそうですけど。僕からしてみたら、いつも固有名詞っていうか。豪さんは豪さんだし、はあちゅうさんははあちゅうさんです。ピーターさんはピーターさんだしって。なんとなく、肩書っていうのはでも、非常に日本社会においてはこだわりを生むひとつの要因になっていますよね。

(吉田豪)僕、基本出る時に「なんでもいいです」って言っていた結果、いちばんひどかったのがいくつかあって。僕、ITジャーナリストにされそうになったことがあって(笑)。

(一同)(笑)

(吉田豪)基本、なんでもそのままにするんですけど、それは否定しましたね。「ITジャーナリストではないです!」っていう(笑)。

(ピーター・バラカン)細かく分類したがるよね。この国。

(吉田豪)そうなんですよ。

細かく分類したがる日本

(堀潤)たしかに。そういうきらいはありますか。わかる、わかる。そうね。

(ピーター・バラカン)肩書ってそもそも必要ですか?って時々思いますよ。

(宮瀬茉祐子)英語だったらそのまま「Writer」ですか?

(ピーター・バラカン)もちろんあるんですけど。でもね、ライターとか……あの、ノンフィクションライターとノベリストっていうのはたぶんあると思うんだけど。僕もね、「ブロードキャスター」っていうのはやっぱりね、自分はこだわりっていうかね、自分の意識っていうものはあるもので。黙っていると「音楽評論家」って呼ばれたりするんですけど、僕は評論をしていないので。あくまでも趣味で音楽を紹介しているから。評論家と呼んじゃいけないと思っているんですね。だからやっぱり……。

(堀潤)そうですね。自分のラインっていうのがあるんですね。

(吉田豪)ちなみに僕、美人すぎる市議の藤川優里議員にコメントを求められた時に、雑誌を見たら肩書が「ゆりっぺウォッチャー」になっていたことがあって(笑)。

(堀潤)(笑)

(吉田豪)ストーカーみたいな肩書で(笑)。

(堀潤)本当ですね(笑)。

(吉田豪)いちばん引っかかるのがあれなんですよ。実はこの番組に出るたびに僕、自転車で来ているんですけど。自転車置場に「MXの報道関係者以外駐輪禁止」って書いてあって。僕、報道関係者なのかな?っていう疑問が(笑)。

(堀潤)まあ、そうですね(笑)。まあ、報道関係者ですかね。ええ。いや、でも、面白い話しですよね。このテーマって。誰が肩書を決めるのか?っていうね。

(吉田豪)でも、基本はやっぱり、他人が見てそう見えるかどうかだと思うんですけどね。それにたぶんギャップがあったらいろいろと言われちゃうかもっていう。

(堀潤)たしかにね。まあぜひみなさん、いろいろとはあちゅうさんのものも含めて読んでみてくださいね。本日のオピニオンCROSSは以上です。

<書き起こしおわり>

吉田豪 爆笑問題の超ハードな小森谷徹いじりを語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『ぼんやり審議会』の中で2017年4月のTBSラジオ・スペシャルウィークを振り返り。『爆笑問題カーボーイ』で爆笑問題のお二人が次の番組を担当する後輩の小森谷徹さんに見せた苛烈ないじりを紹介していました。


(蓮見孝之)さて、ここからはしまおさん、吉田豪さん、プチ鹿島さん3人が注目したシーンを聞いていこうと思いますが。まずは吉田豪委員、お願いします。

(吉田豪)はい。これは『爆笑問題カーボーイ』の中での小森谷さんいじりですね。今回、スペシャルウィークで生放送だったんで、3時台のMCの小森谷さんが大学の後輩ということで、番組のつなぎ。紹介の時にあまりにもハードないじり方をして次の番組につなぐっていう、かなり画期的なことが行われて。ちょっとぜひ聞いてほしいので。

(蓮見孝之)はい。それでは18日(火)の深夜、『爆笑問題カーボーイ』での一幕です。どうぞ!

ハードないじりで番組をつなぐ

<放送音源スタート>

(田中裕二)それからこの後ね、『Fine!!』。小森谷徹っていう我々の、それこそ日芸の後輩で……。

(太田光)ヤリチン野郎だよ。ヤリチン野郎。

(田中裕二)我々の本当の1個下の後輩なんですよ。あっ、いたいたいた。

(太田光)ヤリチン! この野郎!

(田中裕二)恵(俊彰)と一緒に新聞を読んで。

(酒井健太)そうだ。やってる。『ひるおび!』で。

(太田光)あれ、俺らの後輩なんだよ。

(酒井健太)あ、そうなんすか!

(平子祐希)ヤリチンなんだ。

(太田光)女を泣かせてさ。ひどかったんだよ。

(田中裕二)そうなんだよ。ひでーやつなんだよ、あいつ。

(太田光)最低の人間だよ。

(平子祐希)すごい。『ひるおび!』の人だ。

(太田光)よくニュースを解説できると思うよ。

(田中裕二)本当だよ。悪い……「本当に、とんでもないですね」なんて、おめーがいちばんとんでもねえよ!(笑)。

(太田光)(笑)

(平子祐希)笑ってる(笑)。軽薄そうな人ですね(笑)。

<放送音源おわり>

(蓮見孝之)ひどいな、これ(笑)。

(吉田豪)ひどすぎますよね?(笑)。

(蓮見孝之)ひどくないですか、これ?

(吉田豪)このまま生放送、続くんですよ。次に(笑)。

(プチ鹿島)2人揃ってっていうのはすごいですね(笑)。

(吉田豪)そうそう(笑)。

(しまおまほ)これ、最高ですよね(笑)。

(吉田豪)田中さんのスイッチが入っているのがいいですよね。止めないっていう(笑)。

田中さんのスイッチが入る

(しまおまほ)前にも、小森谷さんの番組に田中さんがゲストで出たことがたぶん、スペシャルウィークかなんかであったと思うんですけど、ここまでそんな……もっと和気あいあいとしていて。たぶん太田さんがスイッチを入れて(笑)。

(吉田豪)そうですね。

(蓮見孝之)ちなみに、このいじりに対して小森谷さんがどんな対応を取っているのか、実はこの後の『Fine!!』でこのことについてリアクションをしているんですよね。こちらもちょっと、続けてお聞きいただきましょう。

<放送音源スタート>

(小森谷徹)えー、先ほど「軽薄そうな方ですね」と言われたのが私、小森谷徹でございます。ねえ。本当、爆笑問題の『カーボーイ』。番組のエンディングの方で見ていたらね、いきなり触れてくれたんでね。ちょっと顔を出しましたら、なんてことを言うんだ! ということでございますけども。まあ、たしかに学生時代にはいろいろありました……。
<放送音源おわり>

(一同)(笑)

(蓮見孝之)エンディングからのその、小森谷さんの生ですね。

(吉田豪)もう3時台、全然違う感じの番組なんで。こういう話をする時点でも、結構事故なんですよ(笑)。

(しまおまほ)なんか、ちょっと余裕ない感じ。この後のしゃべりもちょっと余裕がない感じで。「でもいまは……」みたいな感じで。なのでたぶんね、結構言われたくない部類のなんじゃないか?って(笑)。結構優男なんだよね、小森谷さんね。

(吉田豪)「ヤリチン」という単語は絶対に使わないぞ!っていう意思を感じましたね(笑)。

(蓮見孝之)豪さん、これが気になったポイントはなんでしょうか?

(吉田豪)いや、もう完全に田中さんですよ(笑)。田中さん暴走っていう(笑)。

(蓮見孝之)田中さんが制さないっていうね。うん。

(しまおまほ)次の日も話題になってましたね。これね(笑)。

(蓮見孝之)でもこれ、番組と番組のつながりっていいですね。やっぱりラジオを始めて、私も……ほとんどテレビの仕事が入社してからは多かったので、番組と番組のこのつなぎのやり取り。カーテン越し、ガラス越しのやり取りってすごくいいなと思うんですけども。

(吉田豪)『カーボーイ』はスペシャルウィークだけ生なんで、よりこういうダイナミックな感じはこういうときだけ味わえるっていう。

(蓮見孝之)ですね。そういうのをわかった上で聞いてる方もいますけど、時々そういうタイミングにチューナーを合わせて、「あ、これがラジオか」っていうものを味わえる瞬間に立ち会えたら、それ以降も聞いてくれそうな感じもするんですけどね。

(しまおまほ)そうですね。うん。なんかこの感じがラジオなんだっていうのが……杉山(真也)さん、いまカーテン越しを練習中ですよね。

(蓮見孝之)私の後輩の杉山アナウンサー。そうですね。

(しまおまほ)『たまむすび』に行く時になかなか入れないって(笑)。

(蓮見孝之)かなり言ってましたよ(笑)。

<書き起こしおわり>
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杉作J太郎と吉田豪 昭和のスター・松方弘樹を語る

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杉作J太郎さんと吉田豪さんがJFN『スキマから聴こえてくるラジオ』に出演。昭和のスター、松方弘樹さんについて話していました。

(吉田豪)はい。吉田豪と……。

(杉作J太郎)杉作J太郎がお送りしております『スキマから聴こえてくるラジオ』。

(吉田豪)今日は昭和の日が近いということで、昭和のスターをテーマにお届けしていきます。Jさん、まずはどの方から行きましょうか?

(杉作J太郎)そうですね。今年の1月に亡くなった松方弘樹さんから行ってみたいと思います。

(吉田豪)はいはい。松方さんの代表作っていうと、何になると思います?

(杉作J太郎)まあ、これは人それぞれだろうね。いろんな感じの松方さんがいらっしゃいますからね。ええ。

(吉田豪)脚光を浴びたのは『仁義なき戦い』ではあるわけですよね。

松方弘樹の代表作

(杉作J太郎)そうですね。たしかに『仁義なき戦い』は超超超大ヒットですから。これで松方弘樹さんというのを日本中のほとんどの人が知ったというのは事実でしょうね。。

(吉田豪)それと、NHKと。

(杉作J太郎)NHKの大河ドラマで主役をその後にね、やりましたから。『勝海舟』で。で、あれは普通の大河ドラマよりも……本来の主役の渡哲也さんがご病気になりまして。最初の3話だか4話だか、青年時代で降板をされまして。で、急遽、松方さんが登板という。

(吉田豪)その話題性もあったわけですよね。

(杉作J太郎)そうですね。だから普段の大河ドラマよりも注目度は高かったと思います。

(吉田豪)で、松方さんが「ギャラが安い」とかの文句を言ったりとかもしていて。その話題性もあり……っていう。

(杉作J太郎)ああ、まあ実際問題、かなりモメられたみたいですね。モメられたというか、まあしんどかったんだと思うんですよ。急遽松方さん、これね、NHKで大河ドラマに入ったけど、そのつもりでいたわけじゃなく。で、当時松方さんはもう主演・準主演で東映で第一線のスターだったので。まあ、これは大変なスケジュールだったとは思います。

(吉田豪)うん。

(杉作J太郎)で、その後、松方さんはテレビ、時代劇、そしてまた映画もありつつのね。だから松方さん自身のお話を聞くと、『最後の博徒』。もしくは『修羅の群れ』。



(吉田豪)『修羅の群れ』はよく言いますね。



(杉作J太郎)やはりここがね、これ80年代にたぶん入っていたと思うんですけど。「それがやっぱり自分の代表作だ」みたいにおっしゃりますね。

(吉田豪)言いますね。

(杉作J太郎)で、それはね、なんでだろう?っていうことを考えると、その前のね、たとえば『県警対組織暴力』。これは(菅原)文太さんの相手役になりますけど。それとか、『脱獄広島殺人囚』とか。『暴動島根刑務所』とか。この刑務所三部作っていうのがあるんですけど。それの松方さんが、まあ僕的には松方さんの最も好きな代表作として挙げる……まあ、僕もそうだけど、割りと挙げる方、多いと思います。

(吉田豪)そうですね。

(杉作J太郎)で、実際問題、作品の質と訴える訴求力もね、普通じゃないので。素晴らしいと思うんですけどやはり、その『修羅の群れ』『最後の博徒』になると、東映にいままで携わってきた、松方さんの好きだった萬屋錦之介さんとか、松方さんのちょっと先輩というか師匠筋にあたるような鶴田浩二さんとか。そういう方々が全員この脇でね。自分のライバルだった人とか、先輩だった人たちがみんな脇で回ってくれて。そこで完全主演で松方弘樹さんで行ったから、「ようやくここまで来れた」っていうのがまずひとつ、あったのかもしれないですね。

(吉田豪)でしょうね。その達成感みたいなもので、代表作として挙げている。

(杉作J太郎)うん。あとそれとね、この間僕、弟さんの目黒祐樹さんとちょっと一緒に舞台をやったんですが。お父さん、時代劇スターの近衛十四郎さんが松方さんに対してはかなり厳しかったっていうんですよ。

(吉田豪)らしいですね。

(杉作J太郎)で、映画を見ては、たとえば『仁義なき戦い』なんかでもね、あんだけがんばっているのに、「こんなことをやっていたんでは、お前はもう消えてしまうぞ」っていうね、厳しいことをおっしゃっていたらしいんですよ。

(吉田豪)目黒さんには言わなかったらしいですね。

(杉作J太郎)目黒さんにはものすごく優しかったと。

(吉田豪)「『ルパン三世』もいいぞ」みたいな。

(杉作J太郎)で、たぶん……これも推測の域を出ませんが。ここは。『修羅の群れ』は褒めていただいたんじゃないですかね。もしかしたら。で、自分の中でもやっぱり「やったな」っていう。『巨人の星』の家庭ぐらい厳しい感じなんでね。もしかしたら、そうだったのかな? と思う部分はありますよね。

スター一家伝説

(吉田豪)うんうん。最近、松方さんの本が出たじゃないですか。それを読んでいると本当にデタラメな話だらけじゃないですか。ご両親に小学生の時にヒロポンを打たれたとか(笑)。

(杉作J太郎)まあまあ、時代が違うからね。いまの時代で翻訳すると、ご両親に栄養ドリンクを飲まされたっていう。

(吉田豪)そんな感じですかね?(笑)。

(杉作J太郎)いや、たぶんそうじゃないの? 時代が違うから、これはなんとも言えませんね。まあでも、かなりめちゃくちゃな……「めちゃくちゃな」っていうか、さすがのスター一家。そして近衛さんもやはり、日本でいちばん立ち回りの上手い時代劇俳優と言われてましたから。やはりこの、豪快な人生だったのは間違いないですね。

(吉田豪)そうですね。

(杉作J太郎)それで、お父さんもスターだから細かいことにこだわらなかったというかね。いろんな商売に手を出されたりもしてたと思うんですけども。

(吉田豪)有名なね、親子でソープランド経営というのがね。

(杉作J太郎)(笑)。そうそう。親子でね。まあ、あれなんかもね、やりたくてやったというよりは、なんか土地があったからすすめられてやったというのが真相みたいですね。

(吉田豪)まあ、松方さんに言わせると本当にお父さんは商売が下手で、よく騙されて……みたいな。

(杉作J太郎)本当にその一環だったみたいでね。だから僕らも土地があればね、始めたいですけどね。

(吉田豪)ソープ?

(杉作J太郎)割りと興味津々ですね。

(吉田豪)はいはいはい。有名なのがね、その『(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!』が毎回収録が終わるとたけしさんも含めて全員でソープに行っていたっていうね。

(杉作J太郎)昭和の時代は、終わったらソープなんですよ。

(吉田豪)連れソープみたいな。

(杉作J太郎)うん。もう映画もテレビも、終わったらソープ。まあ、もちろん全部じゃないと思いますけど。

(吉田豪)わかります、わかります。

(杉作J太郎)でも、僕が聞いている現場はね、90%ぐらい、終わったらソープだね。

(吉田豪)行きすぎて、最終的にはその『元気』のスタジオにソープのオーナーが迎えに来ていたらしいですよね。

(杉作J太郎)やっぱりこれは時代だな。ねえ。

(吉田豪)その松方さんの本ですごいなと思ったのが、海外ロケでトラブルがあった時の話で。たしか、フィルムが全部没収されて、撮影できなくなって。もうずーっとそのホテルにみんな待機する羽目になって。何日かはみんな楽しんでいたけど、だんだんみんなイライラしだして、ヤバいってなった時に、スタッフ全員をロビーに集めて、大金と女性を並べて。「お前ら、これで遊べ!」って言って、それでみんなを落ち着かせたっていうような。「なんでそんなに若いのに、そんなことができるんだ?」みたいにその本には書いてたんですけど。

(杉作J太郎)やはりそういうのを見てきているからでしょうね。見てきてなかったら、急には思いつかないでしょうからね。だから、松方さんはやはりその鶴田さんとかがね、あったんだと思いますね。

(吉田豪)はいはいはい。だから、高倉(健)さんの下だったらそうはなっていないですよね。たぶん。

(杉作J太郎)高倉さんの下の方っていうのは、小林稔侍さんとか、谷隼人さんとか、北大路欣也さんになりますけど。やはりみんなそういう雰囲気じゃないですよね。みんなこう、スポーツマンというか。どちらかと言うと、なんか走り回る感じですよね。やっぱり昭和の時代のスターは女性が好きだったっていうのは間違いないですね。

(吉田豪)間違いないですね。

(杉作J太郎)で、いまのスターも本当は好きなんだろうけど、許されないんだろうな。なんでか知らないけど。

(吉田豪)「女性が好き」をあそこまでキャラにする人もそういないじゃないですか。あんな、800人斬りだのなんだのっていう。

(杉作J太郎)それもね、だから(山城)新伍さんとかもそうじゃないですか。ただ、それもやっぱりね、鶴田さんっていう先輩がいるからね。

(吉田豪)ああー、実はすごかったらしいですね。

(杉作J太郎)うん。だから、やっぱり先輩の姿を見て、後輩は育ってくるんでしょうね。

(吉田豪)「かっこいい! 俺もそうなりたい」っていう。

(杉作J太郎)だから、もしかすると、松方さんもね、もちろんずっといたわけだから。見て育った人はいるはずでね。いまの時代にもいるはずですよ。女性をすごく好きな人は。

(吉田豪)そりゃそうですよ。みんな好きですよ。それをキャラにできるかどうかですよね。

(杉作J太郎)ああ、なるほど、なるほど。そうですね。

(吉田豪)はい。そんなところで1曲、聞いていただきましょうかね。Jさん、曲紹介をお願いします。

(杉作J太郎)はい。その松方弘樹さんが大好きなビートたけしさんと一緒に出した曲ですね。『I’LL BE BACK AGAIN…いつかは』。

『I’LL BE BACK AGAIN…いつかは』



<書き起こしおわり>
町山智浩・春日太一・吉田豪 松方弘樹追悼特集
町山智浩さん、春日太一さん、吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。亡くなった松方弘樹さんについて、春日さん、吉田さんが生前、松方さんに行ったインタビューのエピソードなどを交...
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